第8話 ロストそして発見


「あれ、少し変だな」と若さんは言った。

「どうしたの?」

「点滅、というか切れかかったようになっているというか」みんなが周りに集まった

「本当だ」

「一番か・・・そういえば俺のも時々消えるときがあるんだよね」

とイーサンが言ってから一か月が過ぎた。


「ああ、やっぱり駄目だった」と桐さんが叫んだ。

「面白いですね、やっぱり小さい順でしたかね」と唐さん

「しかしすごいよな、この国の技術は。これだけ足並みがそろうとね、故障でも」

菊さんの言葉通り、故障してしまった。すべての種類の硬貨の一番が発信しなくなったのだ。一円そして五円、十円と順々だった。


「やっぱりそうなりましたか、不安だったんですよ、一号機で」

発信機会社の人間は電話でそういった。

みんなこの件については不思議と自然に諦めがついた。硬貨自体は元気に流通していたからでもある。それぞれの光が徐々に弱くなるのを、蛍の様だと若さんは言った。

「詩的だね」

「旅行したからかな? 」

彼ら硬貨たちはいなくなったわけではない。自分たちのもとから一人立ちでもしたかのようにみんな思っていた。


「そういえば、みんな箱入り息子、娘だったな」とおーさんがしみじみと、懐かしむようだった。

 一番最初に硬貨に会った時はさすがにびっくりした。硬貨が十枚ずつ入った、六個のしっかりしたケース、箱を開けると、きちんとナンバーも上についてあった。その時にも説明を受けた。

「発信機は一種類ではありません、全部がだめになっても困るので、そうしています」

しかし、九枚になったらどうするのだろうと、こちらの杞憂など無駄というように、新しい六種類があっという間にまたやってきた。全く同じであろうケースに六枚入って。

「今度のものは最新型です。今入っているものよりさらに小型化、軽量化、発信機の性能も格段に良くなっています。前回の鉛筆のことで接合部分の強化もされていますので、その点についても大丈夫だと思います。でも、また思いもよらぬことが起きるかもしれませんね、その時はまたよろしくお願いします」と発信機の担当者が言った。

「おたくも大変ですね、機密事項の上に、難しい仕事だ」と唐さんは労った。

「ありがとうございます、でも楽しいですよ、開発するのは。いろいろ工夫して見て、失敗もして。このプロジェクトで多方面で技術向上が見られますよ。聞いた話では、みどりちゃんの人工知能、凄いことになっているらしいじゃないですか」

「すごいよ、この前「楽な仕事がしたい」って言っていたから」

「え!そんなことまで言えるようになったんですか」

「年をとっても容姿の変わらない女になるよ」

「それはそれで怖いですね」この程度だったら内輪でも許されるだろうとみんなで笑っていた。

「さて、どういう風に流通させようか」菊さんが言うと

「あれ、皆さん聞いていませんか? 部長さんが大阪に持っていくようなことをおっしゃっていましたが」

「大阪? ああ、部長が出張するって言っていたから、その時持っていくのかな・・・」

みんな少し残念に思った。


「この国の二大都市圏だからね、そこでどう動くのかということをやってみたいんだ。使用されている交通機関なども参考になるしね」と部長が言ったので

「では、国土交通省もこの調査を知っているんですか? 」桐さんの質問に

「うん、思いのほか多方面での成果が上がっているからね。本当に極秘だったんだがちょっと怖くなるほど知れ渡ってしまった。もう一度秘密の厳守についての詳しい話をしに行くことにもなっているんだよ。まあ、君たちを信頼していないわけではないが・・・誰にも話してはいないかね」

「もちろんです」と六人ほとんど同時に答えたので部長はすぐに安心した。

「明日の朝にこれを大阪に持っていくから、そのあとはよろしく頼む」

「はい」わかりました。部長が出ていってから、みんなで大阪の地図を出した。


 次の日の朝早く、出社してくる桐さんとすれ違うように、部長が旅行用のキャリーケースを持って

「じゃあ、行ってくるよ」と楽し気な声で言った。早速桐さんは仕事にとりかかった。

「部長の行動のすべてを把握するって面白いよな、大阪までだけど。でも新幹線の中じゃ使わないだろうし、いつ使うつもりなんだろう」と地図を出しウキウキとみんなが来るのを待っていた。

「おはようございます、桐さん早いですね」

「おはよう、おーさん、今東京駅だよ」

「みんな一緒で大阪旅行もいいですね」

「そうだね」

「おはよう」「おはよう」とみんな揃ってのんびり東京駅の様子を見ていた。


「ああ、やっとホームか」と唐さんが言うと

「え! まだ改札付近でしょう? 」と若さんの言葉にみんなは驚いて、若さんの周りに集まった。

「ほんとだ、改札だ」と言って、イーサンは自分の所に戻り確認をすると

「新幹線、動き出しましたよ」

ということは、

とみんなで考えた。部長は新しい硬貨たちを財布には入れないはずだ、ごっちゃになるからだ。だとしたら、別の袋に入れる、いやいやそんなことを他の人が見たら不自然だと思うだろう。だとしたらポケット、そこが

「破れていた、ってことかな」

新幹線はどんどん離れてゆく、一円はずっと改札付近、桐さんは部長に連絡した。

するとしばらくして桐さんの電話に土下座をする部長の姿が映った。最近の謝り方の流行で、動画の顔だけを変えていた。

「すまなさそうな顔はしているな」とみんなで少し笑ったが、若さんは

「助けに行きたいな・・・」とつぶやいた。

「でも駅だから誰かが拾うでしょう」とみんなの慰めであきらめるしかなかった。


 しかし一時間後、事態は驚くほど全く変わらなかった。責任を感じた部長からはひっきりなしに連絡が来ている。ずっと東京駅にあることを、つまり落ちたままになっていることを告げると

「すまないが、救出してくれないか・・・」と頼まれた。

「よし! !行こう! 」と若さんは張り切って、あの検査装置を取り出したが、みんなが不安げな顔をしている。

「どうしたんですか? そんなに嫌ですか? 」

「嫌じゃなくて、これは・・・本当に難しいよ、若さん。大勢の人が行き来している中で探すんだから」桐さんの意見ももっともだ。

「しかも集団で動くわけにもいかない」イーサンも正しい。

「じゃあ、どうする?このまま放っておくのもよくないだろう?それこそゴミにまぎれたなんてことになったら、部長もろとも大目玉だ」さすが担当者は責任感が違う。

「そうだね、ここに一人置いて、その人間が詳しいナビゲーションをするのが一番だけど」

「けど・・・?」みんなが若さんを見ていた。若さんは不思議そうだったが桐さんが

「若さん、若さんが一番パソコンの扱いに慣れてる、それをみんなよくわかっている。詳しい位置情報を最速で伝えられるのは、若さんだけなんだ・・・行きたいとは思うけど、その」

なるほどみんなが微妙な空気になるわけだ。確かにこの仕事のパソコン上の処理は一番早い、また、いろいろなやり方も自分なりに見つけることもできている。

「そうですね、適材適所ですか、わかりました、僕がここに残ります。とにかく正確な位置をきちんと伝えますから皆さんよろしくお願いします。僕の新人君を助けてください」

「了解です! 」五人はそろって部屋を出るとき

「戦隊ヒーローものみたい」と言った菊さんの言葉に力が入った。


「やれやれ皮肉なものだ、あの山間の町でそのまま水の中にいてもいいなんて思ったからかな」と心の中で若さんは小さく己を責めた。しかし自分はここで最大限やれることをやらなければならない。

「東京駅の立体図、あのシステムは長時間は無理だから、ここから引っ張ってきてと・・」

みんなの判断は正しかった。しかし、現場はやっぱり大変だった。


「すごい人・・・」


 改札の近くまで五人はたどり着いたが、どうしたらよいかがわからなかった。海外からの観光客は年々増加の一途をたどり、平日、と言っても金曜日なのでなおさら人は多かった。がやがや音もうるさく、電話の声も聞き取り辛い。

「改札手前の階段から十メートル、 ありがとう詳しいね、さすが若さん」と言って一旦電話を切ったはいいが、その付近で人の流れが切れない。純粋な都会育ちの若さんを置いてきたことに後悔したが、それは仕方がないことだった。東京駅は何かしら どこかしらで工事をしている。そうなると例のシステムは使えない、使わない方がいいのだ。そうすると建物の地図がいる。しかし最新の駅の状態の地図を、ウイルスに感染する心配のない所から出すには色々な制約、許可等々があって大変なことなのだ。それを若さんはさっと、あっという間にできる、悪いが残ってもらわなければ早い救出は無理なのだ。

 

 五人ははじめ、一円玉があるであろう場所を囲むように一人ひとりで立っていたが、全然わからない。足元を見ても何かがあるように見えない。明かりのせいなのか、人の多さのせいなのか。

もう一度五人で隅の方に集まって会議のし直しだった。

「まだあるのに、誰も気づかないのかな」

「一円玉って落ちてても、拾わない人もいるらしいけど」

「ウソ! 信じられない! 」

その思いは若さんももちろん含めて全員強い一致、それは出会う前からでもあった。

 時間に追われてゆく人々、落ちている一円をゴミとしか思わない。もし人が少なくて前もって確認でもできればよいが、それが全くできない。ここについて一時間になる。部長はもう大阪に着いてしまっている。「まだか、まだか」との催促だ。


「部長が個人認証システムの改札を使えばよかったんだ、そうすればこんな苦労なんかしなくて済んだのに。使うように言われているだろうに」

最近鉄道会社が導入したのだ。本当に旅券が全くなくて新幹線に乗れる。新幹線の中の車掌にもその情報がいっているが、このシステムを使うためには厳しい、かなり厳重な調査がされて、預金口座が一定額以下になると使えなくなる。その知らせが必ず本人に行くようになっているのだが、それがすれ違ったりして、導入直後は駅の職員と喧嘩騒ぎになることがしばしばあった。現在では落ち着いていて、これを使う人間は有名人も多数いるため、駅でその人達に会えるスポットとなっている。そこならば、圧倒的に乗客は少なく、芸能人待ちの人間は電話片手に待っているだけなので、こんなに苦労はしなかったはずなのだ。多分部長もそのことで土下座を余儀なくされた、いやしたのだろうとみんなで思った。


「一円はほとんど動いていないよ。もう少ししたら、人がふっと切れる時間帯になるとは思うんだけど」若さんにも駅での苦労が伝わってきていた。

「姿さえ見えないんだな、そんな報告もないから。かわいそうな新人君、本当は高価な一円なのに」

 乗降客の誰も知らないことだ。知ったとしたら逆に血眼になって探してくれるのだろうか、と離れていても同じことを考えていた時だった。

 ちょうど一円が落ちている付近だった。誰かの手からひらひらとカードが落ちた、交通系のICカードだ。本人はポケットに入れたものと思ったのだろう、そのままあっという間に過ぎ去ってしまった。みんな一斉に動き出した。

「丁度いいチャンス到来だ、カードをなかなか拾えないふりしたら、そのすきに一円が拾えるかもしれない」

イーサンが素早くそこに向かって、到着するや否や、別の男性が素早くそれを拾って、何事もなかったかのようにそれをポケットにしまった。

「それ、あなたのじゃないでしょう」人がちらりと見るぐらいの声でイーサンは言った。拾った男性は

「何言ってんだ、俺のだよ」と強気にうそぶいた。

「違う、見てたんだ」とイーサンも騒ぎになってはまずいと声のトーンをおとしたら、ちょうどみんなが集まった。すると菊さんがとてもゆっくりと

「私たちは、こう・・・」と言ったとたんその男性はカードを放り投げるようにして、人ごみをダッシュで逃げて行った。それをゆっくり拾い上げ、みんなで探すふりをしたが駄目だった。仕方がない、騒ぎのようになってしまったので、いったん離れた所で作戦の練り直しをすることにになった。

「菊さん、ナイス! 」

「公務員だからね、こう、だけで公安と思ったのは相手だから」

「でもよかったですよ、駅員が何となくおかしいって感じで見てましたから」

「極秘に警備しているって思ってくれたらいいですね」

「そんな目で見ていたよ。駅員が顔を見合わせて、うんうんと頷いていたから」

「仕事しやすいですね、でも今のとこ効率が良くない」

「本当にちらっと銀色が見えた気がしたけど」

「新品じゃないからなおさらわからないよな」とひそひそと男五人が話した。その光景は異様に見えたが、客は行きかうだけなので問題ない。

「でも、凄いよな、あの男素早かった」

「見ていてすぐわかったね、届ける気がゼロだって」


「カードは落としたら高額だから、皮肉なもんだ、一円とそう重さは変わらないのに」

とイーサンの言ったことはセリフのようだった。確かにそうだ、奇妙な現象だ。硬貨は落とせば音が鳴る。まあ、一円はとてもかわいい音しかならないが、他のものは人を振り向かせるぐらいの力はある。この落としたカードにいくら入っているか予想は付かないが、これは新幹線も乗れるカードなので、高額が入っている可能性の方が高い。それを狙った犯罪なども起きているから、さっきの一連の事件は、ずっといる駅職員から見ても普通の事なのだ。

「環境は整ったけど、みんなで見るより、二人でペア、そして一人が通信係ってどうかな」と桐さんが提案した。

「それがいいですね、案外一人って見れないもんです」

「四つの目が二つの方がよさそうですね」

「それじゃ再開! 」

「がんばりましょう」

と言って桐さんは若さんに連絡を取った。



「・・・・・とこういう形になったから、若さん」

「そうですか、現場はたいへんですね、部長からちょこちょこ連絡があるんですが、発見出来たらこちらから連絡しますって言いました」

「部長も落ち着かないだろうけど、まあ、張本人だからそれぐらいのどきどき感は味わってもらおうかな」

桐さんの口調が、さっきまでの焦った感じではなかったので若さんは安心した。

「場所はほんの少し動いてます柱の右横です、一番人が通るか・・・」若さんの言葉通り一番人の多い所だ。その柱に隠れるようにイーサンと菊さんその反対側、壁ぎりぎりにおーさんと唐さんが立った。

「少し、ちらっと見えない? 唐さん」

「どこら辺?」

「緑のパーカーの人のすぐ後ろ」

「ほんとだ! ある!でも・・・」人の流れが絶えない。

柱の二人も

「イーサン! 」

「見えた! わかったけど・・・突っ切れない、すぐそこなのに」

この作戦は半分まで成功したと言っていいだろう。やはりたくさんの目はあった方が良かったのだ。

「待つか、どうするか・・・」桐さんも考えていた。


 するとちょうどよいことに、二十人ばかりの旅行のグループが一円の所に向かっている。大きなバックとキャリアー。ほとんどが若い女性たちだった。服装もバラバラで、部活の遠征のような服を着ているものもいれば、スカートで、ヒールをはいた女性もいる。明るい、濁りのない若い声は、がやがやとしたフロアーに、どこか新鮮なものを与えた。

「このままそこを行けば、きっと何か起こるんじゃないか。キャリアーのタイヤがその上を通れば、少しおかしな動きにもなる。そうだ、彼女たちが気付いて、その誰かが拾えば任務完了だ、何も救出しなくてもいいんだ」桐さんはそのことをみんなに告げた。ともかく、この一団に託すつもりだった。イーサンは

「5・4・3・2・・・」とカウントダウンを始めた。

「ゼロになったぞ、イーサン」と顔も見ずに菊さんが言った時

「あれ? 」っと一人の女性が立ち止まった。

「急に止まらないでよ! 」

「だって、何かがキャリアーの下に、何これ! 」と言うや否や


「シュッツ」

と蹴ってしまった。


「え! 」



五人が信じられないという顔をしたと同時に


「ゴール!」

「ナイスシュート!」と別の女性達が言った。

イーサンたちはちょうど人だかりで見えなかったが、唐さんたちはそれが確かにシュッと自動販売機の下に入ってゆくのが見えた、桐さんにも。

「若さん・・・」と小さな声で桐さんが話している間、

彼女たち一団は様々な声で会話していた。


「今の一円じゃなかった? 」

「そうよ、一円だったよ」

「えー、どうして教えてくれなかったの? 」

「速攻、蹴ったからでしょう? 」

「なんで教えてくれなかったのよ、ミッドフィールダーでしょう? 司令塔が素早く判断してくれなきゃ」

「アーアー、大切な資金が・・・」

「あの自販機の下だよね、取ってこようか」

「いいけど、時間ある? 」

「ないない、これ逃したら大変、乗車できなくなる! 試合にいけないよ! 」

一団はそこで固まったようになっていた。よく彼女たちを見るとキャリアケースに大きなシールが貼ってある。サッカーのクラブチームの様だ。そうすると


「ほらほら、邪魔になる、急いでいこう! 」と少し年上の男性が言ったので

「はーい」

「ああー、お金が、一円が」

「ごめんね、蹴ったりして、帰りに拾ってあげるから」

「ここに戻るの、半月後」

「それまでないか・・・さよなら一円ちゃん」

「かわいそう、ごみのゴールで、フカフカだろうけれど」

「じゃあね、元気でね」

とガラガラと大きな音をたてながら、あっという間に改札に向かった。他の客たちは多少迷惑そうにもしていたが、その技に、心底感謝しているのは自分たち五人だろうが、見とれていたのはほかにも数人いた。


「女子のプロサッカー選手・・・下の方のリーグなんだろうけど・・・上手いな。さすが二度ワールドカップ制覇した国だ」(未来の話なので)


そう言って唐さんはしばらく動けなかった。感動していたのだ。一円を見つけて速攻蹴ったのに、まったく人にぶつからず、まっすぐ自販機の下だ。手をたたいて喜びたいのを

「それはしてはダメだ」と必死にこらえている自分が残念でならなかった。運動音痴の自分にとっては、彼女たちは神に等しい。


「すごいね・・・この人込みで蹴れるんだね、スピードの問題かな・・・」菊さんたちと合流して桐さんの待っている、例の自販機の所に行った。

「見たけど、わからないんだ、ごみにまぎれて。多分真ん中らへんだと思うんだ、角度的に」桐さんの表情は明るくも、暗さが多少残っていた。若さんとは確認済みだ、そこにあることは間違いない。ちらっと見える自販機の下、端の方にも綿埃がある。手はもちろん入らない、棒なども持っているはずがない。通行人に、登山用ウォーキングスティックをさしている人が見えたので

「あれぐらいか、それか傘」とおーさんが言った。

「傘、傘、買ってこうか、ちょうどいい、欲しかったんだ、新しいのが」と唐さんが言った。さらに

「今すぐ取るとおかしなことにもなるだろうから、ほとぼりが冷めた頃が良くないかな。

三十分弱、そうすればここにいる人は多分一人残らずいなくなるから」と付け加えた。

「そうですね、それがいいかも。念のため両面テープとか、ガムテープも持ってきているので」

「すごい!イーサン!」

「いよいよ、スパイだね」とにかく一息は付けたのは確かなので、唐さんとおーさんは二人で買い物に出かけることにして、三人は自販機の側で話をしていた。時々飲み物を買う客が怪訝そうな顔をした。何か見られているように思ったのだろう。その通り。お金を落としてコロコロと奥に、ということは、現時点ではさすがに起こってほしくはなかったからだ。

「案外、現金で買う人が多いんですね」

「カードの窃盗犯対策なんだろうね、人がごった返してるから」

「調査の一環にもなりましたね、さっきの落としたものを拾おうとした人間といい」

やっとのんびりと人を見ることができた。そうしながら、仕事のことを話すことができた。誰も聞いていない、その人たちには目的があって、そこに急がなければならないから。

喫茶店などでは絶対できないことなのに、立ったままで、三人とも逆に不思議な気がした。

「えーっと、もうすぐ帰ってくるかな」そろそろ三十分になろうかとしていた。


一方、おーさんはとても驚いていた。唐さんがすごい速さで歩くからだ。

「運動が苦手って言っていた割にはすいすい歩くじゃないか」と感心していたが唐さんにも目的があった。傘を、実はゆっくり選びたい。仕事中にこんなことをしてはいけないが、趣味と実益と考えていた、実益イコール仕事だが。

駅の改札内での店舗の充実は年々良くなっていて、この現象を何とか言うらしいがそれは忘れてしまった。確かに少し高いような気がするが、案外カッコウが良いものがそろえてあった。

「え! こんないい傘買うの、唐さん」

「うん・・・ちょっとほしくて」

「でも・・・最初の仕事で埃だらけだよ・・・」

「いいよ、それも記念だよ」

「そう・・・」

という会話の後、唐さんはとても細い、一見傘とは思えないようなものを買った。

「このために細いものを買ったの?」

「いやいや、候補の一つではあったけど、迷っていたんだよ、ちょうどいいから」

「そういえば、唐さん、いいもの持っているよね」

「そうですかね」普通の会話をしながら、急いで戻っていた。

「時間内ですよね! 」「ぴったりに戻れる! 」最高の趣味と実益が待っていると急いだ。すると電話が鳴った。

「おーさん! 大変! 」菊さんの声だった


 その電話の数分前、改札前の自販機の横にいた三人は面白いものを見た。

「なぜ、人がいない」若さんの言っていた人の途切れる時間なのだろう。もちろん全くいないわけではないが、自分たちの声がさっきより数段大きく聞こえる。するとカシャン、カシャンと金属音がする。年配の女性が忙しく掃除を始めた。人のいない今を見計らってなのか、車内販売のワゴンぐらいの大きさのものを押している。長い箒、モップ、ささっと拭いて次の場所、次の場所とこちらに向かってくる。一つ手前にあった自販機の前に止まり長い棒をさっとその下に入れ左右に振ると、ものすごい量の綿埃が出てきた。それを手慣れた感じでゴミ袋に入れていく。

「こっちに来る! 」三人は必死に考えた。

今見たものから情報を得て、最善の、でも絶対に不自然にならないような救出策を実行しなければならない。唐さんの傘が最高の仕事をしてくれるのを待っている暇がないのだ。

さっきのごみの入れ方では、軽い一円などそのまま捨てられてしまう、焼却処分されてしまうのだ。それだけは、絶対に、絶対に、あってはならない。若さんの言う通り、本体の価値のかかった費用倍の一円なのだから。その若さんに連絡もできない、時間がない。

「落としたふりをしよう! 」

「そうだ、それしかない! 」

「タイミングを計らなきゃ」

「そうだ、あのおばちゃんがこっちに来る直前で落とすふりを、いや、落とそうか」

「いや、本当に落としたら、拾って終わり」

「始めた方がいい、こっちに来る! 」もう誰が何を言っているのかもわからない、とにかく、桐さんが財布を出して入れるふりをして

「あーあー」とイーサンと菊さんは自販機の下を覗き込んだ。

それから一分


「どうしたん、落とした?」とおばちゃんが言った。

「そうなんです、えっと・・・」いくら落としたかということ菊さんが言おうとしていると「ちょっと待ち」とさっきの長い棒を、スッツ、スッツと二振りしただけでほこりの塊が、両方から出てきた。片方をイーサン、片方を菊さんが見るとその中には何も入っていなかった。二人は、少々責めるようにおばちゃんを見たので

「待ちいね、なんかちょと当たった気がした」

ともう一度同じことをするととてもかすかだがカタンと音がした。そしてゆっくり菊さんの目に前、自販機の下から一円玉が見えて、止まった。

「これです、これです! 」ととても大きな声を、それはうれし気に上げたのでおばちゃんはびっくりした。そしてすぐ

「あんたの方にもあったろう? 」とイーサンの方を見た。するとイーサンは五十円玉を持っていた。

「それは違います」はっきりと菊さんが言ったので

「あんたは、正直な人やね」と笑ってくれた。

「ありがとうございました」桐さんもとても丁寧だったので、おばちゃんは

「一円でこんなに感謝されるなんてね、今までなかったよ」


その言葉は、ちょうどその時にやってきた唐さんとおーさんも聞くことができた。でも側によらない方がうまくいくと思い、そのまま遠目から見ていた。

「じゃあね」とまたワゴンを押していくと、まるでそのあとから湧いたようにまた人が溢れてきた。全く同じようになった。

「すいませんでした、遅くなって・・・」

「とにかく、確認のためにもこの場を離れよう」桐さんの号令で、みんなやっとここを後にした。


「それです、それです、皆さんご苦労様でした」若さんは喜んで言った。

「部長には僕から連絡しておきますから、とりあえず皆さんはゆっくりしてください」

若さんの好意に甘えないで、逆に職場にまっすぐ帰り、そこでゆっくり話をしたいと思った。拾ったカードを駅員に渡して、救出作戦は完全に終わった。職場に帰り着く前に部長から今度は「ありがとうございました動画」が来た。それは可愛い女の子のものだった。

部長の趣味は、極めて普通と言う他ない。


「女性のいないここで、女性に助けられましたね」若さんが笑いながら話を聞いた。

「本当にそうだね、でも一円を蹴られた時には、もう、こいつらどうしてやろうかと思ったけどね」

「でも唐さん、彼女たちの写真撮ったでしょう? 」菊さんがばらしたので

「彼女たちの荷物をね、チームのステッカーが貼ってあったから」

「サポーターになったりして、それなら一番に俺がならなきゃ、一円玉担当だから」

「聞かせてやりたかったよ、一円ちゃんってみんなから言われてた。よかったよ、ずっと踏まれてばっかりで、最後は優しい言葉かけてもらって」イーサンも優しいことを言う。

「でもみんな忘れてるよ、最大の功労者を」そう、さすが桐さん

「ありがとうございます、掃除のおばちゃん! 」部屋中で笑った。


「あ! そういえば部長は、部長のお金は? 」

「十円だけまだ持っているみたいなんだけど・・・」

「へえ・・・そう」あまり関心がなかった。


「今日は本当にご苦労様でした」

「お疲れ様」

「ゆっくり休みましょう」

とにかくお互いをねぎらう言葉ばかりで別れた。イーサンは一人歩きながら考えた。

「みんな色々あるな、でも五円って一番何もないのかな」

今日のことがあったのにも関わらず、何もないのがほんの少しだけ残念な気がした。

「でも、そのかわりと言っては何だけど、秘密の五円ちゃんがいるんだ、会いに行ける、毎日、でも毎日は行ってないけど。でも今日は行ってみようかな、お礼かたがたでも」

その秘密の場所に行こうとしたがイーサンは言った。

「あ! 夜の神社は怖いからやめよう」


君子危うきに近寄らず。

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