第17話 Triple Trouble

「落ち着いた?」

「ん……」

「もう大丈夫。ここは僕の、実家なんだ。安心していいよ」

「あ、あの……っ」


 鬼子は差し出された煎茶を一口含み、それから急いで湯呑みを床に置いた。すると、古びた家の扉が開かれ、向こうから見知らぬ軍服を着た若者が飛び込んできた。

「桃太郎軍曹。他に生存者はいないようです」

「ありがとう。しばらく休んでていいよ」

 桃太郎と呼ばれた青年は、鬼子の横で胡座をかいたまま、やって来た兵士に気さくに片手を上げた。鬼子は横にいる少年桃太郎をまじまじと見つめた。


「あの……」

「それにしても、危ないところだったね」

 鬼子の蚊の鳴くような声を遮り、桃太郎は屈託のない笑顔で振り向いた。

「あの森は、悪い妖怪が棲んでるってもっぱら噂だったんだ。近隣の村が、もう何回も襲われてる。僕らが巡回してなかったら、今頃君も大変なところだった」

 桃太郎が浴衣姿の鬼子をまじまじと見つめた。

 

 森でこの見知らぬ少年に助けられ、鬼子は今、彼の実家に匿われていた。どうやらこの少年は、浴衣を着た鬼子を人間だと勘違いしているらしい。確かに鬼子の肌は桃色で、他の鬼たちに比べて大分人間に近かった。

「君、名前は?」

「えぇと……」

 鬼子は口ごもった。ここで自分の正体を鬼だと明かすのは、さすがに不味いと思った。

「お、桜子おうこ……」

桜子おうこちゃん、ね。家はこの近くなの?」

「う、うん」

「そうか。後で送ってってあげよう」

 桃太郎が納得したように頷いた。

 鬼子は自分の正体がバレないよう、慎重に桃太郎に話しかけた。


「あなたは……」

「僕は、桃太郎。悪い妖怪からこの国を守る、陸軍の兵士さ」

 軍服を身に纏った桃太郎が、白い歯を見せた。

「実家の付近が襲われてるって聞いて、志願して都からコッチに来たんだ。たまたま桜子おうこちゃんを見つけることができて、良かったよ」

 鬼子の視線に気がついて、桃太郎は胸に光る徽章バッジを、少し照れ臭そうに指差した。


「ああ……これ? そう、こないだ軍曹に昇級したんだ、僕。軍にはまだ入ったばかりなんだけどね。犬神元海軍司令官を捕まえた功績で……」

「犬神さん!?」

「知ってるの?」

「い、いや……!」

 鬼子は慌てて視線を逸らした。桃太郎は深く疑う様子も無く、うんうんと頷いた。

「まぁあの方は、結構有名だったからね。だからこそ、皆のショックも大きかったかもしれない。犬神さんは民間人にも優しくて、時々、人間よりも人間らしかったから……さ。彼が逮捕されて、都でも大騒ぎだよ。犬神艦長が、まさか物の怪たちと繋がっている裏切り者だったなんて……」

「犬神さんが……?」


 鬼子は呆然としたまま、湯呑みをじっと見つめた。

 自分たちと別れたあの後……犬神は豪鬼の胴体を連れて、都へと向かったはずだ。どうやらその道中で、この桃太郎たちに捕まってしまったらしい。鬼子は、自分の体が震え出しそうになるのを、必死で堪えた。

「そっそれでっ」

 鬼子は急いで顔を上げた。

「ん?」

「犬神さんは……犬神さんが連れてた鬼の体は、どうなったの!?」

「よく知ってるね」

 桃太郎が目を丸くした。鬼子の真剣な表情に、桃太郎は若干気後れしたように言葉を濁した。

「確か鬼の方は、まだ都に捕まってるはずだよ。処刑しようにも、もう首は切り離された後だし、どうしたもんかって役人が頭悩ませてたよ」

「そう……」


 鬼子はホッと胸を撫で下ろした。どうやらまだ、お父っちゃんの心臓は無事のようだ。心臓が潰されてしまっては、いくら鬼と言えども生きられない。桃太郎がふと思い出したように呟いた。

「だけど今度、空軍のオンモラキさんが、その鬼やらを使って催し物をするって言ってたな」

「催し物?」

 不意に出て来たオンモラキの名に、鬼子はピクリと眉を動かした。

「ああ、『物の怪狩り』だよ」

 桃太郎が笑った。

「捕まえた妖怪たちを闘技場リングの中に放って、逃げられないように弱らせて、皆で叩くんだ。日頃鬼や妖怪たちには悩まされてるからさ。良い憂さ晴らしになるって、皆楽しみにしてたよ」


 狭い藁葺わらぶき屋根の家に、少年の無邪気な笑い声が響き渡った。鬼子は、笑えなかった。


 犬神さんが捕まった。

 お父っちゃんはまだ無事のようだが、それもいつまで持つかは分からない。

 かっぱえびさんは石にされ、頼りにしていた親友鬼美とも、とうとう逸れてしまった。


 鬼子は、まだ自分が泣き出していないのが、自分でも不思議なくらいだった。


 それに、『人間狩り』とか、『物の怪狩り』とか。


 物の怪たちは人間を恨み、人間たちは物の怪たちを恨んでいる。

 どっちが先にやったとか、どっちのせいだとか。

 そして、そのどちらの『狩り』にも一枚噛んでいるのは……オンモラキと言う妖怪だった。


「やっぱり、何か変だよ……」

 鬼子は誰にも聞こえない声で、ボソリと呟いた。陸に上がってから度々耳にする、オンモラキと言う妖怪の名。鬼子は自然と拳を握りしめ、小さな掌の中でぎゅっと爪を立てていた。一体何かは分からないが、ばく然とした疑念のようなものが、彼女の胸の中で渦巻き始めた。

「そう言えば、さ」


 深刻な表情で床の一点を見つめる鬼子に、桃太郎が不思議そうな顔をした。

桜子おうこちゃんはどうして、あんな夜中に森にいたの? お父さんやお母さんは?」

「え?」

「さぁさ、洗濯物が終わりましたよ」

 鬼子が何と答えて良いか分からず、ぽかんと口を開けていると、玄関から桃太郎の母親が姿を現した。桃太郎の母は鬼子たちの様子を見るなり、咎めるように口を尖らせた。

「コレ、桃太郎や。可哀想に、その子は酷い目にあって疲れてるんだから。寝かしてやりなさい」

「はぁい」

 桃太郎はぺろっと舌を出して、罰が悪そうに家の外へと出て行った。その子供じみた仕草に、鬼子は思わず目を丸くした。すると、川から帰ってきた桃太郎の母が、申し訳なさそうに頭を下げた。

「堪忍してやってね。ああ見えて、あの子はまだ十歳なのよ」

「十歳?」

 鬼子は桃太郎の背中を追って、玄関から顔を覗かせた。


 古ぼけた玄関から見た家の外……決して裕福とは言い難い、寂れた景色をしていた。何となく鬼子は鬼ヶ島を思い出し、懐かしい気分になった。村人たちは皆老人か子供がほとんどで、道の脇では、軍服を着た数名の軍人たちが銃を片手にしきりに目を光らせている。荒れ果てた田んぼの横に居座る陸軍の巨大な戦車が、場違いなほど目を引いていた。鬼子が物の怪村で見たような活気は、この人間の村にはなかった。鬼子は村のあちこちに、半分に折れた木だとか潰れた家だとか、妖怪たちに襲われた傷痕があるのに気がついた。鬼子が村の外を眺めていると、不意に後ろから抱きしめられた。


「さ、もう家の中に入りなさい。怖かったでしょう? 今日はしっかり寝ないとダメよ」

「あ……」

 優しい声で鬼子の頭を撫でたのは、桃太郎の母親だった。鬼子は急いで手を振り払った。母親の手が、鬼子のおかっぱ頭の中にちょこんと乗っかった、二本の角に当たったのではないかと思ったのだ。鬼子は心臓をバクバクと弾ませた。もしここで自分の正体がバレてしまったら、たちまち陸軍に引き渡されてしまう。


「……どうしたの? 早く家にお上がりなさいな」

「……はい」


 だが桃太郎の母親は、相変わらず柔らかな笑みを鬼子に向けていた。鬼子は静かに頷いた。

 それから用意してもらった布団に潜り込み、連日の疲れもあってか、彼女はすぐに眠りについた。幼子の寝顔を見つめる母親の顔色が、不意に暗く陰るのを、鬼子はもちろん知る由もなかった。

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