第14話 Party Hard

「んぅ……」


 次の日、鬼子は見知らぬ家の中で目が覚めた。起き上がろうにも、何だか頭の奥がジンジンと痛んで、手足が木の棒になったみたいに重かった。鬼子は麻でできた布団に包まったまま、しばらくぼんやりと檜の天井を眺めた。

 夜中のうちに、誰かが着替えさせてくれたのだろう、いつの間にか浴衣から乾いた『布』に戻っている。それに鬼子のおでこには、水で絞った小さな手拭タオルが乗せられていた。屋根裏の隙間から、その様子を座敷わらしたちが興味津々に見つめていた。

「……っくしゅん!!」

 鬼子は布団に寝っ転がったままくしゃみをした。頭が熱を帯びたみたいにぼうっとして、意識がはっきりとしない。右に左に、ふらふらとぼやける鬼子の視界に、不意に見知った顔が現れて、鬼子を心配そうに覗き込んだ。


「起きたか? 鬼子」

「鬼美ちゃん……」

 現れたのは鬼美だった。鬼美は寝ている鬼子のおでこに手を当てて、それから冷たい水で絞った新しい手拭タオルに取り替えてくれた。

「大丈夫か? 鬼子、お前やっぱり熱があったみたいでさ。昨日の晩、おでんの屋台で倒れちゃったんだよ」

「そうだったんだ……」

 鬼子は今にも消え入りそうなか細い声を絞り出した。道理で目が覚めてから、体が気怠い訳だった。


「ごめんね……」

 鬼子は頭から布団を被り、申し訳なさそうに呟いた。

 二匹とも同じように水に落ちて、どうして自分だけ風邪を引いてしまうのだろう。

 どうして自分だけ泳げないんだろう。どうしていつも自分だけ、先に倒れてしまうのだろう。

 ……思えば鬼ヶ島にいる頃からずっとそうだった。何かあると常に鬼子がヘマをして、それをいつも鬼美が横から優しく手助けしてくれた。鬼美ちゃんは優しいからいつでも手を差し伸べてくれるけれど、鬼子は、毎回毎回それに頼ってしまう自分が何だかとても情けなかった。


 だが鬼美は鬼子の言葉が聞こえなかったのか、それとも聞こえないフリをしたのか、鬼子の体でこんもりと膨らんだ布団をポンポンと叩いた。

「じゃあ、あたしちょっとみんなと出かけてくるから」

「え……どこ行くの?」

「村の外に、例の”メドゥーサ”探しだよ。昨日おでん屋のオッさんが、石にされちゃっただろ?」

「あぁ……」

 布団の中で、鬼子は昨晩のことを思い出した。昨日の夜、屋台でちょうどそのメドゥーサの話をしていた時に、のっぺらぼうの店主が石にされてしまったのだ。

「とにかく、鬼子は早く風邪治しなよ」

「ん……」

 鬼美に優しく語りかけられると、鬼子は頭をぼうっと熱で溶かしたまま、ついつい子供のように甘えた声を出した。


「しっかり留守番して、コイツのこと頼んだぞ」

「え……あっ」

 鬼子が布団の隙間から顔を覗かせると、家の隅に、かっぱえびの石像が無造作に置かれているのが目に入った。夜の間に海底から引き上げられたのだろう。かっぱえびは体にたくさんの海藻をまとわりつけたまま、壊れた桶とか、割れた茶碗と一緒に床に放り出されていた。鬼美は立ち上がってかっぱえびの石像の近くまで歩み寄ると、その頭をペシンと叩いた。

「……ったくよぉ。早くコイツが元に戻ってくれないと、金棒で頭かち割れないじゃねえかよ」

「ふふ……」

 半ば冗談とも本気ともつかない鬼美の言葉に、鬼子は思わず吹き出した。


 笑いながら出て行く鬼美の背中を見送り、それから鬼子は再び目を瞑り、深い眠りの中へと落ちていった。


□□□


 次に鬼子が目を覚ました時には、外はもう昼過ぎになっていた。

 先ほどよりも大分体は軽くなり、頭痛も治まっていた。鬼子はいそいそと布団から這い出し、

「あれっ!?」

 そこでようやく異変に気がついた。


 朝方は確かにそこにあったかっぱえびの石像が、どこにも見当たらない。

 ガラクタの山の中に、さっきまでかっぱえびが置いてあった空間スペースがぽっかりと空いていた。勝手に出歩くはずがないから、誰かが持ち出したのだろうか?

「どこいったんだろう……?」

 鬼子は玄関を開けて外を覗き見た。

 外は閑散としていて、村の妖怪たちはほとんど出払っているようだった。

 昨日までどんちゃん騒ぎが行われていた屋台には、今は『準備中』の札がぶら下がっていて、村の中は驚くほど静まり返っている。

 鬼子はふと、砂利道に落ちている海藻に気がついた。かっぱえびの石像に絡まっていた海藻が、道のあちらこちらに転々と転がっている。この海藻を辿れば、かっぱえびの元へと辿り着けるかもしれない。

 鬼子はおでこの手拭タオルを取り、ゆっくりと家の外へと足を踏み出した。


 海藻を道しるべに、鬼子は一夜明けた物の怪村を歩いた。お祭りのあとは、何だか余計に静けさが増すようで、空を木々に覆われた薄暗さも相まって村の中は夜よりも一層不気味な雰囲気を漂わせていた。誰もいない屋台の群れは、打ち捨てられた廃村に見えなくもない。夜よりも昼の方がおどろおどろしいだなんて、物の怪の名に相応しい奇妙な村だ。

 時々道すがら、鬼子と同じように眠たい目を擦りながら欠伸を繰り返す子供たちとすれ違ったが、それ以外はほとんど誰も見かけなかった。大人の妖怪たちは全員、例のメドゥーサ探しに出かけているのだろうか? だとしたら、かっぱえびを連れ出したのは一体……。


「あっ!」

 ゲートから顔を出し、鬼子は思わず大きな声を上げた。海藻は村の外まで続いていた。村の外に広がる森の奥……そこにかっぱえびの石像と、白いターバンを巻いた少女が歩いていた。昨日の晩、屋台で見た少女に間違いなかった。少女はかっぱえびの石像を重たそうに引きずりながら、鬼子の声に気がついて、驚いたように振り返った。

「…………」

「…………」

 鬼子は少女と目が合った。

 鬼子たちはしばらくその場に立ち尽くし、お互い見つめ合った。

 宝石のように真っ赤な目をした、彫りの深い綺麗な顔立ちの少女だ。遠目だが、背丈はいつも周りから『ちびっ子さん』と揶揄からかわれていた鬼子よりも、もっと低いかもしれない。鬼ヶ島にも、それから島の外で見た他の妖怪や人間たちにも誰にも似つかないその顔立ちは、まるで人形のように美しかった。

 鬼子は、昨日の屋台での話を思い出していた。日本から遠く離れた国からやってきた、相手を石にする外国の妖怪……。


 鬼子がじっと見つめていると、少女はやがてぎゅっと口を真一文字に結んで、急いで踵を返し森の奥へと走り出した。

「……待って!」

 鬼子は蔦や木の根に足を取られそうになりながらも、慌てて少女の背中を追った。

 昨日は煙のように消え失せた少女も、かっぱえびの石像を抱えたままではそうすることが出来ないのか、必死に森の中を走っていく。途中、引きずられて行くかっぱえびの石像が木の幹に当たって尻尾の先が砕けた。鬼子も鬼子で、病み上がりで、元々運動なんてからっきしだったので、追いかけっこはとてもいい勝負になった。

「はぁ……はぁ……っ!」

 やがて少女は森の果てにある洞穴の中へと入っていった。少し遅れて洞穴の前にやってきた鬼子は、しばらくその場で膝をついて息を整えて、それからゆっくりと洞穴の中を覗き込んだ。穴は階段のように深く下まで続いていて、中は見たこともないくらい真っ暗だった。

「かっぱえびさん……」

 鬼子はしばらく怖気付いていたが、やがて砕けた尻尾えび欠片かけらをぎゅっと握り締めると、恐る恐る洞穴の中へと足を踏み入れた。


□□□


 洞穴の中を、数十分ほど歩いただろうか。中は複雑に曲がりくねってはいたものの、幸い一本道だったので鬼子は何とか迷子にならずに済んだ。天井から水が滴り、蝙蝠こうもりが羽音を立てるたびに、鬼子はビクリと肩を飛び上がらせてその場に立ちすくんだ。やがて先に進むに連れて、仄かな明かりが奥の方から見えてきた。鬼子は明かりを頼りに、震える足を奮い立たせて先へと急いだ。

「ここは……」

 やがて拓けた場所へと辿り着き、鬼子は思わず感嘆の声を上げた。洞穴の先は、まるで居住区のように綺麗に形が整えられており、天井や壁には四角く窓が開けられ、そこから外の光が入り込んで来ていた。追いかけて来たはずの少女の姿は、四角い部屋のどこにも見当たらなかった。

「かっぱえびさん!」

 鬼子は窓の近くに打ち捨てられたかっぱえびの石像に気がつき、急いで駆け寄った。石になったかっぱえびは、自分の尻尾が砕けてしまったことにも気づかず、口を半開きにしたままあどけない表情を浮かべている。鬼子がどうすることもできずにオロオロとしていると、やがて窓の外から、何やら音が聞こえて来た。

「あれは何……?」

 鬼子は目を丸くして窓の外を覗き込んだ。


 窓の外には、人間たちの住む山村が広がっていた。洞穴は妖怪の棲む森を抜け、その向こう側にある人間の村までつながっていたのだ。水面に浮かぶ緑の稲と、その近くに鍬を持った数名の人間たちが、何やら一所懸命田んぼを耕しているのが見える。さらにその田園の向こう、深い森の境目から、ぞろぞろと黒い影が行進して来るのを鬼子は目の端で捉えた。

「あれは……」

 それは、鬼子が昨日の晩物の怪村で遭った妖怪たちだった。

 一本足の唐傘や、ろくろ首たちが大勢、百鬼夜行の如く人間たちに向かって進んで行く。その光景に、鬼子は思わず息を飲んだ。

「何が始まるの……?」

「”人間狩リ”……」

「!?」

 不意に後ろから声をかけられ、鬼子は驚いて振り返った。


 いつの間にか部屋に戻っていた色白の少女が、そこに立っていた。

「え? 今なんて……?」

 鬼子が眉を八の字にしていると、少女は無表情のまま鬼子のそばまで歩み寄り、真っ赤な瞳で鬼子をじっと覗き込んだ。

「あ、あの……? あなたは……?」

「……人間狩リ」

 少女は鬼子の問いかけには答えず、鼻の先がくっつくくらいの距離でポツリとそう呟くと、鬼子の両耳にそっと手を当てて彼女の耳を塞いでしまった。そういう訳だったから、次の瞬間、窓の外から断末魔が聞こえて来たような気がしたが、鬼子の耳にはあいにく何も届かなった。その代わり、鬼子は目の前に現れた不思議な少女に見つめられ、しばらくその瞳に吸い寄せられるようにして窓辺にじっと立ちすくんでいた。

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