十一、三人目の標本体
◆◆◆
赤い火星の大地に、初めて人類が降り立つ。
ーーそれは実際の光景から思い浮かべる妄想ーー
レッドスピネルの輝きに、一人の少女が吸い込まれた。
『標本名を待っている』
紅の連晶を前に、ステラミラが立っている。
スピネル式双晶が、赤い花弁を持つ桜の花のように、咲き誇っている。
自分が標本名を手に取った、小さな
三人目の標本体が生まれようとしていた。
◆◆◆
カフェテーブルに突っ伏したウィルディスを自分の部屋に連れて行き、意識が回復するのを待っていた。
窓から外を見る。VR空間内にも昼間の月が見える。ここでは、下弦の月を映している。空の月の映像は、開発していなかったはずだが。
VR端末の外、
テレビの天気予報。“もうすぐ満月です”との話題に絡め、月の満ち欠けや見え方について話していた。
上弦の月は昼間から昇り始める。
トーワンビルへ向かう朝に見た月は、朝ドラが始まる時間頃だった。日々の
きっとステラミラがあの月からこの
シャキーラの言葉。
「元の魂の偏りがステラミラに似ている」
そのせいだろうか。自分が元の部屋に置いてきた、鉱物標本を見つめるように、彼女もこちらを見つめている。
そんな様子が、手に取るように
「……う……ん」
ウィルディスが身じろぎした。
「……ここは。……エルレウスさんのお部屋ですね」
「気付いたか。ウィルディス、コーヒーは飲むか?うちに紅茶は無いぞ」
「……貰えますか」
コーヒーマシンでドリップする。しゅんしゅんと音がし、よく行くカフェの定番の豆の香りが広がる。頭の中がクリアになる。ついでに買ってきて正解だった。
ウィルディスと自分にカップを用意する。
「……許容量を超えたのですね。僕も、蛍石も」
「わかるのか?」
「……はい。上限を超えると壊れるとは。わかりやすいです。魔法……いえ、魔導でもなく、僕と石自身の力が、ですかね」
ブラックを一口飲むウィルディス。
「……飲みやすいですね。コーヒー特有の苦味が苦手なのですが、これは飲みやすいです」
「それは、良かった。ウィルディス、蛍石を使ってみて、どうだった?」
「……最高でした。空を飛ぶ感覚は、本当に夢見た通りの……理想通りの感覚でした。視界も、ずっと僕にまとわりついていた、蟻が這い回る感覚を超えて、初めて空撮を見た時のような、いや、それ以上の……。あれを味わえるなら、生き返る必要など、ありませんよ」
「今でも、標本体になってからも、蟻の這い回る感覚はあったのか?」
「……いえ、ありません。標本体になってからは、感じていませんでした。とは言え、成長してからは、普段は気にしないでいられるほどには、薄まってはいたのですが」
「ウィルディスは成長とともに、感じにくくなっていた。標本体になってからは感じていない」
「……その通りです」
なんだろう、引っかかる。自分の体の柔軟性、筋力が変わらずにいたことと、ウィルディスの感覚の事と。
自分たちは、ただ肉体をそのまま再生されているのではないのか?
考えながら、コーヒーカップを持って動く。鉱物達のインテリアの前に行く。
水晶クラスターの前にきた。
その昔、氷の化石と思われていた水晶。そのひんやりとしたクラスターをやさしく持ち、手のひらに乗せる。
万能の石、生命力を活性化させる石、清浄で純粋なエネルギーの塊。
果たして自分が、自分であるのかを。
「ウィルディス、自分はさっきストレッチをしてみた。久しぶりにやったんだ。自分が標本体になってから、三週間が過ぎた。しかし、身体は硬くならず、柔軟なままでいた。かえって調子が良いくらいだった。まるで、身体がリセットされているかのように」
水晶クラスターがクリアな光を放つ。
感知できるのはやさしくあたたかい光の眩しさときらめき。
「標本体になってからの自分は、以前の自分と違うようだ。あまりにも……望みのことしか考えてない。それしかないみたいに」
光が放射状に広がる。ふと、思い出す。
眼球にも水晶体がある。眼は水晶のレンズで物を見ている。
頭の中の考えが、水晶と水晶体と月を
「エルレウスさん!」
焦ったウィルディスの声がする。
気付いたら自分は、VR空間から出て、
そしてさらに外に出て、月を
◇◇◇
〈あまり気が進みませんニャ~、無理やり標本名を取らせますのは〉
『魔導法律上は問題ない。目的は彼らを救うのだから』
〈
『n次元の干渉波の解析が進んだのだ。併せて進言しよう』
〈……なんですと、ニャ!なんて言ってたんですニャ?〉
『老朽化だ』
〈ニャ?〉
『太陽系の老朽化があり、間もなく旧管理者の創ったシステムは壊れるそうだ。干渉波の正体は……警告だ』
〈どれくらい持ちますニャ?〉
『わからない。旧管理者の痕跡も追えない。シャキーラ、三人目の標本体を最後に、ユーモレックスに報告する』
◆◆◆
月をこちらから直接覗く。
これは顕微鏡なのか双眼鏡なのか。
自分の眼球の水晶レンズがどのように機能しているのか。
さっぱりわからないが、頭の中でつながったイメージ通りに、月から向こう側が見えた。
ここはステラミラの研究室のようだ。
書棚とそこに納められた本。手前に何かの実験器具、吊るされているガラスの雑貨などがはっきり見える。
整理棚がたくさんあり、そこに小さな
地球の鉱物なのか、見たことがあるような石が並ぶ。あれは
すごい、欲しかった石、なかなか手に入らない大きさと質のものが揃っている。
ここで実験を行っているのだろうか。
自分も石に触りたくなる。
見るだけなのがもどかしい。
そうして見渡すと、とびきり赤い
赤い花のような石、その前にステラミラが立っている。
ざわりと気配が変わる。
ステラミラの研究室、そこに、赤い
ステラミラは、三人目の標本体をここで契約させるのか--?
火星の話をしたせいか、目の前の石に吸い込まれる少女が火星に初めて降り立つ人類に見える。
違う。わかっている。イメージだ。
水晶の力。イメージがすぐに力になる。
少女が戻ってくる。銀色のプレートを持って。ステラミラはVR端末を持っている。
少女がステラミラにプレートを渡す。
『標本名、ルーフス。
ステラミラがプレートを
――すっと視線を戻した時、その少女は消えていた。
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