幕間:女神の導きと運命の出会い(下)

 真実を知った私はそのことを隠しながら、振る舞っていた。

 気付いたことに気付かれたら、どんなことをされるのかわからない。

 今日の夜、私は逃げる。

 孤児院が騒がしくなった。

 ムルテウの大商会、バロール商会の幹部にして御曹司が孤児を引き取りに来るらしい。

 気に入った子がいれば、引き取り、バロール商会で働かせてもらえると子供たちは興奮した様子で話す。ここから抜け出せるうえに、この街一番の商会で働ける。

 それは地獄に垂らされたの糸。子供たちは気に入ってもらえる方法を相談する。

 ……選ばれれば、リスクを負わずにここから出られる。大商会で働けるのも魅力的だ。いつか、父の商会を取り戻すために資金をめたいし、バロール商会のノウハウもほしい。

 だけど、選ばれていいのかな?

 私は魔力持ちで、その力を使えば逃げられるし、もとより今日は逃げ出す日。

 でも、他の子は違う。自分の力じゃ逃げられない。

 長い息を吐き、天を見上げ、アピールしないことにした。他の子にチャンスをあげよう。

 ああ、なんて甘い。この地獄を共に過ごした子たちに同情してしまっている。


    ◇


 そして、その人はやってきた。

 子供たちは驚く。やってきたバロール商会の幹部というのは私と同い年の少年だった。

 綺麗な子だと思った。容姿が整っているだけじゃなく、たたずまいが美しく、気品があり、自信にあふれていた。

「王子様」

 自然と、そんなつぶやきが漏れた。

 私たちとは違う人種で、特別だとわかる。

 だから、子供たちも、相手も子供なんてことも忘れて、自分を選んでくれと群がる。

「僕はイルグ・バロール。将来的に僕の右腕になってくれる子を探しにきた。君たちのことを教えてくれ」

 大商会幹部の右腕、子供たちはよりいっそう盛り上がる。

 それを一歩引いた場所で眺めていた。

 あの強欲院長が、びた目で少年を見ている。

 ……すごい金額を寄付したんだろうな。強欲院長が媚びを売るのは金になる相手だけ。

 少年は一人ひとりを吟味しながら、話を聞く。物腰は柔らかく、笑顔が素敵で、女の子はみんな王子様を見るように少年を見ていた。

 王子様という感想を持ったのは私だけじゃないようだ。

 あそこに行きたい誘惑にかられるが、ただ見ていた。

 しばらくすると、王子様は子供たちをかき分けて私のところへ来た。

 その神秘的な瞳で私を見つめている。

 彼が微笑みかけてくると、心臓がどきりとした。

 そして、王子様が口を開く。

「見つけた。君がほしい。僕と一緒に来てほしい」

 そう言って手を伸ばし……私はその手をつかんでしまった。

 他の子のチャンスを奪わないって決めていたのに。ほとんど無意識だった。

「ええ、喜んで」

 たぶん、頭では諦めるつもりで、でも、王子様があまりにもかっこよくて、綺麗で、心が奪われていたんだと思う。

 ……ごめんなさい。

 心の中で他の子に謝る。

 そして、謝るだけじゃなく、いつか、他の子を助けると私は決めていた。

 バロール商会の幹部、そのがあればそれも不可能じゃない。

「トラン院長。僕はこの子を引き取りたい」

「お目が高いですね。ただ、この子の場合、少々特殊でして、さきほど話した額の倍……いや、それ以上は頂かないと」

「いくらですか」

 院長は、とんでもない値段を告げた。

 交渉前提で、まずは吹っ掛けたのだろう。

 奴隷が数人買える値段だ。

「いいでしょう。では、これで」

 しかし、王子様は涼しい顔で指示を出すと、付き人が革袋にぎっしりと金貨を詰めた。

 院長は信じられないというように目を丸くし、へりくだりながら金を受け取る。

「たっ、たしかに。ですが、今日いきなり引き渡すというわけには。マーハにも準備がありますし、三日後ということで」

「では、三日後に参ります」

 三日、それはきっと準備時間なんかじゃない。

 貴族に私を売って金を稼いで、それから自分で弄ぶための時間。

 助けて、その声が喉まででて、結局飲み込むことになった。

 院長が血走った目で私をにらんでいた。余計なことを言うなと。

 ここの生活で染みついた恐怖が、私を動けなくした。

 王子様が私を見て、微笑んだ。

 大丈夫だよ。そう言われているような気がした。

「トラン院長、引き取るのは三日後ですが、こうして契約を交わした以上、すでに僕は彼女の保護者です。そのことを忘れないよう」

「もちろんです。丁重に扱いますよ」

 その丁重の意味は、絶対に告げ口をしないように思い知らせる。そういう意味なんだと、私にはわかってしまった。……それに、私は脅されなくても言えないだろう。王子様に汚されたなんて知られたくないから。


    ◇


 私の想像は正しかった。

 その日の夜には私の買い手が決まった。きっと王子様に引き取られることが決まったせいで、急いで売り先を決めてしまったのだろう。

 貴族に売ることが決まったせいで、逃げる隙は少しもなくなった。

 身を清めて、屋敷から逃げ出して以来のお洒落しやれをさせられてから馬車に乗せられる。

 隣には見張りの男と院長が座っていた。

 このままじゃ、私は汚される。

 ……私を買った相手はノインを買った相手で、ノインはその後、自分の顔を傷つけた。

 客を取らされた子たちが、一番ひどい目にあったと口をそろえていう貴族。

 怖い、怖い、怖い。

 何もしなければ、たった三日耐えれば、あの人のところへいける。

 王子様の顔が浮かんだ。

 あの人のところへ行く前に汚されるのは嫌だ。

 こんな状況で自分らしくない、まるで乙女のようなことを考えてしまう。

 生きるのに必死で、こんな感情ずっと忘れていたのに。どうしてだろう?

 自問自答し、答えが出た。

 ……そっか、あの瞬間に一目ぼれしていたのか。

 自分がそんな感情を持つなんて驚きだ。

 だからこそ、変なことを考えてしまう。

 今すぐ、馬車の窓から飛び降りて、それから、どこでもいいからバロール商会の店に飛び込んで、あの人の名前を出せば助けてもらえるんじゃないかって。

 選択肢は二つ、大人しく汚されて安全にあの人のところへ行くか、あるいはリスクを冒して、乙女のままあの人のところへ行くか。

 私は覚悟を決める。

「ああ、惜しいのう。あの男が来るのが一か月遅ければ、この娘を堪能できたのに」

「……っ」

 脂っこい手で、院長が私の太ももをでる。

 いつもの通り、ただおびえた態度を演じて、逃げるタイミングを計っていた。

 馬車が曲がり角に入って揺れる。院長と見張りがバランスを崩す。

 今がチャンスだ。

 私は、窓をあけて、飛び降りた。

 受け身のために転がって、ドレスが台無しになるけど気にしない。

 むしろ、スカートを破いて走りやすくする。

 ストリートチルドレンをやっていたころ、体は鍛えているし、裏道は知り尽くしている。

 それに、魔力持ちであることを隠している場合でもない。本当の全力で走る。

 しかし……。

「なんで……」

 路地に入り込み、二度曲がったところで、見張りに追いつかれた。

 普通の人には絶対追いつかれないはずなのに。

「魔力持ちを隠しているのは、てめえだけじゃねえんだよ。あーあ、ドレスをこんなにしやがって、お仕置きだ。ひひひっ、ここなら院長のも届かねえ。膜さえやぶらなきゃ、何してもいいだろう。いつも院長のおさがりばっかだから、たまには新品もいいなぁ」

 最悪だ。

 人目のつかない、路地裏を通って逃げようとしたのがあだになった。

 見張りが腕を思いっきり振りかぶり、私は目をつぶってしまう、でも、いつまでっても衝撃はこなかった。

 ゆっくりと目を開く。

 振り下ろされた見張りの腕が、何者かの手に摑まれていた。

「てっ、てめえは」

「僕はたしかに言ったはずだ。『こうして契約を交わした以上、すでに僕は彼女の保護者です。そのことを忘れないよう』。マーハは僕の妹だ。その妹に何をしようとした?」

 目の前に、王子様がいた。

 彼が睨むだけで、見張りは怯えて、腰が引ける。

「どうして」

「去り際、君は助けてって目で言っていたからね。少々、トラン院長のことを調べたんだ。そしたら、あの男が何をしようとしているのかがわかったから、見張っていた」

 胸に熱い何かがこみ上げてくる。どきんどきんとうるさく心臓が高鳴る。

「でも、危ないわ」

「危なくても、君は僕の家族になった。家族は守るものだ」

 そう言って、王子様は見張りの手を放して、私をかばう位置に立つ。

「さあ、帰ろうか」

 王子様は私にコートをかけて微笑ほほえむ。

 ドレスがボロボロになったことを思い出して、恥ずかしくなり目をらしてしまった。

 見張りは、バロール商会の幹部である彼に手を出していいのか困惑し動けない。

 そこに、息を切らせた院長が現れる。

「困りますなぁ。マーハを引き取るのは三日後のはずです」

「同じことを何度も言うのは好きじゃない。彼女は家族だ。家族の危機は見過ごせない」

「……なら、仕方ないですねぇ。もう、金は受け取りましたし、あなたに媚びを売る必要もないんですよ。おい、このいけすかねえガキをたたきのめせ!」

「あの、いいんですか? イルグ・バロールは、バロール商会の御曹司ですよ。バロール商会を敵に回します」

「かまうものか、行方不明にしてしまえばいい。隣国に、だんしようとして売り飛ばしてやれ!」

 それを聞いた見張りがにやりと笑う。

 本心では、王子様を殴りたくて仕方なかったようだ。

「逃げて、そいつ魔力持ちよ」

「ああ、知っている」

 私の忠告を聞いても王子様はひようひようとしている。

 見張りの拳を軽くかわして、肩を軽く押した。

 それだけで、鈍い音がして見張りの肩関節が外れ、体勢を崩したところで追い打ち。膝を踏み抜き、見張りの膝が曲がってはいけない方向に曲がった。

「ぎゃあああああああああああああああ」

 見張りが痛みで叫び、のたうち回る。

 王子様は院長に向かって微笑み、一瞬で距離を詰めて、首筋にナイフを押し当てる。院長の皮膚が切れて血が流れる。

 院長は反応すらできてない。

「ひっ、ひぃ」

「別に僕は法に従った取引ではなく、暴力がものをいう実力行使でもいいんですよ。……実はこっちのほうが得意なんだ」

 王子様は笑顔のままだった。

 しかし、くらくて冷たい何かが彼を中心に噴き出して、背筋が凍りそうになる。

 至近距離でそれをらった院長は、腰が抜けて失禁していた。

「さあ、帰ろうかマーハ。僕たちの家へ。君の部屋も用意してある」

 孤児院でそうしたように、彼は私に手を伸ばす。

 今のを見て確信した。彼は普通じゃない。

 そして、もしこの手を握れば私も普通じゃなくなる。

「連れて行って、王子様」

 でも、私はその手を取った。

 普通じゃなくても、彼の連れて行ってくれる場所は、きっと幸せなものに思えた。

 ……でも、まずは彼のことを疑ってみよう。彼がなにものか調べる。それから、改めて信じるかを決める。

 憧れの王子様で、私の恩人だけどそうする。

 それが父の教えてくれたことで、私の生き方だから。


    ◇


~ルーグの出発前夜~


 イルグ兄さんこと、ルーグ・トウアハーデが明日には領地に戻ってしまう。

 そのため、イルグ兄さんと化粧ブランド、オルナの引き継ぎの最終確認をしていた。

「これで終わりね」

「ああ、あとは頼む」

「任せて、今の私ならイルグ兄さんがいなくてもオルナを守れる……いえ、もっと大きくして見せるわ」

「マーハなら、それぐらいしてくれそうだな」

 柔らかい微笑みをイルグ兄さんが向けてくれる。

「それから、この街以外にも拠点を広げようと思うの。隣街に、とてもいい条件の店舗があるのよ。もともと、勢いがあった商会の持ち物だけど、トップが替わってからちようらくして、資産を切り売りし始めたわ」

 それは、父の商会が持つ店舗の一つ。

 父の右腕だった男がトップになってから、失敗続きで資金繰りに困り始めた。

 ……売りに出した店舗は、父の商会の中では比較的小さく、重要視されていない。

 でも、それは父が最初に建てた店で、思い出の店。

 私はいずれ、父の商会を取り戻す。その足掛かりとしては最高だ。

「好きにするといい。俺はマーハの手腕を信じている。私情を挟むなとは言わない。だが、私情を挟むのなら、結果を出せ」

「もちろんよ。私はイルグ兄さんの右腕だもの」

 イルグ兄さんは、すべて知っているだろう。

 私がその商会の娘だったことも、奪われた商会を取り戻そうとしていることも。

 過去のことは話していない。でも、この人なら絶対に調べ上げている。

 そのうえで、私を信じてくれている。

 だから、結果を出し続けることで、私情と利益を両立する。

 私は「私情を挟むのなら、結果を出せ」と言ってくれるイルグ兄さんが大好きだ。

 あのとき、選んだ普通じゃない道は、たしかに私の夢へと続いていた。

「イルグ様、マーハ様、お茶です」

「ありがとう」

 お茶を運んできたのは、同じ孤児院にいた子で、ストリートチルドレンのときに商売をしていた仲間。孤児をバロール商会で雇うという形で救っている。

 商会を取り戻すという夢と同時に、かつての仲間を救うという目標も叶いつつある。

「イルグ兄さんに頼まれていたあれ。手に入れたらデートしてもらえないかしら」

「健全なデートなら」

「それは残念」

 私とイルグ兄さんは笑う。

 ……私の二つの夢はもうすぐ叶う。

 イルグ兄さんのおかげだ。

 だから、私は決めていた。

 この先、何があっても、私の残った人生でイルグ兄さんを助けることを。

 そのためなら、この命すら惜しくない。

 それから、もし叶うなら、右腕じゃなくて、別の意味で家族になりたい。

 そのためにも、私はイルグ兄さんの期待に応え続けるのだ。

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