第三章 猿
第21話 Say It Ain't So
「調子はどうだ?」
「何とか言ったらどうなんだ? え? 犬神サンよ」
帝の斜め後ろに立っていた、猿田彦が唸り声を上げた。鉄格子の向こうではジャラリ、と鎖が擦れる音がして、犬神が黙って舌を突き出し俯いていた。その両腕は天井に向かって突き出され、銀の手錠がかけられている。両足にも足枷が嵌められ、壁際に固定された犬神は、数日前空母にいた時とは比べ物にならないほど痩せ細っていた。
帝が懐から扇子を取り出し、ゆったりと仰ぎながら物言わぬ鉄格子の中を覗き込んだ。
「知っての通り……
「…………」
「しかし何だ。やはり大衆の目は欺けないとでも言うか。こう毎日だと、どうしてもやっている方にも、見ている側にも、『飽き』が出てくるものだ」
「…………」
「『一方的にこちらが痛めつけるだけでは、妖怪が
猿田彦がヒューッ、と口笛を吹き、犬神が下を向いたままギリッと歯軋りをした。
「そこで、だ」
帝がさらに一層目を細めた。
「犬神よ。お主に『物の怪狩り』に参加してもらいたい。
「俺に……」
「少しは歯ごたえのある相手でないと、盛り上がりに欠けるのでな。人間と戦え、犬神。お主の腕っ節は買っておる。これから運ばれてくる妖怪どもが助かるかどうかは、お主次第と言うことだ」
「
そう言って、猿田彦が下品な笑い声を上げた。
ゆっくりと顔を上げた犬神の目に、ようやく光が戻った。
だがその光は決して明るい輝きではなく、暗く、哀しみと怒りに満ちた濁った光であった。
やがて鉄格子が軋んだ音を立て開けられ、黒子の格好をした『医師』と『拷問官』が犬神の元へと歩み寄った。地下の牢獄に、獣じみた悲痛な遠吠えがいつまでもいつまでも響き渡った。
□□□
(ええっ!? あの
天井に広がる
(ああ。おいらが目を覚ました時、あの子が目の前にいたんだ。『自分はフランだ』って名乗ってな)
かっぱえびが神妙な顔をして小声で囁いた。
(『急いでここから逃げて』って、顔近づけてこっそり耳打ちして。このままじゃ貴方も、『物の怪狩り』の獲物になっちゃうって)
(『物の怪狩り』……)
(だからおいらは思ったワケよ。貴方も、ってことは、他にも大勢捕まった物の怪がいるんじゃないかって)
(うん……)
(それからこのフランって子は、おいらに惚れてるんじゃないか、ってな)
(それは、違うと思う)
鬼子はキッパリとそう言い切って、難しい顔をして口元に手をやった。
(どう言うことだろう? そのフランって子は、オンモラキの手下じゃないのかな……?)
(そんな感じはしなかったけどな。どんな事情があるか知らねえが、あちらさんも一枚岩じゃなさそうだぜ。まぁとにかく、お前らがとっ捕まってんじゃないかって心配してさ。あの
(ホントに? 石にされちゃった物の怪から、高価そうなものちょうだいできるとか思ったんじゃないの?)
(バ、バカ言うなよ。鬼子にだってちゃんと『布』、持って来てやっただろ!?)
かっぱえびが、『布』に着替えた鬼子から目線を逸らした。明らかに動揺するかっぱえびを尻目に、鬼子は音を立てないようにして、先に進み出した。
(とにかく、急ごう)
(ああ、そうだな。
かっぱえびが気を取り直して頷いた。鬼子は黙って暗がりの中を進み続けた。
もしそうだったら……。
先ほどの黒子たちの話を思い出して、鬼子はぶるっとその小さな体を震わせた。
□□□
地鳴りのような大歓声が、壁越しにも鳴り響いて伝わってくる。
暗く、閉ざされた小部屋の中で、桃太郎は腰に差した剣の柄に手をかけ、一人静かに息を吐いた。
「ちょっと趣向を凝らそうと思うのよ」
先ほど、出撃前に告げられたオンモラキの言葉が、まだ桃太郎の耳の奥に纏わり付いていた。
「いつもは大勢でやっつけるだけなんだけど……今日はね。一対一」
控え室で、オンモラキは桃太郎の肩に手をそっと乗せ、妖艶にほほ笑んでいた。
「出てくる物の怪たちを、一人の英雄が次々と打ち倒す。伝説の英雄・桃太郎みたいに……ね」
貴方は何も心配しなくていいのよ、とオンモラキは嗤った。
「物の怪たちは事前にある程度痛めつけてあるから。いざとなったら、周りにいる兵士たちが重火器で一掃してくれるわ。貴方はただ、復讐の炎に身を任せていれば良い。あ、それと段取りの件だけれど……」
それからオンモラキは上機嫌に、『狩り』の趣旨についてさらに一言、二言桃太郎に告げた。
だけど桃太郎は、もうそれ以上話を聞いていなかった。
ゆっくりと目を閉じる。
桃太郎の瞼の裏に焼き付いていたのは、母親の顔であった。父親の顔、友人たちの顔、故郷の人々の顔……。
やがてその顔は次々に戦禍によって燃え盛り、石になって固まってしまった。頭にどんどん血が昇っていくのが、自分でもはっきりと分かった。
不意に、瞼の向こうが熱く赤く照らされた。石の扉がゆっくりと両側に開き、向こうから日の光が差し込んでくる。怒号のような大観衆が、桃太郎の体をビリビリと揺らした。
「殺せーッ!!」
「容赦するな、一匹残らず叩き潰せぇッ!!」
「頑張ってぇ! 正義の味方の、お兄ちゃぁんっ!!」
「ぶっ殺せーッ!!」
桃太郎はもう一度だけ静かに息を吐き出し、それからゆっくりと目を開けた。
『皆さん! お待たせ致しましたッ!!』
あちらこちらに備え付けられた巨大な
さらにその先に見える、一匹の黄色い肌をした、小さな鬼娘の姿。桃太郎は眩しそうに目を細めた。すでに全身に傷跡を負い、手足を枷で固定されている。
声援に後押しされるように、本日の英雄はゆっくりと、闘技場へと一歩足を踏み入れた。
『それではご登場していただきましょうッ! 今日の主役、桃太郎軍曹ッ!! さぁ、皆さん片時も目を離さずご注目下さいッ』
割れんばかりの拍手と喝采に会場が包まれた。桃太郎が、静かに剣を抜いた。
『鬼退治のォ、始まり始まりですッ!!!』
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます