第3話

「おはようございます。」

 体育教官室の扉を開きながら、大きな声で挨拶をする。目当ての顧問は、のんきに新聞を拡げてコーヒーを啜っていた。私の声に気付いたようで、こちらに視線が向く。

「先生、部室の鍵が開いてないです。」

「今日は朝練ないぞ。昨日部長から連絡回ってるだろう?」

「え、連絡?」

 そんな連絡は、来ていない。スマホに通知があればランプが光るはずだけど、光ってないのを確認して家を出た、し。

 そこまで考えて、私は昨日のことを思い出した。慌てて鞄の中からスマホを取り出す。ホームボタンを軽く押してみるが、画面は真っ黒のまま、ただの板だ。昨日、電源を落としたきり、そのままだった。通知があろうと、光ってるはずがない。

「すみません、電源落としたまま寝ちゃってました。」

「そうか。まあ、たまには勉強でもしたらいいんじゃないか?」

 顧問は、あっはっはと豪快に笑って、またマグカップのコーヒーを啜った。私は、失礼しましたと一言声をかけて体育教官室の扉を閉めた。

 朝練がないなんて、そう滅多にあることではないのに、昨日と言い今日と言い、いつも通りじゃない日は立て続くようだ。


 ◆


 職員室に立ち寄って受け取った鍵で教室を開錠した。もしかすると、初めての経験だったかもしれない。ミーティングで使った教室の施錠は何度もしたことがあるから、特に困ることはない。勝手は同じだった。

 顧問には勉強しろと言われたけれど、中間テストはちょうど終わったところだし、そんな気にはなれない。かといって、昨日十分すぎるくらいに睡眠を摂ったし、朝食もきちんと食べてきたから、やることがない。

 私は、どうしようかと散々迷った後、ひとまず締め切られた窓を開けることにした。ギギと錆びた音がする。右手に力を入れてグッと引いてやれば、窓は案外素直に開いた。カーテンが、冷たくなってきた風に押されて広がる。カーテンの裂け目に取り残された私の短い髪も、カーテンと同じように靡いた。

 プオーと、少し遠くで音がした。窓の向こう、グラウンドのもう少し奥の方。吹奏楽部の部室があるところからだと、すぐにわかった。グラウンドに誰もいないあたり、今日はバスケ部だけでなく他の運動部の朝練も無いようだった。それでも、吹奏楽部の朝練は欠かされない。ある意味運動部よりも体力が必要だと、玲香が言っていたのを思い出した。

 玲香もあそこにいるのだろうか。あまり共通点が無い私たちだけれど、部活に対して真面目だというところはそっくりだった。きっと、彼女もあの音のする部屋の中にいるはずだ。

 玲香のしている楽器は何と言ったか。音楽のことは詳しくない私でもわかる楽器とは違ったはずだ。リコーダーのような、でも少し違う、そういう見た目の楽器だった。玲香が楽器を演奏する姿は、私はあまり見たことがない。中学の文化祭と、運動会の時くらいだった。演奏会をいろいろしていたと思うけれど、いつも練習や試合と日程が被って行ったことはない。玲香も、私がバスケをしてるのを見るのは、体育の授業の時くらいだったと思う。

 仲の良い幼馴染でも、そんな程度だ。漫画なんかでは、「幼馴染だから何でもわかる。」みたいな台詞がよく登場するけれど、わかるわけがない。むしろ、何もわからない。だって、私と玲香は別の人間なんだから。

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