寿司より近く

@katoshokora

役割分担

気が付いたら、腕にすがりつかれていた。「夢じゃないよね?」という呟きとともに。

一体なぜこんなことになったのか、途中から記憶が全くないのだった。あの日を境に酔うと記憶をなくすという私の悪い癖は出ていない。

ほんのお礼。仕事を辞めても親切に引き継いだ内容を教えてくれる後輩への。一緒にボウリングで一喜一憂して、お寿司が食べたいというのでカウンターで寿司をつまみ、カラオケに行った。

普通に飲んで歌っていただけなのに、ほんの少し記憶が途切れて…戻ったらこの状態だった。何たる不覚。いくらなんでもまずいだろうと脳は判断しているのにどうしても繋いだ手を放すことはできないのだった。

「夢じゃないよね。夢じゃないよね?」と後輩がうわ言のように繰り返す。「ギュッとして?」

耳を疑う。でも深く検討する前に腕はもう後輩を抱きしめていた。

「ウソー…」と弱弱しい声を上げるその人を、私はもうかわいいと思ってしまったのだった。

「ずっと…」なんだ、何を言うんだ。「ずっと、生きてても意味がないと思ってた。自分なんていなくてもいいんだって…」

これかー、と心の中で膝を打つ。急速に自分がまめに連絡を取りたくなったわけも、距離を縮めてしまった訳も、すとんと腑に落ちた。

小さい頃から窮地に陥ってしまった人の味方をする役割があった。クラス中から無視されている子にそっと手紙を差し出す、バイト帰りに事件に巻き込まれた同級生から夜中連絡があれば駆けつける、それらはどれもその人たちの最後の救いになっていた、と思う。面白いことに役割が終われば私はそれほど親しい付き合いをしているわけでもなかった。

それを踏まえた上での、既視感。そして今回はきっと相手の傷が深い。だから私は体を差し出さなければならないのだろう。それが相手の望む私の役割だから。

役割分担を頭に描く私の腕の中で後輩は泣き止む気配がない。「大丈夫だよ、大丈夫だよ」と言いながら撫で続ける。この愛しさも、なんとかしなければならないという使命感も、いつか今までと同じようにある日すっと消えてしまうのだろうか。

後輩がやっと顔をあげた。おしぼりで涙を拭く後輩を見て、私は今後どう付き合っていけばいいのか心の中でため息をついた。

しかもこの男、私よりもずっと女子力が高い。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

寿司より近く @katoshokora

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る