第5話

清洲へと続く一本道。

日は沈み、星が上がり、さんすけと政秀は月明かりの中にいる。しかし二人は空など見ない。とぼとぼと淡々と、歩を進めるのみである。


夏の盛りだが夜間の風は心地よい。木々の間で鳴く夜蝉の声も、どこか静かに響く。


「あ、講義をせねば」

政秀が唐突に言った。

教育係として講釈をしようにも、平素のさんすけはじっと座ることすらしない。さんすけと連れだって歩いてる今こそ、勉学を教える好機と踏んだのである。


「孫子曰く 先んじて戦地におりて敵を待つものは佚し、遅れて戦地におりて戦うものは労す・・・」


孫子、兵法の一説を諳んじはじめた。さんすけに聞かせるためである。


「ゆえに善く戦うものはァ、人を致すも致されずゥ・・・」


唄うような調子で続ける。


「能く敵をしてェエ、自ら至らしむるものはァァアア、これを利すればなりィイイイ・・・」


気分の上がった政秀は興奮のためか足早となり、さんすけを置いて前へ前へと進みはじめた。もはや講義ではない。政秀の独演会だ。


「ィィイイオオ能く敵人をしてァアアアェェエエ至るを得ざらしむる者はァァアアンンンン・・・」


いつもこんな調子だ。

政秀は豊富な知識があるのは確かなのだが、どうも人に教えるのは向いていないらしい。


しばらくして、

「覚えましたかな?」

思い出したかのように後方のさんすけへと振り返った。


その政秀の目が、一瞬で丸くなる。

「何をなさってるんですかー!?」


さんすけは両手を地面につき、逆立ち歩きをしていた。


「できるか?」

さんすけが一言放った。

政秀は逆立ち歩きができるか?という意である。


政秀はさんすけの「一言放ち」に慣れている。

さんすけ語、を理解できる数少ない大人の一人といってよいだろう。


「かようなみっともない真似など、する気にはなれませぬ」

答えた政秀は、再び前を向いた。


さんすけは言葉を続ける。


「年か」

老齢だからできぬのであろう、という意である。

これに対し、政秀は少しむっとしたらしい。


「なにをおっしゃいまする!私はまだまだ若いですぞ」


そりゃ、というかけ声で、逆立ちを試みた。

が、すってんころりん。

無様なでんぐり返しになる。

「いた-!」

腰を打ったらしい。


さんすけは笑わない。

「勢いを、つけろ」

生真面目に助言を送る。


助言通りに、政秀は勢いをつけて足を上げた。しかし結果は変わらぬ。

ころりと前方に回り、「いたー!」

同じ奇声をあげる。


「こ、こんな事できても意味はありませぬ。それよりも講義の続きを・・・」


と政秀が言いかけたとき、さんすけのぼろ着から、ぽとりぽとりと何かが落ちた。


「なんですかな?これは?」

政秀が拾い上げる。


「タネだ」

「タネ?」


「柿のタネ。庭に埋める。木が生える。柿が食い放題だぞ」

「ほう。それは楽しみですな。柿がなるころ、吉法師様は立派な武士になっていることでしょう」


「その呼び名は、好かん」

相も変わらず逆立ち歩きのさんすけが言った。吉法師、という呼び方が気にくわぬようだ。


「いやいや、吉法師様、は素敵な名でありますぞ。若殿の威厳と未来をたたえるような・・・」


「それでいい」

さんすけが言葉を挟んだ。さすがの政秀も、意を取り損ねる。


「それでいい、とは?」

「若、でいい」


「呼び名を、若殿、にしろと?」

「殿、は、いらん」


「若、ですか・・・しかし、なぜ?」

「ふた文字だ。短くていい」


“吉法師”はどうにも長ったらしく、歯につまったような語感がある。それに比べ“若”は簡素でいい。さんすけはそう思った。


「若、ふむふむ・・・若あ・・・ふむふむう・・・これは・・・よき!よき!」


政秀は納得したようだ。


「では若!清洲まで講義を続けますぞ!」


政秀は孫子の兵法を再び諳んじはじめる。

さんすけは逆立ち歩きのまま、政秀の後ろをついていく。

月は相変わらず二人を照らしている。

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