3.ありがとうございました

さあさあ、日も沈んできたねえ。それでも僕たちの仕事は終わらない。飛行機はいつでも飛んでくるからね。お客様には今ここが、たとえ夜中の二時だって関係ないからさ。疲れないようにみんなは交代で仕事をしてるよ。パイロットがいねむりしたら大変だからね。何年か前にあった飛行機事故、覚えてるだろ。あれからちゃんとこまめに休憩をとるようにって偉い人から言われるようになったんだ。ただし僕の代わりだけはいないからね。だって僕はたくさんの言葉が話せる空港の何でも屋だからさ。まあ、タイミングをみて休むって感じだな。そうだね。今日は朝から働いてるし、そろそろ休憩にしようかなあ。

 おっと。おやおや、あそこに困っていそうなお客様が一人。まだ何でも屋の一日は終わらないみたいだ。もうちょっと僕に付き合ってね。

「お客様、どうかいたしましたか」

 そう声をかけると、おろおろと歩き回っていた女性はちらりと僕を見た。その顔は真っ青で、思わずなんて声をかけようか迷ってしまう。

「私のトランクがないんです」

 僕が迷っている間に、女性の方から事情を説明してくれた。空港の中を見て回っているうちに、自分のトランクではないトランクを持っていたらしい。人と物であふれる空港。荷物の取り違えはよくあることだ。この女性が話している言葉は遠い北国の人かな。たしかここまで飛行機で十数時間ぐらいするんじゃないだろうか。

「大切な、本当に大切なものが入っているんです。お願いします。探すのを手伝ってください」

 女性は涙をこぼしながら深くおじぎをする。僕は女性の肩をそっとたたき、優しく声をかけた。

「私はこの空港のスタッフです。もちろん、お手伝いしますよ」

 僕の言葉が自分の国の言葉だと気が付いたのだろう。女性は驚いた顔をして僕を見た。

「私は、たくさんの言葉を話すことができる空港の何でも屋です。あなたの国の言葉だって話せます。さあ、ベンチに座ってください」

 女性はほっと安心した顔をしてベンチに座った。遠いところから来た人は、僕が話す自分の国の言葉だけで安心することがよくある。ひとりで知らない言葉の中に飛び込んで、心の奥深くではずっと緊張していたのだろう。女性はずいぶん落ち着き、ゆっくりとトランクをなくしたときの出来事を話しはじめた。

「私、今日の午後にこの空港についてから、ずっとここにいたんです。お店を眺めたりいろんな人をみたり。ずっとトランクを持っていたんですが、どこかで取り違えてしまったみたいで、気が付いたら私のではないトランクを持っていたんです」

「ちなみに、その中身とはなんでしょうか」

 聞いてしまった後で、すぐに失敗したと気が付いた。女性は困った顔をして首を横に振る。言いたくないところを聞いてしまったようだ。

「すみません。無理に聞きたいわけではなくてですね」

 女性は小さく、ごめんなさいと頭を下げる。

「えっと、なぜこの国に旅行に来ようと思ったんですか? 一人旅ですよね」

 トランクの話とは全く関係ないけど、今の僕にはなんとか話をつなげることしかできなかった。

「両親や、友達には黙って来ました。言ったら絶対反対されると思ったので」

 まずいぞ。どうやらこれもあまり話したくないようだ。あーとかえーとか言ってみるけど浮かんでくるものは言い訳ばかりで、僕は口を閉じた。気まずい沈黙が僕と女性の間に流れる。

「あ、えっと、そのトランクはどのような形ですか。例えば、あれとか」

 僕は気まずい沈黙を振り切ろうと窓の外を指差した。外では、荷物係が飛行機に積む荷物を台車で運んでいる。空は星空だが、飛行場にあるたくさんのライトで荷物の色、形まではっきりと見えた。

「あ、いえ、私のはもっと小さくて例えば……」

 トランクを探す女性の指が、ぴたりと止まった。ちらりと彼女の横顔を見ると、彼女の顔はみるみる笑顔になっていった。

「あれ、あれです私のトランク! 間違いない」

 彼女が指差す先には、さっき僕が指差したのよりも小さい茶色のトランクがあった。荷物係に運ばれる台車の上に乗っかっている。おいおい。どうすればいいんだ。

 黙り込む僕を見て、女性もトランクが外の台車に乗っている意味にようやく気付いたらしい。女性は出会った時と同じような青い顔に戻った。

「このドアから外に出られますよね」

 僕がためらっている間に、女性は今にも飛行場に飛び出しそうな勢いで近くのドアに飛びついた。確かに、それは飛行場へ続く避難扉だった。普段は絶対に開けられない。でも、必死な女性の姿を見ているうちに考えが変わった。お客様の願いをかなえるのが何でも屋の仕事だ。

「僕が行ってきますから、ここで待っててください」

 女性の答えは聞かずに、僕はひとり、飛行場に降り立った。夜の飛行場は窓の中から見るよりも明るい。むしろ、明るすぎる光で目も開けられないほどだ。薄目で荷物のありかを確認し、僕はそこまで全速力で走った。

「ちょっとそこの人待った!」

 僕は、今にも荷物を飛行機に積もうとしていた荷物係の前に立ちふさがった。ムキムキの筋肉に、きらりと光るサングラス。その姿だけで僕はもう逃げ出したくなった。

「どいてくれ。仕事ができないだろ」

 荷物係はとても低い声でそう言い、僕を押しのけようとする。

「ま、まって。その茶色いトランク、ほんとは違う人のものなんだ。お客様が間違えちゃったんだよ」

 必死に説明するが、荷物係は首を横に振るだけ。「荷物係は、たとえ何があってもお客様の荷物をほかの人に預けたりしない」と、言っていることも、もっともで言い返せない。

「どうすればいいんだあ」

 頭を抱えて座り込んだ、その時だった。

「おい、お前、それをどこで」

 今まで全く表情を変えなかった荷物係が、驚いた声を出した。荷物係が指差すのは、僕の人差し指にはまる指輪。ほんとは王様だったおじいさんにもらった指輪だ。

「あ、ある国の王様からお礼に」

 戸惑いながら言うと、荷物係は黙ってトランクを僕に差し出した。

「俺のふるさとはその指輪を君に与えた国王の国なんだ。王様が君にその指輪を贈ったんなら、俺は君を信じよう」

「あ、ありがとう!」

 この指輪、さっそく僕に幸運を与えてくれたみたいだぞ。指輪の宝石を少し撫で、僕は空港に戻る。

 飛行場から女性の待つロビーに戻ると、青い顔をした女性はすぐに僕の所へ駆けてきた。

「なんでも屋さん、トランクは」

「はい、取り戻してきましたよ」

 僕が差し出すトランクを、女性は奪うようにつかむ。その速さに僕は思わず手を放すタイミングを失敗した。力の行き場を失ったトランクは空中を飛んで、そしてそのまま、近くの床にたたきつけられる。バチンと大きな音がして、トランクの留め具が外れた。

「あっ」

 彼女の小さな声と共に、トランクの中身がぶちまかれた。それは、服でも洗面用具でもおみやげでもなく、たくさんのアルバムだった。勢いよく転がったアルバムの中から、何百枚もの写真が飛び出す。目の前に滑ってきた写真を裏返すと、そこには幸せそうな家族が写っていた。真面目なお父さん、元気な男の子、そして優しく微笑むお母さん。そのお母さんは間違いなく、今、僕の目の前にいる女性だった。

「これは?」

 顔をあげて女性を見ると、女性は一枚の写真を抱きしめてポロポロと涙を流していた。僕は黙って立ち上がり、ロビー中の床に落ちた写真を集める。大きな束となった写真を差し出すと、女性はその束を受け取り、ぽつりぽつりと話し始めた。

「ここに写っている私の夫と息子は、ここにはいません。五年前、この国に行く途中で飛行機事故にあいました。私はちょうど仕事が忙しかったので、二人だけで旅行に行っていて、その途中でした」

 僕は少しうなずいた。その飛行機事故は、僕も知っている。さっき話した飛行機事故のことだ。

「いくら時間が過ぎても私はその事実を受け入れられませんでした。心配してくれる両親や友達にも黙って、一人で旅に出ました。こうやって世界を歩いていれば、いつか私の愛する人に、かわいい息子に、出会えるんじゃないかって、それだけを信じて」

 空港のロビーに、女性のすすり泣く声がこだまする。あの飛行機事故で生きて帰れた人はいなかった。世界的にも大きなニュースになるほどの大事故だ。彼女の悲しみはとても深いものなんだろう。僕には想像もつかないくらい。でもそれってさ、それはさ、

「それは、本当に二人が望んでいることなのかなあ」

 僕がつぶやくと、女性はゆっくりと頭を上げ、驚いたように僕の顔を見つめた。

「あなたの想いを僕に止めることはできません。でも、それで本当にいいんですか。あなたのことを心配してくれるご両親も、お友達もいるんですよね。あなたがその人たちと一緒にこの悲しみを乗り越えて、新たな幸せをつかむことが、旦那さんと息子さんの願いじゃないんですか」

僕の声が静かな飛行機の中に響いた。いつの間にか泣き声はおさまっていた。

「おい、あんた。取り違えの荷物はこれかい?」

さっきの荷物係が女性が取り違えた方のトランクを持ち上げながら言った。ロビーに来ていたようだ。

「ええ。よろしくお願いします。僕は次の仕事をしに行かなきゃならないので」

 荷物係にそう言い、ロビーを立ち去ろうとすると、女性が後ろから僕に声をかけた。

「言いたいことだけ言って。勝手ですね」

 彼女の言うことはもっともだ。これじゃただの言い逃げだね。でも。

「僕はたくさんの言葉を話すことができる何でも屋です。僕には、お客様の思いを伝えたい相手に伝えることしかできません」

 僕は深くお辞儀をする。下げた頭の上で、女性がため息をつくのが聞こえた。

「ありがとう。何でも屋さん。ずっと、誰かにそう言ってほしかった気がするわ」

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