十の三


 彩辻宮の教育係である文学ふみのはかせが怪しい――――


 そう切り出した凪人が眉根を険しく寄せて、もう一度周囲を見回す。

 それから御帳台の際まで膝を進めると、一段と声を潜めてこう告げた。


「聞くところによると、文学の名は高階たかしな弘相ひろみ。若い優男やさおとこらしいが、古文書の収集が専門で、特に禁書や焚書の扱いを受けた文献を集めて復元していることで学者としての功績を上げているらしい」


「禁書、焚書の復元か……。禁書はそれを指定した帝から原則三代限りの扱いとなるから、指定期間を過ぎた文献を復元すること自体は罪に問われぬ。ものによっては復元することで歴史的に大変貴重な資料となるしな。しかし、中には復元後に悪用される危険がある資料もあるのではないか」


「そこなんだよ。彩辻宮は妖術オタクなんだろ? 高階って奴が復元した文献の中におそらく妖術に関する資料もあって、彩辻宮はそれを知った上で、高階に教えを請うことにしたんじゃねえか」


「妖術……禁書……焚書……」


 凪人の話で引っ掛かりを感じた言葉を復唱する花祝に、凪人が「ビンゴ!」と人差し指を向ける。


「な? 花祝も引っ掛かるだろ? こないだお前と楓っちが話してた、ナントカ術ってのと関係ありそうだろ?」


“ためし着” の夜に貼られた呪符は、陰陽術のものではなかった。

 それを聞いて花祝が思い浮かべたのは、遥か昔に焚書となった “降禍術こうかじゅつ” であったが────


 資料もほとんど残っていないとされる妖術が復元されたかもしれぬなど、にわかには信じ難い。


 それに、あの晩花祝達が物の怪に襲われたことは、彗舜帝のお耳にはまだ入れていないのだ。

 先ほどうっかり鳳凰狼の名を出して陛下に怪しまれたが、この話題は一旦ここまでにしておくのが得策であろう。


「ナギ兄。この妖術の話は、一旦私に持ち帰らせてくれない? 襲芳殿に保管された資料の中に、妖術の歴史に関する文献があったはず。降禍術に関してももう少し詳しいことがわかるかもしれないから」


 花祝はこの言で締めくくり、呪符のことに話が及ぶのを避けようとしたのだが────


「花祝が妖術のことを調べるのならば、凪人の方で彩辻宮と呪符との関わりを探ってもらうことにしよう」


 陛下が涼やかなお声で、事も無げにそう仰ったのだ。


「え……? 陛下、今、呪符って仰いました?」


「ん? ああ。そなたらの “ためし着” の折のことならば凪人から聞いて知っておる。もちろん、呪符のことも」


「じゃ、じゃあ、薬叉殿に物の怪が現れたことも?」


「それを聞いた時ばかりは、龍染司が長谷部の嫡男で良かったと胸を撫で下ろした。花祝が傷のひとつでも負おうものなら、凪人に探らせる前に俺が問答無用で左大臣を叩っ斬っていたやもしれぬ」


「ってことは……。先ほど私が口を滑らせた時、陛下はすでに鳳凰狼のこともご存知だったのですね? なのに、何も聞いてない振りをしてあんなことを────?」


“ 胸に秘めたることがあるならば、俺がこの手で暴いてやろう”


 そう仰りつつ、龍袿の合わせに手を差し込もうとなさった陛下のお顔に悪戯っぽい笑みがのっていたことを思い出した途端、花祝の頭にかあっと血が上ってきた。


 羞恥心なのか、お戯れへの怒りなのか、はたまたその両方か。


「んもうっ! セクハラはいい加減にやめてくださいってば!!」


 花祝が叫んだ言葉に反応し、凪人の目つきが鋭くなる。


「あ? セクハラだと? 帝っち、てめえ、うちの大事な花祝に何しやがった!?」


 目を三角にして詰め寄る乳兄妹二人を前に、陛下はまったく動じる様子もなく涼やかにお答えになる。


「“せくはら” とは言いがかりだ。俺はただ、下手な隠し事をしようとする花祝が可愛くて、少しからかっただけだ。第一、あのまま手を差し込んでも、花祝は嫌とは言わなかったはず。心地好く感じるのならば、それは “せくはら” ではなく “すきんしっぷ” なのであろう?」


「そんな卑猥な行為、私はスキンシップとは認めませんっ!」


「そーだそーだ! いくらマブダチでも、花祝を傷モンにしたらタダじゃすまねえぞ! そもそも、さっきの指にキスだってギリアウトだかんなっ」


「“ぎりあうと” というのは凪人が許さぬということか? 花祝が嫌がりさえせねば、俺がそなたとの約束をたがえたことにはならぬだろう」


「なんだとぉっ!? うちの花祝がスキンシップ以上のエロ行為を嫌がらねえ訳ねえだろーが! なっ、花祝!? 兄ちゃんはお前のこと信じてるからなっ!?」


「ちょっと待って! 話がめちゃくちゃ脱線してるってば! 今はそんな話をしてる場合じゃないでしょう!?」


 そもそも陛下のお戯れセクハラの件をぶり返したのは花祝なのだが、そのことについては棚に上げて陛下と凪人の間に割って入る。


「とにかく、私は降禍術のことをもっと調べてみるから、ナギ兄は彩辻宮様と文学ふみのはかせ殿の動向を探ってみて。呪符や降禍術との関係が見えてくるかもしれないわ」


「りょ。ってことで帝っち、オレはしばらく彩辻宮邸の偵察をメインに動いてみるわ」


「ああ、頼んだぞ。だが、数日中には一旦切り上げてこちらへ戻ってくれ。が戻ってきたら、いの一番に花祝の元を訪れるであろうからな」


「りょ! そっちの監視も任せとけ!」


「え!? 監視ってどういうこと? 数日中に戻ってきて私の元を訪れる男って……もしかして、楓くんのこと?」


 突如出てきた楓の名を聞き、花祝の内に言い知れぬ不安が湧いてくる。

 陛下と凪人の顔を交互に見やって問いただすと、悪童の笑みを浮かべていた二人が視線を宙に泳がせた。


「さあねー。さ、女官に見つからねえうちに俺は退散するとするか」


 凪人はそう言うが早いが、昼御座ひのおましの太い丸柱をするすると上り、いつの間にか外れていた組入くみいり天井の一角を潜って消えていく。


 浅いため息を吐いた花祝は、御簾の内に座るもう一人の悪童の方を振り返った。


「陛下。彩辻宮様周辺の偵察のほかにナギ兄に何か頼んでますよね? ナギ兄が暇さえあれば襲芳殿の様子を覗きに来るのは、まさか陛下と結託して、私を見張っているからなんですか?」


「さて、何のことであろうか。俺の胸の内を探りたくば、花祝にならばいくらでも探らせてやるぞ」


 陛下はなおも悪童の笑みを崩さぬまま、御引直衣おひきのうしの合わせを肌蹴はだけさせて「ほら」と胸元を開け広げられた。


「きゃあっ! エロ! セクハラ! ヘンタイッ!!」


 花祝が龍袿の袖で茹で上がった顔を慌てて隠すと、陛下は涼やかなお声が転がるように、楽しげにお笑いになったのだった。

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