絡繰舞台・捌


 ぱちんという音がして目の前が暗転した。


「なんだ?」


 三毛縞ははっと目を見開いて周りを見る。暗がりでなにも見えないが、誰の気配も感じない。


「鴉取!」


 舞台上にいたはずのリリの姿は忽然と消えており、友人の名前を呼んでも返事はなかった。


「一体なんだここは……」


 つい先ほどまで自分は舞台で踊るリリを見ていたはず。

 なにも変わったところはない。一体何が起きたのか。訳がわからず呆然と立ち尽くしていると、舞台に灯りが灯った。


『さぁさぁ、寄ってらっしゃい。見てらっしゃい。我ら愉快な露草一座。貴方を夢のような世界へお連れします』


 頭の中に聞こえてきたのは軽快な少年のような声。

 舞台に立つのは絡繰人形。二十以上の人形たちがずらりと一列に並び、頭を下げた。


「なんだ……これ」


 三毛縞の口から思わず声が漏れた。

 目の前で人形たちが話し、動き芸を見せている。時には曲芸を。火の輪を潜り、小刀を投げたり、踊って見せたり。

 それはまさしく先ほどまで三毛縞が見ていた見世物小屋、露草一座の公演そのものだった。

 彼らの背後に黒子の姿は見えず、まるで人形たちに命が宿ったかのような動きを見せていた。そして芸が成功するたびにどちらからともなく拍手が沸き起こる。その場にいるのは三毛縞ただ一人だというのに。


『我らが一座が花、蛇女リリに負けない演目を私たちがお見せいたします』


 司会役の人形が告げる。

 その瞬間、ああ、と三毛縞はこの怪異の正体がわかったような気がした。彼らはきっと——。


「君たちの芸は本当にすごいよ」


 三毛縞が舞台上に立つ人形たちに拍手を送ると、彼らは嬉しそうに微笑み頭上に伸ばした腕をきれいに弧を描き胸元に当て一礼をしたのであった。


 それは本当に目を奪われるほどに素晴らしい、幻の演目だった。


 

「——ミケ」


 聴き慣れた声が耳元で聞こえ、三毛縞ははっと目を覚ました。


「——あ、とり」


 隣には鴉取が立っていた。そうだ、彼は確か舞台裏にいたはず。

 そこでふと周りを見回した、あれだけたくさんの客で溢れていたはずの客席は既にもぬけの空になっていた。


「他のお客さんたちは」

「皆帰った。舞台が終わってもう二刻は過ぎた。君が最後に戻ってきたんだ」

「……うそ、だろ?」


 信じられない、そんなに時間が経っていただなんて。三毛縞は恐る恐るポケットに入っている懐中時計を取り出し、時間を見て驚いた。確かに舞台が始まってから既に二刻が経とうとしていた。


「よかった……ミケちゃん先生だけ帰ってこなかったらどうしようって」


 鴉取の傍にいたリリが泣きそうな顔で安堵の息をつく。

 よく見ると三毛縞を囲むように一座の団員たちが心配そうな表情を浮かべており、座長の露草もほっと安堵の表情を浮かべているではないか。


「一体何があったんだ」

「リリの出番が始まってすぐ、客席にいた人間が全員消えた。三毛縞、君も含めてだ」

「……そうだったのか」


 では、自分が見たあれは夢ではなかったのだとちらりと舞台に視線を向けた。


「絡繰人形を見たのだろう。あの舞台で」

「ああ」


 鴉取の言葉に三毛縞はゆっくり頷いた。


「客が全員消え、私たちもあの演目を見た。彼らの仲間たちのなんとも愉快な絡繰舞台をね」

「あれは一体なんだったのでしょう……私が作った人形たちがお客様たちに悪影響を……」


 露草は罪悪感に苛まれた表情を浮かべている。

 無理もない、自分の作った作品が怪異を起こしていたのだから。だが、あれからは悪意というものを感じなかった。


「座長殿、彼らは悪い怪異ではない。貴方が責を感じる必要はない」

「ですが……」

「思いを込め作られ、愛用された物には魂が宿るといわれています。それが、この怪異の正体」


 鴉取は紅目を細めて言葉を続けた。


「座長殿、貴方は邪な気持ちであの人形たちを作ったので?」

「い、いいえ。あの人形を見た人をあっと驚かせたかった。色々な人を喜ばせたい一心で作りました」

「そう。彼らは貴方のその気持ちを受け取った。そして、一座の仲間と様々な地を旅する中で彼らに魂というものが宿っていった」


 鴉取は誰もいない舞台を見つめる。


「彼らもまた一人一人の芸人。誰も傷つけるつもりも、驚かせるつもりもない。ただ、楽しませたかっただけ。座長殿の客人を喜ばせたいという願いが彼らに宿り、それが怪異となり客を消し、幻の演目を見せた」


 鴉取は微笑ましそうにそう説明した。


「じゃあ、なんで私が出番の時にいつもお客さんが消えていたの?」

「君が怪異に取り憑かれているから同調させやすかったのだろう。ああ、あとは君がここの花形なのは皆知っているからな……同じ芸人として嫉妬のようなものがあったんじゃないか? 彼らは君より素晴らしいものを見せる自信がある、と」

「……なぁに、それ。後で文句いっておかなきゃ。やるなら正々堂々勝負してって」


 鴉取の言葉にリリはあっけらかんとした表情で笑った。

 怪異の正体が分かり、決して悪いものではなかったと知った彼女の表情は明るいものになっていた。

 そうしてリリの依頼は無事に終え、今日の舞台は無事終演を迎えたのであった。


 見世物小屋の倉庫では、人形たちが一仕事終えたような穏やかな表情で眠っていた。


 仕事を終え、外までリリが見送りに出てきた。


「ありがとう。クロウ。助かったわ」

「お前の頼みだからな。だが依頼料はたんまりもらう」

「わかっているわ、今度座長さんとお礼に行くから」


 ふっと、微笑んだリリが鴉取の頬に唇を寄せた。

「そんなものでは負けないぞ」

「わかっているわよ。これはただのお礼よ」


 異国ではよくみる挨拶だが、その雰囲気は妙に甘ったるくみているこちらが恥ずかしくなる。三毛縞は思わず咳払いをして視線を逸らした。


「僕の前では、そのやめてくれないか」

「なんだ。君の母国の挨拶だろう」

「ふふ、本当にミケちゃん先生はウブなのね」


 くすくすと笑うリリと別れ、鴉取たちは帰路についた。


「そういえば鴉取、今日は食い損ねたみたいだけどよかったのか?」


 歩きながら三毛縞は鴉取の左腕に視線を下ろす。

 今日、鴉取は食事にありつけていない。骨折り損のくたびれ儲けだったのでは、と心配になる。

 だが、鴉取は満足げに微笑みながら天を仰いだ。


「いいや。いい舞台だったよ。満足だ」

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