第8話

 ジェローム・クックはバーズタウンの旅籠で給仕の女からシャープの遊説の予定を聞き出していた。その女が耳打ちした知恵を受けて警護が去った深夜の官舎にシャープを訪ねると手紙にあった。義理の息子の決意を周囲に吹聴して回ったキャスリーンが文面を忘れることはなかった。そしてその手紙にあった、手首に刺青をした字が読める女給仕の存在が妙に気にかかったことも忘れていなかった。

 ジェロームはその女の罠にはまったのではないか? 早速、自らその女給仕の消息を確かめようとバーズタウンの旅籠に向かった。


 旅人を装って旅籠で記帳するキャスリーン・ジレットは旅籠の主人らしい男に尋ねた。

 「随分以前のことになるわ。知り合いの女性がここで給仕をしていたのだけど、今でも働いているかしら?」

 「名は何といった?」

 「それが昔のことで思い出せないのよ。そうそう手首にハートの刺青をして、給仕女には珍しく字が読めたわ」

 「今まで何人も給仕はいたが、刺青をして字が読めたのはひとりだけだ。それはタミーだな」

 「ソウソウ、タマラだったわ。それで今はどうしているの?」

 「ある日に突然姿を消した。それも金庫から有り金をごっそり持ち出してだ。字が読めるから色々と任せて信頼していたんだ。それにあの殺された司法長官とも親しくしていて、大きな声ではいえないが、お陰で闇酒を融通してもらっていたんだ。だから給与も弾んでやったんだが、恩を仇で返しやがった。とんでもない奴だぜ。俺も甘かったがね」

 「その司法長官殺人事件の裁判があったわね。覚えている?」

 「今でも時折話題になる。絞首刑になった犯人と自殺したそのかみさんをひとつの棺に納めて埋葬した。ここから近い墓地に墓石がある」

 「ひょっとしてその給仕が姿を消したのはあの事件の直後じゃない?」

 「待てよ。そういわれれば、裁判が始まる直前だったな。裁判を見ようと首都に向かう宿泊人が増えたのはよいが、あの給仕が予告無しに姿をくらましたので食堂は大忙しで俺もウェイターを強いられた。あの女と裁判は何か関連があるのか?」

 「いいえ、そういうことではないのよ。それでタミーの消息は?」

 「持ち逃げした金を奪い返そうとあちこち当ってみた。でも、もう十年近くになるが皆目見当が付かない。西部にでも逃げたのかもしれないな」

 

 翌日帰宅したキャスリーンは息子のひとりを居間に引き入れた。三男のトマスは近辺では対抗する者がいないといわれるほどの賭博師だ。ボーリング・グリーンでは敬遠されて相手がいないために、南隣のテネシー州やミシシッピー河沿いのミズーリー地方や北のインディアナまで遠出をするほどだ。

 「トム、アンナとジェロームの恨みを晴らす機会が降って沸いたわ。お前の腕が役に立つ。あのジェロームが刺殺したはずのシャープがニューオリンズにいるらしいのよ」

 「母さんは、殺人は偽装だったというのかい?」

 「そうなの。確たる証言がふたりから取れた」

 「それで俺の役目は?」

 「シャープはニューオリンズで大きな賭博場を開いていて、自身もトランプ賭博が好きだそうで客相手に荒稼ぎをしているらしいのよ。そこの常連が先日ここの旅籠に泊まってね。バーテンダーにそう告げたんだから間違いないよ。お前、シャープが二度と立ち上がれないほど負かして金を巻き上げてきてよ。アンナの弟なのだから敵討ちの格好の機会だわ」

 「ニューオリンズは大都会だから賭博もかけ金が大きいだろうな。腕試しをしてみるか」

 「腕試しでなくてシャープを必ず打ちのめすのよ」


 ニューオリンズはメキシコ湾に注ぐミシシッピー河の河口に開かれた町だ。メキシコ湾岸は最初はスペイン人が住み着いたが、カナダに渡来してセントローレンス河を西に進んで五大湖に達したフランス人が、その後にミシシッピー河に沿って南下し、メキシコ湾岸をフランス領に組み入れた。そのためスペインとフランスの文化が融合した異国情緒に満ちたユニークな町になっている。フランス人の居住区だった河岸の一角はフレンチ・コーターと呼ばれて、古くから歓楽街になっている。

 その歓楽街にある大きな賭博場にトマス・ジレットが足を踏み入れた。ポーカーやブラック・ジャックのテーブルが連なる。ちょうど三人が座ったポーカーのテーブルの一席が空いていた。ジレットが三人に目礼してそこに座る。

 三人に向かって、「トム・ジレットだ。バージニアから流れてきた。よろしくな」

 右隣の男が、「トムといったな。この酒場のオーナーのソロモン・タイソンだ。トランプの腕は確かなんだろうな。俺だけでなく」といって他のふたりに目を瞑ってみせて、「このおふたりも年季が入ってるからな。用心しろよ」

 「年季が入っているかは定かではないが、テネシー出身のデービー・クロケットだ。宜しくな」アライグマの毛皮の帽子をかぶった年配のひとりがジレットに手を差し出す。

 握手しながらジレットが、「クロケットさん、ひょっとしてあのテネシー選出の連邦議員だったクロケットさんですかね?」

 「クロケットさんは止めてくれ。デービーで頼む。ああ、そのクロケットだ」

 「それはそれは。俺のようなしがない流れ者が同じテーブルでトランプ遊びをするとは、たいへんな栄誉ですよ」

 「トム、そう格式ばるな。議員を辞めた今はあんたと同じただの市民だ。これからアラモの砦に向かうところだ」

 オーナーが隣に座る大男の肩に手を置いて、「こちらはひょとしてテキサス国が誕生すれば初代の大統領になるだろうサム・ヒューストンさんだ。手ごわい相手だぞ」

 「ソロモン、悪い冗談はよせ。トム、ただの遊び人だから手加減してくれよ」

 オーナーのタイソンがカードを配ってポーカー・ゲームが始まった。

 耳にした通りタイソンことシャープの腕は相当だ。それに他のふたりも油断できない実力の持主だ。ケンタッキーやその周辺でジレットが日頃相手にする者たちとは格段の差がある。しかし、博打では人後に落ちることはないと自負するジレットのことだ。勝てるチャンスはそうそう廻ってはこなかったが、今回の旅はシャープを叩きのめすのが目的で小金を稼ぐつもりはない。


 ゲームが始まってから二時間ほどが経過した。ジレットのそれまでの勝負の結果は少々の負けになっている。「長旅から着いた日なので、きょうはこれくらいで」というとジレットは小金をテーブルに残して席を立った。

 この間、クロケットとヒューストン相手にはその意図を見抜かれるのを恐れて手加減することを避けたが、シャープには勝てる手であっても降りてしまったことが数回あった。だからか、シャープは、相手にするような実力の持主ではないと半ばからジレットに対しては警戒心を抱くことをすっかり止めてしまった。ジレットにはそれが手に取るように分かった。

 ジレットが去るのをきっかけにしてクロケットとヒューストンも立ち上がった。立ち去るジレットを目で追いながらタイソンが、「あの男は小者の流れ者に過ぎないな。この町では大損するかもしれないぜ」とふたりに告げる。

 出口の両開きの扉を押し開けながらヒューストンがクロケットに、「気付いたか。トムは相当の腕前だぜ。俺たちには手加減しなかったが、タイソン相手には勝てる手でありながら何度か降りていた」

 「ああ、俺も気になった。なにかを目論んでいるのかもしれんな。ただ者ではない」


 翌日、アラモに携行する銃や弾薬の調達のためにクロケットとヒューストンが数日の旅に出た。四十七歳のクロケットがアラモの砦で討ち死にするのはそれから間もなくのことだった。アラモの戦いには参加しなかったヒューストンは、タイソンの予言通りに後にメキシコから独立したテキサス国の初代大統領に就任している。

 その数日の旅から戻ったふたりが賭博場に向かうと、正面の扉に“閉鎖”の大きなサインが貼り出されている。

 どうしたんだ、と筋向いの雑貨店で主人に問うと、「ご存じなかったのですか。あのタイソンさんが旅人にポーカーで大負けしましてね。店にあった現金だけでなく、銀行に置いた預金もすべてその旅人が持ち去ったそうですよ。驚きましたね。あのタイソンさんが負けるとは、相手はよほど腕が立つ者だったのでしょう」

 「それでタイソンはどうした?」

 「一昨日の夜に身の周りの物だけを積んだ荷馬車で立ち去ったそうですよ。女も一緒だったようで、ふたりはミシシッピー河を渡った川向こうのアーカンソーに向かったとか」

 「夜逃げか。アーカンソーはコマンチ族の巣窟だ。ただでは済まないぞ」インディアンを妻に持つヒューストンは原住民の勢力分野に通じている。

 「神のご加護がありますように」雑貨商が気の毒そうに額で十字を切る。

 外に出たクロケットが、「サム、あのタイソンは元はケンタッキー州司法長官だったシャープだろう?」

 「そうだ。“ケンタッキーの悲劇”では脇役だった。殺されたことにして難を逃れたのだろうが、今度は自らが主人公になったわけだ」

 「あのトム。姓をジレットと名乗ったな。“ケンタッキーの悲劇”で自殺した女の実家はジレットだぜ」

 「手の込んだ復讐だったのか」


 それから数週間後にアーカンソー川の川面を白人男女の死体が漂流しているのを通り掛った牛追いのカウボーイたちが発見した。腐敗がひどく身元を確認することはできなかったが、女の手首にはかすかにハートの刺青があったとカウボーイのひとりが告げた。

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ケンタッキーの悲劇 ジム・ツカゴシ @JimTsukagoshi

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