第12話 Welcome To The Black Parade

「ん?」


 波の上で、鬼美の背中にしがみ付いていた鬼子はふと誰かの視線を感じ、辺りをキョロキョロと見回した。水平線の近くでは、海ぼうずの子供たちが数匹、楽しそうにイルカと戯れているのが見える。だが、あいにくそれは鬼子が先ほど感じた視線とは別のものだった。先ほどのは、もっと”じっとり”とした……まるで獲物を狙う捕食者のような、粘っこい視線だった。鬼子は振り向き、今度は陸の方に目を凝らした。不落不落ブラブラ岬の上には古びた灯台が立っており、その周りの青い空を、紅カモメの群れが潮風に乗ってゆったりと漂っていた。


「もうすぐ岬の向こうに出るぞ。ほら、あと一息だガンバレ!」

「はぁ……はぁ……もうヤダ、きゅうり食べたい……」

 二匹の鬼っ娘たちの下で、かっぱえびが苦しそうに息を吐き出した。

「あれは……?」


 鬼子は、灯台の下に一人の少女が座り込んでいるのを見つけて目を細めた。岬の上にいる少女は、膝を抱え俯いたまま一人風に揺られていた。辺りにはその少女以外誰も見当たらない。少女の頭には、怪我でもしたのか真っ白な包帯がぐるぐると巻いてあった。

「!」

 その時、鬼子は確かに見た。少女の頭に巻かれた包帯の隙間から、”何か”が鋭く瞳を光らせ、鬼子たちのことをじっと観察するように眺めているのを。鬼子は急に背筋に冷たいものを感じ、思わずその小さな体を強張らせた。


「ねぇ鬼美ちゃん、何だろう?」

「ん?」

 鬼子が前に乗っていた鬼美の肩をツンツンと突いた、その時だった。

「きゃあっ!?」

「何だ!? 何だっ!?」

 突然二匹の体が海の上でガクンッ! と揺れた。かっぱえびが急に下へ下へと沈み始め、鬼子たちの体はたちまち海中に飲まれて行った。鬼美が慌てて叫んだ。

「オイ! えびお、しっかりしろっ!!」

「ひゃぁああっ!?」

「おま、岸まであとちょっとじゃねえか! こんなとこでへばってんじゃねえっ!!」

「ね、ねぇ……鬼美ちゃん見て! かっぱえびさんの体が……!!」

「何……!?」


 鬼子が鬼美の体にしがみ付きながら、目を丸くした。かっぱえびは、どういう訳か急にその皮膚を桃色からゴツゴツとした灰色に変えていた。

「かっぱえびさんが……になってる!?」

「石!? ンなバカな!?」

 鬼美はあんぐりと口を開けたが、かっぱえびは鬼子の言う通り、まるで体が地蔵にでもなったかのように身動き一つせず黙って海の中へと沈んでいった。二匹が呆然とする中、とうとう彼女たちは”船役”を失い水中へとその身を投げ出された。

「どうなってんだよ一体……!?」

 鬼子は口からゴボゴボと泡を立てながら、必死に手足をバタつかせた。溺れる鬼子の視界の端で、石像と化したかっぱえびは海底の砂の中に頭から突っ込み、そのまま動かなくなってしまった。泳げない鬼子もまた同じように海底へと沈みかけたが、鬼美がしっかりと彼女の手を掴み、水面へと引っ張り上げた。

「鬼子、岸まで泳ぐぞ!」

 水面から顔だけ出すなり、鬼美が鋭く叫んだ。

「で、でもかっぱえびさんは……!?」

「元々水の中に棲んでんだから、しばらくは大丈夫だろ。とにかくこのままじゃ、あたしたちまで溺れっちまう!」

「わ、分かった……!」


 鬼子は頷いた。そもそも海底に沈んだかっぱえびを助けられるほど、彼女たちにそんな余裕もなかった。鬼子は必死になって鬼美の背中にしがみ付き、鬼美は鬼子を背負ったまま、力を振り絞って岸へと泳ぎ始めた。


□□□


「はぁ、はぁ……っ!」

「危ないトコだったね……」

「はぁ、はぁ、はぁ……っ!!」


 燦々と日差しの照りつける海岸沿いで、二匹の鬼っ娘たちが水を滴らせながら、息も絶え絶えに倒れ込んでいた。鬼子はびしょ濡れになった体をブルッと震わせた。鬼美は体力を使い果たしたのか、白い砂の中に横顔を埋めたまま、しばらく立ち上がろうともしなかった。


「……かっぱえびさん、いきなりどうしちゃったんだろう?」

 残念ながら持ってきた荷物や食料は、ほとんど波に攫われてしまっていた。鬼子はゆっくりと体を起こすと、ため息を漏らしながら小さく首をかしげた。

「さぁな。大方エロいこと考えすぎて、突然体が石になっちゃったんだろうよ」

「そんなことあるの??」

「ったく、これだから男ってのは……」 

 鬼美が砂浜に寝転んだまま吐き捨てるように呟いた。


 鬼子は鬼美の髪の毛に絡まった海藻を取ってやりながら、流れ着いた海岸をゆっくりと見渡した。

「わぁ……」

 鬼子は足元の白い砂を手で掬ってみて、顔の前でまじまじと眺めた。

 初めてやってきた”人間の砂浜”はびっくりするくらい真っ白で……鬼ヶ島のように、大量のゴミや腐った食べ物が散乱してはいなかった。代わりに、キラキラと輝く砂の上には橙色のゴツゴツした体にハサミを持った小さな妖怪……蟹と呼ばれる生き物だということを、鬼子は後から教えてもらった……や、緑色の鞭のような細長い妖怪……これは、蛇と呼ばれているらしい……がちょこまかと蠢いているのが見えた。

 鬼子はさっきまで溺れかけていたことも忘れ、海岸の生き物たちを夢中になって眺めた。


「何だ、ありゃ?」

 鬼子が波打ち際で水浴びを楽しんでいる海ぼうずの親子に見惚れていると、鬼美が怪訝な声を上げた。鬼子が振り向くと、海岸の向こうに広がっている森の中から、ひょこひょこと怪しい”影”がこちらに近づいてくるのが見えた。鬼子はその姿を視界に捉え、思わず眉間にしわを寄せた。

?」

「ああ。傘だな、ありゃ」

 鬼子たちは呆然としたまま、一本足で飛び跳ねてくる”影”を見つめた。


 そのシルエットは、鬼ヶ島の海岸にたまに流れ着いている壊れた傘の形に似ていた。見た目は山吹色の唐傘そのものだ。だけど、その傘には棒の代わりに、人間の足が一本にゅっと生えていた。さらに普通の傘にはない、ギョロッとした大きな一つ目と、真っ赤な舌が生地に付いていた。鬼子たちがぽかんと口を開けている中、一本足の唐傘は砂浜まで飛び跳ねながらやってきて、二匹の前でピタリと立ち止まった。


「何だい、君たちは?」

「そりゃこっちのセリフだ」

 鬼美がようやく体を起こし、ゆらゆらと柳のように揺れる唐傘を睨みつけた。鬼子は、唐傘から伸びるすね毛だらけの一本足をまじまじと見て、思わず父親のことを思い出していた。唐傘はびしょ濡れの二匹をつま先から角の天辺までジロジロと眺めて、怪訝そうに目を細めた。

「君たち物の怪か? 物の怪村に何の用だ?」

「物の怪村?」

 唐傘の言葉に、鬼子たちは顔を見合わせた。


「あたしら、犬神っていうオッさんから聞いて、そのナントカ村っての探してたんだよ。あたしは鬼美。こっちは友達の鬼子。どっちも鬼だよ」

「フゥン……鬼ねえ。ま、物の怪の仲間なら物の怪村に入れんことはないわな。よし、付いて来な。案内しちゃる」

 一本足の唐傘は納得したように突然生地をバサっと開くと、再びぴょんぴょんと飛び跳ね森の方へと帰り始めた。


 ♫人の子だきゃ通れねえ そこのけおののけもののけ村にゃ 傘から盆まで勢ぞろい ようこそ鬼の子もののけ村へ……♫


「……何だい、ありゃ」

 鼻唄混じりに来た道を戻っていく唐傘の後ろ姿を見つめながら、鬼美が半ば呆れたように肩をすくめた。

「ゴキゲンなこって」

 鬼子は海の方を振り返った。

「かっぱえびさんは、どうしよう?」

「潮が引いたら、探しやすくなると思う。夜まで待とう」 

「うん……」

「とにかく、一度その何とやらって村を確認しとこうぜ。『布』も乾かさなくっちゃあ、風邪引ぃっちまうよ」

 鬼美はそう言って体をブルッと震わせ、唐傘を追って森へと走り出した。


 鬼子は鬼美の後を追いかけながら、ふと視線を感じ後ろを振り返った。けれど、砂浜から遠くに見える不落不落岬の灯台の下は空っぽで、先ほど見かけた白い包帯の少女の姿はもう無かった。

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