第4話

 かつて中原は地上の楽園であった。

 そこでは、三十六の門と十二の塔によって世界の秩序が保たれていたという。

 いったい何が起こり、どのようにして、それらが失われたのかは記録が残っていない。

 そもそも門や塔と言うが、それはそのまま建造物のそれであろうか。それとも別の何かを指す隠語なのであろうか。

 失われた楽園。それがどのようなものであったのかは今ではうかがい知ることができない。

 ただ、人々の間で永く語り継がれてきた言い伝えがある。

 蠍の心臓が二つになり、天空の扉が開くとき、世界は新たに動き始める。そのとき八人の炎の御子が現れ、その者どもが群炎となって、再び三十六の門と十二の塔をよみがえらせるであろう。群炎どもは相並び立てず、競い合った末に、最後の門と塔を手中に収めたものが、この中原の新たなる王になると。


   烈に燕舞う


 今や、広大な中原の多くが乾いた赤土の大地と化していた。

 乾いた赤土の大地。人々はそれを赤蛇蠍と呼び、忌み嫌う。

 少しでも隙を見せるとそれは、それ自体がまるで生き物ででもあるかのように、残された緑ある土地をも呑みこまんとするからである。

 中原の西と北は山脈によって遮られ、東と南には大海が広がっている。南北よりも東西の方が幾分長い、辺が弓なりに膨れた大きな長方形。それが中原である。

 この地では水がすべてに優先する。

 東方の海に向かい、西から東に蛇行しながら河は流れる。

 北より順に、緑河、赤河、蛾江、南貴江の四つの大河。さらにその氾濫の歴史から生まれた湖沼が、中原のいたるところに点在している。

 また中原の北にある、雲を突く崑崙山脈の悠久の氷河からの雪解け水が地中に潜り、伏流水となったものが思いもよらない遠方の地で地中の岩盤にぶつかって、地上に湧き上がっている場所もある。

 緑ある地は、そのような水の恵みのある場所に限られていた。そしてまた、人々が生きてゆけるのもそのような土地でだけである。

 今や、中原の秩序は乱れ、多くの土地は荒廃し、その中でかろうじて残る緑ある地に、巷の噂では百国とも二百国とも言われる国々が乱立していた。

 しかしながら、そのように国は細かく分かれたといえども、そこで暮らす庶民たちは一様に、一日でも早く言い伝えの炎の御子たちが現れ、自分たちの住むこの世界を、ふたたび地上の楽園に戻して欲しいと切に願っていた。

 そしてその兆しは、中原の北西にある国、烈において見え始めていた。


 烈の中原における位置を説明するには、その隣国の馬国を持ち出したほうが分かりやすい。

 中原の北西の角にあたるところが馬国である。

 馬国はそんな辺境と言ってもよい位置にあるにも関わらず、中原に暮らす人々から世界の中心と呼ばれていた。それは馬国が、ある意味奇形の国であることに起因していた。国の権力も経済の中心も大きくふたつに分かれている。ひとつは「マ」の総本山とされている龍谷山晨鶏寺とその末寺を含めた千五百に及ぶ寺院勢力に。そしてもうひとつが「マ」と同じく古から連綿と続く王族を中心とする王制勢力に、である。

 その馬国の東隣となる国が烈である。

 当時の烈の西の国境がそのまま馬国の東の国境であった。北はともに崑崙山脈にふさがれた形であり、南は広大な中原へと開かれているが、緑河を過ぎれば次の赤河まで河川もなく、緑河の恩恵にあずかれる土地を過ぎれば、もはや乾いた赤土の大地がどこまでも続くばかりである。

 ただし緑河までの烈と馬国の国内を見れば、崑崙山脈を背負っている地形のお陰で一年を通して充分な降水量があり、さらにその上に崑崙山脈の氷河からの雪解け水の恩恵にもあずかれた。

 そのお陰でこの二国は、今の中原においては珍しく、緑あふれた豊かな国土を有していた。

 烈の東側には、崑崙山脈の裾野から逆さま『く』の字が重なり合うような形で、楠、寧、麓と三つの国があった。その三国は日頃から国土を争って互いにけん制し合い、それぞれの軍隊の鍛錬を怠っていなかった。烈はそのような三国との間に国境を持つのである。油断して隙を見せると、その三国のいずれであろうとも、烈に向かって攻め入ってくるであろう。

 よって烈は、第十四代の王として蘭泉をたて、国外向けには烈一国としてまとまっているように見せていた。しかし内実は十八の有力な豪族に国内を分割され、あたかも十八の国の集合体のようなものとなっていた。そのそれぞれの豪族は我を通すことこそ正義とでもいうかのように、たびたび衝突して、国内のどこかが常に内戦状態であった。

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