第4話

「朝陽ちゃん、おはよう!」

 いつまでもグラウンドを眺めていた私の背後から、元気な声が挨拶をした。振り返ればそこにはクラスメイトの夏希ちゃん。

「おはよう、夏希ちゃん。はやいね。」

「うん、部誌の整理とかしようと思って、朝練と同じ時間に来たんだ。朝陽ちゃんもはやいね。」

「私は、朝練が無いって連絡見てなくて。」

「あはは、それは災難だったねえ。」

 夏希ちゃんは鞄を自分の机に置くと、私のすぐ隣までやってきて窓際の机の上に腰かけた。その席は多分、彼女の友人の席だったはずだ。きっと怒られはしないだろう。行儀は良くないけれど

 隣で、私より幾分か長い髪が風で広がる。私より長いけれど、玲香ほどは長くない髪。風に靡く様子に、私の視線はそこに縫い付けられた。

 絵になるというのは、こういうことを言うのだろうか。彼女が美人だとか、そういうのは抜きにしたとしても、私は今見た様子を、出来るのなら何かにそのままのこしたいと思った。

「吹奏楽部は、朝練してるんだ。」

 夏希ちゃんの声で、私の視線を縫い付けていた見えない糸がようやく切れた。別に疚しいことなんて何もないのに、慌ててグラウンドの方に視線を遣る。そんな様子に、夏希ちゃんは特に気付いていないようだった。

「そうみたいだね。」

「大変だよね。辞めて正解だったかも。」

 そう言う彼女は、中学校では吹奏楽部に入っていたと聞いた記憶があった。彼女はそう、確かトランペットをしていたと言っていた。彼女なら、玲香のしている楽器の名前がわかるかもしれない。

「あのさ、玲香がしてる楽器ってなんていう名前だったっけ?」

「玲香ちゃん?何だったかなあ、オーボエじゃなかった?」

 ああ、そうだ。オーボエ。何度か玲香の口から聞いた気がする。またそのうち忘れるのだろうけれど。学校の中で、一番付き合いが長い幼馴染のことを、まだ知り合ってから一年も経たない彼女に教えてもらったのが、なんだか可笑しかった。

「オーボエか。何回聞いても忘れちゃうんだよね。ありがとう。」

「興味ないと全然覚えられないよね。私も、さつきがラグビーのルール教えてくれるけど、全然覚えられないもん。」

 さつきというのが、今彼女が座っている机の持ち主だ。二人とも同じ中学で、同じく吹奏楽部に入っていた。高校に入って、夏希ちゃんは野球部のマネージャーに、さつきちゃんはラグビー部のマネージャーになった。

「うん、全然覚えられないんだ。」

 彼女の言った、興味ないという言葉が、脳の奥底にずしりと沈んだ。そうかもしれない。私は、玲香のことなんて、何も興味がないのかもしれない。だから、楽器の名前も覚えられないし、玲香のことも何もわからない。幼馴染なんて、そんなものかもしれない。それは、何故だかひどく切なかった。

「あっ、さつきー!」

 窓の外を眺めていた夏希ちゃんが、突然大きな声を上げて両手を振った。視線の先を辿れば、びっくりしたように自転車のブレーキを握るさつきちゃんの姿が見えた。あ、後ろの生徒にぶつかられそうになってる。

 さつきちゃんは、何度かきょろきょろ周りを見回した後、こちらを見上げた。夏希ちゃんがまた大きく手を振る。それを眺めていると、さつきちゃんとふと目が合った。私も小さく手を振っておく。

「びっくりするじゃん!やめてよ!」

「あはは、ごめんごめん!」

「あとで覚えてろー!」

 さつきちゃんはそう言って笑うと、また自転車を漕ぎ始めてすぐに見えなくなった。たくさんの生徒が乗る自転車が流れていく。もうそろそろ教室に人が集まってくるだろう。気が付けば、グラウンドの奥から聞こえていた音は聞こえなくなっていた。

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