四、標本契約
小さい頃にアラジンと魔法のランプを読んだ時、アラジンは魔神になぜすぐに願い事を言ったのか、と不思議に思っていた。
ある程度大きくなってから……願い事の範囲や条件に制限は無いのか、それが気になったのだと気付いた。
たとえば、死者を生き返らせることは?
あるいは永遠の命を求めることは?
世界を統べることは?
魔神よりも強い神を呼び出すことは?
アラジンと魔法のランプはアラビアン・ナイトの中の一つである。王様に献上された女性のシェヘラザードが命乞いのために、一夜につき一つずつ王様にお話を聞かせるという、千夜一夜物語の中の一話だ。
全体的に金色に輝いていて、他の絵本よりも彩色が美しく、細かいところまで宝石や剣が描かれ、アラビアンの世界が味わえる。何度も読み返した本だ。就職する時に一人暮らしを始め、実家から持ってきたものの一つだ。
そこまで意識を飛ばして、はっとした。
今、魔導士ステラミラの使い魔のようなシャキーラが迫るこの標本契約も、誰かの物語の中のようだと。
自分は物語の中の一人、そう考えるとするりと言葉が出ていた。
「わかった。標本契約をする。標本名は任せる」
〈アッサリと決まったニャ〜。喜ばしいニャ!そう、難しいコトを考えても無駄ニャ。低次元の存在が把握できる事柄では無いニャ。受け入れて実験標本となるのが良いニャ〉
「協力したら、なんでも願いを叶えてくれるんだろ?」
〈その通りニャ!なんでも叶えるニャ!
では、早速契約といくニャー!〉
そうシャキーラが言うと、
歩道橋の高さくらいになったシャキーラは、口を大きく開けた。
〈この中に入るニャ!〉
さすがにためらわれたが、すぐに手を差し出され、手に乗ると口元に運ばれた。肉球がぷにぷにして気持ちが良い。
開かれた口の中は、夜空のようだった。
暗い中に星々が明滅している。
……宇宙?
〈
口を開けたままで器用に喋るな、と思ったら、気になることを言う。
創られた。誰に?何に?
〈中で、自分の標本名を見つけてくるニャ。光って、満たされたら戻るニャ。では、いってらっしゃい〜〉
一気に吸い込まれて、シャキーラの口の中の宇宙空間もどきに落ちていった。
◆◆◆
結構な高さを落ちる。
落下の感覚がしばらく続いたと思ったら、上下左右に回転しながら、水の中を漂っているような気がした。苦しくはない。目も回らない。自分の肉体のはずなのに、乗り物に乗っていて、内側の自分は操縦席から見ているような気分だ。
……本当に、夢ではないのだろうか。
夢にしては、想像力の限界を超えている感は否めない。
が、先日仕事で少し説明を受けた、新しい企画の話を元に生み出された、自分の妄想を夢で見ているのかも知れない。
先日説明を受けた新しい企画は、いわゆる不動産のVR内見についてだ。従来の一棟マンションの一室だけでなく、複合型マンション群を街としたニュータウン全てをVRで見学する。仮想空間の住処を街と共にそのまま体感できる。
それだけではなく、仮想空間にAIコンシェルジュを置き、部屋の空調、照明、花粉やハウスダスト、家電、玄関の虹彩認証など一括管理をアプリなどで行えるサービスもある。
さらに管理会社との連携で、火災報知器や排水溝の詰まりなども確認出来、対応が容易になるシステムもある。それはそのまま現実の住居にも適用される予定だ。
営業として今後必須だとアプリを入れた端末を支給され、操作の練習をし始めたところだ。
VR空間で空を見上げると、先程いた
そういえば、端末の入った鞄はどうしたか。轢かれた時に壊れただろうか。
やはりあの交差点で、車に轢かれ、死にかけて見ている走馬灯か。
現実の自分は病院のベッドの上で寝ていて、何やらものものしく医者と家族に囲まれているのかも知れない。
とりとめもなく考えている内に、ぐるぐる回転しながら漂う体は、光る星の一つに近付いていた。大きさは両腕を広げたくらいで、楕円形だ。ほの青く光る様子が、青いLED照明のようだ。あの青い光で育てる植物キットも、VR空間の中の部屋に置いてあったはずだ。
触れるくらいの距離に近付いて見ると、表面は細かい気泡のような粒がいっぱいある
……触ったらひんやりしてそうだな。
そう思って手を伸ばした。回転が止まり、両手を星に当てた状態で体が止まる。
両手がほの青く光っている。表面は予想と違ってほんのり暖かい。
どこから光っているのか、光源を確かめようと窺うと、手が星の中へ入った。何の抵抗も無くするりと両手が入り、中心辺りで固いものを掴む。取り出すと金属のプレートだった。片腕より短いくらいの長さの長方形。厚みは人差し指の先くらい。角は丸みを帯びて尖りは無い。ほの青い光を反射しているが、銀色の光沢のある素材のようだ。
……マンションの表札みたいだな。
いくつかある表札のカタログから、似ている商品を思い出す。423-86の型番のシンプルなタイプに近い。どこかに番号が小さく掘られているかも知れない。裏も表も丁寧に見出すと、プレートの中心に光るものが表れた。何かの模様か刺繍を組み合わせたような、古代文字のような。そう、文字かも知れない。
表札に文字だとしたら、誰かの名前のはずだ。
もしやこれが、自分の標本名か?全く読めない。
「標本名が読めないんじゃ、標本契約できないじゃないか」
呟くと古代文字が光りながらうねうねと蠢き、溶けてくっ付いたようになる。
【標本名:エルレウス】
えっと翻訳されたのか?それにしても、何科の何目の〇〇、のような昆虫標本で見かける分類を予想していたが、単に自分はエルレウスになるらしい。
「標本名エルレウス。これで契約できたのか?」
光って、満たされれば戻る。光る星のところで、何らかの条件を満たしたはずだ。
〈満たしたかニャ?それでは戻すニャ!〉
シャキーラの声がする。これから口から戻されるのだろう。
◆◆◆
自分の望みは今のところ、生き返ることではない。
魔導士ステラミラより上位の存在。神や悪魔と呼ばれる存在。あるいは、物語の作者と呼ばれる存在。
この世界を作ったものに会ってみたい。
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