第16話流離


「時間の経つのはなんて早いんだろう、もう六十を過ぎてしまった。あれから三十年だ。なんて早さだ、信じられない。みんなと過ごしたのが昨日のことの様だ」


桐さんはとても小さな声でそう言った。海の側の道だった。ここにはカメラは設置されていないという若さんからの情報を信じた。だがあるかもしれない、でもそれはもちろん若さんのせいではない。

 ここは田舎町の海だ。とても小さな漁港で、無人駅がすぐそばにある。列車の本数ももちろん少ない。だが一軒だけ民宿があって、そこがおいしい地元の料理を出してくれる。ここ数年はみんなとここで会うようにした。硬貨の同窓会、一年に一度、退職した桐さんにとっては冒険旅行のようなものだった。

みんなはもう一本遅い電車で来るだろうと思っていた。だが桐さんは、一人で懐かしい思い出に、ゆっくり浸かってみたいという衝動に毎年かられるのだ。実はここを夫婦でも何度か訪れている。だから町の大まかな道は良く知って、時々路地に入り、やっぱり行きどまって引き返すということも楽しみの一つになっていた。

のんびりと、天気が良い風のない、防波堤沿いの道を歩いた。


「三年だったかな、みんなと過ごせたのは」


 そのあとの仕事の方が長いのに、やっぱりあの時のことが一番印象が強く、忘れ難かった。順調だと思ったらまた何か起きる、あの三年はずっとそれの繰り返しだった。みどりちゃんがいなくなって大丈夫かと思ったら、案の定

「こんな時にみどりちゃんがいてくれたら・・・」という嘆きを全員が言わなければならなかったことも起きた。硬貨調査後の仕事のことを考えれば、あの時がどれだけ大変だったかということが分かった。だからみんなもそのことは後の仕事に生かされて、


「硬貨の人間は優秀だとみんなから言われているよ、私も鼻が高い」


と部長はさらに偉くなってから自分に言った。

「そりゃそうだろう」というのがみんなの意見だった。地道な仕事と、突然起こるとんでもないトラブルを、何とか何度か経験すれば、仕事の仕方も要領も変わってこようというものだ。自分たちにとっても糧となった時間だった。


その糧となった時間が作用したのかどうかわからないが、恐れていた


「デジタル恐慌」が本当に起こった。


しかし小さな地域の、わずかな時間だけでそれはすんだ。硬貨の仕事を終えて五年目の出来事だった。いろいろな機関が、インターポールを含めて活躍したためなのか、しばらくしてあの名前も聞かなかった国家警察の人間が自分たち一人一人の所に現れて

「奴を捕まえることができましたよ。実はみどりちゃんの大手柄でしてね」と教えてももらった。わざわざ彼がこうしたということは、この事に関して電話等々で話すなと言っていることを、みんなは承知した。大きなことはそれぐらいだろう。

 

 では、硬貨たちはどうなったのか、五年と言われていた電池の寿命は、ものによっては十年持ったものもあったそうで、このことについては実は若さんが最後まで責任を持つことになった。部署は解散したが、放っておくわけにもいかない。若さんは結局、特別情報処理課というところに行って、そこが彼の活躍の場となった。いろいろな所に出向いてはいろいろなことをやっていたようで、「機密」を一番知っているのは若さんかもしれない。

 その若さんから教えてもらったのは、硬貨たちの運命だった。六十枚、正確には六十六枚のうち、やはり七枚は穴が見えてしまったようで、警察が回収したという。十年前、一度ネット上に流れ、自分も見たが、穴だけで、発信機は見えなかった。一般の人間の道具などでは、どうにもできない技術で作られたものだと改めて感心していると、その映像は一日もたたずに削除されてしまった。


「これが公になっても、慌てなくてもいい」上層部からの通達があった。なぜならデジタル恐慌を避けるための調査だったと言えば、その害が及ばなかった理由の大きな一つになるだろうとの考えだった。

「表沙汰になったら・・・女房に今までのことが話せるのに」

「いまだにそのことですか、桐さん」とみんなから笑われるが、ぜひ死ぬまでにこのことが、公に知られることにならないかと望んでいるのは、間違いなく自分であった。


 みんなが離れ離れになって仕事をしていても、やはりお互いのことが気になった。みんな自分達より若いから、

「結婚するときは連絡して、お祝いを渡したいから」

と、いうべきではなかったと思った。


 まず若さんは、例の山間の町にちょくちょく行っている間に、一人旅の女性と知り合いになり、そのまま結婚した。唐さんはあの、一円をゴールにいれたチームの熱烈なサポーターとなって応援していると、志を同じくする女性と出会ってゴール。おーさんは実験の手伝いにこれまたちょくちょく行っていたら、そこに手伝いに来る大学生と、彼女の卒業と同時に、だった。

「冗談だろう !」さすがにみんなから、からかいなのかバッシングなのかを受けていた。

菊さんは、実はみどりちゃんのことで警察に行ったとき、一人の婦警さんに一目ぼれ。相手もすぐ菊さんを理解して、そう、理解しているのだ。菊さんの奥さんは硬貨のこともみどりちゃんのことも全部知っているので、家で自由に何でも話せる、それはほかの五人にはできないので羨ましくて仕方がない。だがその警察官の奥さんですら、みどりちゃんのことは何一つ情報を得ることはなかった、管轄が違いすぎるのだ。そしてイーサン。その名前を名乗ったせいなのか、外国人と結婚、オーストラリア、ではなくオーストリア、だそうで

「イーサン! これでみどりちゃんに会えるじゃないか! 」みんなが言うことは一つだったので「あのね、オーストリア人って言ってもハーフ。関西弁で、外国語は一切駄目、それが面白いんですけどね」とのろけていた。

そしてこの一連のめでたいことは、みんな、若さん以外が調査から離れて、

一年以内、に総て起こった。


「俺のボーナスが全部祝儀に飛んだんだけど・・・」とみんなにぼやいたら

「娘さん生まれた時のお返しと思ってください! 」ともっともなことを言われた。硬貨の追跡の真っただ中では、結婚する気も起きなかったのかと、かわいそうには思った。だがその終了とともに夫婦の人生のスタートで、お互いの子供たちも似たような年齢になった。何度か家族一緒に出掛けたりした。だが、どうしてもいけないと思うことがあった。

 つい出てしまうのだ、あの呼び方が。それはどうしても直せない。みどりちゃんの知能の発達と同じようなもので、この呼び方でなければ、自分たちは自分たちでなく、仲間でもなくなってしまうような気がした。子供たちに絶対に悟られないようにしなければならない、という気苦労は、想像以上のものだった。それで結局、そういうことはやめようということになった。菊さんの奥さんも

「その方がいいでしょう、女子供の方が感が良かったりしますから」と言った。いろいろなことがあって、年に一度の同窓会ということになったのだ。

 

 桐さんはここの海を何度も見ているが、今日の海はまた格別に美しく思えた。春が終わって徐々に強くなってゆく日差しで、青く、まるで南国のように透き通って見えた。思い出に浸るのが良いか悪いかはわからない。先に進んでいないような気もする。それでも彼らとの出会いがなくしては、できなかった思い出もたくさんある。

六人の子供たちすべては、あの、唐さんのチェイスジグソーで遊んだ。唐さんの家でではない、それぞれ買ったのだ、唐さんが払った金額よりずっと安価で。ただイーサンだけは違うが。

実はあの唐さんのジグソーパズルは評判が評判を呼び、一般のジグソーパズルとして発売されて、今も時々見ることもある名作の一つとなっている。

「一応全金額回収できたんだけどね、何年かしたらその権利もなくなったんだよ」とさばさばしたものだった。

ジグソーでは唐さん、実験ではおーさん、パソコンでは若さん、映画を見るたびイーサン、人の賢い行動を見るたび菊さんのことをそれぞれ思い出した。


「凝縮した三年間だったんだろうな、この海の青さが一番美しいと思うように、あの時期が仕事の面では・・・最高の時だったんだろう」


その考えにいつも落ち着いてしまう。個人的なこともこれと言って困ったことは起きなかった。不思議と六人ともそうだったのは、イーサンが祈ってくれたからかもしれない。


「ありがたいなあ」


ホロっと涙が出てきた。これを見られたくはなかったのもある。これから会うみんなに、改めてお礼を言いたいと桐さんは思った。それからそう、みどりちゃんにも。彼女はあれからずっとフランスに行ったっきりだった。自分たちがフランスに行かないのを

「来てくれないんですか・・・」と寂しそうなメールをくれた時もあった。だがそれからは毎年若さんからみどりちゃんのメールを印刷したものをもらって、自分たちもそれぞれのメッセージを送るという関係になった。今でも年に一度の年賀状を交換している。


「みどりも年を取りました」


去年はそう書いてあった。ロボットの開発も更に進んで、女性チームが開発した男性のロボットもいるという。確かそれはフランスでの話だったので、若さんがみどりちゃんに


「彼に会ったかい? 」と聞いたら


「自分は面白いことを言っていると信じている、面白みのない人」と手厳しかったという。

人工知能ももう究極まで行っているのだろう。だが何故かみどりちゃんが最高傑作という人も少なからずいるとも聞く。もし同僚だったなどと言えば、取材を受けて、退職しても叱責を受ける羽目になりそうだ。

 そう、みどりちゃんと言えば、あのおーさんが救出に行った家の男の子、今はも四十歳になるが、大学院を卒業後本当にみどりちゃんの開発チームに入り、何度かフランスに行った。彼が行ったから自分たちは行かなくても良いと思うようにはなったのだ。彼がそのチームに入る直前、おーさんが


「もし、先輩たちがみどりちゃんの記憶を消そうとしたことを言わないのなら、時期を見て話そうと思う」と言っていた。だがしばらくしてから、彼は先輩たちからそのことを告げられたそうで、おーさんに


「ありがとうございます、本当に」と言ったそうだ。そしてみどりちゃんはいまだに送ったスカーフを大事に持っているらしく


「良いものは本当に長持ちするのですね」とずっと感心したままだ。離れても心がつながっているのは、同僚と言うより、仲間の証なのだろう。


 桐さんはまた駅に戻ることにした。そろそろみんなが来る頃だ。日本の鉄道は相変わらず時間に正確だ。そういえば若さんは子供と鉄道の旅をよくやっていた。寝台車で毎年のように旅行して「田舎で老後を」なんて今は考えているらしい。そう、自分たちはそろそろ残された時間のことを考えなければならない、できるだけ健康で、できるだけ子供に迷惑をかけないように。

駅でベルが鳴っている、田舎の街の隅々まで届き、すぐ裏の深い山にこだまして長く聞こえ、やがて消えた。


「そう、すべてのものは留まることはない、すべては少しづつ変わってゆく、同じものはない、川の流れは急激な時もあれば穏やかな時もある、そんなものなんだ」


方丈記冒頭の流麗な文と同じことを、レオナルド=ダビンチも言っていたという。


「二人のように長く語り継がれる天才でもない、でも天才だけが世の中を作るわけではない、自分たちのような凡才がいるから天才なのであって、唐さんのように好きでもサッカーが上手になれない人が多くいるから、それができる人がプロと呼ばれ職業となる。それが世界だ、それでいい、大きなことは出来なかったかもしれないけれど」


 ホームから見慣れた顔が五人やってきた。みんな年をとった。

「イーサン、二百円返せよ」

「細かいなあ、唐さん、ちょうどいいじゃない、チェイスジグソーでのマージン代金で同僚から儲けたんだから」

「イーサンは急ぎ過ぎるんだよ、どうしてあの時これは面白いからヒットするって思わなかったんだ? 」

「じゃあ、菊さん予想してたんですか? 」

「当然! 俺の好きな深夜番組大体ゴールデンに行くから」

「それはみんなが面白いって思っているからでしょう? ああ! 桐さん! 報告があります! 」


と大きな声で言った。降りる人など誰もいない、自由な会話、自由な声だ。

「なんだい若さん? 」

「部長が会いたいんですって、東京に帰ってすぐですが、いいですか? 」

「いいけど、何かな? おーさん想像つく? 」

「部長は今は、それこそ悠悠自適だろう? 」

「なんだろうな? 」

「おっと、危ない危ない、こけるところだった」

「唐さん気を付けてくださいよ、もう海に落ちても助けませんよ」

「助けた? 引っ張り上げただけだろう? 」

「じゃあ、僕も春まだ浅い海に飛び込んだらよかったんですか? そうなったら誰が着替えを買いに走るんですか? だからあの時やめておけば良かったんですよ、なのに自分の運動神経を考えないでテトラの中に入ろうとするから」

「毎回毎回これだ、県大会の決勝で負けて甲子園に行けなかったことを話す、野球部の同窓会みたい、やれやれ」

「おーさん、体育会系の乗りがやってみたいって言ってたくせに」

桐さんはこの風景が好きなのだ


「ああ、みんな戻ってゆく、そう、時間を巻き戻したような時の魔法だ、気持ちまで若返る気がする」

みんなで宿に向かった。そこで何日か楽しく過ごした。




「ええと、ここ? 」

「そうだね、この建物だ、五階、人工知能再雇用機構? 公共団体になっているな」

部長に会うために、東京の真新しいビルの一室に行くことになった。建物の入り口で

「お名前をお願いします」人口ボイスの様だ。警備員は全くいないようで、廊下には若い人間が歩いている。割合簡単に中に全員入ることができた。

五階について地図通りに進んだら、その名前のプレートが書かれてある部屋があった。それほど大きな部屋ではないようだ。

ノックすると、意外なことにガチャリと人がドアを開けた。


「どうぞ皆さん」どこかで見ような、会ったような顔だった。細い通路の先には座った老人と横に何かが見えた。子供くらいの大きさの白いもの


「部長・・・まさか・・・みどりちゃん! 」

「皆さんよくわかりますね、同じものがたくさんあるのに」若い人間の声は、どこかで聞いたことのあるものだった

「皆さんお久しぶりですね、ああ・・・あの・・・」

「年を取っただろう? 誰が誰かわかるかい? みどりちゃん」

「もちろんです、皆さん! 」みどりちゃんのボディーは真っ白になっていて、あの赤い豆絞りのスカーフがまかれていた。

「どうしたの、インターポールは? 」

「辞めてきました」

「辞めてきた?」

「私がインターポールに行ってからの記憶を、別のものに総て移して帰ってきました。覚えているのはそうすることを決定した日からと、インターポールに行く前の記憶だけです」

「そんなことができるの?」

「できるようにしたんだよ、息子が」とやっと部長が口を開いた。

「君は息子さんか・・・」

「はい、僕は今ロボットの再活用の道をつくっているんです。みどりちゃんのようにとても優れているが、重要機密が入り込み過ぎて、処分される可能性のあるロボットから、重要なデーターだけを取り出し、もう一度働けるようにしたいんです。ここはそれを行うところです」

「そうか、君たちは親友同士だったものね」おーさんが言った。

「皆さんがみどりちゃんのデーターを整理して、思い出を残してくれたことは本当に素晴らしいことです。僕もそれに習っているだけですよ。それに、みどりちゃんが日本に帰りたいと言ったので」

「私はもう一度皆さんとお会いしたいと思ったんです。そして日本の観光もしてみたい、いけませんか? 」

「いやいや、みどりちゃんは十分に仕事をしたよ、ゆっくり休むといい」

「ありがとうございます、今はここで他のロボットたちのお世話とデーターの整理をしています」

「フランスのことは本当に覚えていないの? 消されて悲しくないの? 」

「消すか、死ぬかだったら、消す方を選びます」

「そうだろうね」

「それにかすかに覚えているのは・・・」

「なに? 」

「私はフランスでは遊んでいないということです」

「ははは! きっとその通りだと思うよ」

「これからは、ずっと日本にいます、また会いに来てくださいね、よろしくお願いします」

最後の仲間に会えた、部長にも、本当に良い思い出になった。


 

「それじゃあまた」

「ああ、また来年」

「今度から半年後にしません? 」

「それもいいかな? 」

「でも今度からみどりちゃんがボスになりそうな気がする」

「同感」

「また連絡しますね」

 桐さんはいつも家に帰る電車では悲しい思いになる。でも今日は何かが違う、みどりちゃんが、若さで何かを起こしてくれそうな気がする。若いものに託してはいけないだろうけれど、想い出だけに浸ることはもうないような気がしてきた。


家の近くの本屋の前を通ると「政府の裏の顔」という暴露本らしいものが大々的に宣伝されていた。


「政府指導による硬貨改造」

「みどりちゃんはインターポールへ」他のいくつかの見出しもあったが、何故か自分の事のように思えなかった。

本を手に取っているサラリーマンを見ながら思った。


「過去だよ、遠い過去だ、君は今を生きなければ」


桐さんは軽やかに家に帰った。


           


             終

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