幕間:女神の導きと運命の出会い(上)

 白い部屋で、白い女神は一切の表情を浮かべずに座っていた。

 人形のように無感情で無機質、かつて世界最高の暗殺者と対面したときのにぎやかで無遠慮で、感情豊かな姿とは似ても似つかない。

 あれは、かの暗殺者にもっとも警戒されないであろう人格のシミュレートにすぎない。

 女神というのは世界を維持する装置にすぎない。

 冷徹、冷酷、現実主義、そういう言葉すら生ぬるく、ただの機械であり、感情なんて持ち合わせておらず、そう見えるものは必要だから行う演出だ。

「運命への介入。ルーグ・トウアハーデへの支援に成功」

 女神は淡々とつぶやく。

 かの暗殺者……現ルーグ・トウアハーデの使命はひどく難しい。

 現状の成功率はせいぜい8%にすぎない。故にテコ入れをする。

 しかし、女神の権能では強い介入はできない。そんなができるなら直接勇者の排除を行っている。

 できることは、せいぜい運命の糸を繰り、ご都合主義を引き起こすことだけ。

 駒は増やせない、変化させることもできない。既存の駒が進む方向を変えるので精一杯。

 ロマンチックに言えば、運命の出会いを演出すること。

 運命の出会いに気付けるか、気付けたとしてかせるかどうかはルーグ次第。

「ルーグ・トウアハーデの支援に割り当てられたリソースの枯渇を確認。追加リソースの要求……上位存在からの申請の却下を確認。追加のリソースを得るには、ルーグ・トウアハーデの功績が必要。本件については放置。第二プランの始動」

 女神は、ルーグ・トウアハーデに期待はしているが、信用はしていない。

 現状でもっとも世界を救う可能性が高い駒にすぎない。

 だからこそ、次の駒を。世界を救えるのであれば、どの駒が結果を出そうと関係ない。

 無機質で無表情な女神は、今日もただ世界の維持を続ける。


    ◇


 今日はイルグ兄さんに甘えて眠る日だ。

 ……イルグ兄さんの本名はルーグ・トウアハーデというらしい。

 事情があって、イルグという人物を演じている。

 私は、イルグ兄さんの寝顔を見るのが好きだ。

 起きているときは、かっこよくて、隙がなくて、優しくて、いわゆる完璧な人なのに、寝顔だけは幼く、可愛かわいらしい。

 寂しいから一緒に眠ってというのは口実だ。

 ただ、イルグ兄さんと一緒に居たくて、可愛い寝顔を見たくてこうしているだけ。

「イルグ兄さん、キスしたら起きるかしら?」

 すごくしてみたいけど、そんな勇気は持てない。

 イルグ兄さんは父として、兄として、先生として接してくれる。たくさんの愛情を注いでくれていて、感謝しても感謝しきれない。

 ……でも、私やタルトのことを異性としては見てくれないのは不満だ。

 イルグ兄さんには大切な人がいるせいだ。

 悔しいなと思う。

 もっと早く出会えたら、その人がいる場所にいられたかもしれない。

 でも、私は諦める気はない。まだまだこれからだ。人の心はうつろいゆく。

 今は、イルグ兄さんの心はディアって人に独り占めされているけど、あくまで今の話、これからのことはわからない。

「もうひと眠りしようかしら」

 イルグ兄さんの可愛らしい寝顔を見ていたら、眠くなってきた。

 今日は寒い。

 そう言えば、イルグ兄さんと私が出会った日も、こんな寒い日だった。


    ◇


~ルーグとマーハの出会い~


 私はすべてを奪われた。

「人を信じるためには、まず疑わないといけない」

 辛くなったとき、父の口癖が頭に浮かぶ。

 父はやり手の商人だった。

 小さな村から、出稼ぎにきて、たった一代で商会を立ち上げ、大きくした。

 そんな父の信念が「人を信じるためには、まず疑わないといけない」。

 無条件で相手を信じない。まず疑ってかかり、信じるに足ると判断してから信じる。

 人を疑わないことは美徳などではなく、ただの思考放棄にすぎない。

 その言葉がぎりぎりで私を救ったのだと思う。

 ……父の右腕だった男の手引きで、両親は殺された。

 大きな商談に向かう最中に、両親が乗った馬車が大規模な盗賊の襲撃を受けた。

 盗賊は父の馬車が来るタイミングを知っており、完全武装で待ち構えていた。

 父が雇っていた護衛もすべて、変装した盗賊の一味。

 これは偶然じゃない。父の商会を乗っ取るために、父の右腕が手引きしたことだ。

 葬儀のあと、あの男は両親を失った私の前に現れ、父の死に涙を流し、商会と私のことを守ると言って抱きしめた。

 父の友人で顔見知りだったこともあり、あの男の胸で私は泣いた。

 ……でも、私は疑った。あの男の言葉を信じていれば、殺されていただろう。

 悲しみの中、父の言葉を思い出した。「人を信じるためには、まず疑わないといけない」。

 私には親族がいない。頼れるのは父の友人で右腕だったこの男だけ。

 父の代わりに私を守るという男にすべてを委ねてしまいたいという誘惑を振り切って彼のことを調べた。

 そして、あの男こそが父を殺したこと、父の商会を奪うために、次は私を殺そうとしていることを知った。

 だから、逃げた。

 ぎりぎりだった。見張りがついていて、逃げた私を迷わず殺そうとした。私が魔力持ちじゃなければ逃げ切れなかっただろう。

 父は魔力持ちであることを隠すように言っていた。

 魔力持ちというのは、さまざまな特典を受けられるが、その代わり義務を負う。商会を継ぐなら、魔力持ちであることは隠しておくべきであり、その秘密が私を守った。

 見張りを振り切って、持てるだけの金を持って、ただの町娘にみえるように変装して、できるだけ人が増えても目立たない大都市であるムルテウへと向かった。

 行商人に相場より高めのお金を払って、馬車に相乗りさせてもらえたのは運が良かった。

「必ず、戻ってくるから」

 荷台に隠れて顔を見られないようにして街を出るとき、そう口にした。

 ……父の商会を守りたい。

 でも、父に教育を受けたからこそわかってしまう。

 あそこで、私が身を守ることは不可能だ。どう立ち回っても殺される。

 もし、父の商会を守りたいのなら、逃げ延び、力をつけてから、取り戻すしかない。

 だからこそ、今は見捨てる。

 ムルテウで力をつけて、いつか父の商会を取り戻すと決意した。


    ◇


 ムルテウでの生活はさんざんだった。

 商人としての知識をもっていても、身寄りがない子供なんて誰も雇ってくれない。

 持ち出したお金もどんどん減っていく。

 しまいには、安宿に泥棒が入り、肌身離さず持っていた財布以外は全部持っていかれた。

 逆にそれで踏ん切りがつき、スラムのストリートチルドレンたちを使った商売を始めた。

 孤児たちを集め、頭が良く、文字の読み書きができる子たちには、手持ちのお金でれいな服を着せて観光案内をさせた。

 体力がある子たちには、近くの山へ行かせ、夏は洞窟で解け残った雪や氷、冬はまきを集めさせた。

 大都市ムルテウには、観光客が多く、街を知り尽くしたストリートチルドレンの観光案内は需要があった。

 話してみて驚いたのだけど、ストリートチルドレンたちは、街中の飲食店から出るゴミをあさるので、美味おいしいお店をたくさん知っている。

 夏の雪や氷は人気商品で、冬の薪だって需要が多い。相場より安い値段をつけると貧民街を中心によく売れた。

 私は、子供たちを取りまとめ、それなりにうまくやっていた。

 需要を読み、人材を適材適所に割り振れば商売になる。父の教えが私を救ったのだ。みんなが大人になったとき、小さな商会を開く……そんな甘い夢を見るようになった。

 だけど、すぐにそれもダメになる。

 孤児の救済を目的にした慈善活動によって。

 領主の奥様が何かを吹き込まれたみたいで、いきなり福祉に力を入れ始め、ムルテウの有り余る税収をつぎ込んだ。

 高額の補助金目当てで、あちこちで孤児院が開き、孤児を確保するために孤児狩りが始まった。ストリートチルドレンなどは真っ先に狙われて、私も仲間も捕まって、孤児院送り。私の商売はそれで終わり。

 私の甘い夢は理不尽に終わりを告げた。


    ◇


 孤児院は控えめに言って最悪だった。

 ストリートチルドレンでいたころが天国に思えるほど。

 孤児院は補助金目当てで開いているだけあって、維持費を減らすことしか考えていない。

 子供が生きてさえいれば、街から補助金がでる。

 食事は最低限で、味も最悪。

 うるさくすると殴って黙らせるなんて序の口。手足をしばって、布を口に放り込んで転がしておくなんてのも日常茶飯事。

 人件費もかけたくないらしく、大人は一人しかいない。

 役割は見張りで、子供たちの教育や世話をすることはない。子供たちだけで、家事をして、小さい子の面倒を見ないといけない。あげくの果てに、内職を子供にさせて、手の遅い子は容赦なく殴る。その収入は孤児院のポケットへ。

 ……さらに見た目がいい子が成長すると、客を取らせた。

 私の一つ上のノインなんて、よほど客から怖い目に遭わされたのか、刃物で自分の顔をずたずたにして客が寄り付かないようにした。

 綺麗な子だったのに、見る影もなくなった。

 そんな環境にいれば、子供たちも逃げようとするが、それは許されない。

 子供の数が減れば補助金が減る。……院長のげきりんに触れてしまう行為だ。

 脱走に失敗すれば、再発防止と、見せしめとして二度と逃げられない体にされてしまう。

 これほど自分の無力さがいやになったことはない。

 ここでは暴力と恐怖が支配している。父から教わった商人としての知識も、自分の才覚も、まったく役に立たない。

 庭で洗濯ものを取り込んでいると、院長と見張りの声が聞こえた。

「マーハは、そろそろ客がとれるんじゃないか。最近、あれを押し倒したくなる」

「いけると思います。いい値がつきますよ。あれだけの上玉で処女。今は子供好きの変態貴族どもに声をかけているところです」

「うむ、安売りはするなよ。初物は高く売れる。やせっぽちだと値がさがるから、マーハだけは栄養があるものを食べさせておけ」

「すでにそうしています。肉がつき始めましたよ」

「売れたあとは、わしが楽しむかのう。あれは、具合が良さそうだ」

 悲鳴を上げそうになり、口を押さえて、その場に座り込む。

 私が客を取らされる。

 ……脳裏に客を取るのがいやで、自分で自分の顔をずたずたにしたノインが浮かぶ。

 嫌だ、あんなふうになるのは嫌だ。

 でも、客を取るのも嫌だ。

 逃げないと、捕まってひどいことをされるのが怖いなんて言っていられない。

 ……魔力持ちだってことはばれてない。

 怖い大人相手でも、不意を突けば逃げられるはず。

 計画を立てよう。今日は準備に費やして、明日逃げよう。

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