七、二人目の契約者

◆◆◆



 同僚から借りたVR端末を用意し、正午前にホテルでシャキーラを待つ。


 ステラミラが興味を示すとは予想していたが、外に持ち出すとは。


 外は宇宙なのか、別の世界なのか、計り知れない。

 最初に見かけたのは、ステラミラの実験室のような場所だったと思う。

 透明球ガラスドームがどこに管理されているのかすら、自分は把握できていない。


 会社に不具合のパターンが出たから予備があれば貸して欲しい、と申し出て、VR端末を二個借りていた。

 不具合のパターンを記録すること、貸出分は通勤や就業中以外の時間で失くしたら何割か自己負担分が発生すること、などを書面にして貸出てもらっていた。

 記録内再生、いつの記録、あるいは未来?


 

 さて……うまくいくだろうか。



◆◆◆




 今朝はよく晴れている。

 青い空の中に、ポツンと白い月が見える。

 ……月?


 透明球ガラスドーム内で月を見るのは初めてだ。

 久しぶりの上弦の月を見て、今日やることを考える。

 出来るだけVR端末を標本候補者に近付ける。これしか思い付かなかった。


 朝食を済ませ、早めに現場へ行く。

 標本候補者がいる場所はトーワンビル八階だ。

 ステラミラが住所を読み上げた時、そこだけ聞き取れた。X Y Zの座標が一致したとでも言えばいいのか。高さのある場所だったから、たまたま翻訳されたのかもしれない。何度か通りすがったことがあった場所だ。


 土曜日にここのビジネス街にいるとは、確実に仕事で来ているはずだ。

 

 正午、とシャキーラが言っていたから、その時間の前に火災に巻き込まれて亡くなり、残留思念として蘇ったのが正午ということだろうか。推測が多い。


 現場に自分が行けば、これから起こる火災に巻き込まれる可能性があるな。あまり長くは居ない方が良さそうだ。

 ビル内が観察できる場所を探す。双眼鏡は持っている。

 ちょうど向かいのビルの一階がコンビニになっていて、入りやすそうだ。


 土曜日のためか、コンビニ内はゆったりとした雰囲気がある。甘くないタイプのチョコレート菓子と、コンビニ内でドリップされたコーヒーを買い、イートインスペースで休憩する。

 チョコとコーヒーの香りが鼻に抜ける。カフェインの相乗効果でぱっちり目が覚めてきた。

 しばらく人の出入りする様子を見る。正面扉は開いてるようだ。ビルの清掃員、宅配業者が入っていたから、自分も入れるかもしれない。


 コンビニを出て、トーワンビルの正面に回る。オートロック付きの玄関か。暗証番号がわからないから入れないな。集合ポストがあるとこを見ると、入らない大きな荷物は、宅配業者が中に入れてもらって運んでいるのだろう。

 八階のポストを見る。ポストに会社名が書いてある。他にポストが無いので、八階はワンフロアが丸々ここの会社のようだ。郵便物のようにクッション入り封筒に入れたVR端末を投函する。少しはみ出して口から出ている。


 このまま出勤時に、誰か持って行ってくれれば良いのだが。


 勝手口へ回る。こちらはオートロックではなく、階段を上がって入れるようだ。

 オートロックの意味とは。結構こういうマンション多いけれど。


 八階へと階段を上がり、階段の出入口のドアノブを回す。鍵がかかっている。一つ階を上がり九階へ行く。階段出入口のドアノブを回すと、そのまま開いた。九階の廊下へ出る。電気は点いていない。


 ……清掃員が掃除してる途中で、九階だけ開けてあるのかもしれない。途中階を開けておくと聞いたことがある。廊下を出てすぐのところにトイレがあるから、水場を確保できるのだろう。一つ上がるだけで済んで良かった。

 エレベーターに乗り、八階へ降りる。八階は電気が点いている。……見えた。

 

 そのオフィスは、土曜も仕事があるためか、何人かの人がいる。オフィス内に電気を点けて、カメラなどの機材を持っている。

 ……撮影か?カメラマンらしき人が、撮影したデータを、担当者に渡しているようだ。

 他に何か手がかりがあるか見ているが、禁煙らしくタバコを吸う人もいないし、このビルは飲食店があるわけでもない。


 ……本当に火災が起こるのか?


 とりあえず、できることをやっておこう。持ってきた鞄から、VR端末を取り出し、電源を入れる。特に変わりはない。これを該当者に直接渡せれば一番良いのだが。

 ケースにしまい、オフィスの隅にでも設置出来ないか考えあぐねてると、オフィス内の人が気付いて、見に来たようだ。


「……どうされましたか?」


 さて、どう誤魔化そう。とりあえず、アポイントがあるふりをしてみる。


 「すみません、本日お約束をしたのですが、担当の方はいらっしゃいますか?」

 名刺を渡して名乗りながら、ニセの約束を申し出てみる。


 「……少々お待ちください」


 そう言ってオフィス内に戻り、誰かに確認をしている。


 「……今日はこの後の時間、お約束が無いとのことです。もしかして、階をお間違えではないですか?たまに上の階の会社と間違われるのです」


 他にも撮影する会社があったようだ。

 なんとか誤魔化せた事に安堵する。


 「ありがとうございます。上の階へ行ってみます」


 そう言って踵を返す。とりあえずエレベーターで、九階へ行った。オートロックの扉をどう通って来たのかは聞かれなかった。セーフ。本来なら、チャイムを鳴らして開けてもらわなければならない。それとも、意外と勝手口から入ってくる人多いのか?ありそうだ。


 ……記録の再現だから、細かいことは気にされない、という可能性あるな。それなら、堂々とVR端末を置いてきて良かったか。


 VR端末は、今鞄にある二つと、この会社のポストに投函した分、ステラミラに貸した分の四つ。内訳は元々自分が持ってた分、会社に借りた分、同僚に借りた分だ。

 ちょっと借りすぎたかもしれない。


 九階は空きのフロアか。さっきは気付かなかったが、今日は休みではなく、元々空きだったらしい。何とは無しにドアノブを回す。

 開いた。

 中は床に灰色のカーペットが敷き詰められたスペースになっている。端にダンボールが並べて立て掛けてある。このビルの物置にしてるのか。それにしても管理が杜撰だ。勝手に入られて、誰かに火を点けられたら危ない。


 ……火?


 なんとなく想像がついた。誰かがここに入ってくる。そして、火を点ける。例えば誰かが煙草を吸って、始末が悪かったとか。そして、このフロアが燃えた。


 しかし大抵は下の階には燃え移らないはず。何か、燃えやすい物があったのか?

 部屋の外にバルコニーがある。出てみると、下の階のバルコニーの端に、何か道具を立て掛けてあるのが見えた。

 撮影で使わない物を一時置き場にして、そこに上からの火が点いてしまった。推測だが、可能性としてはありそうだ。

 

 ため息が出る。

 そうだ、バルコニーがあるなら、上からVR端末をビニル紐を使って下ろせば、下のバルコニーに着くな。


 現場のビニル紐で早速やってみて、着いたら紐を持ってきたハサミで切った。ばれた様子は無い。端の方の荷物の陰を狙ったから、大丈夫だったようだ。


 フロアから出て、エレベーターで降りる。正面扉から出て、忘れずにポストからはみ出している郵便物ーーVR端末を入れた物ーーを抜いた。これで忘れ物無しだ。

 

 セッティングはできた。あとは候補者次第だろう。ホテルに戻り、シャワーを浴びる。もう少ししたら、ホテルのロビーでシャキーラを待つか。




◆◆◆

 


 〈お待たせニャ!そろそろ残留思念が出てるはずニャ〜〉


 躑躅つつじ色の物体が、ホクホクした顔でホテル入口に現れた。いろんな匂いがする。マタタビの匂いを、魔導的に変えたのだろうか。


 〈あ〜、ほんとニャイスニャ!あの店は大当たりニャん!いい区域に当たったニャ〜ん!〉


 完全に酔っ払ってる猫だ。 


 「その様子で案内できるのか?」

 〈お仕事はきっちりやるんで大丈夫ニャ!お任せあれニャ!〉


 すっかり語尾を使いこなしている様子からも、仕事はきっちりやる派なんだろう。

 

 〈その前に、これを振りかけるニャ!一応念のため、ニャ!〉


 そう言って、金色の粉を振りかける。今までと香りが違う。新しい香りで、気分上々、さあ、最高の正午を始めよう!


 「ふふふ、冒険はこれからだ!」


 〈……ちょっと効き目が強過ぎたニャ〜〉


 シャキーラの後に続いて、トーワンビルへと向かった。


 上弦の月が輝いて見える。

 空は今日も美しい。

 鳥たちはさえずり、生きている喜びを歌っている。

 ミュージカルだ。

 くるりと回転し、スキップしながら横断歩道を渡る。思わず鼻歌が出てくる。


 〈……現場を見ることで起こる精神的負荷を考えると、間違ってないニャ〜。ちょっと効き目が強過ぎたのをかけちゃっただけニャ〉


 シャキーラがぶつぶつと何か言っている。

 そうこうしているうちに、現場に着いた。


 トーワンビルの周りには人だかりと、消防車と、救急車がいた。火は見えない。煤けた臭いが漂い、白い煙が見える。消火活動はまだ続いているようだ。

 梯子車が昇り、バルコニーから誰かを連れ出す。誰かは、見えないように隠されて、救急車へと運ばれる。


 そしてーー。


 ふいに耳がキーンとし、周りの光景が変わった。




◇◇◇




 『端末が必要』


 標本体のいる透明球ガラスドームを覗きながらひとりごちた。

 VR端末を調べるついでに、中を覗いてもが中から見えないよう、[月]を利用して観察できるようにした。


 『借りたこれも利用できる。そろそろ、行くか』


 中に入る前だと、個体と会話ができない。始めは念話を試みたが、魔元素マギアスティに個体が元々慣れてないせいか、うまく意思疎通が出来なかった。考えることが直接届くのだが、塊のような意思が投げられてるようにぶつかってくる。わかりやすいが翻訳するのに非常に疲れる。


 n次元の干渉波の解明を考えると、この程度難なくこなさなければならないのだろうが。干渉波はなにものかの意思だ。これまでにない、初めての言語。別の星系の、もしくは別の宇宙の、あるいは別の世界の言葉。

 

 ……この星系にだけ、魔元素マギアスティを施さなかったのは、旧管理者だと考えていたが。


 ふぅらるぅと呼気。


 透明球ガラスドーム内に入り込むために、私の魔導を制限する。小さな透明球の素を作り、そこに制限した魔導を吹き込む。球の形が変わる。繊細な扱いを伴う業だ。私以外には難しいだろう。


 予想と結果が異なるからこそ、原因を探求する。まだまだ個体が必要だ。


 私自身を小さくして、透明球ガラスドーム内に入った。




◆◆◆




 人だかり、消防車、救急車、煤けた臭い、白い煙。

 全て消えてしまっていた。


 〈残留思念として蘇ったニャ!復元体まではきたから、この後ニャ!〉

 

 隣でシャキーラが騒ぐ。

 ……どこにいるのだろう?標本候補者が見当たらない。

 救急車があった位置を見ても何もなかった。


 〈死を理解する前に、回収しないと戻せないニャ〜!今日は見るだけニャン!〉


 二度目の死を迎えると、もう記録データを再現できなくなる。複製保存バックアップは不可、ということらしい。


 ……もし自分が複製されて、何人も標本体として存在したら、怖過ぎる。

 その機能は無くて良かった。

 シャキーラの後に続いて、なんとなく付近を捜す。見付からない。


 自分の時は、進んでいた場所に移動していた。


 土曜に、仕事でトーワンビル八階へ来て、次へ行くところ。オフィスの人間だとしたらそのまま中にいて、作業の続きをするだろう。オフィス外の人間だとしたら?一旦お昼に出るかもしれない。とりあえずオフィス外の人間だと仮定して、近くの定食屋に行ってみた。

 暖簾をくぐるとーーカウンターに座る男性の前に、ステラミラが立っていた。

 男性の表情が変わる。

 そしてーー

 突如、炎に包まれた男性は、叫びながら、ごろごろと転がり出した。しばらくして、動かなくなる。


 ――?


 何か、心がざわりとする。波立つものが溢れようとしている。だが、今、楽しくて幸せで、この世界は喜びに満ちている筈だ。なのに、苦しい。ここに居てはダメだ。ここに来てはいけなかった。気付いたら店の外へ出ていた。鼓動が速まって治まらない。


 〈……多めに振りかけるニャン〉


 そう言って、シャキーラが金色の粉をキラキラと振りかける。

 ゆっくりと鼓動が落ち着き、だんだん眠くなってきた。


 〈……ちょっと寝ていた方が良いニャン〉


 とろり、とろりとコーヒーにミルクポーションが混ざる様子が頭に浮かび、そのまま瞼を閉じていた。



✴︎✴︎✴︎



 たくさんたくさんコーヒーを飲む。

 ミルクは?砂糖は?

 それとも生クリームをかける?

 とびっきりの蜂蜜は?

 やっぱりブラックがいい?

 こっちの豆は試した?

 浅く煎る?深めにする?

 カフェ・オ・レにする?


 次から次とキリが無いくらい、香りの違うコーヒーを、さまざまな模様が美しいカップに注いで、どんどん飲み干していく。


 美味しい?こっちはどう?

 ビスコッティは付ける?

 エスプレッソは好きじゃないのよね?


 誰だろう、と思ってたら、母の声だった。


 なんとなく、自分が先に死んでごめん、と呟く。

 でも、素敵な素材の石を見付けたんだ。いつか、どうしても、必ず描きたい青い蒼い石。手に入れたら、見せてあげたいよ。


 そう。じゃ、必ず手に入れて、見せてね。


 うん、待ってて。



◆◆◆



 ゆっくり目を開ける。コーヒーでお腹がたぷたぷに……なっていない。

 あれは夢?こちらが現実?

 標本体も夢だったかな。


 〈目が覚めたかニャ?〉


 宙にシャキーラがふよふよ浮いている。

 あいにく、こちらが現実だったようだ。


 〈やっぱり刺激が強過ぎたようニャー。先見の明で、粉を振りまいて良かったニャン〉


 どうやら自分が動揺し、シャキーラが眠らせたらしい。


 〈二人目の標本契約ができたニャン!新しいお家も手に入ったニャン!魔主人マギカルナサマもお喜びニャンニャン!〉


 すっごくふるふるしている。

 二人目?標本契約ができたのか。


 〈ここはVR端末内の住居の一つニャン。親和性が高く、区域内の再現という定めにも違反しない、都合が良過ぎる空間ニャンよ〜〉


 ……VR端末内の住居にいる?えっと、てことは。


 「開発中の、マンション?」

 〈そうニャン!なかなか住み心地良さそうニャン。悪くにゃいニャンよ〉

 

 確かに、内装や間取りに見覚えがある。

 ファミリー向けの3LDK。

 広々としたリビングは可変式で、ご家族の成長に合わせてお部屋を区切れますーー。

 宣伝文句が頭に浮かぶ。


 〈今日はまだ土曜日ニャン。詳しくはまた、来週の金曜日に話すニャン。今日の分は、月曜日お休みにしておいたニャン。出勤は火曜日ニャンよ。間違えにゃいでニャ〉


 「ええと、日月休み、わかった」


 〈それと、二人目の契約者は隣に住んでるニャ。後で生活について説明しておいて欲しいニャン〉


 じゃあ、そろそろ行くニャンね、そう言って、光りながらシャキーラは消えて行った。



 朝からいろいろあって疲れてしまった。とりあえず、部屋の点検をする。

 間取り通り、写真通り、VR端末で見た通りの部屋が、出来ている。モデルルームはまだ出来ていなかったから、完成された状態で見るのは初めてかもしれない。

 

 玄関のドアを開ける。表札には、エルレウスと書かれた金属プレートが貼られている。


 隣人の名前は何だろう?隣のドアを見ると、[ウィルディス]と書かれた金属プレートが貼られていた。


 炎から蘇った標本体。

 どんな人物何だろうと思っていると、玄関のドアが開いた。


 定食屋にいた男性。目の前で炎に包まれた人。



 「……名刺をくれた方ですね」



 トーワンビル八階のオフィスで、名刺を渡した相手だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る