第4話
「アンナ、昨日伝えたように弁護士は守秘義務を守る必要があるので、これから耳にすることを他人が知ることはない。だからありのままを教えて欲しいんだ。よいね?」
公園内の池の傍に馬車を停めたジェロームがアンナの手を取って尋問を始めた。
「シャープ宅を訪れたのは事実だね?」
「その通りよ」
「シャープが誘ったから?」
「そう。近所の荘園で舞踏会が開かれ、そこでシャープから誘われたの。珍しい輸入品の菓子が届いたので日曜日の朝にでもお茶をどうぞ、といわれてね」
「それで菓子とお茶のご馳走があった?」
「あったわ。居間のソファーに案内されてね。シャープはソファーと直角に置かれた椅子に座っていた。しばらくして召使が菓子とティー・ポットを載せた盆を運んできて、ふたりの前に置いて部屋を出て行った」
「召使は君を覚えているだろうか?」
「召使の女はわたしのドレスに関心を持ったのかドレスとわたしの顔をじっと眺めていたのを覚えているわ」
「召使の名を耳にした?」
「シャープがメアリーと呼んでいたわ。わたしの家にもメアリーという名の召使がいるのではっきり記憶している」
「召使が退出してからなにがあった?」
「お菓子をひとつ食べ終えるとシャープが椅子からソファーに移ってわたしのすぐ傍に座ったの」
「それで?」
「わたしの手を取るとそこにキスをしたわ。そして手をわたしの胴に廻して今度は唇を求めてきたの」
「君はシャープの手を振りほどいてキスを避けなかったのかね?」
「やんわりと拒否したのはもちろんよ。男は拒否されるとむきになるものよ。わたしもただ歳を重ねてきたわけではないわ」
「それからシャープはどうした?」
「わたしに以前から関心を持っていた。なぜ未婚なのか不可解に思い続けてきたんだ、といって、戸棚から酒瓶を取り出したわ。それまでに見たこともない布袋に包まった瓶で、英国から輸入されたシェリー酒だといってグラスに注いで手渡したわ」
「午前中からアルコールか。しかも禁酒すべき日曜日の昼前だよ。それで君は飲んだのか?」
「断ると別になにかを要求されそうで、グラスからちょっと口に含んだの。わたしもお酒は嫌いな方ではないからね。シェリー酒は初めてだったけど美味しかった」
「それで何杯飲んだんだ?」
「グラスを三度乾したことまでは覚えているのだけど、その後ははっきりとしないのよ」
「シャープも同じシェリー酒を飲んだのか?」
「シャープは俺はスコッチだといってウイスキーを飲んでいたわ」
「それからどうしたか覚えているのかね?」
「ソファーに座ったままでなにやかやと美辞麗句を並べながらわたしに抱き付いてきたことまでは覚えているのだけど、眠たくて。気が付いたら隣の寝室のベッドに裸で寝かされていたのよ」
「シェリー酒の三杯位で前後不覚になるはずはない。グラスに眠り薬が混じっていたのでは?」
「そういわれれば、シャープは棚にあった瓶を取り上げてわたしに背を向けてグラスに酒を注いでいたわ。どうして目の前のテーブルに置かないのか不思議に思ったけど、グラスに眠り薬を加えるためだったのかしら」
「シャープが君を犯したのは君が目覚めてからかい? 眠っている間に強姦されたのでは?」
「目覚めてから交わったのは一回だけよ。それだけで妊娠するとは考えられないわ。眠っている間にあの男はわたしを何回か犯したに違いないわ」
ジェロームの質問に答えるアンナは相手の目を正面から見つめていて、作り話をしているとは思われなかった。シャープの卑劣な行為に対する憎しみがジェロームの胸に大きく広がった。それと共に目の前のアンナに対しては、好奇心が同情に変わり、アンナを愛おしく思う感情が徐々にこみあげてきた。
アンナも年下ではあるがジェロームが同情以上の感情を自分に抱いていることに好感を抱きはじめていた。
ある日、居間でアンナから事情を聞き終え立ち去ろうとするジェロームの腕にアンナが腕を絡ませた。アンナの目は二階の寝室へ、とジェロームを誘っていた。アンナに愛情を抱き始めたジェロームが躊躇することはなかった。
ジェロームがアンナをはじめて訪れてから一年が経った。その間、シャープからは音沙汰はなかった。翌年秋に選挙を控えジレット相手の訴訟に掛かり切りになることは得策ではないと判断したからだろう。
ふたりは隔日でデートを重ねる間柄になっていた。若い男にしては女歴のあるジェロームだったが、それまでに相手にした若い女たちと違って、熟女のアンナがあの手この手を駆使する男女の交じりにジェロームはすっかり心を奪われてしまった。アンナを伴侶にすることを真剣に考えはじめていた。
ある日いつものように夕食を済ませたふたりは居間でくつろいでいた。母親のキャスリーンは近所の女たちとの会合があるとかで不在だった。ソファーに座って身を寄せるアンナの手を取ったジェロームが、意を決して「結婚したい」とアンナの耳元で囁いだ。
しかし、これまでにも何人かの男たちから結婚を迫られながら夫婦関係の束縛に縛られることを嫌ってきたアンナは首を縦にしなかった。十七歳も年下のジェロームが歳若い女に魅かれて自分を捨てることも大いにあり得ることだった。今のような宙ぶらりんな関係こそジェロームの心を引き留め続けることができると考えていたのだ。
その夜は満月だった。月光に照らされたベッドには激しい交わりの果てに大きく息使いする艶かしい女の裸体が横たわっている。俺よりも早くこの女体を奪ったシャープ。スキャンダル騒動にもかかわらず選挙運動はシャープに有利に進んでいた。翌年の選挙に当選して州の司法長官に就任するのは間違いなかろうと噂されていた。
アンナを翻意させ結婚に同意させるには、生涯を共にできる信頼に足る男であることを立証しなければならない。それにはあのシャープを相手に決闘で決着を着けるのが手っ取り早い手段に違いない。決闘の決意を告げるだけでアンナの心を揺さぶることも可能かもしれない。
隣で上向きになって双方の乳房を大きく上下させるアンナの耳元でジェロームが告げた。
「アンナ、僕はあのシャープに決闘を申し出ることにする。男と男の間で決着を見なければ君の仇討ちを果たすことができないからな」
「ジェローム、わたしのために命を賭けるの?」
「最愛の女を辱めた男だ。その男が司法長官になる。許せないことだ」
「判ったわ。決闘に勝ったあなたと結婚式を挙げることにするわ」
アンナがジェロームの胸に顔を埋めた。月光に映えるアンナの髪を撫でていたジェロームの手がアンナの腰を強く引き寄せた。
アンナに決闘の意志を告げた翌日、ジェロームはシャープに決闘の挑戦状を書き記した。その頃アンナは母親にジェロームの決意を伝えていた。
「まあ、若いのに頼もしいわね。シャープは剣に長けているそうよ。ジェロームはそれを知っているのかしら?」
「まあ、そうなの。でも決闘は剣ではなく短銃だそうよ。決闘の日が決まったら決闘用の短銃を二丁携行するといっていたわ」
「相手は司法長官への就任が確実視される政治家。ジェロームが勝ったら州中で話題になるわね。新たな金稼ぎのネタになるかもしれない」
まるで他人事を傍観するような母親の態度にアンナは顔をしかめた。そしてジェロームに対して今まで他の男に対してはなかった特別な感情を抱いている自分を見つめるアンナであった。
ジェロームがシャープに決闘を挑戦することを、いつものことではあるが母親のキャスリーンがあちこちで吹聴した。そのため、愛する女性の恨みを晴らそうとする若い弁護士と司法長官候補者の決闘は、地元のボーリング・グリーンだけでなく州都や他の都市でもしばしば話題にされ、その成り行きが注目された。しかし、ジェロームが挑戦状をシャープに送り付けてから数週間が経過したが、ふたりの決闘は実現しないままであった。
やがて、シャープがクックに跪いて許しを乞い、この件は落着した、という説が流れ始めた。どうも世間の好奇心を煽るためにシャープの政敵が流したデマだったようだ。
あの時代にはことを決着するための決闘はどちらの男にとっても美徳と崇められていた。アパラチア山脈の西側は当時は開拓が終わったばかりの西部の地だった。荒くれ男の世界では男らしい言動が尊ばれたのだ。中央政界にも注目される新進気鋭の政治家であるシャープが、決闘の申し入れに対して膝をついて許しを乞うことは政治家としては自殺行為に他ならない。政敵の狙いはそこにあった。
一方、ジェロームは黙して語ることはなかったが、事実はこのデマとは異なり、どこの馬の骨か分からぬジェロームを“何をこの若僧が!”と一蹴した結果に違いないとも囁かれた。
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