第4話 五百円玉は落ちていない

 

 会議から帰ってきたみんなを迎えた桐さんは、その表情を見て何かがあったとは思った。ひどい叱責でないのは確かなことであろうから、情報の共有のためにも一応聞いた。


「それは、そうだろうね」


と言う言葉は、とても正直な感想ではあるが、部下としては聞きたくはない。自分たちのやっていることがある種「無駄」と言われていることに近いからだ。

仕事を始めて1年以上なので、みんなは桐さんの性格がわかっていた。自分たちの中で唯一の妻帯者であり、年齢も上である。彼の言うことは、大体がみんなの心の中にあることで、それを上手に、誰も傷つけることなく表現できる才能があるのだ。そんな才能の持ち主からすればこれは真逆の発言。伝えた後の桐さんの表情が、自分たちの想像以上に厳しいものだったので


「そのあと、自分たちの頃も十円で買えたとか、好きな駄菓子は何だったとかいう話題で盛り上がったんですが・・・」と付け加えたが、それでにこやかになるどころか、一つため息をついて、

「ちょっとコーヒーでも買ってきていいかな?」と仕事中、桐さんから聞いたことのない言葉が出た。

「どうぞ、みんなの分も確認していたから疲れたでしょう?」とおーさん

「いや、ほとんど変わりはなかったようだから、じゃあ」と部屋を出ていった。

「桐さん、最近なんか疲れてるのかな」菊さんの言葉はみんなの意見だった。



「ちょっとイライラしているのかな」


と桐さんはぽつりと独り言を言った。仕事が本格的に始まれば、ある種短調になることは想像できていたし、一円、十円や百円のように目まぐるしく動かないことは、予想どうりで当たっていたのだから、むしろ喜ぶべき事なのだ。上司の言葉を内心言いたかったのは、紛れもない自分なのである。そう、みんなそうなのだ、このことは当事者が言うのなら許されるが・・・ということなのだ。そう自分は思うし、みんなもそうだろうと思う、だが、みんなには悪いのだが、自分がイライラしている原因はそこだけではなかった。

 

 担当決めじゃんけんに勝ってすぐさま


「じゃ五百円!」

「いいなあ!」と早い言葉の応酬はとても明るいものだった。実は自分にとって五百円は思い出の詰まった、最高の、五円以上の縁結びだった。今調査している、多分貯金箱の中の二個の五百円は、出会う以前の妻と自分のそれだった。

実は桐さんも五百円玉貯金が大好きで、仕事を始めてからずっと続けてきた日課、ではないけれど、ということだった。毎日五百円玉を貯金するのは、一般的なサラリーマンでは無理な話だ。だから桐さんは何枚かたまって一度に貯金箱に入れる、ということを楽しみにしていた。思い返せば、小さい頃から貯金は大好きだった。その時に持っていた貯金箱は、あの世界的に有名なビーグル犬が富士登山をしている、陶器のものだった。富士山が立った犬の背丈の二倍くらいしかないことを笑いながら、楽しく貯金をしていた。ただその貯金箱は、幸か不幸かあまり大きなものではなかったので、何度もいっぱいになり「大人になったら大きな貯金箱が欲しい」というのが、何故かずっと心の隅にあった。実際働き始めて、女性がほとんどの雑貨店などに、恥ずかしいのをひた隠しに隠して、一人入っていくことが度胸試しのようになっていた。

 

 その日も雑貨店によるつもりにしていた。その前にコンビニでコーヒーでもと思い、五百円玉をさらに増やすべく、千円札を出して会計していたところ、誰かが激しくぶつかり、財布から小銭、いや、大銭、つまり十枚程度の五百円玉が落ちるは、転がるは、結構な音を立てて店中に響くことになってしまった。

「すいません! すいません! 」

店員が持っていた荷物が当たったようで、店は小パニック、だが一人の女性がテキパキと五百円玉を拾って回って、自分が店員に必死に謝られている間に、全部を救出してくれた。お客さんの様だ。

「八枚、見つけましたが」うれしいと言うより、困ったように微笑んだ女性に、有難うございます、と言わなければならないのに、さっき以上の、「ドン」と衝撃を受けたような気がした。


きれい、可愛いとかではない


「この人がもしかしたら・・・」


完全な一方通行だが仕方がない。だが彼女の方は五百円玉の数を気にしているようだったので

「有難うございます、全部です、これで」

とあともう一枚あったかもという自分は完全に切り捨てて言った。しかし恰好を付けても化けの皮はすぐはがされて、店員が

「もう一枚、見つけました! 」二人で苦笑するということになった。そして彼女は先に店を後にした。

 数分後、桐さんは、コンビニをこんなに楽しい気分で出たことはないと思った。頭の中は色んな計算が合って

「あのコンビニの利用者だったら必ずまた会えるはず。奥まったところにあって、常連だらけだから」

うれしい近未来計画を綿密に立てるべく、今の予定を変えようかとも思った。が、何か妙な自信の塊が、背中ではなくて、お腹の中から推しているような感覚で、会社帰りの女性でごった返している雑貨屋に入っていった。


「なぜだろう、会えるとでも思っているんだろうか」


狭い通路と立ち話の客をすいすいと抜け、貯金箱が置いてあるコーナーに行った。

そしてそこには、一人の女性が、自分がそうするはずだったことをやっていた。

寄木細工のさいころ型の貯金箱、大きさは子供の頃のあの貯金箱とそう変わらないのだが、とにかく美しかった。自然な深い茶色の木の色は、中に入る金属と真反対の面白さがあった。模様は比較的大きく、一面一面が違う模様だった。市松模様、麻の葉など、その日その日で面を変えて楽しもうかと思っていたのだが、この貯金箱が高価なものなので、しばらく棚に飾ってあるのも見てからにしようと思った。

そして、貯金箱を本当に「きれいだ」と思いながら触れている女性はの服は、先ほど見たものだった。


「あの、有難うございました、さっきは」


桐さんが言うと驚いて、またとても楽し気に微笑んだ。そして勘のいい女性であることも分かった。

「あなたも五百円玉貯金をなさっているんでしょう?」似た者同士、だからあんなに、すぐに拾って、数が足りないかもということを気にしたのだ。

 

 それからは順調だった。二人とも結婚適齢期であるし、会えば会うほど

「この人と一生過ごしても、きっと話す事が無くなるなんてないだろうな」とお互いに感じるようになった。それが愛なのかと言われれば、絶対にそうだとは言えないが、一気に燃え上がるものではなくて、穏やかで、持続的な、消えることのない蝋燭の明かりのように、ずっと灯ったままの様に思えた。

どちらかの命が消えるまでは。



「金の切れ目が縁の切れ目と言いますが、この二人にはきっとそれがないでしょう。なぜなら五百円玉があればでよいでしょうから」

結婚式での上司の挨拶は、受けが悪いはずもなく、会場は笑いと拍手に包まれた。良い式だったと、自分達でも思い返している。

 

 つまり、五百円玉は、最良の二人思い出なのだ。その上、実は貯金されているであろう五百円玉を、一応大まかな住所だけでも知っておこうと調べた時だった。珍しい土地名がポンと目に入った。「あれ、これ女房宛ての年賀状の住所と同じだ」結婚式にも来てくれた同僚、確か彼女は雨具マニアで、そのために長年にわたり貯金をしていると聞いた。女房曰く彼女は「師匠」なのだそうだ。

細かく調べてはいけない、との自分たちの取り決めをや破ってしまったら、撥があったったのか、500円玉があったのは、まさに彼女の住んでいるマンションだった。さすがに階までは調べなかったが、驚くほどの偶然、面白い、あまりにも。

それなのに、妻には絶対に言えないことなのだ。守秘義務は公務員として当然であり、さらに自分たちがやっていることは違法なのだから、マスコミなどにしられたら大変なことになる。墓場まで持っていかなければならないことであり、一生誰にも言えない。


「話したい・・・」


そのストレスなのだ、単純で、他の人にはそんなことかと思われるかもしれないが、彼女も何か感じ取っているようで

「仕事大変なの?」と自分に聞き、家で少々落ち着かないこととなっている。仲間たちはこのことについては知らないので。自分でも対処方法がわからないのだ。


「ああ、戻ろう、でもさすがに目も疲れたかな、結構監視も大変」

コーヒーを飲みほして部屋に戻った。

「どうも有難う」とすっと自分の椅子に座った。

「桐さん、変化なしです」

「助かりました」

少し気分も良くなったので、部屋全体の雰囲気も良くなった。

「変わらないなあ」「そうだなあ」といつもの会話が始まったが、桐さんは何度も目をぱちぱちさせたり、首を振ったりということを始めたので


「どうしたんですか桐さん? 」とイーサンが心配げに尋ねた。

「なんか、最近目が疲れているのかな、点が小刻みに動いているよな気がして」

「どこのですか」「五百円の5番」みんな画面を切り替えた。

「あ! 本当だ、揺れてる! 」

「動いてる?ビルの中で・・・いや、違うね、この動き」

「何だろう、調べますか、桐さん? 」

「お願いできる? 若さん」若さんのパソコン操作は誰よりも早い

「じゃ、ここでやりますね」と、例のモードで細かく分析し始めた。みんなゆっくり若さんのパソコンに集まっていると


「ん? 」とすぐ若さんが声をあげた


「なんだ、これ、ビルの線がぐちゃぐちゃ、動いてる?」


「ビルを解体しているんじゃないのか! いけない! そんな時にこれ使っちゃダメ

だって言われた! 若さん! 強制終了! 」菊さんの叫びに


「はい! 」


すぐに若さんのパソコンは真っ暗になった。みんな茫然と立ち尽くしてしまって、何をどう言っていいのかわからなかった。

ぽつりと桐さんが


「死んだか・・・」とても小さな声だった。

すっとイーサンが自分の席に戻り


「まだ、生きてますよ! 桐さん! 」と喜んで言ったが、桐さんはある種儀礼的な微笑みを見せただけだった。イーサンもしばらくしてわかった。そうだ、小さな500円玉が壊されたビルの隙間に入り込み、最終的には埋め立て地へと行ってしまうだろう。海に入り、しばらくは発信機は生きているかもしれない、しかしそれが徐々に弱くなり、やがては隙間から入り込んだ海水によって、そう、桐さんの言うように「死んでしまう」だろう。それを桐さんはこれから見なければならないのだ。毎日、毎日、そして発信機の消えた日まで、それを記録することが仕事になるのだから。


「ありがとう、みんな」

桐さんは感謝をこめた。


 他県で起こっているビルの解体を、桐さんは見に行こうかとも思った。しかしそこに行けば、自分が立ち入り禁止区域になっているその場に入ってしまいそうなので、やめることにした。何日間かずっと500円玉は生きたままだったので

「案外、コンクリートに押しつぶれないんだな」とみんなの前で言ってみた。

「そうですね、でも500円玉だからでしょう、僕の1円だったらきっとぺったんこです」若さんが笑いながら言ってくれたので、みんなのいる部屋は、何かを取り戻せた感じだった。こんなことは、もしかしたらこれから起こるかもしれない、誰にでも、どの硬貨でも。そうしてさらに数日がたった。


 言おうかどうか迷った、でも抱えていることも良くないことに思えたので。


「動き出したよ」

と桐さんはみんなに言った。

5番が明らかに道に出ていて、みんなもその画面に切り替えた。葬送、というのは大袈裟かもしれないが、見届けたい、見届けてあげたい、という気持ちが強かった。桐さんは何故か、いや当然のようにこみ上げるものがあり、画面を見ながら、気が付いたら片手は口を覆っていて、もし涙でも流れたなら、拭くか、隠せるような手の動きになっていた。目は、閉じている時間の方が多かったのかもしれない。


「あれ? おかしくありません? 動き方がゆっくりじゃありません?」菊さんの声がした、すると若さんがすぐ調べてくれた。


「そうですね、時速4キロ」


「信号待ちかな・・・」と覚悟した桐さんの言葉に


「いや、これ、歩道ですよ。ほら、拡大して見て、コンビニの方に向かってるような・・・」唐さんが言った。


「入っていった、あ! コンビニで止まった! 」とおーさんの声に


「生きてる! これからまた生きていけるんだ! 良かったじゃないですか桐さん! 」イーサンが大きな声で言った。


桐さんは自分の画面の操作も忘れて、茫然と座ったままので、ほらほらと若さんの所に連れていかれた。言った通り、5番はコンビニにいた、そしてすぐさま、また動き出した、工事現場とは反対の方向へ。


「拾われたんだ、良かった、見つけてもらえたんだ! 」


「そうだな、500円玉だもんな、大きいしな」いろんな声がした。


 桐さんはこの仕事を始めた頃の、もらった資料の中の文面を思い出していた。

500円札に代わり導入されたこの硬貨は、最初否定的な意見が多かったという。

100円と見分けがつきにくいとか、高額なのに落としたらどうするんだとか。だが実際は、人は500円玉は落とさない。五百円玉貯金をしているから、それとはなしに道路を見ているが、拾ったことなど今まで一度もない。自分が忘れてズボンのポケットに入ったままになっていることがあったが、重さのせいなのか絶妙な大きさのせいなのか、ポケットの奥の方にしっかりと入り込んでいた。

「落ちない、だから落とさない、そして、拾えない」というのが500円玉の現実だった。

「ラッキー! 500円玉だ! 」拾った工事関係者も、さらに

「え! 500円玉落とした! どこに行ったんだろう! 」とビルの一室で失くした持ち主の声もきこえるようで、桐さんの身体にしみるほどうれしいものだった。


「本当に良かった! ありがとう、みんな」久々の明るい声に


「何も、していませんけどね」とおーさん達は笑った。


 次の日、みんな軽やかに職場にやってきて不思議に思った。

「桐さんまだ? 」「奥さんのお弁当が遅れているとか?」「珍しい」

いつものように桐さんが一番にやってきて「5番君」を確認していると思っていたからだ。しかし若さんが

「いいのかなあ、俺が一番に確認して」と言いながら、みんな気になるので調べると、彼、は、いかにも通勤中ですという動きをしていた。すると桐さんが「おはようと」すっと入ってきた。見るとちょっと微妙な表情なので

「すいません、先に5番君を調べちゃいましたが」

「ああ・・・ありがとう・・・本当に昨日は」と口ごもった感じだった。

「桐さん、何か、僕らに、その・・・できることなら、その・・・」

英断型になったはずのイーサンが口ごもりながらの様子に、すぐに桐さんが


「ありがとう、そのね、最近、女房が言うんだ・・・・・」


「・・・なんと?・・・」


「あなた、最近500円玉貯金しなくなったわね、って・・・」


しばらくして菊さんが


「職業病です」


聴いてもらえる人がいるのは幸せなことだと、桐さんは思った。


 





 



























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