第15話 Little Talks

「えびおが攫われた?」


 物の怪村の妖怪たちが帰ってくるなり、鬼子は半泣きになって鬼美の元へと駆け寄った。

 薄暗い森の果てで、見知らぬターバンの少女の住処に迷い込んだ後。気がつくと鬼子はいつの間にか森の中へと放り出されていた。妖術の類だろうか、先ほどまで確かにあったはずの洞穴の入り口も、煙のように消え失せていた。次第に、辺りでは八咫烏やたがらすが鳴き始め、深い森は暗く険しく夜の顔へと変わって行った。鬼子は散々道に迷いながらも、残っていた海藻を頼りに何とか村へと舞い戻ったのだった。


「うわぁぁぁん……! 鬼美ちゃぁぁあん……!」

「落ち着け、泣くなよ鬼子」

 鬼子は鬼美の胸に飛び込んで、途端にわあわあと涙を零し始めた。

 鬼美は鬼子のおかっぱ頭から枯れ葉を取ってあげながら、優しく語りかけた。

「一体何があったんだ? 詳しく聞かせてくれよ」

「鬼子のせいだ……! 鬼子のせいで、かっぱえびさんが……!」

「とりあえずあっち行って座ろう、な?」

「うぅぅ……!」

「お前ら、今夜の祭りには参加しねえのか?」


 すると、向こうから唐傘お化けが二匹に声をかけてきた。村の入り口は、散策から帰ってきた魑魅魍魎たちで溢れかえっている。それぞれが食材を抱え、己の屋台で今夜の準備を進め始めていた。

「……あぁ。悪いけど友達が、まだ具合悪いみたい。今夜は遠慮しとくよ」

 鬼子は残念そうに首を振った。

「そうかい。お大事にな」

「明日もお祭りはやってるんだろ?」

「ああ、毎晩さ。後でたこ焼きやら持ってきてやるから、ゆっくり休みな」

「ありがと」


 唐傘お化けに手を振ると、鬼美は鬼子の肩を抱いて、泊まらせてもらっている家へと急いだ。物の怪村では、橙色の提灯がそこら中に掲げられ始めた。今宵も陽気な音楽とともに、妖怪だけの祭りが開かれようとしていた。


□□□


「フーン……じゃあその頭巾ターバンの子が、例のメドゥーサなのかな」

「ひぐ……えっぐ……っ!」


 檜の大黒柱の近くに腰掛け、鬼美は考え込むように眉を潜ませた。二匹の周りでは、小ちゃな座敷わらしの子供たちが、鬼子の涙や鼻水を拭き取って上げたり、背中をさすって上げながらわちゃわちゃと蠢いていた。


「えびおなんか持って行って、何するつもりなんだろう? それに、その子が言ってたっていう……」

「…………」

 鬼美の言葉に、鬼子は小さく肩を震わせ、ズルズルと鼻水を啜った。


 人間狩り。


 あのターバンの少女は、確かに鬼子にそう言った。

 出くわした少女に突然耳を塞がれた、あの後。鬼子は、気がつくと森の中へと放り出されていたから、窓の外がどうなったかは知らない。だけどその直前に、鬼子は確かに物の怪村の妖怪たちを目撃したのだった。


「どうも怪しいな」

「……何が?」

 鬼子の話を聞いていた鬼美が低く唸った。

「……オイ、座敷わらしども。あたしたち何だかお腹空いてきちゃったからさ。悪いけど食べ物持ってきてくんない?」


 鬼美は座敷わらし達を振り返り、そうお願いした。すると座敷わらしたちは顔を見合わせ、「きゃあきゃあ」と嬉しそうに飛び跳ねながら、家の外へとお使いに走った。厄介払いをすると、鬼美は家の中をキョロキョロと見渡し、やがて鬼子に小声で囁きかけた。

「……あたしも、メドゥーサ探しに出かけたんだけどさ。途中で二手に分かれたんだよ。一つは人間の里の方。もう一つは、森の奥の方。結局見つからなかったけど。村中の妖怪たちがほとんど総動員で、ほとんど一日中」

「うん」

「おかしいと思わないか?」

 鬼美は窓の外を指差し、目を細めた。


「あいつら、全っ然働いてる気配がない」

「それは……妖怪だからじゃないの?」

「じゃあ、どうやって祭りの食材とか用意してるんだ?」

 鬼美の言葉に、鬼子は「あっ」と声を出した。

「な? ここの祭りにあるものは、楽器も屋台も食材も、ぜーんぶだ。妖術で作り出した幻じゃない。それを毎日毎晩やって、しかも全部無料タダだってさ。いくら妖怪だからって、まさか人間の食べ物が勝手に湧いて出てくるはずもないし……」

「じゃあまさか……『人間狩り』って……」

 鬼子の顔が次第に暗くなって行った。日の沈んだ外から妖怪たちの楽しげな声と、陽気な祭囃子が響いてくる。揺らめく影の中で、鬼美が静かに頷いた。

「あぁ。あいつら人間を襲って、食料を調達してるのかもしれない。鬼子が聞いたってのは、そのことかもな」

「それって……」


 鬼子は言葉を詰まらせた。

 鬼ヶ島にいた頃の鬼子なら、別に何の疑念も浮かばなかったかもしれない。

 『桃太郎伝説』だとか、人間はやたらと過去の因縁を持ち出しては、鬼や妖怪を退治する。そして正義の名の下に、妖怪じぶんたちの住処や家族、金銀財宝に至るまで全てを奪って行くのだ。だったら鬼だって同じことをして何が悪い。少し前の鬼子なら、そう思っていたはずだ。


 だけどどうしてだろう?

 今の鬼子の頭に思い浮かぶのは、あの時島で見た止むことのない鉛玉の雨と、それから黒焦げになって死んで行った仲間の鬼たちの虚ろな表情ばかりだった。考えるたびに、鬼子は頭が痛くなって顔をしかめた。早く父親に会いたくなって、鬼子は再びポロポロと涙を零し始めた。


「……それに、オンモラキのことも気になって尋ねてみたんだ。どうもオンモラキはこの村に蔓延する石化の呪いを治せる、強い妖力を持ってるらしいんだ。それであいつら、たまにやってくるオンモラキに頼んで、石化した仲間たちの呪いを解いてもらってるらしいんだけど……」

「オンモラキ……ってさ」

 鬼子は声を枯らし、言い淀んだ。

「人間の仲間に、なったんじゃないの? 鬼子たちの島を襲っておいて……お父っちゃんのことあんなにしといてさ。それがどうしてコッチに来たら、物の怪たちの味方してるの? ……変だよ」

「もしかしたら、オンモラキって実は……」

 そこまで言いかけて、鬼美は不意に言葉を途切らせた。家の扉が開き、両手いっぱいにたこ焼きを抱えた座敷わらしたちが、唐傘お化けを引き連れて戻ってきた。

「おいお前ら、飯持ってきてやったぞ。食え、食え。たーんと食って、栄養つけろ」

「……わぁ。ありがとう!」

 鬼美は途端にぱあっと顔を綻ばせ、それから唐傘お化けたちに気づかれないように、そっと鬼子に耳打ちした。


(……とにかく明日、探りを入れてみよう。えびおのことも、その頭巾の子も、まだこの村の妖怪たちには内緒にしといてくれ)

(え……どうして?)

 首をかしげる鬼子に、鬼美はいつになく険しい表情で静かに告げた。


 オンモラキが人間の手下なら、あたしたちの敵だ。

 逆に、オンモラキが物の怪村の連中とグルなら……。


(……もしそうなら、最悪この村の妖怪たちと戦うことになるかもしれないんだからな)

(……!!)


 鬼美の言葉に、鬼子はたちまち表情を凍りつかせた。窓の外では、相変わらず太鼓に笛の音色で溢れ返っていた。狐のお面を被った子供たちが、家の前を走り過ぎて行く。その笑い声を聞きながら、鬼子は急に胸がぎゅっと締め付けられるのを感じた。

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