第十六話:暗殺者は成功を収める(下)

 ディアの部屋は、女の子らしくない。

 世界中から取り寄せた魔術書が所せましと並んでおり、最高級のつえやら、魔力をブーストする器具が並んでいた。

「いつ見ても、すごい部屋だな」

「うっ、自分でも可愛かわいくないとはわかっているんだけど、可愛いものを置くスペースがなくて。一応、可愛いのを置いてる部屋もあるんだよ?」

 そっちを別の部屋に押し込んで、魔術書や杖を自分の部屋に置くのがディアらしい。

「これはこれでいい。ディアらしくてな」

「それ、ちょっと引っかかるよ。でも、ルーグにそんなこと期待しても仕方ないよね。はいっ、この一か月で作った新しい魔法だよ。面白そうでしょ」

 ディアが目をきらきらさせながら、紙の束を押し付けてくる。

 魔法文字がぎっしりと書かれていた。この世界では、魔法を新たに生み出せるのは【式を織るもの】というスキルを持っているものだけ。

 こうして術式を書くだけなら誰でもできるが、俺が書き写さなければ詠唱することすらできない。月一の会合ではディアが作った魔法を俺が使えるようにするのが恒例だ。

 ディアの魔法を転写しながら、その意味を読み解く。今回のは複雑で難しい。

 ……もしかしてこれは。

「あれが、できたのか」

「ふふん、驚いたでしょ。あっ、書き終わったみたいだね。じゃあ、詠唱するよ」

 ディアが詠唱を始める。相変わらず、ディアの属性変換と詠唱は美しい。

 魔法が完成し、ティーカップがぷかぷかと浮かぶ。

 それは重力魔法の応用。本来は対象の重力を二倍にするだけの魔法だが、重力を逆転させた浮遊の魔法だ。俺も同じものを作ろうとしたが、なかなかうまく作れなかった。

 ……そして、この重力反転魔法は現状で俺が考えうる、最強の必殺魔法に必要なもので、なんとしても手に入れたかったものだ。

 また、ディアに助けられたな。彼女からは本当に多くのものを得ている。

「参ったな、先を越されるとは」

「ルーグは頭が固いんだよ。これを完成させるにはね……」

 ディアが自分の発想を語る。楽しそうに、誇らしそうに、……こういうときのディアはれるほど可愛い。そして、近い。いい匂いがする。

「ルーグ、ちゃんと聞いてる?」

「ああ、ちゃんと聞いている。すごい発想だ。検討すらしてなかったよ」

「ふふん、少しはお姉ちゃんを尊敬した?」

 先生をしてくれていたころから、ディアはお姉ちゃんぶるのが好きだ。恋人にしたいと思っている俺にとっては面白くないが、可愛いから許してしまう。

「とっくに尊敬しているさ。さすがはディアだ。お礼に、このお菓子をあげよう」

「これが海外のお菓子だね。……黒いお菓子って、見た目はあんまりだね」

「食べたら驚くぞ」

「どれどれ、あっ、甘苦くてとろっとして、美味しい。これ、いいね。お茶にも合うし、ケーキとかにしたら素敵かも」

「南国のカカオという植物から作られるお菓子だ。俺のブランド、オルナで化粧事業が落ち着いたら、お菓子も始めようと思っていてな、こいつを目玉にする」

 チョコレート。転生前にはお菓子の王様と言われていたものだ。こっちでも貴族を中心にして間違いなく大うけする。

 冬限定で売り出せば、日持ちもするし、贈呈用として飛ぶように売れるだろう。

「うわぁ、いいなぁ。近かったら買いに行くのに」

「さすがに、ここは遠すぎるからな。来月、また持ってくるよ」

「うん、楽しみにしてる!」

 ディアが喜んでくれるなら、来月は多めに仕入れるとしようか。

 それからは、この一か月でお互いの研究成果を発表し合った。

 色気も何もありはしないが、この時間が何より好きだった。

 魔法の理解が深まるし、ディアが一番可愛いのは、魔法について語っているとき。

 あっという間に日が暮れて、帰る時間になってしまう。

 名残惜しいが、明日も仕事がある。帰らないわけにはいかない。

「……もうさよならの時間なんだね。いつもこの時間になると、ルーグがこの城に居てくれればって、思っちゃう」

「それはいいな。ディアの執事にでもなろうか?」

「そんなこと言うと本気にしちゃうよ?」

「さすがに本気にされると困るな。だけど、何かの間違いでそうなるかもしれない。……それじゃ、俺は行く。また来月」

「うん、また来月」

 窓から飛び降り、風を呼んで衝撃を吸収しつつ、着地。

 ディアが窓から身を乗り出して手を振っていた。今月も月に一回の楽しみが終わった。

 いい休日だ。これで明日からも頑張れる。


    ◇


 あっという間にムルテウに来てから二年がった。

 これまでのことを振り返る。

 新店舗絡みで冗談のように忙しい日々だったが、そのおかげで世界を知ることができた。

 バロール商会の化粧ブランド【オルナ】を成功させた若き成功者としてさまざまな場に呼ばれることになったので、かなりの人脈が出来ている。

 資金のほうもすさまじいことになっている。

 約束通り、化粧品を扱うバロールのチェーンすべての上納金5%をもらい続けているし、そもそも全店舗の中でもっとも売り上げが大きい一号店は俺が店長だ。

 本部への上納金と従業員への給料を払った残りは俺のものなので、すでに一生遊んで暮らせるぐらいの金は稼ぎ、その資金で面白いこともしている。

 今日はいよいよトウアハーデに戻る日。

 すでに、引き継ぎは一通り終わらせ、仕事関係の挨拶は済ませていた。

 屋敷の庭には馬車がとまり、俺とタルトが乗り込んでいた。

「マーハ、化粧ブランドのオルナ。それから、情報網の管理は任せる」

「任せて、ルーグ兄さん。ムルテウの拠点は私が守るわ」

 俺たちは十四歳になり、成長したことで印象は大きく変わっていた。タルトは可愛く、マーハは美人に成長した。十四歳というのは、この国で成人とみなされる年齢だ。

 マーハを二年間鍛えてみたが、やはり実行部隊には向いていない。だが、後方支援担当を任せられるほどに成長した。

 新店舗の開店に合わせて、秘書に任命し、イルグ・バロールの右腕として働いてもらっており、商人としてのスキルも身に付けている。

 俺がムルテウの街を出ている間は、すべての業務を代行する。

 ……そして、彼女には俺の本名と本業を教えている。だからこそ、イルグ兄さんではなく、ルーグ兄さんとこの場で呼んだのだ。

 彼女にはバロール商会の化粧ブランド、オルナの代表代理として振る舞いながら、暗殺に必要な情報収集、資金提供、必要物資の確保を行ってもらう。

「マーハちゃん、ごめんなさい。私だけがルーグ様についていっちゃって」

「羨ましくないと言ったらうそになるけど、私にしかできないことでルーグ兄さんの力になれることが誇らしいの。……タルト、私の分も近くでルーグ兄さんを助けてあげて」

「はいっ!」

 俺の専属使用人にして、暗殺助手のタルトが返事をする。

 タルトとマーハがお互いを励まし合う。

 それが終わると、マーハが俺を見つめた。その目には涙がまっている。やはり彼女も別れはつらいのだ。

「たまに、ほんの少しの時間でいいから会いに来て。ルーグ兄さん」

「約束する。仕事がなくても、マーハに会うために来る」

「ええ、約束よ。あれだけ遠く離れたディア様のところへは必ず毎月行っているのに、私のところに来てくれなかったら……私、悔しくてたぶん泣いちゃうわ」

「マーハは俺にとって大事な弟子で助手だ。会いにこないわけがないだろう」

「うん、待ってる。……それから、ルーグ兄さんに頼まれていたもの見つかったわ。商船の航路から外れた無人島。これがその地図。誰も近づかない無人島なんて何に使うの?」

「二日前にディアと会って来たときに新しい魔法が完成したんだ。少々威力が大きすぎて無人島でもないと大変なことになる」

 勇者殺しの魔法で、最強の威力を持っていた。基礎理論は完成しているが、実験はできてない。あまりにも威力と効果範囲が広すぎ、無人島でもなければ実験すらできない。

 馬車が出発し、マーハが見えなくなった。

 ……最後の試練、二年で商人としても一流となり、格のある商人という看板を手に入れることに成功した。

 超新星化粧品ブランド【オルナ】代表、イルグ・バロール。その名を聞いて迎え入れない貴族令嬢や夫人はいない。

 トウアハーデに戻れば、実戦を行うようになる。俺はあの地下室以外で、まだ人を殺していない。今の俺は人を殺すときにどんな感情を抱くのだろう?


    ◇


 馬車は街道を進む。

 タルトがちょっとしたホームシックにかかっている。

「タルト、マーハと別れて寂しいか?」

「……正直に言うと寂しいです。同年代の友達は初めてだったので」

 できれば、マーハも連れてきたかったがバロール商会の情報網は手放せない。

 それにトウアハーデの存亡にかかわる事態が起こったときに、頼れる拠点があるのは大きい。最悪、ルーグの死を偽装し、イルグとして生きていくことも考えられる。

「そうか。これからできる限り、レシチンの輸送はタルトに任せる。会える機会は多いさ」

 タルトも二年で成長している。

 魔力の扱い方は一流と言える精度で、自らの属性である風をうまく使えるようになった。

 ……その魔法のレパートリーには俺が作りだしたオリジナル魔法もあり、暗殺の助手として十二分に力を示せる。輸送の際の護衛にはぴったりの人材だ。

「うれしいです。でも、マーハちゃんはきっとルーグ様が行ったほうが喜ぶと思います」

「そうか?」

「そうです。マーハちゃんはルーグ様のことが大好きですから、家族愛とか友情とかそういうのじゃなくて。その、ああいうのです」

「言いたいことはわかるが、それは違う。マーハのは憧れだ。似ているけど違うものだ」

「ルーグ様の言うことはたまに難しくなります」

「いずれ、わかるさ」

 そんなことを言っていると、馬車が急停止した。おおかみに囲まれている。

 御者が馬車から飛び降り、客である俺たちを置いて逃げていき、……狼の餌食になった。

 普通の狼より一回り大きく、異様に爪が肥大化し、わずかな魔力を感じる。

 魔物だ。魔物の定義は魔力を持った動物。人間が魔力をまとって強くなるように、動物も魔力を纏うことにより強くなり、多くの場合は体が変質する。

 魔物は人里から離れたところに生息し、めつに人里に出ることはないはずなのに。

「ちょうどいいです。訓練の成果、ためさせてもらっていいですか」

「ああ、俺はここで見ている」

 俺がそう言うなり、魔力で全身を包み、身体能力を強化したタルトが外に飛び出る。

 狼の魔物は三匹、群れの利点を生かして、タルトを取り囲むように動く。

 そして、牙をき飛びついた。

 しかし、タルトの肉をらうはずだった口は刃で貫かれていた。タルトの手にはやりが握られている。スカートがめくれ上がっていた、暗器を取り出し、一瞬で組み立てたのだ。

 時間差で来た二匹目が背中から襲いかかり、次の瞬間には顎を打ち抜かれて宙を舞う。

 タルトの風の魔法、【風弾】によるものだ。

 ほとんどの魔術士はてのひらからしか魔法を発動できない。

 神から与えられた術式はそうなっているからだ。

 だが、術式を変えることで自らを中心とした数センチ~数十センチの魔法領域のどこからでも発動できるようにした。

 タルトの魔法領域は約四十センチ。彼女は領域内に相手が踏み込んだ瞬間に風の弾丸で顎を打ち抜いてこんとうさせることができる。一流の剣士ですら、魔法は手以外からは発動しないと思い込んでおり、そこ以外は警戒していない。

 地味ではあるが極めて有効な奇襲になりえる攻撃だ。

 最後の一匹が逃げていく。狼だけあって速い。タルトの足では追いつけないだろう。

 しかし、その狼が背中から槍で貫かれた。

 槍を風の力で弾き、弾丸と化したのだ。

「見事なものだ」

「ルーグ様が鍛えてくれたからです。私、戦場では大活躍だったんですよ」

 マーハが商会で俺の秘書となり、後方支援に必要な技術を磨いていた間、タルトには戦場で実戦経験を積んでもらっていたのだ。

 得意げな顔で馬車に戻ってきたので、頭をでてやると気持ちよさそうに目を細める。

「……そろそろ勇者が現れるころか」

 俺は勇者を殺すために転生した。

 勇者は魔王を殺したあと、狂って世界の害になる。

 魔物が増え始めると、いずれ魔族が出現し、勇者と魔王が降臨すると言われている。

 こうして、人里に下りない魔物が街道に現れた。

 そうなると、そのあとのことも次々と起こっていくだろう。

 急がなければ。この二年、なにも商人だけをやっていたわけじゃない。

 ともに戦う助手のタルトを鍛え、拠点を作り後方支援を任せられるようマーハを育てた。

 さらに勇者殺しの切り札カードを作り始めている。

 無人島での実験が楽しみだ。たとえ勇者であろうと撃ちぬくだけの威力があるだろう。

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