第2話 encounters

「それじゃ、みんな夏休みも夜更かしなんてしないでね。ちゃんと早寝早起きをするように。あと登校日はちゃんと登校してくること」


「はーい」


 今日一日は終業式と連絡事項、その他諸々。それと帰りの掃除があるけど、午前中で終わりだ。夏休み自体はワクワクして楽しみだけど校舎との別れはちょっと寂しい。学校での生活も気に入っていて好きだったし、みんなと会う機会が減ってしまう。それが少し寂しく、感傷に浸ってしまう。そんな風に考えていると私の前をクラスの男子たちが横切っていく。会話からは「学校に来なくて良い」と喜んでいるのが少しだけ複雑だった。


「早く起きるのは苦手だけど、学校も楽しいと思うけどなぁ」


 気にすることなく友達と遊べる機会に恵まれている分、学校に来ることの方が私は好きだった。特に故郷には同年代の子が少なく、一緒に遊べる友達も限られていた。だからなのか日本に来てこんなにたくさんの友達と遊べることが新鮮で毎日が楽しく感じる。


「ローザ、読書感想文の本借りに行こー」


 だからこんな風に友達と図書館へ誘われるなんてことも滅多にない。私にとって日本での出来事は結構衝撃的だったりする。いつもなら二つ返事で答えるけれど、今日はそうもいかなかった。


「ごめん佳澄、今日掃除当番だから先に行っててー」


 佳澄を先に図書館へ向かわせて、私は掃除道具入れを開ける。雑巾を取り出して、水道場へと向かう。本当は大掃除は夏休み前にすでに終えているけれど、最後の行事ということで掃除をすることになった。


「そんなに汚れてないのに最後にまた掃除なんて……もうー……」


 少し文句を言いながらも水道で雑巾を濡らす。軽く絞っていたら、隣に同じく誰かが雑巾を片手にやって来る。

「大掃除は終わってるってのにな」と私の独り言に答えるように雑巾を絞る男子。昇君だった。掃除当番でもないのに何故か、彼は同じく雑巾を持って手伝おうとしていた。


「当番じゃないのになんで雑巾絞りなんかしてるのかなー?」


 少しいたずらっぽく笑いながら聞いてみる。彼は自慢げな表情で「俺の優しさ」と言ってのける。それがなんだかおかしくなり、自分も釣られて笑ってしまった。多分まだ私のことを気にかけてくれてるのだろう。転校してきて数年は経つけれど、まだ慣れないことやわからないことも多い。それにせっかくの夏休み前の学校の最後の行事。それが掃除なんてなんだか味気ない。どうせやるなら楽しく終わらせられる方が良いと考えてのことかもしれない。気を使わせてしまってるようでちょっぴり申し訳ないとも思う。けれどそれも含めて彼の優しさなんだなとも思えた。二人で談笑している間に入り込むように不穏な足音がやって来た。


「昇って今日掃除当番じゃないよね? なんで掃除してんの?」


 声の主は委員長。その声は少し不機嫌そうなものに聞こえた。朝のこともあって多分、私と彼が一緒にいることが気に入らないのだろうか。でも手伝うこと自体は悪いことでもない。その言葉はどこか粗を探すように突っかかってくるような感じだった。


「みんなで終わらせた方が早いし、夏休み前なんだから誰だって早く楽しみたいじゃん。なんだったら織戸も一緒に手伝おうぜ。俺たちクラス委員長だしさ」


 昇君は委員長も一緒に手伝うよう誘う。掃除は嫌だけど昇君に誘われたのが少し嬉しかったのか、今度は少し複雑そうな表情。ただ取り巻きの女子二人は露骨に嫌そうな顔をしていた。その二人はホントにただ委員長に付き従っているってだけなのが見てわかる。


「手伝うのは良いんだけどさ、クラスで掃除当番は決まってるじゃない。当番の人たちにやらせるのが筋でしょ? 別に昇が手伝うこと自体は自由だけどさ」


「でもそれって不公平じゃない?」


 不公平という言葉に反応してしまう。昇君も同じ様子だった。委員長はそれから持論を展開する。特定の誰かが当番の時は手伝って、それ以外の時は手伝うことがない。それだと公平じゃないし誰かに対する贔屓になるんじゃないかということだった。それに対して昇君も「他の誰が相手でも今後は関係なく手伝う」と即答する。ただそれでは流石に昇君にかかる負担が大きくなってしまう。そこまでさせるわけにはいかないと私は制止しようとする。

 しかし委員長の方が先に続けてこう言った。


「じゃあ昇が当番の時は誰が手伝うのさ? 昇以外の他の子たちは当番通りの人数でやらされるってことでしょ? それともロゼットさんが手伝ってくれるの?」


 そこで私が名指しされて少し驚いてしまう。

 しかし「ロゼットは関係ないだろ」と昇君は反論する。すぐさま委員長も切り返し反論し、引かなかった。私が当番の時に昇君が手伝ったのだから、その穴埋めをするのは当然じゃないかと主張。確かに委員長の言うことは間違ってはいない。昇君にそんな負担を強いる分、私が補うのは当然のこと。むしろそれくらいなら別に私は手伝うし、苦に感じるわけでもない。でも昇君に掛かる負担が劇的に軽減されるわけじゃない。何の解決にもならない。


「昇君、掃除は手伝ってくれなくても大丈夫だよ。元々私たちの仕事なわけだし、昇君たちには委員長の仕事もあるしさ」


 私が普段通り掃除をこなせば良い、それだけの話。何も彼がそんな面倒を請け負う必要なんてない。手伝ってくれるという気持ちはすごく嬉しい。

 けど不平不満が出ると必ずそれをどこかで補っていかなきゃならなくなる。イタチごっこのように続きキリがなくなってしまうし、ここで私が断るというのが一番ベストな選択のように感じた。

 委員長は「自分が手伝うのが面倒臭いんでしょ?」と嫌味のように言ってくるけど、反論もしたくなかった。その様子を見て昇君が拳を握りしめる。私は慌てて彼の肩を叩いて笑顔で「大丈夫大丈夫」と伝える。あまり彼女を逆撫でしないようにしつつ昇君の憤りも抑えるように努める。そそくさとその場を後にして教室へ向かう。後ろから委員長の取り巻きが何か言っていたけど、気にしても仕方がない。すぐに掃除を終わらせて図書館に行けば良い。


「でもさ、あれじゃアピールじゃなくて、嫌われにいってるようなものだよね。委員長って昇君のこと好き……なんだよね……?」


 疑問符が浮かぶ。昇君に相手をしてもらいたくて、好きだからアピールしたい気持ちはわかる。私と昇君がよく関わってるのが気に入らないのもわからなくはない。でも本人の前で私に嫌みを言うのは逆効果なのではないかと思う。あのままだと善意で彼に対する印象を変えるのではなく、かえって悪意で彼への反感を買ってしまうのではないか。

 本当に振り向いてほしいなら、もっとうまく立ち回ることだってできると思う。なんというか、自分の感情が先行してしまって、当初の目的も果たせていないように感じる。人の嫌な部分を見せられて果たして好きになるのだろうか。


「うーん……私は無理かな」


 もっと自分の良さをアピールすれば良いのに。そうすれば昇君だって振り向いてくかどうかは別でも、好印象には写る。そんなことを思いつつ、少し呆れているといつの間にか掃除を終わっていた。少し疲れ気味に図書館へ向かう。

 待たせてる佳澄の元へと速足で向かう途中の廊下。角を曲がろうとした時、丁度男子達の声が聞こえてきた。会話の中で私の名前が出てきたために咄嗟に隠れてしまう。


「実際さ、どっちの方が良いと思う?」


「委員長とロゼットのこと?」


 どうやら会話内容から察するに私と委員長の今朝の件で話しているみたいだった。あまり良い印象は持たれていないんだろうなぁとか思いながらも気になってしまう。自分が周囲からどんな印象を持たれているのか。特に男子の本音を知る機会がほとんどない。そのせいもあって気づけば、こっそり聞き耳を立てていた。


「みんな委員長が良いって言ってるけどさ……。あれ単にその場の空気で言わされてるだけだよな」


「じゃなきゃ委員長なんて選ばねぇよ。ロゼットの方が遥かにマシじゃん。最初はちょっと陰キャラっぽいのかなって思ってたけど、あいつそもそも外人だし俺たちとは違うから話し方とかわからなかっただけだろ?」


「それに最近は向こうから話しかけてくるし、普通にロゼットあいつと遊んでる方が楽しいし」


 男子達が委員長と私を比較し合っていた。誉められているのか、少し困惑しつつも――正直ちょっと安堵していた。最初の頃は距離感が掴めなくて接し方がわからず、空回っていたと思う。自分から積極的に話しかけに行っても少し避けられていた気がしたから心配だった。少しずつだけど距離を縮められているのか不安だったし、心が見えるわけじゃない。だから今の私の心象を聞いて少しホッとしている。ただ反面、委員長に対する感じ方はまるで違っていた。


「委員長って、どうせ昇のことで意識してんだろ?」


「あいつに告ったやつらはみんなそう言ってたわ。いつも話す時、上から目線でうぜぇし……。どう見ても調子に乗ってんのあいつの方だろ」


 委員長寄りの生徒ばかりかと思っていたけど、その思いと言動は真逆だった。みんながこの男子たちと同じじゃないとは思う。あの委員長の態度を考えると納得も出来てしまう。けど同時に委員長のこと悪く言ってることがちょっと複雑だった。表でこそ委員長は皆から容姿だったり、成績だったり褒めている。だから委員長もそれをさも当たり前のように振る舞ってしまっているんだと思う。本当はできることならみんな仲良く、そんなひずみもなく生活したいのだけれど――そうもいかない。

 学園ドラマなんかだと、みんなお互いに良い部分も悪い部分も認め合って仲良くなる。なんてこともあるのかもしれないけど、みんなに本音を話せるかどうかと言われてしまうと……。


(うーん……ちょっと難しいかな。全部話せるなんて佳澄にもできないし)


 秘密や隠し事をし合わないのが友達なのかどうか。考えるとわからなくなってくる。私の本音を委員長に話したところでどうなるのか、そう思うと――考えたくもない。多分私への風当たりも一層強くなって、学校に居辛くなってしまうんじゃないかと不安になる。


「やっぱり、あまり関わらない方がいいのかな」


 少し弱気になりながら、私はその場を立ち去った。図書館へは別の廊下を通って向かうことにした。


 早足で図書館へと向かっていくが、途中の渡り廊下で男女の話声が聞こえてくる。近づいていくにつれてその声に不安を覚えた。なんというか、声の語気が強く、若干言い争いのようにも聞こえたからだ。その声の主は――これまたよく見知った二人だった。


「だからさ、あいつのどこがいいのって」


 強く問いただすように言葉をぶつける委員長。


「お前が告白してきたことにロゼットが関係あるのかよ」


 委員長と昇君。会話の内容から察するに委員長が昇君に告白したんだと思う。それは何となくわかったけどなんで私の名前が出てくるのか、疑問符が浮かぶ。さっきの水道でのやり取りに昇君が文句をつけたのだろうか。考えを巡らせていると意外な方向へと話が変わっていく。


「もう知ってるから……。好きなんでしょ?」


 委員長がそう切り出す。今声をかけるべきかどうか――。隠れて話を聞いてるのも何だか二人に悪い。また時間をおいてからにしようと引き返そうとするが……。


「……あー……もうそういうのが嫌なんだよ。お前は俺に対してアピールしてるつもりだろうけどさ。それで好きになると思うか?」


 普段の温厚な彼とはかけ離れている冷たい声。それが少し怖かった。けれど彼の言ってることももっともで、人の嫌な部分を見て好印象を抱く人はそうはいない。私も委員長のああいう部分は嫌いだ。何かと私を引き合いに出すのも、私に対する態度も嫌で仕方なかった。だからどうしても委員長の嫌な部分が目立ってしまって、余計に『嫌』という気持ちが強くなってしまう。


「あたしがあんたのことどう思ってるか……知ってるくせに。なんであいつなの?」


「俺の意志は無視かよ」


 昇君の言葉に「答えてよ!」という憔悴した委員長の声が渡り廊下で響く。あんな委員長は初めて見たけど、それ以上にもっと真剣な表情の昇君も初めて見る。

 そして次の彼の言葉で私たちの時が一瞬止まってしまう。


「好きだけど?」


 私は思わず固まってしまう。委員長も同じ状態に陥っていたように見えた。聞いておきながら面と向かってハッキリと言われるとは思ってもいなかったんだと思う。


 彼は私のことが好きだと――……。


 話の文面から断片的に読み取り、薄々気づいてはいた。ただ実際に『言葉』で聞くと驚いてしまう。手に持っていた鞄を落してしまう。鞄の落ちた音と共に二人はこちらを見る。


「ろ、ロゼット……聞いてたのか?」


「え、あ、いや……その二人が話してるみたいだったから、声かけようとしたらその……」


 今来たばかりだと装ってみるも、嘘だと二人には見抜かれる。こういう時に下手な嘘をつくのは逆効果。わかってはいたけど機転の利いたことも何も言えない。冷静さを失っている私もただ狼狽えることしか出来なかった。

 そして案の定、委員長は鋭い視線で私を睨みつけて、恨み言のように言葉を向けてきた。


「いいわよね……誰からもモテて、その上他人の男まで横取りしてさ……。それで被害者面してればみんな味方してくれるもんね、ホントむかつくわ。どいつもこいつも白い肌と銀色の髪って……色がないことの何が良いの!? そんなに碧い目が好きなわけ?」


 『色のない存在』――確かに私の肌も髪も、人によっては色がないと思うかもしれない。目が碧いことも異国の人間の証。日本人のパパの血も受け継いでいるはずなのに。見た目ではほとんどその証がまるで見られない。私にとってはそれが凄く寂しかった。パパとの繋がりが無いんじゃないかと感じてしまっていた。だからパパが帰ってくる時にはたくさん甘えてたのかなと、今になって気づく。この言葉を言われた時、言い表せない気持ちが押し上げてきた。悲しいのか悔しいのか、苛立ちなのか――もう訳の分からない感情でぐちゃぐちゃになってしまっていた。


「お前さ……ホントはロゼットのこと羨ましかっただけなんだろ? だからそんな真似してまで俺の気を引こうとかしてるじゃん。それにコイツのお父さんは俺達と同じ日本人だぞ? ロゼットは半分は俺達と同じなんだよ」


「こんな見た目のどこを同じと思うわけ!? 全く別の人間にしか見えないでしょ」


 『羨ましい』という、そんな言葉を聞いて奥底から熱くてチクチクするものが湧きあがる。私だって委員長の黒い髪が好きだったし、羨ましかった。あんな綺麗な黒髪だったら、私もパパと同じだという実感も湧いたかもしれない。

 それと同時に、私が欲しいと思っていたものを持っている委員長。その委員長が放った『全く違う人間』という言葉で体中に冷たさが蛇のように伝わっていく。これまで委員長が私に対してしてきたこと。私の中で積み上げられてきたものが、一気に崩れるようにして壊れた。


「私だって……なりたいと思って、この見た目で生まれたんじゃない! みんなには綺麗って言われるけど。でもどこかでやっぱりみんなとは違う。同じ人間じゃないって……じゃあどうすればいいの!? 私だって委員長みたいな黒い髪の毛が羨ましくて欲しかったよ!! でも私の髪の毛は銀色だし!! 仕方ないじゃん!!」


 思わぬ私の反撃に委員長は少したじろぐ。そのすぐ後に鋭い目つきを向けてくる。反撃は言葉ではなく、怒りそのものをぶつけてくるように掴みかかってくるものだった。その反応があまりにも異様なものに感じてしまう。怒りとか、そういうものじゃなくて、もっと違う『何か』だった。それは今でも忘れることが出来ない。


「……っ!! そうやってナチュラルに他人を見下そうとするあんたが一番ムカつくんだよ!! 人が欲しいもの全部持ってて、どの口が言ってんの!!」


 鬼気迫る、本当にまるで鬼のような表情に思わず怯む。けれども委員長の言葉に反応し、私も掴み返してしまう。


「見下してんのは委員長の方でしょ!! 自分の方が可愛いからとか綺麗とか!! そんなんで勝手に比べられて私にどうしろっていうの!? 自分勝手な言い分を押し付けてこないでよ!!」


 二人して引っ掻き合っていたと思う。髪の毛も掴んで、握り拳で思いっきり殴り合ってた。流石にまずいと感じた昇君が止めに入る。けど私達がぶつけ合っていたものはもっと大きかった。体力に自信のある昇君でも止めるのが困難だったそうだ。私もすごく『嫌な顔』をしてたと思うけど、委員長のかつてないほどおぞましい目つき。羨望と憎悪、色んな負の気持ちが混じりあっていた。あの目の奥に潜む『黒いもの』――私は一生憶えることになるなんて、この時は思っても見なかった。



 ◇


「痛ぇ……思いっきり引っ掻いてくれたな」


「ご、ごめんね昇君」


 委員長と私の取っ組み合いで、昇君も顔に被害が及んでしまい反省する。大きな引っ掻き傷が残ってしまった。関係あるとはいっても、彼に怪我をさせてしまったことは謝らないといけない。自分の嫌な部分も垣間見えて、余計に落ち込む。


「しょうがないって。お前も今まで織戸には良い思いはしてなかったろ。全面的にあいつのことも悪くは言えないけどさ、流石にあそこまでやらなくても良いとは思ったよ」


 昇君は私には非はないと言ってくれる。私にも悪い部分は少なからずあったんだとは思う。クラス委員長とはいえ昇君に甘えるような場面もあった。そういう部分がかえって委員長との関係を拗れさせてしまったのかもしれない。昇君のことは――……友達としては好きだと思う。恋愛感情かと言われると、正直よくわからない。そういう気持ちが曖昧な態度で表れ、委員長に歯がゆい思いをさせたのかな。昇君に慰められながら二人で歩いていると、博物館のような建物が見えてくる。

 小学校の敷地とは別に、市の運営で一般にも開放されている図書館。小学生は休み時間や放課後に気軽に立ち寄ることが出来きる。とはいっても携帯電子機器や端末の発展の影響からか、子供の数も近年では減少傾向にあるのだそうだ。実際には紙媒体の保管庫という側面の方が大きい。館内の冷房で外との温度差に少しだけ身体が驚きながら、リクライニングシートで座っている佳澄に近づいていく。


「昇君も一緒なの? あ、もしかして私、お邪魔だった? ってかその顔どしたの??」


「違う違う、ちょっと色々あってロゼットをここまで送ってきただけだよ」


 佳澄に合図を送るような素振りを見せる昇君。それを察した佳澄も、「任せて」と言わんばかりに私を図書館の奥へと引っ張って行く。昇君も探したい本があると言って、私たちとは別行動で棚を物色。私も佳澄と本を探しながら事情を一通り話すことにした。本を探しながら適当な相槌を送って聞いている。そんなに事細かに話したいような楽しい内容でもないしね。それくらいに軽く聞き流してくれる方が気持ちとしても楽だった。


「あの委員長、確かにそんな気があったしね。いつかもっと酷いことになるんじゃないかなって思ってたけど……本人同士の掴み合いくらいならまだマシだと思うよー。あ、良くはないか」


 もっと悲惨なものだと集団イジメに発展するだとか、事故を装ってわざと突き落とすだの物騒なことを言う佳澄。


「流石に変なドラマとか動画の見過ぎだよ」


「いやいやわかんないよ。ひと昔前なんて動画のネタで事故する動画とか上げてる人いたくらいだし」


「ただの馬鹿でしょそれ」


 佳澄の極端な例えはともかくとして、委員長の取り巻きも数名いる程度。他の生徒も話を合わせる程度のもの。同調するのが精々で、そんな大それたことができるとは思えなかった。実際、一方的に私もやれれっぱなしだったわけじゃない。だからそういうイジメみたいなものはないないんじゃないかと、そこまで深刻に考えていなかった。ただ『色のない存在』という言葉だけはどうしても心に残ってしまっていた。


「ねぇ……佳澄もさ、私に色がないって思う?」


 ふと私は少し真剣な声色で尋ねる。それでも佳澄は少し考え事をするような唸り声で、本を探している。彼女の様子に少し頬を膨らませて本を探していると、何かを見つけたよう彼女は小さな声を上げる。少し駆け足で私の元へと近づく。一冊の本を持ちながら、先ほどの問いに答える佳澄。


「……でも委員長の気持ちも分かる……気がする。ローザってみんなの持っていないものをたくさん持ってるし、それが妬んで良いって理由にはならないけどさ。嫉妬するのもさ、ローザが他の誰かと違うって証拠なんじゃないかな」


「違うには違うだろうけど……色がないって、むしろみんなの持ってるものを持ってない気もするんだけど」


 すると私の言葉を遮るように、少し声色を変えた佳澄が返す。


「あんたが自分のことを『色がない』って思ってどうすんのさ。白色も銀色も立派な色じゃんか。委員長の言ったこともわからなくはないけど、だから言われたことを真に受けるのは違うんじゃない? 自分はどうなのかって思うことが大事でしょ?」


 私は佳澄の言葉に何かを気づかされたように我に返る。彼女も私の事を、少し羨むこともあったと語る。男子にもモテて、西洋人形のように綺麗な姿はどうやっても手に入るものじゃない。たとえ望んで手に入ることがなくたって、それはそれで良いのかもしれないと言った。

 みんながみんな私のようになってしまったら、それが日常となり当たり前の存在に変わってしまう。私や佳澄、昇君や委員長のようにみんなそれぞれ違う存在。だからこそ、一人一人の存在がかけがえのない唯一なのだ。私であって、そして佳澄でもあるんじゃないかと諭すように話してくれた。そんな風に語る佳澄が――なんだか私よりもずっと先を歩いてる、大人のように見えた。


「なにさー、そんな難しい本でも読んでたのー?」


 茶化す私の言葉を聞いて、佳澄もそれに乗っかり「絵本も捨てたもんじゃないよ」と笑いながら参考にした絵本を見せてくる。

「みんなちがって、みんないい。」という一節が描かれている私の好きな絵本だった。こういう童話ものの絵本って、結構難しいことや考えさせられるようなことが書いてあったりすることもある。普通の本よりも自分の身になるようなことを教えてくれたりする。


「読書感想文もみんなと違ったものを書きたいね」


 少し元気が出た私は佳澄と一緒に本を探しを続ける。あれやこれやと二人で読んだりと繰り返していた。今度はそれぞれ別のジャンルのものを探してみようと話し、私は伝記物の置いてある棚へと向かう。


「うーん……ファンタジーや伝記……叙事詩じょじし……」


 中々思うようなものが見つからず探し歩く。普段は行かないような図書館の奥深くまで探す。まるでファンタジー世界の冒険を彷彿とさせるようで、高揚感が増していく。それに反して奥へ進むにつれて辺りは少し薄暗くなっていく。それにも構わず私は本探しにのめり込んでいた。周囲を見渡しながら歩いていると、奥に何か少し開けた空間にたどり着いた。棚と棚に隠れてよく見えなかったけど、誰かの作業台なのか、机の上は本が散乱していた。

「散らかり放題だなぁ……」と溢しながら置いて図鑑のような大きさと厚みのある本を手にとって見てみる。どれも白紙ばかりだった。タイトルも書いていなければ文字一つ書かれていない。日記にしては分厚い、というより本の作りが妙に凝りすぎてる気がする。金属か木製かわからない硬い材質で出来た――レリーフのような造形の装飾。動物ともなんとも言い表せない生き物が象られていた。ページをめくっていくと、一冊の本から挟まれていた紙切れが飛び散る。思わず慌てて取りに向かう。

 向かった先で紙の切れ端を拾い上げ、顔を上げると目の前に映った自分の姿に驚く。短い悲鳴を上げて尻もちをついてしまった。よく見ると、先ほどの本と同様の装飾を持つ『姿見』――大きな鏡がそこに置いてあった。日の光が当たらないような図書館の陰の場所。そこにずっしりと置かれていて、少し不気味に思ってしまう。本探しに夢中になりすぎてしまったことを反省しつつ、佳澄の元へ戻ろうと立ち上がる。その場を立ち去るが、再び鏡の方を振り返ってみると違和感に気づく。

 姿見の鏡に施された装飾、下部がやたらと凝った加工されている。近寄ってよく見ると何かが填め込まれていた。座り込んで思わず手を伸ばし外そうと試みる。それは意外にも簡単に外れた。ずっしりとした重みがあるものの片手で持ち運びできるくらいの重量。それは鏡の装飾と同じ材質で出来た外観をしており、さきほどの白紙の本と似ていた。


「本……?? なんでこんなものが填まってるの??」


 ページを捲ってみると先ほどの本とは異なりこちらはきちんとタイトルが記されている。


 それは『皇国物語』と書かれていた。


「なにこれ……? おう……? こう? って読むのかな? こう……こくものがたり??」


「なんか見たことあるような。たしか、インペル……インペリウム……? だったかな」


 母国の伝記か何かで読んだことのある単語だったから、なんとなく思い出すことが出来た。不思議と懐かしいような感覚がする。なんていうのか、あの故郷の匂いがするというかその場にいるような感覚。まるで今体感しているような実感があった。手に取っただけでそんな不思議な感じを覚える。不思議な本なのに奇妙な安心感もあった。私自身がまるでこの本を知っているかのようにも感じる――……。

 軽くページを捲って読んでみようとしたが「やっぱり……」と呟いてしまう。予想はしていたけど、どれだけ捲っても白紙が続くばかり。結局、あの机に置かれていた本と同じだった。何か不思議なことでも描かれているのかと期待はしていた。ため息をついて本を戻そうと鏡に向かい背伸びする。思わず鏡に目をやったのだが目を疑った。普通であればそこには本を持った『私』が映っているはずだった。

 確かにそこには『私』が本を持って立ってはいる。『私』だけれどその容姿は明らかに。そこにいた私の服装は現在着ている私服ではない。ワンピースのようなロングスカート、袖のない上着を着て本を片手に驚いた様子で映る。私が驚いているのだから同じ表情をしていてもおかしくはない。ただ、それもどこか違って見えたのだ。がまるで反射している。ドッペルゲンガーというヤツなのかとも思った。さっきまで映っていた自分ではなく突然、自分ではない自分が映り込む。こんなことあるのだろうか。どうすべきなのか思考が追いつかずに立ち尽くすしかなかった。

 しかし次の瞬間持っていた本が一人でに開きだしページが捲れていく。周囲を風で包まれて、何が起こっているのかわからずにいた。


「な、何!? なんなの!?」


 驚きのあまり戸惑うと、開かれたページに文字が露わとなる。


『あなたはあなたで良い――……ないものを探すよりも――……。自分であることを叶えていこう……』


 まるでさっきまでの私たちのことを指しているかのような言葉。光によって燃えるように浮かび上がる。思わず鏡を見て何かを訴えかけられているような気がした。やがて鏡は白い輝きを放ち始め、私の姿は見えなる。そして本も光を放ち光源が広がる。薄暗かった図書館が光に包まれていく。こんな強烈な光が包み込めば、図書館にいる誰かが必ず気づくだろう。けれどまるでそこだけが切り取られたように誰の目にも届くことはなかった。

 そして辺りはただ真っ白な空間に変わり始める。その空間には私しかいない――……。先ほどまで図書館だったのに、今は何もない白い空間へと変わっていくのだ。

 そして私自身もその光の一部になっていくように視界がぼやけていく。何も見えなくなっていき、やがて意識を失ったと気づかされる。ただ真っ白なだけのまるで『色のない世界』へと変わっていくようにして――……。



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