第9話 五円の御縁

 

 次の日の朝早く、イーサンはランニングの後神社に寄った。大都会とは言え、その中に急に現れたような古い住宅地に、それはあった。決して大きくはないが、赤い鳥居を守るように大きな木もあって、数段の階段、正面の社の横には、とても小さな、集会所と倉庫を兼ねたような建物があった。そこには、年末年始には何かものを売るような、カウンターもあった。今はおみくじだけを置いてあり、それのための木の枠それにロープが結んであって、たくさんの結び目が意外にきれいに並んでいた。イーサンはポケットから小銭を、十円を数枚とり

「すいません、唐さん」と言いながら、賽銭箱に振り入れてパンパンと柏手を打った。

昨日の一件の無事終了を感謝していると、なんだか昔のことを思い出した。

「この仕事を始めて、いいことばかりだな。やっと楽しいことを見つけられた」

 

 何故か職場では上手くいかないことが多かった。それをやらなければと思い悩んでいると上司から怒られる。「今の子だね・・・」とあきらめ口調で言われたこともある。硬貨の担当になった頃も、ちょっとみんなからは煙たがられていたのもわかっていた。それが

「イーサン」と呼ばれるようになって、あの、トム=クルーズのかっこよさを見て

「呼ばれるんだったら、ふさわしいようにならなければ」と体を鍛え始めた。そうやり始めると、いろいろ変わってきた。インストラクターの指導を素直に聞いたらその通りの結果になるのが面白かった。

「才能が有りますよ」

本当かウソかわからないが、そういわれると嬉しくて、

「あんまりやりすぎても駄目ですよ」と言われるほど夢中になった。そうなって初めて、自分がなぜ怒られていたかもわかるようになった。今までの自分、気をまわし過ぎて駄目になっていたこと、かと思えば頑固にやらなかったこと、上手く謝れなかった事。今は冷静に過去の自分を見ることができた。みんなに本当に感謝をしていた。だからいつもどこかにお参りするときには言うのだ。

「若さん、唐さん、菊さん、おーさん、桐さん、桐さんの奥さんが健康で無事に過ごせますように」

とってもいい人間にもなっている。

 そうしてその横のおみくじの枠を見た。そこにはいくつか、五円とともに結んであるおみくじもあった。その神社の習わしらしい。その五円玉の一つが、そうなのだ、発信機のついたものだったのだ。始まってすぐだった、多分若さん旅行の一円と同じように、ずっとここを離れなかったので、家の近くであるし、見に行くことにした。

「賽銭なら回収されているはずなのに」と神社を探していると、すぐに理解ができた上に、どの五円かもわかった。その五円玉は色がとても濃くて特徴的だったので、印象が強かったのだ。

「そうか、雨ざらしだな、定期的に見にこよう」自分で決めた。

 みんなに教えるべきか少し迷ったが、言ってしまうと、みんなで見に行きたくなるので止めておいた。一か月、二か月過ぎても何も変化がなく、異常なことも起こらなかった。それが今日まで至っている。誰かにとられるわけでもなく

「この国は平和なんだな」と思っていたが、昨日のカードの一件で

「そうでもないか」とも考えなおした。でもあれこそ都会の喧騒で、それがそうさせたのじゃないか、と静かな神社の中で思った。すると

「おはよう、今日は早いね」

と顔見知りになった年配の男性から声をかけられた。

「おはようございます、清掃ご苦労様です」

近所の自治会が掃除と管理をしていると聞いていた。はじめはこの男性から「ちょっとこの人は」という目で見られているのが分かった。それはそうだ、他人のおみくじの、どう見ても五円玉をまじまじと見ているのだから。

「賽銭ドロが多くてね」と何度か話をするうちにそのことを聞いた。

イーサンは昨日のこともありその男性に

「どうですか、最近は賽銭は大丈夫ですか? 」と尋ねた。すると男性の顔の表情が変わった。

「ああ、またか・・・」イーサンはどうして賽銭などに手を出すのかがわからなかった。小銭だ、集めてもどれべくしにもならないのに、遊び感覚なのか、誰の仕業なのか、本当にひどいと思った。男性は不思議と黙ってしまったままで

「なかなか・・・難しくてね・・・知ってる人間だと・・・」

イーサンがこのあたりに住んでいない、土地の人とも知り合いではないということがわかっての告白だった。イーサンは一気にわかったような気がした。土地のしがらみとまでは言わないが、心に止めておくことの難しさ、歯がゆさ、決して単純ではない出来事だった。

「本当にご苦労様です」深々と頭を下げることしかできなかった。



「イーサン、部長の、大阪、京都、奈良土産だよ」数日後、職場に入ると三種類の箱が置いてあった。今の時代買おうと思えば東京駅ですべて買えるが、入っていた紙袋のしわの多さは「新幹線に乗ってきた」と言っているのに違いなかった。

「どうも部長は自費で新幹線に乗ったみたいだね」と桐さんが言った。

「どうしてですか?」イーサンは不思議だった。

「若さんに自費で行かせて悪いと思っていたんじゃないのかな、それに、そのあと自分も数日有給を取って観光したみたいだよ。一円を見つけてくれたから、ゆっくり回れたって言っていたから。でもそれだからさ・・・」

「個人認証の所にいなかった。いればあんな苦労はしなかったのに。だったらみんなの前で謝るべきだったんじゃないか? 」多少菊さんは強気に言った。

「でもね、それをさらに上司に謝らなきゃいけないんだよ、部長も。まあまあ、許してやろう」桐さんに従っておこうと、お菓子は昼の楽しみにとっておいた。


「おいしい!やっぱり生八つ橋は最高だね」

「たこ焼き味のオカキ、いいね」

「どれもおいしい、部長のチョイスがいいのか」

昼にぐっと株の上がった部長はその日は現れず、風の噂で、新人のようにしこたま怒られたと聞いた。イーサンはそれがツボにはまって誰よりも長く笑っていたが、仕事を始めるとその笑みがかき消された。

「五円が・・・動いている」神社の近所をうろうろしていた。張り詰めたようにイーサンはずっとその動きを追っていた。

「どうしたの? イーサン」とその様子がみんな少し気になったが

「いえいえ、大したことありません、操作をちょっと間違って、危うくデーターを消すところでした」と嘘をつかざるを得なかった。その嘘の間に、五円は止まっていた。その付近の家だ。

「おみくじの五円を外す時期じゃない」そのことを自治会の男性から上手く聞き出していたイーサンにとって、この結果は最悪のものだった。

「賽銭ドロ、わざわざ、おみくじから五円を外してか、なんでだ、愉快犯か」

地図で調べてみたら、古くからそこに住んでいる人間の様だった。

「そうか、もしかしたらこの家の人間やったのかもしれない」どうしようか悩んだ。みんなに言おうか、どうしようか。みどりちゃんがいるから警察に言うこともできる。でもそれでいいのかと半日悩んだ末、自分でもあまりいい選択とは言えないが

「その家の前まで行ってみるか」スパイ気取りでも何でもない、とにかく、そうしてみることにした。


 もう暗かったが家はすぐに分かった。別に他の家と変わったところもなく、その地区に溶け込んでいるような雰囲気だった。しばらく、刑事のようにその前に立っていたら、家の中から年配の女性の声がした。

「あんた! そんなに飲んで外に出たら危ないでしょ! 」すぐに

「わかっとる! 近所だけや! 」少し怒鳴るような声がして、泥酔した男性が出てきた。年は自分の父親ぐらいだろうか、ふらふらと、通行人は迷惑そうによけ、車ものろのろとその横を通っていた。イーサンはその男の後をつけることにした。表札から見るに、四人家族で今はもう二人だけになっているような感じだった。

男性は慣れた感じで町中を歩いた。時々誰かから声をかけられるが、それに答えることもあり、怒鳴ることもあり、相手もわかっているのか、その答えを全く気にせずすれ違った。

「ふう・・・」とその男は神社とは反対側の公園のベンチに座った。子供はまだ遊具で遊んでいる。それを眺めているのか、何なのか、じっとして動かないと思ったら、ゆっくりと他に誰も座っていないベンチで横になり始め、すぐにいびきをかきだした。どうしたものかとイーサンは思ったが、寒い時期でもない、わかりにくい所にいるわけでもないので、結局そのままにして自分の家に帰った。でも帰ってもこのことが気になって仕方がなかった。何をどうすればいいのか、どうなったらいいのかもわからない。

「明日、使っていてくれないかな・・・」責任逃れかもしれないと思うことを願ってしまう自分がいた。


 しかしそのイーサンの願いもむなしく、次の日も五円はその家を動かなかった。周りにそのことを気づかれないようにすること心がけたイーサンは、その日の仕事を終えると、とても疲れを感じた。

「見張りはしたくないな、とにかく神社に行ってみようか」と急いで職場を後にした。

 薄暗い神社は昼間とは全く違うように見えた。車の光はすっと小さな境内を照らし、瞬く間にいなくなってしまうせいで、逆に一層暗い感じがした。人はいなかった。丁度良いと思って、とられた五円の所に行ってみた。すると、おみくじの木枠はちょっとぐらついた感じで、

「とられたのは一個だけじゃない、でもお金欲しさなんかじゃない、愉快犯?ただ酔ってただけか? 」酔ったとはいえ犯罪は犯罪だ。やはり良いことではない。

「ああ、何の結論も出ないや、明日みんなに言おう、そっちの方がいい。三人寄れば文殊の知恵だ、頼ろう、仲間じゃないか、そうですよね、神様」と暗い中、逆に明るい考えになった。

「よし、お参りして帰ろう! 」といつものように、みんなの健康と明日のことを頼んで、足早に神社の階段を降りた時、強い酒の匂いが漂った。周りを見ると昨日の男性が、千鳥足、というような楽し気なものではない、昨日もそうだったが、どこかで怒っているように

「ばか野郎・・・」と、とても小さな声で言いながら、神社の階段をふらふらしながら登っていった。イーサンはしばらくその場で立ってやり過ごした後、こっそり、姿を見られないようにまた神社に入っていった。


 男性はあっちに行きこっちに行きしていた。いろいろな所に大きめの石やら、小さな石碑やらがあるのに、それにぶつかることもなく、つまずくこともなく、ちょうど座り心地の良い石に座った。そこでウトウトとし始めたので、イーサンはそっと、彼から見えないところに隠れるように座った。

 

 一時間以上たっただろうか、その間イーサンはダッシュで夕飯を買いに行き、こっそり食べ、それが終わってゆっくりした時だった。目が覚めた男性が大きな声をあげた。

「ありゃ、ここどこだ! ああ! ここか! 畜生! 」

と、さっきのふらふらしていた足とは違い、一目散に賽銭箱の方に行った。イーサンは録画をしようと携帯をいじっている間に

「畜生! 届かないところに置きやがった! なんだ! あいつら! 」と今度は例のおみくじの所に行って、まだ残っている五円を引きちぎろうとした。

「駄目ですよ! 」

イーサンはすぐに出て行って、その男性を後ろから羽交い絞めにした。

「駄目ですよ、やめてください! こんなこと罰当たりです! 」

「なんだ貴様! 罰当たり! 何が罰当たりなもんか! 

ここには神様なんかいねえんだよ! 嘘ばっかりつきやがって!

何が神様だ! 大事にしろだ! 

子供の時からここで遊んで、やれ掃除やなんだってやってきたのに! 

何にもしてくれねえじゃないか!

何度も頼んだ! 助けてくれって! 後生だから命だけでもって!

なんであの子がはねられなきゃならん、

何日も何日も境をさまよって、逝っちまった! 

俺は何度も何度も頼んだのに! 

お願いだ、俺の命をくれてやるから

息子の、あの子の命を助けてやってくれって! 」


気が付いたら、イーサンの手は男性の体から離れ、目からぽろぽろと涙がこぼれていた。自分の考えていた犯人像、それとはまったく違い過ぎていた。理由があまりにも深刻で、悲しくて、どうしようもない。

境内には何の明かりもなかった、でも時々の車のライトで、イーサンが泣いているのも、男性がそれを見て酔いまでさめたように驚いているのも見て取れた。

「泣いて、くれるんか、見も知らずの俺のために・・・」

と男性は言った。そしてまじまじとイーサンを見た。

「生きとったら、あんたくらいになっとったやろうな」と落ち着いた、優しげな声だった。その声を聴いてイーサンはやっと泣き止んで

「それでも、やっぱりよくないですよ、お金を取るのは、亡くなった・・・息子さんも悲しみますよ・・・ね、お父さん・・・」

その言葉に今度はわっと男性が急に泣き始めた。

「そうだよな、おやじが泥棒なんて、しちゃいけんよな、息子が天国で恥かくな。兄ちゃんの言う通り」

泣いているその背中をイーサンは優しくなでていた。あの自治会の人の微妙な顔、近所の人の様子、何もかも知っていたから、どうしようもないことだからと思っていたのだ。しばらく一緒にいて、家まで送ってあげると

「本当にありがとうな、なんか、つきものが取れたみたいでさ、久しぶり気分がいい」

と言ってくれた。五円のことは無理に追及しなかった。それでいいと思った。


「月夜だったんだ、なんだか明るいと思った」

都会のビルの中、ひょっこり現れるような満月に近い月、わからない間に神社も照らしていたのだろう。そう思うと自然と足が前に軽やかに進んだ。歩くと、何故かいろいろなことを考えられる。今自分が生きていること、まるで当然のように、いろいろ面倒だと思いながら生きている。この世には不幸にして自分の意思とは全く関係なく、それが出来なくなる人がいる。あの男性にとって、息子の同級生たちが大きくなってゆく姿が、悲しみを倍増させていたと思うと、またふっと泣きたい気分になった。

自分は今生きている。しかし、事故や自然災害の多いこの国で、自分のこの命は、もしかしたら自分だけのものではないのかもしれないと思った。

「正直に言おう、みんなに今まであったことを」

月の光の下の、澄んだ優しい決心だった。



「そんなことがあったんだ・・・大変だったな、イーサン」

菊さんは本当に感心するように言った。

「それは難しい問題だったね。もし相談されても上手くいかなかったかも」

桐さんは正直だった。

「本当、生きているのが当たり前って思っているのは、おかしいんだよね」

「そうだね、唐さん、あんまり自分の事だけ突き詰めて考えていると自分がおかしくなっていくから、別の事考えるようにしているんだ」

「何を考えるんですか? おーさん? 」

「宇宙の事とか! その発生とかね」

「それはぶっ飛んでますね」イーサンは久々の気の休まる一日になった。五円は再び神社に戻っていた、男性が戻していたのだ。

「すべてはこともなしだ」

桐さんのしめ、は本当に格好がいいねとみんなで笑った。


 それからは本当にうまくいっていた。例の五円は神社から離れ、一般に流通している。今度の一件でみんな何かを学んだ。人生の複雑さと単純さと言ったところなのか、そんな哲学も良い流れを作った。仕事のやり方もどんどん呑み込めてきて、報告会では一円と五円のことを話さずにと思ったが、さすがに一円の事は聞かれてしまって、落下したカードのことも詳しく話した。


「現金離れが収束してきている傾向にあります。店舗などもクレジットカードでの支払いよりも、プリペイド型で、自社に直接入金できるものに多くのポイントを付けています。消費者は、銀行金利よりそちらの方が断然得なのをわかっていますから、上手に使っています。しかしこのカードは誰にでも使えるので、落としたら最後です、その点も考慮して多くの人は入金をしています。このカードの紛失が度重なっているため、まるで逆行するかのように、ただ現金のみのポイントというシンプルなものも再登場して、利用者はうなぎのぼりだそうです」

「うん・・・現金の魅力なのか」

「これは、貨幣の流通を増やさざるを得ない状況かも知れませんね」上の人間たちはそう言い合っていた。みんなはそれを聞きながら正しい判断だとも思ったし、現行、それでバランスもとれてもいるようにも感じた。会議はそのまま終わり、部屋に帰ってみんなで話し合いが始まった。


「流通を減らす目的で始めたんじゃないのかな。でも急に方向転換した感じだった」

今回の会議には桐さんも出席して、唐さんが居残りだった。

「そうなんですか、部屋で一人心配していたんですがね、「もっと流通量を減らしましょうって言われたらどうしようかな」って」

「そうそう、今までの報告会では無理やりな感じで「いらないだろう」と言っているのと同じだった。こっちが腹が立つほどに」菊さんのご立腹ももっともだ。

 今までの自分たちの報告はずっとそうだった。お金は健全に流通している、会話の手段になっている、いろいろ言ったが

「君たちは、お金が可愛く思えて仕方がなくなったんじゃないのか」とズバリと言われて

「それはそうだろうとは思います」とこれまたきっぱりと答えた。


それが本当に手の平を返すように、しかし明らかに、自分たちの仕事の功績とは無関係かのような言い方でもあったと、みんなは細かく唐さんに報告した。

「五円のことを言った方が良かったですかね・・・」とイーサンがぽつりと言った。

「そうだね・・・」これに関してはすぐさま答えが出なかった。

「まあ、六十人が全員そろって働いているのが一番じゃないか」とおーさんはうれしそうだ。例の百円もちょっと長めの検査入院からやっと帰ってきて、数日前また流れ始めた。今回は担当者おーさんの手によって。

「名古屋の里帰りに連れて帰ってもらってよかったですよね、その子「名古屋君」にしません?」

「それはいかにも名古屋に行ったことのない人間が言うことだね、一度行ってみたら?若さん」

「リニアが本当に開通したら一番に行きますよ」楽しみも増えていった。

「よし、でもじゃあ名古屋君の近況報告をしようか」

「どこなんです?」

「東京」

「帰ってきたんですか?こんなに早く」

「駅では使わなかったんだよ、実家の近所のスーパーで使ったのになぜそうなったんだろう」

事実は小説よりも寄なりなのだ。


  

 

 初めての事だった。菊さんとイーサンが上司から「お使い」を頼まれた。もちろん仕事ではあったが、都内の数か所をめぐるようになった。

「若さんの方が適任なのに」と二人で迷いながらビル群をさまよったが、何とか無事終えることができ、二人とも一安心していた。

「あれ、ここ、神社の近くだ」とイーサンが言ったので

「行ってみたいな、神社好きなんだ」

「御朱印男子ですか? 長いブームですよね」

「でもいいよ、筆ってこんなにいろいろできるんだった、で思った。小学生には御朱印をお手本にすればもっと楽しいだろうって」

「ははは、いいアイデアですね、でも」

「却下間違いなしだ、悲しい」菊さんは頭の周りが早いから話していて楽しい。

二人が歩いていくと先に菊さんが神社を見つけた。小走りになったので、後ろから見ていたイーサンは「小学生みたいなはしゃぎ方」と面白がっていた。

「ちょっと木があるだけでも、空気が全然違うね」

そう感じる人間は多いのか、ここでご飯を食べてごみを散らかしたまま、という光景をよく見る。それを自治会の人が掃除をしているのだが、食べ物から見て若い人間たちだとは想像はついていた。

「そう、こんな神社に若いのがたむろするんだ、コンビニの前とかはカメラがあって警察が厳しいからね」

最近は監視カメラがほんとうに優秀で、長時間住宅地の前などでたむろしたりしていると、すぐに誰か判って、連続すれば罰金が科せられることになっている。その頻度が多くなっていると聞く。

「ここにもカメラがあるのかもしれませんが、街中のものより旧式の可能性が大きいですから」とイーサンらしいセリフに

「そんなことまで考えてここに集まるのかな、そういえば住宅地の公園とかでも夜中遅くいるよな」

「若さゆえ、ですか?」

「家が面白くないんだろうかね・・・」

それからは会話が途絶えた。丁度おみくじも目に入ったので二人でお参りしてから引こうと決めた。

「え!菊さん五十円を賽銭にするんですか? 」

「神頼みだよ、もっと流通量が増えますようにって、イーサンはいくら?」

「十円」

「唐さん激怒」

という、人が誰もいないから成立する会話をしていた。お参りがすんでおみくじを引くと二人とも大吉だった。

「すごいね、いいことあるかも「待ち人来るだって」」

「女性ですか?」

「恋愛運もいいね、ダブルだからパワーもあるかな」若い男性二人の声は次第に大きくなっていった。

すると、そこに一人のシュッとした感じの男が神社に入ってきた。

「この人も御朱印男子かな、でもここには作務所もないから」とイーサンは考えたが、説明せずとも見ればわかることなので、菊さんと二人、おみくじを結ぶことにした。

「イーサン、五円結ぶの? 」

「絶対に嫌です」

「俺やろうかな」

「やめてください、気になりますから、五十円でやったらいいじゃないですか」

「それも絶対に嫌」楽しい掛け合いをしていたが、賽銭箱と鈴の真ん前にいるその男性は不思議と何の音も立てなかった。

「何をしているんだろう」二人の頭にふとよぎったが、他人のことだ、勘ぐるのは失礼だ。

だが何となく視線を感じるような気がしたので、二人はさっとおみくじを結び、

「みんなの所に戻ろう、イーサン」と体の向きを変えた時だった。


丁度男性が足早に自分たちの前を通りすぎながらこう言った。


「お仕事ご苦労様です」


その言葉の後さらにスピードを上げて数段の階段を、駅のそれであるかのように素早く降りた。

イーサンはその言葉に撃たれたように数秒動かなかったが、神社の木で道にいる彼の姿が見え隠れしだしたと同時に


「待て! 」


と一直線に走り出した。するとその男性も明らかに走っているのが見えたので、菊さんも慌てて後を追った。

東京の下町の路地は入り組んでいる、その中をいい大人がすごいスピードで、スーツ姿で走っている。体を動かしているイーサンは素早かったが、その路地の迷路には入ったことがないのですぐ見失った。するとまたさらにイーサンはスピードを上げ、今度はもと来た道を戻ったので、追いかけてきた菊さんとすれ違った。

「イーサン!」

菊さんの声に返事もせず、一目散にどこかへ向かった。

「大通りか! 」

菊さんは理解した。イーサンは本能的に動いてはいるが、ちゃんと考えてもいたのだ。

「あの男もここに地の利があるわけじゃなさそうだ。行き止りが多いから追いつめられる。だとしたら、車で逃げなきゃならない、タクシーで。イーサンすごいな」

菊さんも大通りに向かった。

 イーサンは大通りに出てあの男を探した。すると道の反対側にいて、タクシーが止まりかけているところだった。この道は交通量が多く、横断歩道以外は危険すぎる。

「待て!」

そのイーサンの声が車と人ごみの中聞こえているはずだったが、無視をするようにタクシーに乗り込んだ。通行人はイーサンを見たが

「ネットドラマ? 」

「そんな感じね、見たことのない俳優さんだもの」

とすぐに聞こえ。信号が変わり走って渡った。車の初動は遅い、追いつけそうだったがタクシーは猛スピードで、車の少ない方へと走り去ってしまった。


茫然と見送ったイーサンの側に菊さんがやってきた。

「大丈夫? 怪我はない? イーサン」

「ハイ」

「一応タクシーは撮ったよ。中の人間も拡大してみた」

「さすが菊さん! すごいです! 」

それをしばらく見ていた男性が、ゆっくりと近寄った。

「ネットドラマでしょう?、いつ放映なんですか? 」

「え! ああ、まだまだ先ですよ・・・」

上手くだませてよかったと二人は思ったが、自分たちが撮影されても困るのでその場を走るように去っていった。帰りの電車では二人とも全くの無言だった、

帰ったら、山のように話さなければいけないことがある。



「どうだった? 初めてのお使いは? 」

と誰が言うかと部屋の中では持ちきりになっていたが、ドアを少々乱暴に開けたイーサンの顔が見え

「どうしたの、本物になりきっちゃって」

とのセリフに変えようかと思ったが、そのあと入ってきた菊さんの、笑みも、ただいまという言葉も、微塵にも感じられない顔つきに、部屋にいたみんなもただならぬ気配になり、大きな何かが起こっていると感じた。

「イーサン、君が話す? 」

「菊さん、お願いします・・・」イーサンは疲れたように肩を落として椅子に座った。そこに桐さんが飲みものを持ってきてくれた。

「ありがとうございます」声は小さかったが、やっと小さな微笑みを見せた。

菊さんは一部始終を話し始めた。



「イーサンと例の神社に行って、そこで人がいないのをいいことにまあ、ちょっとべらべらと話していたんだ。するときれいな身なりの男が一人やってきた。体も引き締まった感じ、イーサンみたいな。でもちょっと雰囲気が違うなと思った。俺たちはまあ話しながら、おみくじを引いてそれを結ぼうとしていたんだけど、その男は社の真ん前からほとんど動かなかった。神社マニアだったら、色んな所を見たり、写真を撮ったりするだろう? それが全然ない、俺もイーサンも気にしないふりをしてたけど、なんか気にはなる。なんだかその男から漂っている、と言うかその男全体がさ、その神社の空気とは違うんだ。俺たちみたいにその中にすっぽりはまっていて大人しくしている感じじゃなくて・・・その・・・」

「禍々しいって感じ?」と桐さんが言った。

「そうそう! なんかこう、そこだけ黒いっていうかさ、神様に自分は負けない的な自信と言うか、そんな感じだった。イーサンと周りを歩いていた時に話してたんだけど、あの辺りも再開発が進もうとしているから、地上げ屋とかの商売なのかな、と思ってさ。とにかく不気味な感じだったから帰ろうとしたら、そいつの方が先に早足で歩きだして、すれ違いざまに・・・」そこで菊さんは言葉に詰まった。

「何かされたんですか? 」若さんが、すかさず聞いた。そうだ他人から見れば今までの下りで何かあったと言えばそう思うのが当然だ。だがそうじゃない。


「お仕事ご苦労様です、って言ったんだ」


イーサンがぽつりと言った。


みんなは首をかしげるしかなかった。初めて会ってまあ、そんな言葉が出るのはおかしいかもしれないが、お互いサラリーマンの社交辞令的としてみれば、ものすごくおかしいことではない。


「それが何かおかしい? 」


「そうでしょう、そうなんだ、それだけ聞けば、俺たちが真剣に話しているのはおかしいでしょう? でもその言葉のトーン、言い方がまるですべてを知っているような感じだったんだ。もちろん激しくなんか全くない、丁寧だったさ、でも違う。わかっていたんだ、あの男は全部、俺のことも、イーサンのことも。だから俺たちの行動をじっと見たんだ。誰が他人がおみくじを結んでいるのを見る? 五円を挟むんならまだ面白いとは思うだろうけど。そう、迂闊にも五円、五十円は二人で絶対にしないなんて大きな声で話した。これぐらいだったら、誰が聞いても大丈夫だろうと思ったんだよ。でもあの男にすればその話が決定的だった。俺が五十円担当、イーサンが五円ってことなんてすっと理解できた、もともとどこまで知っていたか、もしかしたらさほど明確じゃなかったかもしれない。多分イーサンも全く同じ気持ちだったんだろう、だから追いかけた、その男を」


「追いかけた? そうしたら・・・」

「逃げたんだよ、おかしいだろう?」


「でも、逃げたくなるかも追いかけられたら」唐さんはすまなさそうだったが


「唐さん、その逃げ方も要領を得ていたんだよ、まるで行くところ行くところで、いつもそんなことを考えているんじゃないかって、必死さが何もない。俺はタクシーに乗るところを見たけど、本当に涼しい顔をしてた。俺やイーサンとは全く逆だ」

「でも・・・もしかしたら政府の関係者かも」桐さんの意見に

「それも電車の中で考えました。でもだったら、逃げるのはおかしいでしょう? 知っているんですが、ってこっそり耳打ちすればいいんです、ある種身内、なんですから。

感覚論で申し訳ないんですが、本当にあの男は得体が知れない。にこやかで上品な感じもするけど、どこかで装っているというか。とにかく、神社には何の目的もない、という感じだった。あそこはとても小さな神社です。俺たちがちょっと大きな声で話し過ぎたのかもしれない。今思えばそうです、ああ、ちょっと声が大きかったかな、と思ったらあの男が不意に現れたんです、見に来た、そう、俺たちを。敵という感じではなかったけど、何か少し見下げたような雰囲気もあった」

菊さんの話す間、イーサンはほとんど口を挟まなかったが、最後に言った。


「あれは、本物だ、俺たちの手の出せる範囲のものじゃない」

桐さんはすぐに部長に連絡を取った。


 

 それからの展開はあまりにも早かった。菊さんたち二人は警察に行って話すことになり、部長からは

「このことは絶対に極秘だ」と念を押されて自分たちは帰らされた。

夜遅く

「明日は朝から事情聴取です、お願いします」とみんなにイーサン達から連絡があった。


「あの男は本物」


イーサンの言葉はまるで呪文のようにみんなの心に残って、次の日の朝を迎えなければならなかった。

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