第2話

 議員とその支持者らしいふたりの男がバーズタウンの旅籠で食卓を囲んでから数日後のことだった。馬車に乗ったそのひとりがジレット宅を訪れ、扉をたたいた。

 キャスリーン・ジレットは財産を食いつぶしたとはいえ、上流階級の象徴である召使までは手放していない。玄関口に黒人女性の召使が現われた。

 「ミセス・ジレットは在宅かね」

 「ご主人は居りますが、どなた様でしょうか?」

 「ボーリング・グリーンに住むロバート・スミスだ。ちょっとした耳よりな話を伝えるためにやってきたと伝えてくれ」

 かしこまりました、と召使が引き下がってしばらくしてキャスリーン・ジレットが奥から現われた。金髪を後頭部で丸めている。初老で容色は衰えているものの、若い頃には美貌を誇ったといわれ、その一端がしのばれる容貌の持主だ。

 「キャスリーン・ジレットです。スミスさん、これまでにお目にかかったことがありますでしょうか?」

 「いえ、同じ町に住んでいますが、これまでは機会に恵まれず、お目にかかるのは最初のことです。あなたのお名前はかねてより耳にしていました。バージニア州から移住されたそうですね。ご主人を亡くしてからご苦労が絶えないとか。同じ町に住む者として何かお役に立てればと常々秘かに考えていましてね。そのお役に立てるかもしれない一件がありますのでお耳に入れようと思いまして」

 「まあご親切な。居間でお話を伺いましょう」といって男を居間に招き入れた。


 ジレットの名は十一世紀に英国を征服したノルマン人に見られる古い家系のひとつだ。このノルマン人とは、北から南下するバイキングの脅威に備えようとフランス王が起用した傭兵たちの集団を指す。実は、このノルマン人たちは地中海に達していた同じバイキング族だった。毒に対して毒をもって対抗するこの策は功を奏して、フランスが北からのバイキングの侵攻を抑える効果をもたらした。

 その功績に応えてフランス王はこの南方からのバイキングたちに英国とは海峡を挟んだノルマンディー地方を領地として与えた。そのノルマンディー公だったウィリアムが少数の軍隊を率いてアングロ・サクソンが統治する英国に侵攻した。一〇六六年のノルマン人による英国征服である。

 そのノルマン人たちの軍隊にジレット家の男が含まれていた。ジレットの名の語源はフランス語で、この語は盾を担ぐ者を指す。先祖も軍人だったのだろう。

 「娘と五人の息子が居りましてね」

 「女手だけではさぞご苦労されたことでしょう」

 「そうなんですよ。六人も子どもがいると養育費が馬鹿にならなくて。バージニアに比べれば物価の安い当地ですが、それでもこれまでは出費が多くて。このままでは主人が遺した財も底を突きそうですわ」   

 居間に置かれた調度品はどれもが安物で夫人の言を裏付けている。それでも壁の書棚には皮で装丁された高価な書の背表紙が並ぶ。未亡人一家には不釣合いな蔵書だ。田舎町のボーリング・グリーンでは売却したくても買い手が出現しなかったからだろう。

 召使の女が紅茶を運んできた。スミスにお茶を勧めながら、「末の息子が今年成人になりましてね。これからは少しは楽になるかと一息付いているところなんですよ」

 「お嬢さんのアンナさんは今も未婚なのですか?」

 「そうなんです。選り好みが激しくて。三十歳も半ばを越えてしまって、困ったことです」

 「そのアンナさんが身ごもったと耳にしましたが」

 「そうなんですよ。娘は相手の名を明らかにしませんが、昔から顔見知りの男に違いありません」

 「奥さんに誰か見当はありませんか?」

 「同じ町に住むソロモン・シャープではないか、と疑っているのですが」

 「あの飛ぶ鳥を落とす勢いの弁護士出身の議員ですね。なにか心当たりでも?」

 「しばらく前のことですわ。日曜日の昼前に娘がシャープ宅から出てくるのを目にした知人がいましてね」

 「シャープ夫人は日曜のミサを欠かさないことで評判ですが」

 「そうなんです。だからあの朝も夫人は教会に出かけていたはずです。妻の留守中に娘を自宅に誘い込んで強姦したに違いありませんわ」

 「それは言語道断ですね。歳を過ぎた娘さんの弱目に食い入ってセックスを強いるとは。しかし、あの男ならあり得ることかもしれませんね」

 「わたしがシャープではないか、と女性だけの集まりで告げたものですから、それがあの男の耳にも伝わったようで。以前は道ですれ違うと馬車から挨拶をしたのが、今ではそ知らぬふりをしてわたしを無視しますのよ」

 「奥さん、このままではジレット家は泣き寝入りするだけですよ。お宅はあのノルマディー公の腹心だったジョージ・ジレットの末裔だそうじゃないですか。シャープは今では資産家面をしていますが、元をただせばどこの馬の骨だか」

 「腹立たしいことですけど女手ではどうにもならないわ」

 「諦めることはありませんよ。お邪魔したのは他でもないそのことです。この悪事を世間に明らかにして、謝罪と慰謝料を請求する。お嬢さんの屈辱を晴らすためには正当なことです」

 「そんなことができますかしら?」

 「アンナさんの証言が鍵です。早速お嬢さんと相談してください。選挙を控えて破廉恥行為が知れ渡るとシャープは政治家生命を失うことになります。奥さん、お嬢さんはあの男の弱みを握っているのですよ。お嬢さんにとっては私的なことを明るみにするのは心苦しいことでしょうが、ジレット家の名誉を回復して賠償を手にするまたとないチャンスですよ」

 「あの男に頭を下げさせて慰謝料を手にできる。この機会を見逃す手はないわね」

 「その通りです。すべてはお嬢さん次第であることを強調してください」

 「娘は恥を知られるのを嫌って口を閉ざしたままですが、あの男に復讐できることを知れば心変わりするかもしれません」

 「週刊新聞のシチズン・ガゼット紙は州都でも読まれています。わたしがあの新聞社に特ダネだと売り込むことにします。新聞社も常にスクープを探していますからね。大きな記事に仕立てるように働きかけてみますよ。シャープの命取りになるゴシップ記事は奥さんの溜飲を下げること請け合いです。お嬢さんにも同情が寄せられるのは間違いありませんよ」

 「まあ、なんだか浮き浮きしてきますわ。世間に注目されるのはバージニア時代以来のことですもの」

 男は帰り際に二十五ドルをキャスリーンの手に滑り込ませた。そして、記事が載ったら五十ドルを持参すると告げて立ち去った。当時のボーリング・グリーンでは雑役婦の日当が二十五セント前後だったから、七十五ドルは一年分の報酬に相当する。


 上気したキャスリーンが直後に帰宅したアンナに二十五ドルを見せながら、「アンナ、金稼ぎの思わぬチャンスが到来したわ。親切な人がいてね。あんたの相手はあのソロモン・シャープだったとシチズン・ガゼット紙に売り込むそうなの。あんたの談話が記事に採用されれば、さらに五十ドル呉れるんだとよ。こんな濡れ手に粟の話はめったに舞い込まないよ。相手はあの男に相違ないわね?」

 アンナは母親から視線を外して一瞬躊躇する素ぶりを示した。慌てたキャスリーンは、「シャープからも慰謝料を剥ぎ取ることができるそうよ」

 アンナはこの数年ドレスを新調していなかった。七十五ドルの半分を手にすることができれば、久方ぶりに最新流行のドレスと装身具を身に着けて舞踏会に顔を出すことができる。

 「慰謝料が手に入ればそれはわたしのものよね。それならば相手はソロモンだったことにするわ」

 「あんたが新聞社の取材にそのように告げるならそうするわよ。あの男の泣きっ面を見ることができればわたしはそれで十分だよ」


 数日後にロバート・スミスが新聞社の記者を伴ってジレット邸を訪れた。キャスリーンとアンナが居間でふたりを出迎えた。あの日に手にした二十五ドルで買ったのかふたり共に新調のドレス姿だ。五十歳半ばのキャスリーンは未亡人であることを強調するのか黒いドレスに黒い帽子姿だ。アンナはブルーのドレスで、コルセットで胴を締め上げて盛り上がった胸には深い谷間が刻まれている。その谷間には首から下げたカメオが鈍い光を放っていた。

 スミスがふたりに記者を紹介しながら、「キャスリーンさん、アンナさん、こちらはシチズン・ガゼット紙のベテラン記者であるグレッグ・ウィルソンさんです。ウィルソンさんの名入りの記事にしてもらうように諒解を得ました。ウィルソンさんのコラムは多くの政治家が必ず目にする人気が高い記事ですから反響が楽しみですよ」

 スミスからスクープのネタだと売込みがあった時には、当初のウィルソンは記事に採用することに気乗りではなかった。現職の議員を中傷する記事は他のゴシップ記事とは異なり読者の反応が二分される恐れがある。対象にされた議員に日頃から好意を抱かない読者からは歓迎されるが、支持者からは冷ややかな目で見られ勝ちだ。記者としてはリスクを抱えた記事を書くことになる。

 記者が乗り気でないことを目聡く見て取ったスミスは、事前に議員と打ち合わせした通り、議会で審議中のある政策にまつわる水面下の情報を秘かに提供することを提案した。与野党が拮抗していた議会では与党に有利なその重要法案の通過が危ぶまれていた。シチズン・ガゼット紙は与党寄りで世論を賛成に導こうと連載記事を掲載中だった。議員が耳にしたある野党議員の醜聞を記者に提供するという。記者はシャープのゴシップを社会面のコラムに掲載して政治スキャンダルの色彩を薄くすることで取材に応じた。

 こうして数週間後に記事が掲載された。社会面のコラム扱いで“司法長官候補の醜態”とあった。記事にはソロモン・シャープがアンナ・ジレットを自宅に招いたのは日曜日の朝のことで、その時刻には夫人が教会のミサに出席していたという住民の目撃談が含まれていた。この目撃談も三人組から小銭を手にした住民によるものであった。

 コラムは社会面の隅にある小さなもので、母親のキャスリーンは少々落胆した。しかし、母娘は記事が掲載されたことで約束の五十ドルを手にするのも間近いし、次の作戦である慰謝料の請求を起こすというスミスの言に期待した。

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