第1話 ロゼット・ヴェルクドロールという少女

「はっ……!!…あぁっ……はぁ…」


 脳裏に焼きついた赤色の情景。雲も大地も、そして海さえも『朱』に染まった世界。その奥底を覗き込む瞳のように、漆黒の空が広がる。夢見にしてはあまりにも心臓に悪い。驚きのあまり勢いよく目を覚ます。息切れを起こし汗もかいているほどだった。その汗が美しい白銀の髪と白い肌を伝い、碧眼に日の光が当たる。一層碧く輝き、西洋の人形のような、神秘さを纏う美しさ。そして幼さとが不釣り合いなほどの外見を持つ少女。彼女の名はロゼット・ヴェルクドロール。ここ、日本で過ごす朝にしては一番最悪な目覚めを経験する。


「なんなのさ、あの夢……」


 うなだれながら再びベッドに横になる。思ったよりも目は冴えており、思考もはっきりしている。二度寝をするにしても時計の針は六時半を回ったところ。だったらと今日は早めに起きることにしたのか体を再度、起こす。体を解す日課の体操を行なう。ある程度解してから姿見で確認、肌着を身につける。日本(こっち)の風習ではあまりないようだが、就寝時には何も身に付けないロゼット。冬場の寒い日以外では基本的には素肌をさらすのだが、少し悩みもある。


「あ、寝返りして跡が付いたかなぁ」


 最近では少し赤く痕が残るのを気にするようになっていた。白い素肌のせいで余計に目立ち、夏場なんかは特に顕著。男子にたまに小馬鹿にされたりもして恥ずかしい思いもしたくない。そのため、肌着くらいは身に付けようか少し悩んでいる様子。赤い痕を触りながら見ていると不意にフラッシュバックが襲った。先ほどの夢、『朱い情景』を思い出してしまっていた。


「何だったんだろう……」


 思わず目を丸くしてしまうが冷静だった。不思議と恐怖を感じず、むしろ身近なものとさえ感じていたようだ。僅かながらに親近感のようなものも覚える。あのような『地獄絵図』にだろうか。それとも、あの『少女』にだろうか。どちらにしても、そんな感情を抱いてしまっていることに驚く自分がいる。あのような悪夢を見たことも、想像したこともない少女。そんな気持ちを払拭するように洗面所へと向かっていた。


 ◇


「ご馳走様でしたー」


 こっちに越してきてからは日本食が殆ど。自分の故郷の味を忘れてしまいそうなくらい、食事にも慣れ親しんでいた。学校の給食も食べやすく、みんなと楽しんで食事が出来る。そのあと、すぐに昼放課で外で遊ぶのが毎日の楽しみ。それも明日からは夏休みでしばらくはお預けになってしまう。学校は楽しいけど、それ以上に夏休みに対するワクワクが勝ってしまう。そんなことを考えながら食事を終えて食器を運ぶ。台所では携帯電話を片手に立つママと目が合う。私と同じ銀色の髪の毛。私以上に白い素肌が目立つ、同じ綺麗な碧い目。自慢のママ。私と同じ碧眼でありながら、電話越しで流暢な日本語でパパと会話してる。私にとっては日常だけど、その様子は改めて考えてみると、ちょっとシュールかも……。


「そう、じゃあ夏休みには帰ってきてあげられるの?」


 おそらく夏休みの予定でも決めようかと話していたのかな。少し残念そうな声で電話を切り終える。私がその様子を察して「パパお仕事忙しそうだねー」と話しかける。ママも困った顔でお手上げポーズを見せてくる。

 パパのお仕事の事情で日本に住むことになったのだけれど、仕事で家を空けてることが多い。だからママと家で二人で過ごすこともほとんど。こんなに可愛い娘とママを置いて仕事ばかりのパパにも困ったもんだよ。ママも冗談交じりに仕事を始めようかと、最近真剣に考えてるみたいだし。


「男の子ばかりの職場で仕事してやろうかなぁ、あいつめ」


「そ、それはやめて」


 パパに当付けるよう、口を尖らせるママ。ただ私以上に行動力のあるママならやりかねない。ママも「あまり我儘言っちゃだめよ」と笑顔で少し窘める。


「えー……ママは良いのー?」


「ママは良いのよ。パパの女神様だから」


 そういうママに張り合うように「じゃあ私はパパの天使だから良いよね」と返す。一瞬で呆れ顔に変わるママ。二人に取り合いされるパパを想像すると、今度は二人してニヤケ顔を見せ合う。けどやっぱりパパが居てくれないと寂しい。ママだって寂しがってるし、私だって―……本当は毎日でも会いたい。お仕事で頑張ってくれてるのはわかる。けどこれくらいの我が儘ならバチも当たらないんじゃないかな。

 パパの話をしながら、今度は学校行事や友達の親戚の旅館で泊り込むという話も出てくる。家族参加のキャンプなんかも企画されてるみたいだし、パパもその時ばかりは帰ってきてくれると思う。夏休みはプールや海、山でキャンプと期待を膨らませながら学校の支度を済ませてしまう。それから少ししてから呼び鈴が鳴り響く。


「おはよーございまーす!」


 玄関のドア越しからでも聞こえてくる聞き慣れた声。それに応えるように荷物をまとめ、急いでドアを開ける。元気な親友と顔を合わせる。


「じゃあ、ママ!行ってきまーす」



 ◇



「ねぇローザは夏休みどうするの?」


 登校中にそう私に問いかける少女。彼女は私が日本に来てから初めて出来た友達の佳澄(かすみ)。ちなみに本名の『ロゼット』というより『ローザ』や『ローズ』という愛称あいしょうで呼ばれることが多かったりする。


「うーん……まだそんなに考えてないんだよね」


「じゃあさ、一緒に海に行かない? クラスの子何人か誘ってさ」


「いいね海!! ただパパとママにも相談しなきゃねー」


 他愛のない会話。あっという間に学校付近まで着いていた。楽しいことは本当に時間があっという間に感じてしまう。これから始まる夏休み。それもきっと、駆け抜けるように過ぎてしまうのだろう。二人して遠くを見るように目を細めて校庭に広がる光景を見ている。校庭では明日からの夏休みが楽しみなのか、みんなそわそわとどこか落ち着かない様子。明日からの予定や今日の帰りに都市部に行こうとか。各々計画を話し合っていた。


「悟ってるなー私達……」


「だねー」


 悟るってなんだっけ、とか思いながら下駄箱へと歩いていく。みんな元気な声を掛けて挨拶してくれる。何人か夏祭りにも行かないかと声をかけられる。


「なぁ、ロゼットって浴衣とか着るの?」


 不意に聞かれる質問。ちょっと困惑しながらも多分着替えるのかな、とか考えてみる。そんな曖昧な返事をすると、男子もちょっとソワソワしたような様子だった。彼らの様子の理由がわからずに怪訝な顔をしていると、横から佳澄に肘でつつかれる。「着てきてあげなよ」とニヤケ顔で耳打ちしてくるのだ。みんなに囲まれながら話していると、聞きなれた声が後ろから聞こえてくる。


「ロゼットならすごい似合いそうだよな。水色とか涼しい色合いがピッタリ合いそうだし」


 私と佳澄よりも少し背が高く、利発そうな顔立ちをした私のクラスの男子の委員長。


「おはよう。って昇君まで……。でも私着たことないし似合わないかもよ」


 気の向かない私の容姿を誉めつつ、色合いまで見立てアドバイスまでしてくれる。彼はのぼる君。私が転校してきたばかりの時、佳澄と同じで日本の事を色々と教えてくれた。右も左も分からないパパの国での生活。そこでの良さも教えてくれて、色んな文化も知ることが出来た。私にとっても数少ない信頼できる男の子。

 昇君の後押しに加えて他の男子からも勧められる。確かに着てみたいというか元々興味もあったし、何より見た目も涼しそうに感じる。みんなもそう言ってくれるから「着てみようかな?」と答える。そこからの流れでみんなと夏祭りに行くという話に盛り上がる。中には拳を握りしめてる男子もいてちょっと困惑。「やるじゃんモテ子」と佳澄が再び耳打つ。

 

「焚き付けたのはどっちさ、バカ」


 そう言いながら振り返る。すると今度は昇君の笑顔があった。少し恥ずかしかったけど、なんだかんだでみんなから認められてるのかな。

 最初の頃は他の子達からはやっぱり異国人ということもあって敬遠されたりもあった。距離感が掴めなくて悩んだ頃もあった。元々銀髪で白い肌が特に目立つし、碧い目というのも彼らにとっては不思議なものに見えたのかもしれない。その辺りは仕方ないのかな。

 でも仲良くなると気さくに話しかけてくれるようになった。私もどちらかといえば外で遊んだり、走り回ったりすることが好き。だから彼らにもすぐに馴染むことができた。


「ロゼットは実家に帰ったりするの??」


 昇君が不意に夏休みに向けた予定を訪ねる。みんなも帰省するみたいだし、私も帰郷するのではないかと。優しい表情とは裏腹にその声色は僅かに寂しげだった。そんな風に聞こえたは気のせいだろうか。


「どうかなぁ……結構遠いし、パパもこっちの仕事忙しそうだし。おばあちゃんにも会いたいけど、帰るのは難しいかな。飛行機でも十時間くらいは掛かるから片道だけでも大変だよ」


 その言葉を聞いてホッとしつつも残念そうな様子の昇君。同じく安堵する男子もちらほら。


「飛行機の中で寝てたら背中痛めそう……。牧場があるんだよね?」


 佳澄も私の故郷について乗っかるように質問を投げかけてきた。故郷は好きだし、牧場も好きだけど仕事の手伝いは結構な重労働で嫌というほど経験してる。動物は可愛いんだけど、実際にやってみないとあの辛さはわからないんじゃないかな。


「うん、けど動物の臭いは結構きついよ。他に農場もやってて畑仕事も見たり手伝ったりしてたけどおばあちゃんも大変そうだったし、私も毎日はやりたくはないかなぁ」


 しかし他の同学年の子たちは「でも写真観たけどすごいきれいだったじゃんー」とか「いいなー」という声が多かった。やっぱり日本以外の国に憧れみたいなものがあるのかな。私にとっては当たり前の風景だし。今の日本の環境のほうが新鮮で面白いと思えてしまう。お互いに文化の違いがあるからこそ、自分の知らないものがあって面白く感じる。それはそれで良いんだけどね。みんなが自分たちの妄想を元に海外への思いを話し合っていると背後から別の声。私達の会話に割り込んでくるようにして彼女たちはやってきた。


「でもさー、動物の糞とかも結構あるんでしょー? 農場だって虫とか多そうでちょっと嫌だよねー」


「ほんとほんと。匂い染み付きそうだし」


 会話に割って入ってきたのはクラスの女子の委員長で織戸さん。少しきつめの口調とは裏腹に可愛い顔立ちで、人形のように綺麗に整っている。私も初対面のときはお人形さんかと思うほど綺麗な人。実際、何人もの男子が彼女に告白しているほどモテるらしい。噂でよく聞くし、確かに納得はできる。本人が豪語さえしてなければ……ね。

 ただ、それを差し引いても同じ女子の私からも見ても可愛いと思う。何よりあの黒くて長い髪の毛に密かな憧れを抱いていた。ただ今日は少し、いや―……かなり様子が違っていた。


「えぇ……どうしたの? その髪」


 彼女は普段は艶やかで綺麗な黒髪の持ち主。私も一度ママに黒染めをねだったこともあるくらいの美しさを誇るその黒。

 しかし今日は太陽と同じ黄金の輝きを放っていた。昇君も佳澄も固まっており、周囲のみんなは唖然としていた。彼女はなびかせる様にして、どこか自信に満ちた表情を私に向けてくる。


「イメチェンだよ。ほら二人で並んだら姉妹っぽくない?」


 そう言いながら私と並んで見せる。佳澄と昇君は何とも言えない表情を見せ、周囲もザワつく。

 私も憧れてはいるけれど、直接関わるのは正直ちょっと苦手だった。というのも私を見る時だけ目が鋭く、笑顔なのに目が笑っていない。鋭い視線を向けられるのが怖かったからだ。それに何かと突っかかってくることもあったから、距離を置いていた。はっきり言ってしまうと嫌われているように感じるのだ。

 私達の様子に更に他の生徒がわらわらと集まってきて、少しばかり騒ぎになってしまった。異国人の私と学校一の美少女が髪の毛を染めて並んでいる。それは嫌でも目立ってしまう。


「ねぇねぇ。みんなはさぁ、二人のうちどっちが可愛いと思うー?」


 一人の生徒がそう言ったことで周囲はざわつく。私の周囲には先ほど誉めてくれた男子もいたけど、バツの悪そうな表情。そのあと集まってきた面子の中には委員長に好意的な男子達も多かった。女子も取り巻きがチラホラ見えたりと、あとは興味本位の野次馬ばかり。みんな思い思いに自分の意見だけを言い合う。

 ヒソヒソと聞こえてくる委員長を擁護する声。さきほど誉めてくれてた男子達も強く声をあげられない様子だった。というよりも単純に委員長に睨まれたくないのだろう。


 ただその中で昇君と佳澄だけは声をあげる。


「そんな事聞いたってどうでもいいじゃん。人には人の思ってることがあるわけだしさ」


「俺たちはロゼットの良さを話してただけだし、そんな突っかかることでもないだろ。なぁ?」


 昇君が先ほどの男子達に同意を求めるように振る。消極的ではあったけど男子達、それ以外の女の子達も同じ思いのようだった。ただ、凄むように睨み付ける委員長の視線が突き刺さる。それにや怯えているようにも思える。


「そうよね、やめようやめようこんなの。ロゼットさんに悪いし」


 睨んだ目を緩め、みんなの悪ノリに対して委員長もやめるように言う。けど最後の文面に少しムッとくるものがあった。確かに委員長も可愛いとは思うし、周りに好意を寄せてる男子もいるから自信があるのは分かる。けれどまるで私が負けるみたいな言われ方。別に勝負をしていたわけでもない。だけど勝手に比べられて『負け』みたいな雰囲気を作られてちょっとムカつく―……。


「気にしてないからいいよ、委員長さん。それに委員長さんモテるし、私じゃどうやっても勝てっこないよ」


 この状況じゃどうやっても勝てないし、下手に喧嘩なんてこともしたくない。周りも私の言葉に同調するような様子。その方が穏便に済ませられる。そしてなぜか委員長の取り巻きの女子が勝ち誇ったような顔をしていた。結局騒ぎを聞きつけた先生達もやってきたことで皆は散らばる。

 やっと緊張感から解放されるとホッとしていたのも束の間。周囲に紛れて委員長は去り際、私に耳打つ。


「ホント、ウザイねアンタ。昇にその気がないなら絡まないでよ」


 それだけを言い残して教室へと向かって行く。やっぱり委員長だけは私の言葉をそのままの意味としてではなく、どこか嫌味に受け取っていた。実際、少し嫌味っぽく言ってしまった。ちょっと言い過ぎたかなと段々と不安が襲いかかる。それに昇君のことに言及してきたのを見ると、「そういうこと」なんだなと納得もしてしまう。

 でもそれならどうして、という気持ちが沸き上がりやるせなくなる。


「好きならハッキリ言えば良いのに……」


「どうかした?」


 私の独り言に佳澄と昇君が小首を傾げ、聞いてきたけど「なんでもないよ」とだけ答えた。

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