第6話 国内紛争
私は食堂、厨房へ足を運んでいた。探すのに手間取ってしまったけれど、何かあの人の栄養になるようなものを物色し始める。普段はわからないけれど現在、厨房には数名の料理人が何やら仕込み作業を行なっているようだった。
「あれじゃ自分で作るのは無理そうだね……。勝手もわからないし、パンのようなものでもあればいいけど」
気づかれないように物陰に隠れながら周囲を警戒。見る限り使い勝手に関してもお婆ちゃんの国にいた頃の道具、釜や炉なんかはかなり似ていた。伝統様式のようなもので現代日本ではほとんど見かけない風景ではあるもののその気になれば簡素な料理くらいなら私でも作ることは何ら問題ないと思う。なにより料理くらいならママやお婆ちゃんと一緒に作ったこともあったしそれなりに自信はあったからだ。
「…流石にガスコンロや電気キッチンなんてあるわけないよね…」
日本に来てからはごく当たり前のようにありふれていた文明の利器、その利便性を痛感させられる。料理人の人々は薪焜炉のような場所で鍋をぐつぐつの煮やしながら下ごしらえ。時折味見をしてスパイスのようなものをさっと振りかける姿を横目にお目当てのものを発見。
パンと水差しから近くにあった水筒へと移し替え、ついでにチーズも少し拝借。いい匂いにつられ手に持っていたパンを頬張ろうかと誘惑が囁いてくるが我慢しつつ急いでその場を後にしていく。多分涎も垂らしていたかもしれない。きっと匂いからして暖かそうなシチューを作っていたのだと想像しながら、故郷で飲んだミルクの味を思い出していた。
「私も食べたかったなぁ」
◇
暗い…。暗く闇のような場所に置かれ、そして何をするわけでもなく、何をできるわけでもなく―……。皮肉なことに先の見えない今の自分の状況に相応しいと言えるだろう。なぜ父上があの様な凶行に駆られたのだろうか。ドラストニアとアズランドという二つの王家。かつて長兄が残した、『共に栄えることはない』という言葉を思い出す。元々武家の家柄であったアズランドはいずれ軍部の役割のために消えゆくだろうとも語っていた。
ゆくゆくはドラストニア王家に仕え、諸国と渡り合うために力をつけることが急務であったはず。それでなくとも現状のドラストニアの内戦状態は南の強国にとっては好都合。この隙を突かれてしまえば派閥争いどころではなくなる。
現政権、ドラストニアの国王の亡き今、王位継承で高官と王家との間でドラストニアにも暗雲が漂う。今こそ支柱となるべく当家の軍事力が必要とされている。一つの目的のために一枚岩とならねばならぬ時に人とはかくも自己を求めてしまうものなのだろうか。どちらにしても良くて処刑、最悪は晒し物。それはいい―……。
しかしこのまま父の真意もわからぬままでは死んでも死にきれない。今はただ待つことしかできない己に恥じることしか出来ず虚無感だけが残るばかりだ。自分は一体何のために、誰がために―――……。
「お待たせしました」
扉の開く音と、先程聞いた明るい声が飛んでくる。私がさきほど助けたはずの少女。風貌は見たことのない少女、しかしどこにでもいる幼くも明るさを持った元気な幼子。そしてどこか浮世離れした雰囲気も感じつつ美しい銀色の髪は天使のようにも感じられる。
「僅かしかなかったけど、お腹の足しになると思います。」
少女はそのままパンとチーズ、水筒を檻の隙間から差し入れてくる。私は首を横に降ることもなければそれに手を伸ばすこともなく反応を示さなかった。いずれ死ぬ身である以上無駄な物資の消費をさせるわけにもいかない。ドラストニア王家の手によって幕引きをしてもらえるならこれ以上なく光栄なことだ。
しかし彼女から投げかけられた言葉は私の予想だにしないものだった。
「あのっ……もしかして、パンとチーズ苦手でしたか……?」
先程までの明るい声とは違い不安混じりの少し上ずった聞き方。面食らってしまったが私はそうではないと首を横に振る。少女はそれに反応し、少し考えてから続けた。
「お腹が痛いとか……?」
確かにそうかもしれない。空腹を通り越し、今食事を取れば身体が受けつけないのではないかと思えるような状態。だがそうではないとまた私は首を横に振る。またしても少女は考え込むが今度は先程以上に考えているような様子だ。実はこの少女も王家の出なのか、高官の娘なのかわからないが少なくとも王宮内を出入りしている時点で関係者ではあることは確かと言える。私のことも知っているのになぜ差し入れなどするのだろうか。忍びないが冷たくあしらえば流石に諦めてくれるだろうと思っていたのだが―……。
「じゃあ……一緒に食べませんか?」
◇
少し図々しかっただろうか。私の提案に大変驚いている様子で先程までとは明らかに違う表情で意表を突かれたというのが正しい表現。やっぱり食事は摂りたいのだと思う。けれど何かわからない事情があるのかもしれない。少しだけチーズとパンを千切って自分のポケットにしまい残りの乗った食器を檻越しから手を伸ばして彼の方へと押し込む。それでも届かず必死に押し込もうとしていると食器を手にとってもらえた。
「なぜ私に……?」
彼はそう問いかけてきた。なぜ?と言われても私がただそうしたかっただけ。本当はいけないことなのかもしれないけどここに閉じ込められていることが納得いかなかった。このままにしてしまったら本当にこの人は死んでしまうかもしれないという不安がきっとそうさせていた。
「助けてくださったお礼と……気になっちゃって」
牢に閉じ込められているけれども夢の中で見た紫苑さんはとても悪人のようには感じなかった。それどころか助けてくれたその姿は間違いなく私にとってはヒーローのように見えていた。
どうしてこのような状況に置かれたのか知りたかったし、紫苑さん自身のことも知りたくて、気になってー……。見ず知らずの私にそんな事情が話せるとも思えないけど私はこう続けるしか出来なかった。
「そんなやつれた表情見せられちゃったら誰だって何かしたくなると思います。出来ることなら……食べてほしいなって思って」
「私には………そのような権利などございません」
権利と彼は言った。兵士だから食事を摂ることさえも禁じられているのかと直感で思ったけれど、セルバンデスさんはこの国の『財産』と言っていたくらいの人。そんな命令をするとはとても思えない。あるいは投獄された責任を感じて食事も満足に摂ろうとしない彼自身の意志のだろうか。ここで王位継承者と言って説得したところで信じてはもらえないとも思うし、そもそも私にそんな実感もなかった。
だから―……やっぱり上手く言えないから思いの丈をそのまま言葉にしてみる。
「なら、私に『あなたと一緒にご飯を食べる権利』をくれませんか?」
表情はわからなかった。けれどさっきまでの瞳の光とは違って見えた気がする。私の言葉に揺らいだというよりも権利という言葉に反応を示したようだった。
「………」
「権利とか責任とか、感じることは沢山あるかもしれません…」
「セルバンデスさんも紫苑将軍のことを財産って言ってくれてましたし、この国の人にとっては大切な人だと思われてるんじゃないんですか?」
「それに一人ぼっちの食事なんて味気ないですしね」
「…………」
瞳は何処か違うもの見ているように見えた。俯き床を見ているようでも、何処か別の、例えるなら自分自身の心を見ている。そんな気がした。
千切ったパンとチーズを実際に食べてみると少し硬く食べづらかった。チーズは少しパサついていて水が欲しくなるところだ。
「けほっ……けほっ」
粉が喉にくっついて少しむせ返していると隣から水筒が差し出される。紫苑さんから受け取った水筒の水を飲んでからハッと我に返り急いで謝った。
「ご、ごめんなさい! 紫苑さんのために持って来たのに」
熟睡中の兵士に聞こえないよう声を潜めながらも慌てて謝罪する私に彼は少し笑ってみせる。笑顔の彼の表情は助けてくれた時に見せてくれた優しいもの。胸の鼓動が高まり顔が熱くなっていく。
「ありがとうございます」
紫苑さんはお礼の言葉を向けてからようやくパンを手に取り口へと運ばせた。咄嗟に名前で呼んでしまったことを謝ると彼は笑ってそのままで構わないと言ってくれた。そして私の名前を訊ねるのだった。
「お名前を伺っても宜しいですか?」
「ロゼット・ヴェルクドロールです」
立派な名前と誉めてくれたことにもだけれど、彼の「ロゼット殿」という丁寧な呼び方と優しい声で呼ばれる度に鼓動が強く高鳴った。
◇
地下からこっそり戻った後にセルバンデスさんとラインズさんと合流し、王宮内での立ち振る舞いや仕事に関しての説明を受けた。書類整理やら高官の人との面会やらで慌ただしく過ぎてしまう。実のところ内容は全然頭に入ってこなかったんだけど、今のところはセルバンデスさんとラインズさん二人に取り仕切ってもらうことになっていた。
「問題は…いつお嬢を即位させるかだよな」
「お披露目の際における民衆への演説も行ないませんとね」
セルバンデスさんとラインズさんの二人で相談し合ってるが本人の私を置いてけぼりに話が進んでいってしまう。もう私が国王になるという方針で話が進んでいるようだったけどどうもよくわからない。この世界の『ロゼット・ヴェルクドロール』は国王の娘ということなのだが、ラインズさんやセルバンデスさんがいるのにどうして彼らに国を任せなかったのだろうか。そのことについて改めて訊ねてみる。
「あの―……そもそもどうして私なんですか? だって国のことだって王様とか、そんなこと何一つわからないですし。ラインズさんも皇子様なんですよね?」
「あぁ、言ったと思うけど俺は親父の血の繋がったガキじゃないんだ。母親の連れ子っていうのもあって俺が王位を継承したら色々と問題が起こっちまうしな」
複雑な事情を抱えているのは今の話で察することができた。けれど嫡子は私しか存在しないにしても、血族から辿ることは出来ないのだろうかと訊ねると一人だけ該当する女性がいるらしい。女性の上にその人も遠縁の繋がりということもあって順位は三位なのだとか。それ以外の血縁関係者もすでに亡くなられているそうだ。
「けど右も左もわからない私が国王になっちゃって……だ、大丈夫なんですか?」
「その不安解消のためにもセバスの元で学んでもらうってわけだ。こいつは外交官と執政を兼任してるからお嬢の世話に関しては一任することになってる」
そう言ってラインズさんに改めて紹介されるとセルバンデスさんが私の前で跪く。
「今後の学習指導等は私が承ります。ロゼット様も不明な点がございましたら何なりとお申し付けください」
そんな大袈裟な挨拶をしないでほしいとすぐに立ってもらい、学校のような教育を想像すると少し気が抜けるんだけどそんな風には感じないかな。どんなことを教えられるのかも気になるところではあったけど『即位』という部分が一番気になってしまう。それに演説も学校の朝礼とはまるで違うし、そもそもこんな幼女が新しい国王ですなんて出てきて普通の民衆なら不安になるのでは―…?
「勉強するのはわかったんですけど……。その……即位するまでの間は何をすれば良いんですか? それに私が出てきても、国王なんて……信じてもらえるんでしょうか」
「そのあたりはちゃんと考えてあるから心配するな。その前に頭でっかち共を納得させねぇとなぁ」
ラインズさんは私の弱々しい言葉に対して明るく返す。流石にその先の事や今後のことには考えがあるみたいで少しホッとするものの、それでも納得しない人たちはいるみたいだ。
「旧国王派は納得しましょうが…」とセルバンデスさんが少し含みを持ったことを言う。
「問題は年寄り共か」
難しい話はわからないけれど聞いておかないとどう立ち回っていいのかわからない。私は頭にクエスチョンマークを浮かべながら話を纏めようと必死に整理していた。どこから聞けばいいのかわからないから話全体を含めて訊ねる。
「なんの話ですか??」
「派閥争いってところか、けど今は国内でちょっとした紛争になってるからな。まぁ戦争みたいなもんでもあるが…」
「戦争!?」
その言葉を聞いて思わず声を上げてしまうのだった。
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