九、フローライトの力

◆◆◆


 昨晩は久しぶりに、監視されていることを意識しなくてよいプライベートタイムが持てた。

 喜びで、画材と天然石を大量に買ってしまった。


 ショッピングモールとはいえ、なかなかの収穫だ。

 飾り棚まで買ってしまい、あれこれインテリアを考えたり、整理したりしているうちに、夜も更けていった。


 翌朝、ウィルディスとショッピングモールで待ち合わせている。

 お互い銀色のカードで生活用品の買い出しと、自分の目的は、情報交換を兼ねた交流だ。

 できればウィルディスがどうして蘇ったのか、聞いてみたいところだ。

 そんなことを考えながら、眠りに落ちていた。



 明けて今朝、なんとか起床し、シャワーを浴びる。インスタントのコーヒーを飲み、目を覚ます。


 待ち合わせよりも少し早く着いた。ショッピングモールの開店前だ。人が並んでいる。

 まだウィルディスは来ない。


 やがて開店し、順に中に入る。次々と人が入ってくる。

 この辺は休日の混雑感を演出しているのだろうか。


 「……お待たせしました」


 ウィルディスの声が上からした。

 振り向くと、ウィルディスは



 「ウィルディス!?」

 

 「……契約時の保証金代わり、だそうですよ」

 

 心なしか、嬉しそうな顔をしている。


 〈その通りニャン! 空飛ぶ力〜VR限定版〜ニャンよ〉

 

 シャキーラがウィルディスの後ろから出てきた。


 〈エルレウスといいウィルディスといい、偏っているニャンね。偏愛とでも言うべきかニャ?

 まあ、魔主人マギカルナサマとの親和性も高いし、低次元存在にしては元の魂の本質の近さが似ていたかもニャンね〉


 周りを見ると、他の人間は誰もウィルディスに注目していない。

 休日にショッピングモールに来た、客の顔をしている。


 少し息を整える。


 〈フローライトの力を借りたニャン。石屋があってよかったニャンね。あんまり魔導を持ち込むとまたバランス調整が大変ニャ〉


 蛍石がどうしたって?

 

 「どういうことだ、シャキーラ。蛍石フローライトで空が飛べるのか?」

 〈石の力を高めたニャン。使用者の魂の力--想像力イメージ次第で空も飛べるはずニャン?〉

 

  蛍石フローライトは天才の石とも呼ばれる。集中力を高め、脳の海馬に影響を与えるとして、受験のお守りとして人気が高い。

 色のバリエーションも幅広く、淡く透ける碧色、水色、ライラック色など、多色だ。

 子供の頃の自由で無邪気な発想や思考力を高めます、などの効果が書かれていることが多い。

 

 だが。


 「まさか……そんなこともできるのか!?」

 

 自分は叫んだ。鉱物、石の力?

 そんな、幻想的ファンタジックなことができるなんて!


 「自分もやりたい!!! 保証金とやら、寄越してくれ!!!!」


 〈あ~……ウィルディスの望みがささやか過ぎたから、保証金代わりに、このVR端末内のみ空を飛ぶことを体験できるようにしたニャン。エルレウスの願いは、高望み過ぎるんじゃニャイかニャ?〉

 

 ニイィッと口を、チェシャ猫のように笑み作る。

 自分の願いは言ってないはずだが……。


 冷たい感触が脇を伝う。


 〈まあ、エルレウスの保証金に関しては、魔主人マギカルナサマにも聞いてみるニャン。このVR空間内ニャら、出来ることもあるはずニャン〉


 さっさと帰るニャン、と帰ろうとする。


 「待て。他の石も、こんなことが出来るのか?」

 〈当たり前ニャン。標本体にあまり影響与えたくニャいから、このVR空間だけニャン〉


 制約が多いのも、考えものニャンね。


 そう言いながら、本当にさっさと帰って行った。




◇◇◇




 ……皮膚の下、ぞろぞろと這い回る蟻たち。

 何万、何百万とうごめく微細な触角が、互いを探り合い、餌を求めている。


 ヒトとは、皮膚をよおく観ると分かれている、小さな細胞のひとつひとつが、くっ付いて大きな大きな塊となり、ヒトたらしめていたと思っていた。


 ……だが僕はどうも違う。


 一匹一匹の蟻たちが順序良く、正しく整列し、ある時は動き回り、それが僕の小さい細胞の一つ一つなのだ。

 

 透ける静脈の下に、彷徨さまよう蟻が這い回るようなざわめきが、常にある。


 ……それが僕の小さい頃からの感覚でした。


 その感覚が気持ち悪くて、小さい頃は両親によく助けを求めていました。


 感覚の強くなる日、弱くなる日、そんな違いはあったのですが、どうしても気持ち悪くなる日は、両親が服の素材を変えてくれたり、触り心地の良いタオルでくるんでくれたり。さすってくれる日もありました。


 感覚が敏感すぎる子、だったと思います。


 ある日、テレビで空撮--ドローンで撮影した、どこかの田舎の棚田でした。

 それを見て、幼い僕は鳥肌が立ったというか、寒気がしたというかーーとにかく、感動したのです。


 蠢く感覚を忘れるくらいに。


 あの緑色が続く、見事な棚田の上を飛びたい。それが、子供の頃の夢になりました。


 成長した僕は、山登りや、パラグライダーにもハマった時期がありました。

 でも、どうも、違うのです。


 映像の会社に入ったのも、ドローンで空撮を、もっと美しく、もっと素晴らしく、撮れる技術を身に付けて、僕自身で撮影したい、そう思ったから。


 空を飛びたいと願う、幼い子がよく考えそうな夢想の、現実との擦り合わせ。

 僕はそういう風に答えを出しました。


 火だるまになって死んだ僕は、綺麗な魔法使いに会いました。超越した存在を目にして、子供の頃の願い事を、あの気持ちを、完全に思い出しました。


 ……そうです。願い事は、生き返ることではありません。


 ただただ、空を飛び、棚田の風景を撮影したい。それだけなんです。




◆◆◆



 空から降りたウィルディスから、話を聞く。

 移動してショッピングモール内のカフェに入っている。


 この店はカフェラテが美味しい。

 ウィルディスは紅茶だ。

 ダージリンだろうか。


 注文した飲み物を待つ間、今朝のことを聞く。

 ウィルディスが起きて支度をしていると、シャキーラが来たそうだ。



◇◇◇



 〈生活パターンの説明をしてなかったニャン。ウィルディスもエルレウスと合わせて、金曜日は説明日にするニャン。月曜から木曜は仕事で、時間は好きに決めていいニャン。土日はどうするかニャ? 休むニャ? それとも、仕事したいニャン?〉


 「……二度死んだ身です。望みを叶えてもらえる以上、魔主人マギカルナ様に従いましょう」


 〈殊勝な心がけニャンね。では、土日休みがいいニャンね。あんまり標本体を、日常生活で酷使したくないニャン。ウィルディスは実験標本となったんにゃから〉


 ……実験で酷使するということでしょうね。

 

 〈それと、ウィルディスの標本契約は、対価がささやか過ぎるニャンね。いくらなんでも魔主人マギカルナサマに失礼だニャン。かと言って、契約が結ばれた以上、契約内容から逸脱するわけにもいかニャいから、覚書を結ぶニャン>


 「……覚書おぼえがきですか?」

 〈そうニャン。保証金として、このVR空間内では空が飛べるようにできるニャン。これを使ってニャ〉


 渡されたのは、薄く透ける碧色の、八角形の石です。

 手に乗せると冷たくて、ぽう、と淡く光りました。


 〈蛍石フローライトニャン。想像力イメージの具現化を果たす石ニャン。握って、強く望むニャン〉


 ……空を飛びたい。そう願うと、ぽう、とした光が強くなり、輝き始めました。

 冷たい石の感触が、だんだんと温かくなり、熱くなってきました。

 このままだと火傷するのでは、と思った時、


 〈想像力イメージを高めるニャン。その石は本当は熱くないニャ。魔導発生の熱量が、そのまま飛翔の上昇力エネルギーに変換する、そんな空想イメージを具現化させるニャン〉


 ……よくわかりません。

 ですが、電池を入れた防災用の懐中電灯を思いました。

 そうです、携帯の充電もでき、ラジオもできる、そんなタイプのものです。エネルギーを効率良く変換し、別の役割に使う物。


 そんなイメージで、一度ぎゅっと握りました。


 ……すると、ふわっとした感覚があり、地面から足が離れていました。


 〈そうニャン、魔元素マギアスティ変換が順調に進んでいるニャ。まあまあ筋がいいニャンね〉


 ……光輝く星のような蛍石は、もう熱くありません。熱量が、飛翔のエネルギーに変わる。イメージが固定化しました。

 そうすると、ますます浮いた体は、ゆらゆらと安定しませんが、高く、高く上がります。


 高く、高くーー。


 〈ストップニャ!それ以上は覚書を結んでもらうニャ。扉の標本名に触れるンニャ〉

 

 ふらふらと玄関を出て、表札に触りました。一瞬、ピリッと静電気が駆け抜けたような感じがあり、僕の名前が緑色に光りました。


 〈これでいいニャン。せっかくだから、このまま出てみたらいいニャン?〉


 このまま外へ出てみたい。

 そう思い、不安定な体を操りながら、ここまでやってきたのです。



◆◆◆


 「わかった。ウィルディス。過去のことまで、話をしてくれてありがとう。願い事については、あまり言いたくないのではと考えていた。……それにしても、正直、うらやましい。鉱物の力で空を飛べるなんて」


 「……うらやましい、ですか? エルレウスさんも、空を飛びたい願望があるとでも?」

 「まあ、空を飛びたいのは、大抵の人が考えるだろう。自分がうらやましいのは、石の力を使って、ファンタジーなことができることだ。この空間内だけでもいい。初めて、復元体になって良かったと心底思うくらいだ」

 「……エルレウスさんは、変わっていますね」

 「いや、ウィルディスもなかなかだぞ?」


 お互いが変わり者であることを言い合い、同時にカップに手を付け、飲む。


 「……エルレウスさんは、望みをあまり言いたくない、ということですよね。僕からは聞きません。ただ、もしかして。シャキーラさんだけでなく、魔主人マギカルナ様にも伝えてないのですか?」


 「勘がいいな。特には急ぎで聞かれなかったから、実験が終わるまでに伝える、とのことで合意した。契約書が無いからわからないが、もしあったとしたら、自分の契約の対価は空欄のはずだ。あまりにも高次元の存在過ぎて、自分のこれまで携わってきた契約とは、形式がずいぶん違うだろうがな。保証金制度があることも、今回知って驚いた」


 「……やはり。先ほどのシャキーラさんとの様子で推測しました。あなたも生き返ることが目的ではないんですね。そして、もしかして、標本体になるためには、何か条件があるのでは?」

 「なぜ、そう思った?」

 「……これも石の力なんでしょうね。いつもより閃きがいいのです」


蛍石の力。勘を鋭くさせるのか。


 「……僕が標本体として金属プレートを手にした後、魔主人マギカルナ様より聞きました。二人ともずいぶん元の魂が偏っていると。……エルレウスさん、火星適合者ではないですか?」

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