第13話 Carnival

 白い砂浜を後にして、鬼子と鬼美の二匹は一本足の唐傘を追って深緑の森の中へと急いだ。唐傘の妖怪は、何だかよく分からない鼻唄を上機嫌に歌いつつ、ふらふらと体を揺らして森の奥深くへと進んで行った。道中、鬼子は自分の腰の高さほどはある太い木の”根っこ”に何とかよじ登り、たちまち大粒の汗を光らせた。

 何せ樹齢何百年という巨木がそこら中で複雑に絡み合っているので、前に進むのだけでも一苦労なのだ。それでも唐傘にとっては勝手知ったる慣れた道なのか、ひょいひょいと、まるで踊っているかのように器用に森の中を進んで行く。鬼子はものの数分でその場にへたり込んでしまい、鬼美の背中に担がれることになった。


「うぅ……。ごめんね、鬼美ちゃん……」

「気にすんな。それより鬼子お前、熱あるんじゃないか?」

「うぅぅ……」

 木の枝と枝の間を器用にジャンプしながら、鬼美が心配そうに鬼子を横目見た。鬼子はその顔を真っ赤に火照らせ、小さなくしゃみを数回繰り返した。

 森の奥に進むたび、辺りは暗くなるどころか、橙色の提灯がそこら中に道導みちしるべのように転々とぶら下がっていて、次第に明かりを増して行った。朦朧とした頭で鬼子が耳を澄ますと、どこからともなく軽やかな太鼓や笛の音色が聞こえて来た。


「着いたぞ。ここが、物の怪村だ」

 森の中を数十分ほど走っただろうか。やがて唐傘が木の枝で出来たゲートの前で立ち止まり、ようやく二匹の方を振り返った。門の向こうに広がる景色を見て、二匹は惚けたように口をぽかんと開けた。

「これって……」

「お祭り……なのか?」

 二匹を出迎えてくれたのは、おどろおどろしい火のたま髑髏ドクロの葬列……ではなく、底抜けに陽気な祭囃子であった。空まで木々に覆われた深い森の奥、物の怪村では、飲めや歌えの大騒ぎが行われていた。門から覗く巨大な祭りやぐらを、鬼子は唖然とした表情で見上げた。やぐらの上には、薬缶やかんやら土鍋やらが浮かれた様子で盆踊りを舞い、さらにその下ではお面を被った子供たちが楽器を演奏して囃し立てている。その楽しげな喧騒は、鬼子たちが想像していた妖怪の棲む村とはおよそかけ離れたものだった。唐傘に連れられて、鬼子たちは恐る恐る村の中へと足を踏み入れた。


 薄暗い森全体が淡い橙色の提灯や蝋燭の灯りに照らされており、昼間だというのに、村の中は黄昏を見ているかのようだった。そこかしこから鳴り響く陽気な祭囃子に、鬼子はまるで夢の中にでも迷い込んだかのようにふわふわとした気分になった。やぐらの周りには、『たこ焼き』やら『ヨーヨー釣り』と書かれた屋台がずらりと並んでおり、村の中は大勢の妖怪たちでごった返していた。鬼子たちの横を、狐のお面を被った子供たちが、棒の着いた白いふわふわ(綿菓子と言うらしい)を手に楽しそうに通り過ぎて行った。


「すごいねぇ……」

「これって全部、だろ?」

 二匹の鬼っ娘たちは目を丸くして、七色に輝く露店の垂れ幕をキョロキョロと見渡した。『宝石店』、『くじ引き屋』、『射的』、『金魚すくい』……。向こうから真っ赤な『りんご飴』の甘い匂いがプンと漂って来て、鬼子は思わず鼻をヒクヒクと動かした。

「一体どうなってんだよ? どうしてこんな森の奥深くの妖怪が棲んでる村に、人間の持ち物が……」

 一本足の唐傘は鬼美の問いかけには答えず、その代わり一軒の瓦屋根の前で立ち止まった。『ゆ』と大きな文字で書かれた暖簾のれんが掲げられたその店の奥からは、かぽー……んと、何だかのんびりとした音が木霊していた。鬼子たちは顔を見合わせた。唐傘が真っ赤な舌を突き出し、ベロベロと笑った。


「とりあえず、風呂入りなよ。話はそれからでもいいだろ?」


□□□


「はぁー……鬼生き返る……」


 鬼美は露天風呂の岩場にゴロンと寝っ転がって、気持ち良さそうに大きく伸びをした。鬼子は、淡い黄緑色の温泉に顔の半分まで浸かり、ぶくぶくと小さな泡を立てて遊んだ。骨の髄まで冷え切っていた体に染み渡る銭湯の『ゆ』に、二匹の鬼っ娘はいつの間にか自然に顔が綻んでいた。

「かっぱえびがいなくて良かったよな。アイツがいたら、絶対覘いてたわ」

 遠く向こうから聞こえてくる笛の音色に加え、鬼子たちの笑い声が湯船に木霊した。


「すごいよな。年がら年中、お祭りやってんのかな?」

「お祭りって、色んなものがあるんだねえ」

「あぁ。そういや鬼子は島の外に出たことなかったんだよな。『たこ焼き』とかすっげえ美味いから、後で回って見ようぜ」

 鬼美がゴロゴロと岩場を転がって、湯船の中に飛び込みながら笑った。鬼美の言葉に、鬼子はたちまち目を輝かせた。

 それから二匹は猫の番台さんに浴衣をあてがってもらい(鬼子は花柄模様の桃色の浴衣、鬼美はツバメ柄の黄色い浴衣だった)、それぞれの頭に風鈴のかんざしを挿して、一緒に物の怪村のお祭りへと繰り出した。走るたびにカランカランと小気味好く鳴る下駄の音が、鬼子の胸をより一層弾ませた。


「これ、いくらなの?」

 鬼美は鉄板の上でじゅうじゅうと白い湯気を立てるたこ焼きを覗き込み、頭に鉢巻を巻いた小豆洗いに尋ねた。

「全部タダだよ」

「タダ? 全部??」

「ホラ、お嬢ちゃんべっぴんさんだから、一つオマケしてやる」

 欠けた歯を見せてニヤリと笑う小豆洗いに、鬼美は少し怪訝そうな顔でたこ焼きを受け取った。鬼っ娘たちは狐面の子供たちと一緒になって、村中を走り回った。行く先々で焼きそばに綿菓子、りんご飴などを頬張り、日も暮れて唐傘が再び二匹を見つける頃には、鬼子たちはお腹いっぱいになって木の陰に座り込んでいた。唐傘は二匹をおでんの屋台に連れて行ってくれた。他の妖怪たちと一緒に、三匹は狭い椅子に詰めて座った。


「親父、とりあえず麦酒で」

「あいよ!」

 唐傘が慣れた様子でそう注文すると、のっぺらぼうの親父が威勢良く笑った。鬼子は、目の前でグツグツと煮込まれるこんにゃくや卵を見て、もうちょっと焼きそばを食べるのを少なくすれば良かったと後悔した。鬼美が顔をほくほくと綻ばせ、のっぺらぼうの店主に話しかけた。


「いやぁ、初めて来たけど、物の怪村って良い村だね!」

「ありがとよ! 妖怪しかいないから、気兼ねなくやんな」

「ここの屋台って、全部タダなの?」

「そうだよ。妖怪なら、全部タダさ。万が一人間が迷い込んだ日にゃ、そりゃタダじゃすまないけどね」

 エプロンを着けたのっぺらぼうの親父が、楽しそうに笑った。唐傘はすでに顔を真っ赤にして、二匹の隣で熱々の大根に舌鼓を打っていた。


「それじゃあお嬢ちゃんたち、その鬼ヶ島ってとこから来たのかい?」

「はい」

「たった二匹で? 偉いねえ!」

「出る時はこの子の親父も一緒だったんだけど、途中で別れて……。それから海でもう一匹、変な奴に会ったんだけど、そいつは急に体が石になっちゃった」

「石に?」

 冷たいオレンジジュースを飲み干す鬼美に、のっぺらぼうの親父が興味深げに身を乗り出してきた。唐傘が一つ目をトロンとさせて頷いた。

「そいつはきっと『メドゥーサ』の仕業だな、うん」

「めどぅーさ??」


 聞きなれない言葉に鬼子たちがキョトンとしていると、のっぺらぼうの店主が二匹のコップにお代わりを注いでくれた。

「ああ。日本から遠く離れた国、希蠟ギリシャからやって来た妖怪さ。何でもそいつは髪の毛が蛇になっていて、そいつにひと睨みされると、たちまち体が石になる呪いにかけられるんだ」

「へぇ……!」

 鬼子は目を皿のように丸くして店主の言葉に聞き入った。鬼ヶ島の外にいる妖怪ですら見たことがなかったのに、それよりもさらに遠く、日本以外にも妖怪がいるだなんて、鬼子は今まで一度も考えたことすらなかった。店主の話に、酔いの回った他の妖怪きゃくたちが身を乗り出して、一斉に騒ぎ出した。


「俺たちもそのメドゥーサって奴を躍起になって探してるんだが、一向に捕まらねえ」

「何たって相手も妖怪だからな」

「おかげでこの村じゃ、結構な数が石になってやられッちまった。こないだの、お向かいのとこの一反木綿の長男もそうだ……」

「全く、厄介なこった。オンモラキ様がいなかったらと思うと、ぞっとするわ」

「オンモラキだって?」

 妖怪きゃくの言葉に、鬼美が驚いて身を乗り出した、その時だった。

 鬼子は急に背中にゾクッと冷たい視線ものを感じ、慌てて暖簾のれんの向こうを振り返った。 


 おでんの屋台の後ろには大きな祭り櫓が陣取っていて、大勢の妖怪たちが銘々に祭りを楽しんでいた。その妖怪たちの輪から外れた薄暗い路地を、白いターバンを巻いた少女がトボトボと俯いて歩いているのを、鬼子は確かに見た。先ほど不落不落岬の灯台で見た、あの少女に違いなかった。鬼子がその様子をじっと見つめている中、ターバンの少女は他の誰にも気づかれることなく、すう……っと煙のように暗闇の中にその身を溶かして行った。

「のっぺらぼうさん!」

 すると、今度は屋台の中から大きな悲鳴が上がって、鬼子は驚いて体を飛び上がらせた。急いで視線を戻し、鬼子は言葉を失った。

 屋台はたちまち大騒ぎになった。先ほどまで鬼子たちにおでんを振舞っていたのっぺらぼうの店主が、おたまを片手に持ったまま、突如体を石にしてその場で固まっていたのだった。

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