第16話 Weapon Of Choice

「どうしたお嬢ちゃん、食べないのか?」


 ホカホカと湯気の上がる鉄板の向こう側から、鬼蜘蛛のお兄さんが不思議そうな顔をした。鬼子は苦笑いを浮かべて、差し出されたイカ飯をやんわりと断った。

「……お腹空いてないのか?」

「ううん。ちょっと……」

 鬼子は弱々しく首を振った。隣で焼きとうもろこしを頬張っていた鬼美が、心配そうに鬼子を眺めた。



 結局昼間のメドゥーサ探しは再び空振りに終わった。

 途中、鬼美が人間の里の方に行きたがったが、リーダーのぬらりひょんにやんわりと断られた。やはり自分たち他所者に、見られたくない事でもあるのだろうか。これはますます怪しいと、鬼子たちは顔を見合わせた。

 そうして夜になると、村では再び祭りが始まった。鬼美も、それから鬼子も再び浴衣に着替えて、二匹は屋台が列になった通りをぶらぶらと歩いていた。たとえ何があっても、どれだけ犠牲者が出ても、夜になると物の怪村では何事もなかったかのように祭りが開かれる。鬼子はようやくこの村に薄ら寒いものを感じ始めた。彼女は不意に立ち止まり、六番通りの、店主のいなくなったおでんの屋台をじっと見つめた。

「……大丈夫だぁ。心配すんなって。のっぺらぼうの親父さんは、オンモラキ様が治してくれらぁ」

 すると鬼子の表情を見て何を勘違いしたのか、酔っ払った狼男がそう言いながら通り過ぎて行った。

「オンモラキ……」

 千鳥足で浮かれ気分の狼男とは対照的に、鬼子はますます顔を曇らせた。


 村の物の怪たちは、あのオンモラキのことを信頼し、尊敬すらしているようだ。やはりオンモラキは、物の怪たちの仲間なのだろうか。だとしたら、もしもオンモラキが村の物の怪たちに命令したら……彼らは自分たちのことを襲うのだろうか。昨晩の鬼美の話を思い出し、鬼子はブルっと背筋を凍らせた。


「ほい」

「もが……!?」

 すると、険しい顔をしていた鬼子の口の中に突然イカ飯が突っ込まれ、彼女はむせ返った。鬼子が驚いて横を見ると、鬼美がずいっと鬼子に顔を近づけてきた。

「あのなぁ、あんま気にしすぎんなよ」

「むが……?!?」

 鬼美が口をもぐもぐさせながら肩をすくめた。鬼美の瞳の中に映っている鬼子の顔は、今にも泣き出しそうな顔をしていた。

「お腹が減ってたら、いざって時に元気出ないぞ?」

「むぐ……!」

「食べ物なんだから、食べない方が失礼だってば」

「もぐ……もぐ……」

 目を皿のように丸くさせて、鬼子はゴクリとイカ飯を飲み込んだ。鬼美がにしし、と笑った。

「そうだよ。それに鬼子がどんなに食べるの我慢したって、こいつらはきっと『人間狩り』を止めないだろうし」

「むぐ……!!」

 鬼子が再びむせ返りそうになった、その時だった。


 突然屋台の向こう側、村の外れで大きな叫び声が上がった。

「メドゥーサだぁ!!」

 鬼子はハッと顔を上げた。途端に祭囃子は鳴り止み、代わりに妖怪たちの爆発音にも似た怒声が、あちらこちらから上がった。

「メドゥーサが出たぞォ!」

「アイツだ、捕まえろ!!」

「三番通りだ、三番通りの端にいるッ!!」

「ひっ捕らえろ! 逃すなァ!!」


「鬼子、あたしたちも行こう!!」

 鬼美が叫んだ。村中の物の怪たちが、一斉に三番通りを目指し始めた。辺りはたちまち騒然となった。たこ焼きの鉄板はひっくり返り、ちゃんこ鍋の中身が道端にぶち撒けられ、子供たちの泣き叫ぶ声が森中に響き渡る。鬼子は鬼美に手を引っ張られ、物の怪でごった返す六番通りを駆け抜けた。

「あっちに行ったぞ! 追え、追えぇッ!!」

 怒り狂った妖怪たちが、ゲートの外へと飛び出した。複雑に入り組んだ幹の間を、子泣き爺や猫又がひょいひょいと飛び跳ねて行く。鬼美が叫んだ。

「危ないぞ! 手、離すなよ鬼子!」

「う、うんっ!!」

 だが案の定と言うべきか……雪崩のように突き進む物の怪の行列に飲み込まれ、もみくちゃにされ……運動音痴の鬼子は、あっという間に鬼美と逸れてしまった。


「はぁ、はぁ……! 待ってよぉ、鬼美ちゃぁあんっ!!」

 暗い森の中で、百鬼夜行の背中を遥か前方に見つめながら、鬼子が一人泣き声を上げた。暗がりに仄かに浮かぶ青白い人魂の明かりだけを頼りに、鬼子は懸命に森の中をひた走った。鬼子の浴衣は、たちまち泥だらけになった。


「おーい、ここだ! こっち、こっち!」

 やがて右の方から微かに声が聞こえて、鬼子は急いで明かりの方へと向かった。森の片隅で、塗り壁や烏天狗たちが数匹しきりに騒いでいた。遅れてきた鬼子は、烏天狗の間から顔を覗かせた。


 そこにいたのはメドゥーサ……ではなく、人間だった。


「うぅ……!」

 人間の男が、横たわっている。散々妖怪たちにやられた後なのだろうか、顔中に青あざや擦り傷を作っていた。鬼子は思わず目を逸らした。

「みんなは?」

「他の連中は、メドゥーサを追ってどっか行っちまった。コイツは森に迷い込んできた人間だ。偶然見つけたんだ」

 烏天狗が血だらけの男をじっと見据えたまま呟いた。男は全身をブルブル震わせながらも、まだ開いている方の目で妖怪たちを睨みつけた。

「ぇせ……」

「え?」

「オラが作った野菜、返せ……!! あれがないと、年貢が、オラたち家族が生きてけねえんだ……!!」

 男がそう言ってポロポロと涙を零した。鬼子はハッとなってその場に立ち尽くした。烏天狗たちが顔を見合わせた。

「オイ、やっちまおうぜ」

「おう」

「ひッ……!」

 烏天狗が脇を蹴り上げると、男は小さく悲鳴を上げ、とうとう気絶してしまった。物の怪たちがそれぞれの武器牙や爪を光らせ、ゆっくりと男ににじり寄っていく。これに慌てたのは、鬼子の方だった。

「ちょ、ちょっと待ってよ。やるって何を?」

「そうだ、お嬢ちゃん」

 烏天狗がふと気がついたように鬼子を振り返った。


「お嬢ちゃんもやりなよ」


「え?」

 ポカンと口を開ける鬼子に、烏天狗が棍棒を手渡した。

 すると塗り壁が烏天狗を肘で小突き、渋い声を上げた。

「おい。他所者に『狩り』をやらせるな、って」

「いいだろ別に。あんなの、オンモラキ様が勝手に決めたルールさ」

「え? え??」

「しかし、こんな子供に……」

「大人は良くて、子供はこんな楽しいことしちゃいけないのかい? そんなの狡いぜ」

 烏天狗が鬼子に顔を近づけ、囁くように囀った。


「なぁ? お嬢ちゃんも人間が、憎いだろ?」

「え……?」

「アンタの父親も、人間にやられたんだっけ? やり返すチャンスだぞ」

 鬼子はぎゅっと棍棒を握りしめ、ただただ突っ立っている事しかできなかった。烏天狗が仮面の下で目を細めた。

「この村じゃ、人間はご法度さ。物の怪たちの棲む、物の怪たちのための村なんだ。俺たちゃ全員、人間が憎いんだ。お嬢ちゃんと同じようにね」


 『同じ』だ。

 鬼子はそう思った。


「憎い相手をどうするかって? 決まってる、みんなで寄ってたかってぶっ叩くのさ。大丈夫大丈夫。なんてったって相手はの『人間』なんだから。そのうち叩くことが気持ちよォくなって、もっともっと、どっかに叩く人間はいないかって探し始めるようになるよ。それを、俺たち物の怪は『人間狩り』って呼んで……」


 『同じ』だ。

 鬼子はもう、烏天狗の話を聞いてはいなかった。

 その視線は烏天狗の赤い仮面を通り越し、地べたで気絶する人間の男に向けられていた。

 

 鬼子が思い出していたのは、鬼ヶ島で銃を持った兵隊に囲まれていた、自分の姿だった。倒れている人間は、あの時の自分と『同じ』だと、鬼子は思った。


「どうして……」

「ん?」

「どうして、この人は叩いてもいいってどうして分かるの?」

 コトリ、と音がして鬼子が棍棒を取り落とした。烏天狗が呆れたように言った。


「そりゃ、だからだよ。お嬢ちゃんはまだ知らないんだ。コイツら人間が何をやったか。コイツらは、俺たち物の怪の家族を殺し、森へ追いやって、挙句に」

「伏せろ!!」

 突然何処かから闇を切り裂く声が飛んできて、鬼子の視界は真っ白に包まれた。炸裂した閃光弾によって、その場にいた妖怪たちが「ギャッ!」と悲鳴を上げ、身を強張らせた。それは鬼子もまた同じだった。全員が凍りついている間に、鬼子は後ろからぐいっと強い力で引っ張られた。

「逃げよう。この森は危険だ……!」

 鬼子の耳元で、誰かがそう囁いた。声の主は右手で鬼子を、左手で気絶していた男をいとも容易く担ぎ上げると、風のように森の中を走り始めた。鬼子はまだ閃光弾で何も見えなかった。訳も分からず、宙に体を浮かせたままジタバタと両手足を暴れさせた。


「誰!? 誰なの!?」

「落ち着いて、もう大丈夫」

 声の主は走るスピードを緩めることなく、暴れる鬼子に向かって優しく語りかけた。


「僕の名前は、桃太郎。安心して、僕は人間キミの味方だよ」

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