第4話 一週間前

 寒風が吹き荒れている河川敷の橋の下。唯一風がじかに吹き込まない場所に、十人ほどのホームレスで段ボールハウスを作って生活している。市の職員が立ち退きを言いに来るが、このご時世で世話できる場所もなく、できるだけ早く居無くなってほしいとだけ言って立ち去る。

 飯の用意をしにNPOだかの支援団体の男がすいとんを用意してくれる。このご時世ですいとんとはとも思うが、働けない(長幹の場合は働かないのだか)ホームレスにとってはありがたいものだった。

 長幹はあまり人と関わらない。ホームレス仲間だと言っても、どうしても好きになれないのだ。自分も大していい格好をしているわけではないが、あいつらは汚すぎた。

 だから、今日も少し離れたところで、すいとんと、配給されたおにぎりを持って食べる。

 胃に温かい汁が入っていく。

「横、いいっすか?」

 二、三日前からうろうろしている男で、ホームレス仲間に入りたそうにしている三十代ぐらいの男。三十代ぐらいなんで働けよ。と思いながら、長幹は迷惑そうな顔で男を見る。

 男はそんなこと気にも留めない風に横に座り、

「あ、俺、腹の調子が悪くって、これ、食べます?」

 とおにぎり三個差し出した。

「おお、わりぃな」

 と受け取る。いいやつかもしれない。

 男は吉田と名乗り、つい最近失恋し、それでも仕事で頑張ろうとしたら、会社社長が夜逃げ、寮に居たんで追い出されて、給料未払いで行く当てもなく放浪しているのだと言った。

「それでもおめぇの年なら、いくらでも仕事はあるだろうよ」

 と長幹が言うと、吉田は頷き、

「あったんですよ、住み込み、日当一万、」

「一万?」

「しぃっ。声が大きい。こんなおいしい話他に聞かれちゃまずいんですよ」

 吉田はそう言って他のホームレスたちのほうを見て、「そういう仕事ないですかねぇ」と言ったそのあとで、小声になり、

「家の管理人を探しているらしいんですけどね、あ、ちなみに旦那は高校卒業してますか?」

「あ? ああ、一応、大学も出てるぜ、三流だけどよ」

「まじですか? やっべっ」

 吉田は自分で出した大声を防ぐように口を手で覆い、さらに小声で、

「じゃぁぴったりですよ」

 と言った。

「何が?」

「いやね、紅葉団地って団地に丹上にがみ不動産て言うのがあるんですけどね、そこの社員てのが、炊き出しのボランティアしていて、」

「不動産屋が?」

「知らないんですか? 不動産屋の情報源。ホームレスに空き家とかないかとかって聞いて回ってんですよ。ボランティアの顔して」

「なるほど。いい案だな」

「それで、その不動産屋の田村って人が言うには、訳アリ物件の、」

「おいおい、それはごめんだぜ」

「まぁ話は最後まで聞いてくださいよ。訳アリっていうのは、別の訳ありなんですから」

「なんだよ、別のって、」

「だからね、」

 吉田は辺りを見渡し、さらに体を丸めて話す。

「その田村って人が言うには、持ち主はまだ生きているようなんですが、老人ホームに入居してるんですよ。ですけどね、息子は遠方で、母親、あぁ、家主ですけどね、息子に家に居てもらいたいっていうんですよ。人が居ない家は朽ちるのが早いからって理由でね。

 だけど、息子は遠方で仕事を辞めるわけにはいかない。まぁ、家を留守にしてりゃいいんですけどね、かなり大きな家で、近所的に、この大きな家が留守だと、いろいろと防犯上よくないというらしいんですよ。

 そこで、管理人を住まわせれば近所の人は安心する。ホームに居るんで、家主の母親が帰ってくるときには骨だろうけども、これが、これで、死んだときには土地、家を売ることが出来るが、どんな様子であろうと生きている間には何ともできないらしいんですよ。

 そこで、死んだ日にはこの仕事は終わりですがね、生きている間の管理人を探しているっていうんですよ」

「ほぉ、いい話じゃないか、で、申し込んだのかい?」

「それがね、いくらただ住むだけだと言っても、高校ぐらいは出てないとだめだ。できれば大学出がいいが、今はそう贅沢も言えないといってて。でも、俺、中卒なんすよね」

 吉田はどれほど自分が勉強が嫌いでバカだったかを披露した。

 長幹は鼻で、あからさまに馬鹿にした笑いをした。

「そこでね、旦那、どうです、大学卒っていうんだから話はすぐに決まりますよ」

 吉田に言われ、長幹は考えた。

 このご時世で、そんなうまい話が転がっているだろうか? 住み込みの管理人で日当一万? やはり嫌なことがありそうだと脳が警鐘を鳴らす。

「その他ちょっと訳があるらしいんですが、それは、決まった人にしか言えないってんで、オレも解らないんですけど、話だけでも聞いて嫌なら、辞めてもいいんですし、行くだけ行ってみませんか?」

 行くだけなら。と長幹はすいとんを飲み干し、おにぎり四つ―自分の一個と吉田にもらった三つ―をポケットに入れて、吉田とともに紅葉団地の公園へと向かった。

 公園では後片付けをしているスーツ姿の男が居た。

「田村さん」

 吉田が声をかけると、吉田は顔を上げ、ぱっと笑顔を見せた。40代のはつらつとした印象の男だ。

「先ほどは残念でしたが、」

 と申し訳なさそうな顔をする田村に、吉田は手を振り、

「いやいや、俺がバカなだけですから、あ、でも、この人、えっと、名前なんでしたっけ?」

「あ? あぁ、長幹と言います」

「そう、この長幹さん、大学卒業してるんですよ」

「おお、それはそれは」

 田村が長幹を頭からつま先から眺める(ホームレスだと馬鹿にしてやがるな)。ムッとしている長幹に、

「いい体つきですね、その体つきなら、ガラスに映る影を見て悪さをしようなんて思わないでしょうね」

 と吉田がほほ笑んだ。

「あ、さっきの話しは一応したんですけど、まぁ、まだある訳ありってやつ、俺知らないんで話してないっすよ」

「あぁ、それは、こちらでしますよ。えっと、どうします? 仕事引き受けてくれます?」

「いや、その訳アリってのが、」

「あ、あぁ。そうですよね、失礼しました。訳アリってのはですね、いかんいかん。失礼しました。私、この地区を担当している田村 一男と言います。ありきたりな名前でしょ。

 えっと、この話の物件はですね、少し長いのでベンチに座りましょうか。あぁ、吉田さん、すみませんが片付け代わってもらえますか? 契約がとりつけれたらお礼するんで」

「いいっすよ」

 吉田は田村からごみ袋を受け取ると掃除を変わった。

 田村は吉田をいい青年なのに、中卒というのが残念だと言いながら、近くの自販機でホットコーヒーを買って長幹に手渡した。

「それでですね、えっと、吉田さんからどこまで話を聞いているか不明ですので、最初から説明しますね。いろいろと重複しますけど、まぁ契約書を読んでいる。と思ってください。

 その家はですね、赤井さんと言うお宅で、主は赤井 敏子さんです。現在特別養護老人ホームに入居してます。まぁ、ボケてはいませんけどね、ほとんど寝たきりです。回復の見込みはないでしょうね。あ、他人なんで失礼なこと言いました」

 田村は咳払いをした。

 長幹も、他人のばあさんの生死など興味ないので軽く頷いた。

「その方が本当に頑固と言いますか、嫌な性格ででしてね、家と土地を売ってやるが、自分が生きている間は壊させない。というんですよ。まぁ、見えないんで、そのホームって、車で一時間のところにあるんで、勝手に壊してもよかったんですけど、ちゃっかりしてて、そのばあさん―あ、おばあさんですね。どうもあの人を見ると、くそ婆のほうがいいんですけど―そのが、弁護士にちゃっかり相談してて、生前に、家を壊しても売っても、売る契約をとっても、一切無効とする、というやつ書いちゃってるんですよ」

「可能なんですか? というか、家族がサインすれば、」

「それがだめらしいんですよ。一人息子の良介さんと言うのが居るんですけどね、その人が再三弁護士に頼んだけれど、正式なものだから、無理だと言われたようで、」

「それじゃぁ、仕方ない」

「えぇ。それで放置していたら、近所の人から、あんな大きい家が留守だと、空き巣だとか、浮浪者……いや、まぁ、そういうのが棲みつくだろうし、野良猫なんかがやって来ても困るって苦情が出ましてね」

「でしょうね」

「そのうえで、良介さんから、母親が家に住んでいないと遺産を渡さないと脅してくるという連絡を受けて、ですが良介さんは他県で、結構責任のある仕事を持っていてすぐに辞めてこれない。というんですよ。そこで考えたのが家を管理する人に住んでもらおうと。いうことになったんです。

 家具はそのままですし、写真とかもそのままなんで、住むには少し窮屈な思いをするでしょうが、どうせ死ぬんだし―あ、失言でした―片付けて住みやすくしてもらっていいんですがね、良介さんの意向で、バカは嫌だからできれば高卒がいい、本当は大卒がいいがそこは仕方ないというんですよ。吉田さんのような人が住んでくれれば、近所の奥さん方に受けがいいと思ったんですけどね―彼、いい男でしょう?―でも、彼中卒らしくって。いい人っていうのはなかなかいないもんだと」

「なるほど、一応、三流ですけど、大卒ですよ、」

「いいんですよ、三流でも大卒っていう肩書があれば。良介さんだって学校名までは気にしませんよ。まぁ、職業柄信用できるかどうかっていう建前だと思うんで」

「なるほど。世の中のですね」

「そうです。です」

 田村はにやりと笑った。一瞬、嫌な感じを受けたが長幹は気にしないでおこうと思った。

「それで、その他の訳ありっていうのは?」

「あぁ、それはですね、……出るんです」

「ほら、やっぱり」

「というのは嘘ですよ。出ませんよ。ただね、古い家なんですよ」

「聞きました」

「まだ汲み取りなんです。いわいる、ぼっとん、びっくりでしょ? 私初めて見たんで、それはそれは驚きましたよ」

「ははははは、俺の子供のころはそれだけしかなかったですよ」

「そうですね」

「それだけ?」

「いえいえ、古いんで、ものすごく建付けが悪くって、戸の開きが重いところがいくつもあるんですよ」

「それだけ?」

「階段は暗くて、急で、二階には家人の荷物がいっぱいで」

「それだけ?」

「そうです」

「たった、それだけが訳アリ?」

「今どきの若い人は、建付けの悪いとなんか嫌がりますし、階段が暗いとか急だとか、踏みづらが狭いとかいうだけで嫌がるんですよ。とどめが。もう、これが一番の訳ありでしょうね」

「改装したら」

「取り壊すんですよ。ばあさんが死ねば、(リフォームなんか)しないですよ」

「確かに、もったいないですな。ですが、すぐに死ぬかも、」

「意外に長生きしそうなんですよ。寝たきりとはいっても、ただの横着で動かないっていう話しらしいんですよ」

「はははは、なるほど」

「若い男の介護士の世話になるのがうれしいらしくってね」

 長幹は笑った。

「挨拶にはいかなくていいですよ。良介さんが家に住んでいる。ということになっているんですから。しかも、遺言書に書くとか言ってましたし、書いたかどうかわからないので、できれば、昼間の外出は控えてください。近所に姿を見られると、遺産相続の時に面倒です」

「なるほど、確かに息子さんがいると思わせないといけないですな、ですが買い物が、」

「近くにコンビニがあります。夜行ってください。こっそり」

「こっそりね。まぁ、仕方ないですな、」

「すみません。庭に面している窓は雨戸を閉めているんですけど、建付けが、」

「いやいや開ける気なんかないですよ、寒いですからね」

「では、管理人の仕事、引き受けてくれますか?」

 長幹は、了解した。と言いかけた。やはりどこかで「これは胡散臭いぞ」と思ったのだ。

「あ、どうです、いい仕事の話があるんですけど、」

 遠くで吉田の声が聞こえた。吉田はあの人懐っこい顔で仕事をあっせんしようとしているらしい。

 寒風が強く、強く長幹の頬を殴っていった。

「や、やります。引き受けます。やらせてください」

 長幹は立ち上がって、腰を90度に折り曲げていた。

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