第10話 B.O.B.

 それはまるで、鉛玉で出来た雷雨のようだった。

 突如局地的に発生した豪雨スコールのように、懲罰房の中に爆発音を轟かせ、白い『骨』が絶え間無く速射され続けた。ガリガリと、鉄の軋む音が鬼子の耳をつんざいた。時間にして約数十秒、いや数分程だろうか。やがて“骨ガトリング砲”の銃口が煙を上げ、約六〇〇発の弾を全て吐き出し終える頃には……咎人を閉じ込めるはずの鉄格子はボコボコに削り取られ、その形はぐにゃりと変わっていた。


「……!!」

 やがて機関銃の『雨』は止み、まだ警報は鳴り続けてはいるものの、辺りは幾許いくばくか静けさを取り戻していった。鬼子が恐る恐る閉じていた目を開けると、窓一つなく薄暗かった懲罰房には、外から明るい光が差し込んでいた。分厚い壁には銃撃によって大きな穴が空き、そこから青い空と、鮮やかな海が覗いていた。白い雲の間に見え隠れする太陽の光に、鬼子は思わず目を細めた。

 犬神が「ふぅー……!」と息を吐き出し、骨ガトリング砲を背中に担ぐと、半壊した懲罰房の中にゆっくりと足を踏み入れた。鬼子が顔を上げると、そこに映っていたのは、懐から取り出した短刀を構える犬神の姿だった。銀色に輝く刃の切っ先が自分の方に向いているのを見て、鬼子は声を失い縮み上がった。


「ひっ……!」

 犬神は仏頂面のまま、怯える鬼子をじっと見下ろした。

「よせ……鬼子に手を出すな!!」

 近くにいた鬼美が、縛られたまま叫んだ。しかし彼女の制止も虚しく、犬神は鬼子に向けて素早く短刀を振り下ろした。

「鬼子ォオオオオ!!」

 鬼美があらん限りの怒号を腹の底から響かせた。鬼子は思わずぎゅっと目を閉じた。

しかし次の瞬間、鬼子の予想に反して、「はらり」と彼女を縛っていた縄が切り裂かれた。


「え……?」

 手足が自由になった鬼子は、その場に横たわったまましばらくぽかんと口を開けていた。二匹の鬼っ娘たちが呆然としていると、犬神は黙って大きく穴の空いた壁に寄りかかり、短刀をしまう代わりに取り出した小さな煙草に火を点けた。

「……行け」

「……え?」

 やがて犬神が静かに唸った。二匹は、最初犬神が何を言っているのか分からず、眉をひそめ顔を見合わせた。犬神は仏頂面のまま目を閉じ、見え隠れする牙の隙間から白煙を吐き出した。

「行けと言ってるんだ。お前ら、そこから逃げろ」

「なに……?」

「どういうことだ?」


 犬神はまだ半信半疑と言った鬼美に近づくと、彼女と、それから豪鬼の縄も切り落とした。二匹が戸惑いを見せる中、彼はやや疲れた顔をして、煙草を咥えたままその場にずるずると腰を下ろした。

「お前らの目的は分かってる。父親の首を助けに来たんだろ? 、あの女が仕向けたからな」

「あの女?」

「どうして……?」

「あの女って誰だよ? 詳しく聞かせてくれよ」

「聞け。ここからまっすぐ浜に向かっちまうと、陸軍の奴らが手薬煉てぐすね引いて待ち構えてる。そうじゃなくて……」

 騒ぎ出す二匹を制し、犬神は壁に空いた穴から見える、東の海に伸びる岬を指差した。

「……あっちの不落不落ブラブラ岬から陸地へ迂回しろ。そこに村がある。俺の生まれた村だ。妖怪たちもたくさん棲んでる。そこで匿ってもらえ」

「村? 妖怪が棲んでる村があるの?」

 鬼子が少し目を丸くした。

「待てよ。なんでわざわざ、そんなこと教えてくれるんだ? オッさんは人間たちと一緒にこのふねに乗って……あたしたちの敵なんじゃないのか?」

 鬼美は鋭く目を尖らせ、鬼子を庇うように彼女の前に立った。犬神は黙って煙草を咥え、しばらく沈黙した後、やがて白い煙を吐き出した。


「さぁな」

「は?」

「さぁ……ったく。一体誰が敵で、誰が味方なんだかな……」

「なんだよそれ。ちゃんと答えろよ」

 鬼美がイライラしたように地団駄を踏んだ。犬神はそれでもしばらく黙っていたが、やがて警戒心を強める二匹をじろりと横目で見て、重たい口を開けた。


「……俺にも故郷にゃあ、ちょうど、お前らくらいの歳の娘がいたんだが」

「娘?」

「懐かしいモンだ……さくらは、あの子は毎日公園に散歩に行くのが大好きだった」

「んだよ? その子と友達にでもなれってか?」

「いや……死んだよ」

「「!」」

 犬神の静かな、だけど重たいその一言に、鬼子たちは息を飲んだ。


「もう何年も前の話だ。元々病気がちの娘だったが。たまたま家の近くで鬼と人間がぶつかり合って……。それで、兵隊さんに優先するってんで、いつもの薬がとうとう回って来なかったんだ」

「そんな……」

「死んだのは、ちょうどお前らと同い年くらいの時だ」

 袈裟を着た大型犬が、遠い目を浮かべて廊下の奥を見た。

 穴の空いた懲罰房を、再び重たい沈黙が包んだ。

 鬼子たちは何も言うことができず、黙ってその横顔を見つめていた。犬神が俯き加減にポツリと呟いた。

「俺ァ何も餓鬼まで……わざわざ死ぬこたねぇと、そう思っただけだ」

「…………」

「オッさん……」

「……おじさんは、鬼子たちの味方なの?」

「……勘違いすんなよ。これは、何も俺からの『提案』ってワケじゃねぇんだ」

 犬神が「フン」と鼻息を鳴らし、床で気絶していたかっぱえびを片腕で引っ掴むと、二匹に投げて寄越した。二匹ともかっぱえびを受け止めなかったので、かっぱえびは再び足元にどさりと落ちた。犬神が白煙を揺蕩たゆたわせ、目つきを鋭く光らせた。


「……これは『命令』だ。お前ら餓鬼どもは、今すぐその穴から出て行け。もう二度と戦場ここには帰ってくるな。俺は『艦長』として、その鬼のお頭を都までしょっ引いて行く」


 犬神の『命令』に、鬼美が隣で抗議の声を上げるのを、鬼子は黙って聞いていた。

 ……確かに滅茶苦茶な『命令』だった。犬神のことを、どこまで信じていいものか……そもそも鬼子の父親を助けるために旅立ったはずなのに、その豪鬼の胴体を敵のふねに残して行けるはずもない。

 だけど鬼子は、犬神に何も言い返せなかった。

 鬼子は黙って床を見つめていた。揺らめく白煙が鬼子のそばまで漂ってきて、彼女は顔を歪めた。彼女の頭の中には、島で死んでいった仲間たちの顔と、それから先ほど犬神から聞いた話が、ぐるぐると駆け巡っていた。


 すると、今まで脇でじっと座り込んでいた豪鬼の胴体がおもむろに立ち上がった。

 鬼子がハッと顔を上げた。娘がじっと見ている前で、豪鬼の胴体は壁に空いた穴まで歩いていくと、鬼子に向かい合い、それからゆっくりと右手を上げ外を指差した。

「おっちゃん……」

「……”行け”って、そう言ってるのかな?」

 豪鬼の胴体の身振りジェスチャーに、鬼美が小さく首をかしげた。鬼子はしばらく黙ったまま、父親の胴体と、穴から覗く外の景色を交互に見返した。


「オイ鬼子、行こうぜ」

 しばらくすると、鬼美が鬼子に近づき、諦めたように小声で囁きかけた。

「でも……おっちゃんが」

「あたしだって言いなりになるのは嫌だよ。でも、ここは犬のオッさんを信じるしかない」

 鬼美がちらと犬神の背中に担がれたガトリング砲を見た。

「なあ鬼子。どっちみちあたしたちだけで、これから一ヶ月以内に都に辿り着いて、尚且なおかつ城の警備を突破するなんて無理だよ……。本気で助けようと思うなら、どっかで絶対協力者は必要なんだ」

「…………」

 鬼美に諭され、鬼子は再び俯いた。犬神は煙草の火を床にグリグリと押し付け、焦げ付いた匂いをくすぶらせゆっくりと立ち上がった。


「そう言うことだ。お前の父親の件は、俺に任せろ。悪いようにはしねえ」

「…………」

「俺の飛行機なら、城までひとっ飛びだ。それに俺なら、警戒されずに中に入れる」

「…………」

「……どうした? まだ何か気がかりなことでもあるのか?」

 鬼子はしばらく黙ったままだったが、やがて意を決したように顔を上げた。


「その……ごめんなさい」

「?」

「おじさんは……妖怪なのに、どうして人間のふねに乗ってるの? 人間を、恨んでないの?」

「ああ。俺ァ寺の育ちなんだ。これ見れば分かるだろ?」

 鬼子はじっと犬神を見つめていた。犬神は自分の着ている袈裟を指差し、そこでようやく、二匹の前で笑顔を見せた。

「喧嘩して、軒下でくたばりかけてる野良犬を、寺の和尚が拾ってくれたのさ。確かに俺は妖怪だが、人間に育てられたから、ずっと『近い』ところにいたのかもな」

「…………」

「……お前も、あんまり人間を恨むなよ、鬼子。デカイ声じゃ言えないが、俺にゃあ、いちいち人間だの妖怪だの区別してわざわざいがみ合ってる方が、どうにも”間違い”に思えて来んだよなぁ」

「…………」


 そう言うと、犬神は不意に優しい目を浮かべて、鬼子のおかっぱ頭をそっと撫でた。

 鬼子は、彼の言葉にふと故郷の老鬼のことを思い出し、犬神の膝の辺りに抱きついてしばらくポロポロと涙を零した。


□□□


「余はと、そう『命令』したはずなんじゃがな」

「んふふ……」


 薄暗い六畳半の寝室に、花柄模様の行燈あんどんの灯火が一つ。

 壁に貼られた障子の上に、帝と、それから怪鳥・オンモラキの影がゆらゆらと妖しく揺らめいた。


「鬼ヶ島の鬼が生き残っていては、下々の民が安心して暮らせんじゃろうが。一匹残らず炙り出せ。現人神に、畏れ多くも仇なすモノが在ってはならぬ」

「全くもってその通りでございます」

「フン。それにしては……何やらコソコソとやっとるみたいじゃないか。余が知らんとでも思うたか? オンモラキよ」

「……オカタイコトは、今はいいじゃないですか」

 乱れた布団の上で、オンモラキは甘えるように彼の胸元に顔を埋め、そっと囁いた。


「私にお任せ下さい、天子様。一つ、余興をご覧に入れましょう」

「ほう。余興とな?」

 はぐらかす彼女に、帝はわざと気づかない振りをして、ニヤリと唇の端を釣り上げた。

「その余興とやらは、少なくとも此間こないだのチンケな赤鬼の首よりは、余を楽しませてくれるのじゃろうな?」

「ご安心を。卑しき鬼めら、それと……ふふふ」

 六畳半に、オンモラキの妖しげな笑い声が木霊した。行燈あんどんの灯火が、隙間風に吹かれて妖しく揺らめいた。


「天子様に仇なす謀反者は、一匹残らず我らの掌の上にございます」

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