第22話 Into You

 都の中央に位置する巨大な城は、四方に高々と石垣が積み上げられ、さらにその周りを取り囲んだ池も含めると、それだけで優に街一つか二つ分程はあろうかと言う広さを誇っていた。その中心で大歓声が沸き起こるたびに、普段は池の中を優雅に泳いでいる鯉や亀たちも、慌ててハスの葉の下に逃げ隠れた。巨大な敷地内に作られた闘技場リングは、今日も満員御礼フルスロットルで、実に一万を超える人々が見学に集まっていた。その特等席……城の天辺に位置する天守閣……では、硝子越しに大観衆を見下ろしながら、獄彩色の怪鳥・オンモラキが静かにほくそ笑んでいた。


「……オンモラキさんよぉ」

 すると、背後から不意に野太い声が飛んで来た。オンモラキがゆっくりと後ろを振り向くと、襖の向こうの自動昇降機エレベーターから、小柄な陸軍総司令官が品の無い笑顔をしながら現れた。

「随分とご機嫌じゃねえか。えぇ?」

「……猿田彦」

 明かりもつけない部屋の中、オンモラキがその顔を陰に隠したまま、うっすらと目を細めた。眼下では、人間の兵士が見事に妖怪どもをやっつけたのか、一際大きな歓声が上がっていた。


「フフ……。手柄を譲ってやったのだから、感謝して欲しいくらいだわ」

「感謝だと?」

 猿田彦が巨大な歯を剥き出しにして顎髭を撫でた。

「冗談抜かせ。犬神を海軍から蹴落として、後釜でも狙ってんだろ」

「相変わらず権力争いが好きねえ、おサルさんは」

 隣に並び窓を見下ろす猿田彦に、オンモラキは呆れたような顔で肩をすくめた。


「本当に人間って、欲深い生き物だこと」

「ケッ。裏でコソコソヤッてばかりの、物の怪風情に言われたかねぇわ」

「私は別に何も狙ってなんかないわ。ただ桃太郎チャンのために、出来る事を精一杯してるだけ……ンフフ」

「オイオイ。天子様アイツの事を、もう桃太郎幼名で呼ぶんじゃねえ。ご法度だろうが」

「アラ、連れないわねぇ。私たち三匹、百年前、桃太郎チャンと一緒に鬼退治をした仲じゃないの」

「それにしちゃ、犬神のこたぁすぐに売り飛ばしたじゃねえかよ。ったく、おっかねえ奴だ」

 猿田彦はガハハと豪快に笑い飛ばし、オンモラキの肩を力強く叩くと、ゆっくりと巨体を揺らし窓から離れた。

「何? わざわざそんな事言いに来たの?」

 オンモラキが笑って振り返ろうとした、その時だった。


 ブシュッ!


 、と肉を突き刺す音がして、オンモラキの胸から、突然銀色に光る刃物が飛び出して来た。

「……え?」 

 艶やかな怪鳥の目が、信じられないと行った具合に見開かれる。その視線の先で、猿田彦が唇の端を歪ませ、構えた刀を力任せに押し込んだ。途端にオンモラキの胸から噴水のように鮮血が吹き出した。


「いンや。まぁ本音を言えば、用は別にある」

「ど……」

 猿田彦が嗤った。綺麗に整えられた畳の上に、真っ赤な血だまりが一つ、二つ……と出来上がって行く。嘴の端から血を零し、オンモラキは、まだ事態を把握できていないような顔つきで自分を襲った猿田彦かつての仲間をじっと見つめた。

「どうして……?」 

「『どうして?』」

 猿田彦は毛深い顔の向こうから、ギラギラと血走った目でオンモラキを見返した。


人間ワシ物の怪おまえと違って、天子様アイツの後釜も地位も財産も、全部狙ってるからよォ」


 怪鳥の体を貫いていた刃が引き抜かれた。

 薄暗がりの天守閣で、オンモラキは糸の切れた人形のように、グシャリと血だまりの中に崩れ落ちた。


□□□


「ちょっとぉ! ここ、どこなのよぉ!?」

「っかしいなぁ。確かに城の中央に、向かってたはずなんだけど……」


 二匹が這って進んだ送風管ダクトの先には、巨大な推進機プロペラがぐるんぐるんと回っていた。

 隙間から覗く向こう側の景色は、残念ながらどう見ても緑色に濁った池である。ここから外に出ても、闘技場には辿り着きそうもない。これでもう、道に迷ったのは三度目だった。鬼子とかっぱえびの二匹は仕方なく回れ右して、再び来た道を戻り始めた。その間にも、割れんばかりの歓声が遠くから伝わって来て、二匹の進む道先を小刻みに揺らし続けた。

 もうすでに、『狩り』は始まっている……鬼子の心臓は早鐘を打ち、掌にはじっとりと汗が滲んでいた。


「早くしないと、鬼美ちゃんが……っ!」

「待て!」

 迷路のように入り組んだ送風管ダクトの中を、どれくらい進んだだろうか。鬼子はもう、声を潜めたりしなかった。そんな事をしなくても、今や城全体を包む大歓声で、見回りの黒子たちも何も聞こえていないに違いなかった。神経質ヒステリックな叫び声を上げる鬼子に、かっぱえびが負けず劣らずの大声で怒鳴り返した。


「ありゃ、何だ?」

 気がつくとかっぱえびは途中で立ち止まり、鉄板の隙間から食い入るように下を覗き込んでいた。鬼子が肩越しに覗き込むと、差し込んでくる白い光の先に、大勢の黒子たちが集まっているのが見えた。現在二匹の隠れている足元には、最初に運ばれて来た倉庫に負けないくらい、巨大な空間が広がっていた。鬼子がさらに目を凝らすと、黒子たちの向こうに、巨大な鉄格子が見え隠れしている。それはちょうど鬼子たちが犬神の母艦で捕まった時の、懲罰房の何十倍もの大きさであった。


「あれは……?」

 鬼子は息を飲んだ。鉄格子の中までは流石に見えないが、その奥から、化物ケモノのような呻き声が聞こえて来たのである。地の底から湧き上がってくる刺々しい声に、鬼子は思わずブルッと体を震わせた。

「中に、何がいるの?」

「分からない……」

 そう答えたかっぱえびの声も、若干震えていた。恐らくかっぱえびも、鬼子と同様に本能的に『危険』を感じ取っていたのだろう。実際少し離れた天井裏この場にいても、中にいるから激しい『憎悪』や『敵意』と言った感情が、ビリビリと伝わって来た。恐れをなしたかっぱえびが、ゆっくりと後ずさりしようとしたその時

『強いッ! 強すぎるッ!!』

「ひっ……!?」

 突然上から大音量の音声が降って来て、送風管ダクト全体を激しく揺らした。


 いつの間にか二匹は、会場の真下にいたのだった。鉄に閉ざされた天井の向こうで、実況の男が叫んだ。

『築き上げられて行く死体の山ッ! この若者の実力に、会場の熱気ヴォルテージも一気に跳ね上がっておりますッ!!』

「よし行くぞ、ガーナ。出番だ!」

 すると、快活な実況の声に合わせて、下にいた黒子たちがにわかに色めき立った。

『こうなれば、俄然期待は高まるというもの! 数多の屈強な男たちを沈めた、物の怪に登場してもらいましょう!!』

「う……うわあああっ!?」

「お、落ちるッ!?」

 ガゴン!! と音がして、突然二匹のいる天井全体が動き出した。鬼子とかっぱえびは堪らずゴロゴロと送風管ダクトの中を転がって、そのまま鉄板に激突した。さらに勢いで鉄板を突き破り、外に飛び出した二匹は、あろうことか鉄格子の中に放り出された。鈍い音がして、二匹は重なるように冷たい床の上に落とされた。


「いたた……!」

「何だ!? こいつらは!?」

「どこから湧いて出やがった!?」

 突然天井から降って来た鬼子とかっぱえびを見つけて、鉄格子の外で黒子たちが騒ぎ出した。鬼子は打つけたおでこをさすりながら、慌てて辺りに目を凝らした。かっぱえびが鬼子の下敷きになり、目を回して気絶している。鉄格子の外は様々な計測器メーター機械コンピューターが並べられ、研究室ラボのような作りになっていた。さらにその中には……。


「ギャオオオオオオオオッ!!」

「ひっ……!?」

 牢獄の中全体を覆うほどの、ドス黒い塊を見上げて、鬼子は思わず凍りついた。

 は、鬼子の何十倍もの大きさであった。今まで見た事もないような……表面には数え切れないほどの目玉をこしらえ、床に届きそうなくらいの長い牙に、足元にはタコのような触手が何本もうねうねと蠢いている……最早物の怪と呼んでもいいかどうかも怪しいくらい、『負』の塊に満ち溢れた生物が、鉄格子の中に閉じ込められていた。

「ひぃぃ……っ!?」

 鬼子は再び悲鳴を上げた。逃げようにも、恐怖に足がすくんで立ち上がれなかった。その間にも、周囲にはゴゥン……ゴゥン……と不気味な音が響き渡り、鉄格子は徐々に上へ上とせり上がって行った。


 そこでようやく、鬼子は天井から光が差し込んでいるのに気がついた。檻の屋根は開閉式になっており、天井からは綺麗な青空が見え隠れしていた。屋根が開いたので、ちょうど檻の真上にいた鬼子たちは巻き込まれ投げ出されたのだと知った。


 しかし知ったところで、最早どうにもならなかった。怪物と一緒に檻の中に閉じ込められてしまった鬼子は、自動昇降機エレベーターのように、そのまま現れた青い空に向かってゆっくりと昇って行った。

『この怪物に、一体どう立ち向かうのか!? 注目です、さぁッ!』 

 上に近づくたびに、次第に大歓声と実況の声が大きく感じられて行く。やがて鬼子は外へと辿り着き、その眩しさに思わず目を細めた。


 辿り着いたそこは、何と闘技場リングのど真ん中だった。

 供物を捧げる祭壇のように、鬼子は怪物とともに、闘技場リングの中央に押し上げられた。鬼子が震えながら辺りを見渡すと、全方位360°を取り囲んだ観衆が、下から現れた新たな獲物鬼子たちを見て、興奮冷めやらぬ様子で叫んでいた。四方八方から降り注ぐ大歓声に圧され、鬼子は立ち上がる事も、逃げ出す事も忘れ、ただただポカンと口を開けていた。


 あまりの熱気に朦朧とし始めた頭で、鬼子はふとを見つけた。

 ? 目の前にいる巨大な怪物の、さらに何倍もの大きさのが、闘技場リングの片隅に積み上げられているのを。


 それは、死体の山であった。


 鬼ヶ島で同等のものを見た事があったので、鬼子はすぐにそれが何なのか気がついた。

 切り刻まれた手や足、角など……石にされて運ばれて来た物の怪たちが、無残な姿になって山積みされていた。さらにその山の麓には、一人の若者が……返り血を浴び、どんな赤鬼よりも全身を真っ赤に染めた若者が……右手に刀を携え、静かにこちらを睨んでいた。


「う……!」

『今や都の名物! 危険度ランク最上級! 西洋からやって来た物の怪、ありとあらゆる呪いや魔術をその身に宿し続け、醜く変形してしまった哀れな生き物! その名も我愛無ガーナですッ!!』

 鼓膜を突き破らんばかりの実況の声も、鬼子の耳にはほとんど届いていなかった。

 揺らぐ視界の中、彼女は赤鬼と化した真っ赤な青年をじっと見つめていた。


 彼の足元には、物の怪村で知り合った唐傘お化けや小豆洗いの姿もあった。ただそのほとんどが、今や原型すら留めていなかった。

「うぅ……!!」

 何より、その右手に握られていたのは……今まで鬼子と旅をともにして来た、親友の首であった。切れ口から血を滴り落とす鬼美の首が、髪の毛を掴まれ、無造作に若者の脛の辺りにぶら下がっていた。


「うわぁああああああああああああああああっ!?」


 鬼子が、自分が叫んでいるんだと気がつくまで、数秒かかった。

 気がつくと、鬼子はガクガクと震えていた。それから鬼子が怒ったり、あるいは泣いたり何かしらの行動アクションを起こすその前に、同じく『祭壇』にいたガーナが、その声に反応して素早く触手を伸ばして来た。


 終わりの見えない熱狂とともに、鬼子は為す術も無く怪物の胃袋の中へと飲み込まれて行った。

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