第18話 To Feel The Fire

 次に鬼子が目を覚ました時、辺りはすっかり夜になっていた。

 夢を見ていた。とても悲しく、辛い夢。だけど起きた時には、鬼子は夢の内容をさっぱり忘れていた。ただ心臓の鼓動が、いつもより激しく鳴っていた。まとわりつくような嫌な汗が、鬼子の背中をじんわりと濡らしていた。


 鬼子は息を整え、布団から這い出した。

 隣の部屋では桃太郎の両親が、静かな寝息を立てている。桃太郎は、巡回パトロール中だろうか。イカ墨を零したような暗闇から、鬼子は二人を起こさないように、そろりと外へ出た。

 空は深い青に染まり、星が煌々と輝いていた。寂れた村はしんと静まり返り、灯り一つない。その代わり道端に並べられた三台の戦車の赤い洋燈ランプが、ギラギラと鋭く目を光らせていた。


 鬼子はふらふらと、家の近くの小高い丘の上へと歩いた。丘の上から鈴虫の鳴き声に耳を澄まし、赤と青に染まった真っ黒な村を、ぼんやりと眺めた。そうしてしばらくして、鬼子は昨日遭った出来事や、友人たちと逸れてしまったことを思い出し、じんわりと目に涙を浮かべた。

「風邪をひきますよ」

「!」

 どれくらい経っただろうか。鬼子が木に寄りかかっていると、不意に後ろから声をかけられた。驚いて振り返ると、掛け布団を持った桃太郎の母親が、柔らかな笑みを携え佇んでいた。

「あ……」

「眠れないの?」

 桃太郎の母は鬼子の隣に腰掛け、彼女の肩に麻の布をそっと掛けた。降り注ぐ星の光に照らされ、鬼子はそのうち自然と母親の肩に身を寄せていた。


 そういえば……鬼ヶ島にいた時から、鬼子には母親がいなかった。 

 親友の鬼美にも、友達にも母親はいたが、鬼子の家にはいなかった。それを不思議に思ったことはあっても、父親の豪鬼には、何となく尋ね辛かった。こうして初めて母親の温かさに触れ、鬼子は心臓の辺りをぎゅっと掴まれたような気分になって、自然と涙を零していた。桃太郎の母も黙って、鬼子を抱き寄せ彼女の頭をそっと撫でてくれた。

「桜子ちゃん……あなた」

「!」

 桃太郎の母は、鬼子の頭に生えた角に手を当て、じっと彼女を覗き込んだ。鬼子が小さく目を見開き、息を飲んだ、その時だった。


「敵襲ゥッ! 敵襲ゥー!!」

 突然村の右端の方から、兵士の叫び声が上がった。途端にあちこちで警鐘サイレンが鳴り響き、掲げられた洋燈ランプが村全体を真っ赤に染めた。五、六名で編隊された兵士たちが急いで叫び声のあった方へと集まってきた。ガゴンッ!! と唸りを上げて、戦車が車体を震わせ、砲台をゆっくりと森の方へと動かした。鬼子は息を飲んだまま、砲台の向かった先へ目を凝らした。

「撃てッ! 撃てェェェッ!!」

「あれは……!」

 桃太郎の母親が驚いて目を見開いた。

 向こうからぬっと姿を現したのは、物の怪村の妖怪たちであった。まずがしゃどくろが、空に浮かんだ月にも負けないくらい、その大きな両目をギョロリと見開き森の向こうから現れた。がしゃどくろは星空を覆い尽くし、小さな村はあっという間に巨大な影に包まれた。さらにその肩に乗っていた、烏天狗や塗り壁と行った妖怪たちが、次々と村に向かって飛び降り突撃を開始した。村に隣接した木々の隙間からは、ろくろ首や一反木綿など、大勢の妖怪たちが目の色を変えて押し寄せてくるのが見えた。


「大変……! 急いで家に戻りましょう!」

 砲弾が轟音を響かせ、百鬼夜行の列を抉った。深い森に咲いた爆炎の花が、灯りのない村で一際輝きを放つ。花は何本も咲いた。木々が吹き飛ばされ、土埃とともに、小柄な妖怪たちが夜空に枯葉のように軽々と舞った。それでも森の奥から、次から次へと妖怪たちが村へと雪崩れ込んできた。

 鬼子は声を上げることもできず、呆然とその場に立ち尽くした。遠くの方から悲鳴が聞こえてくる。鬼子は手を引っ張られるままに、小高い丘を駆け下りた。


「きゃあっ!?」

 がしゃどくろが足踏みで地面を揺らし、坂道の途中で、桃太郎の母親がその場に倒れ込んだ。痛そうに顔を歪め、蹲る桃太郎の母親の足は、赤黒いあざが出来ていた。

「どうしよう……?」

 鬼子は顔を青くして辺りを見渡した。すでに妖怪たちの群れの先頭は戦車まで辿り着き、中にいる兵士たちを引きづり出そうと、車体の上によじ登り始めていた。必死に銃で応戦していた兵士たちも、多勢に無勢と言ったところか、押し寄せる物の怪たちに飲み込まれようとしていた。


「お母さん!!」

 鬼子が途方に暮れていると、赤く染まった道の向こうから、迷彩服に身を包んだ桃太郎が血相を変えて飛んできた。

「大丈夫!? お母さん……!」

「桃太郎や……」

 母親が、駆け寄ってきた自分の息子に弱々しく笑って見せた。桃太郎は急いで母親を担いだ。

「逃げよう。ここはもう持たない。僕の部隊が食い止めてる間に、急いでみんなを村から逃がさなくっちゃ」

「一体どうして……」

「分からないよ。どうして急に、妖怪たちが総攻撃を決意したのか」

 どこか遠くの方で、妖怪たちの叫び声と、それから破裂音が聞こえた。桃太郎が夜道を歩きながら、途方に暮れたように、紅蓮に染まる夜空を振り返った。

「捕まえた妖怪の一部は、『鬼っ娘を返せ!!』ってしきりに叫んでるけど……僕には一体何のことやら」

 二人の端で会話を聞いていた鬼子は、ハッとなってその場で固まった。


「……大体この村の正確な位置だって、まだ妖怪たちにはバレてないはずだったのに。内通者がいたのか、それとも跡を付けられていた、としか」

「…………」

「……どうしたの?」

「いえ……」

 腑に落ちない顔をしていた桃太郎だったが、母親の様子に気づき、不意に歩みを止めた。鬼子は恐る恐る顔を上げた。向こうで息子に担がれた母親が、険しい表情でじっと鬼子を見つめていた。その視線は、やがてゆっくりと鬼子のおかっぱ頭へと向けられた。

「お母さん?」

「……いえ。何でもないわ。行きましょう」

「……!!」

 母親にそう言われ、桃太郎は再び夜道を歩き始めた。だけど鬼子は、地面に根が生えたかのように、その場に突っ立ったまま二人の背中を見つめていた。今度はすぐ近くで、爆発音が鳴った。熱風が鬼子の肌をピリピリと焼いた。鬼子はゴクリと唾を飲み込んだ。


「あの……っ」

「ん?」

 鬼子に声をかけられ、桃太郎親子が不思議そうに振り返った。鬼子は桃太郎の母親をじっと見つめた。

「どうしたの?」

「あの……」

「歩けるかい? 早く逃げないと……」

「あ……」

 桃太郎に手招きされ、鬼子は俯きながらも、ゆっくりと二人の方へと駆け出した。だけど鬼子の頭の中は、ある疑念で一杯になっていた。


 一体どうして……。


「大丈夫? どっか怪我した?」

「その……えーっと」

 桃太郎が心配そうに、駆け寄ってくる鬼子に尋ねた。だけど鬼子は、それ以上言葉が出て来なかった。


 次の瞬間、草むらの陰から飛び出してきた烏天狗が、桃太郎親子に突進してきたからである。


「見つけたぞォ!! 人間が、ここにも一匹ィィイッ!!」

「!!」

 矢のように向かってくる烏天狗が嬉々として叫んだ。その手には、銀色にギラリと光る小刀が握られていた。

「ひっ……!?」

 鬼子は、三人は目を見開いた。桃太郎は、母親を担いでいて、腰に携えた剣を抜くのが大いに遅れた。桃太郎の母親は恐怖に顔を引きつらせ、その場に凍りついた。

「死ねえええええええええええええ!!!!」

 だから鬼子が一番初めに動けたのは、本当にたまたまであった。

 烏天狗が叫び声を上げ、黒い羽を撒き散らしながら、握られた凶刃の先を桃太郎へと伸ばした。

「……危ないッ!!」

 鬼子は咄嗟に、桃太郎たちを突き飛ばした。

 一体どうして?


 その答えが出る前に、鬼子は体を強張らせ、ぎゅっと目を閉じてしまった。烏天狗の足元に、桃太郎親子が転がった。刃の切っ先は、後ろにいた鬼子の心臓へと向けられた。


「……ッ!!」

 貫かれる。

 そう確信した鬼子は、ぎゅっと体を縮こまらせた。


 ……だけど、いつまで経っても烏天狗の小刀がやって来ないから、鬼子は恐る恐る目を開けた。

「……?」

 いつの間にか、辺りはシン……と静まり返っていた。

 あれほど煩かった爆発音も、妖怪や人間たちの叫び声も、聞こえなくなっていた。

 

 鬼子は自分の目の前にある、奇妙な”もの”をじっと眺めた。

 それは、石像であった。

 烏天狗が、刃を鬼子の心臓に向けて伸ばしたまま、すんでのところで石になって固まっていた。

 さらにその足元には、恐怖に顔を強張らせた、桃太郎親子の石像が転がっていた。

「そんな……!?」

 鬼子は慌てて坂道を駆け上り、小高い丘から村を見下ろした。

 村のあちこちで、石になった妖怪や人間たちが固まっていた。唐傘お化けが、砲台の筒に足を突っ込み、そのまま石になっていた。がしゃどくろは右足を振り上げたまま、巨大な石像になってそびえ立っていた。逃げ惑う村人たちも、暴れ回る物の怪たちも、それから道端で鳴いていた鈴虫でさえ、その場にいた全員が石になってしまったようだった。


「良くやったわ、フラン」

「!」


 すると、静まり返った村の中に、不意に空中から艶やかな声が響き渡った。鬼子は慌てて木陰に身を潜め、声のする方角へと目を凝らした。

「お利口さんね、フラン」

「ママ……」


 鬼子は目を見開いた。村の空にふわふわと浮いていたのは、あの洞窟の奥にいた、ターバンの少女であった。フランと呼ばれた少女は、巨大な鳥の妖怪に抱きかかえられ、その腕の中でうっとりと目を細めていた。

 やがて巨大な怪鳥は、降り注ぐ月光をその身に浴び、静まり帰った村を見下ろし妖艶な笑みを浮かべた。


 それが、鬼子と怪鳥・オンモラキとの、初めての出会いになった。

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