第8話 Original Prankster

「離せよ!!」


 暗く冷たい艦内の廊下に、鬼美の叫び声が響き渡った。鬼美と、それから首から上が無くなった豪鬼の胴体は、二匹とも頑丈な縄で手足を縛り上げられ、奥の牢へと運ばれるところだった。鬼美は首根っこを掴まれ、子犬のように宙ぶらりんになりながら、自分を運んでいく兵士たちに悪態をついた。


「離せってば!!」

「ひぇっへっへ……!」

「あたしたちをどうするつもりだ!?」

「あァん? 決まってんだろ」

 遠くの方から、ゴォン……ゴォン……と言う鈍い機械音が伝わってきた。やがて兵士たちは空母の一番奥深く、灯り一つない鉄格子の前に辿り着いた。鬼美は必死に手足をバタつかせたが、あいにく手を伸ばした兵士には届かず、そのままひょいと鉄格子の中に放り込まれてしまった。


「ぐえ!!」

 冷たい鋼鉄の床に転がされた鬼美の上から、続けて投げ込まれた豪鬼の巨体が降ってきた。首のない胴体の下敷きになり、鬼美は苦しそうに呻き声を上げた。その様子を、鉄格子の向こう側から兵士たちが覗き込み、下卑げびた笑い声を上げた。

「丸焼きにして食うんだよ。鍋にしても美味そうだァ」

「ひっ……!?」

「あと半日もありゃ浜につく。それまで、せいぜいおっんじまわないように気をつけるんだな」

「……!!」

 兵士は『布』から剥き出しになった鬼美の黄色い肌を、ギョロッとした目で眺め回した。嬉しそうに舌なめずりする兵士を前にして、鬼美は思わず顔を強張らせ身震いした。


 昨日の晩。

 海坊主も寝静まる穏やかな夜の海を、三匹がゆっくりと進んでいると、突然袈裟を着た大型犬が現れた。寝込みを襲われ、完全に不意を突かれた鬼っ子たちは、犬神の放つ”骨ガトリング”の前に為す術もなく海に放り出された。三日かけて作ったイカダをものの三秒で木っ端微塵にされ、鬼美たちはあっという間に犬神に捕らえられてしまった。辛うじて、毛布に包まっていた鬼子を豪鬼の胴体がとっさに荷物の中に隠し、何とか彼女だけでも逃すことができたのだが……。


「クソッ……出せよ!! ここから出せってば!!」

 牢の中で、鬼美が怯えた表情を浮かべて叫んだ。だが兵士たちはそれに応えることもなく、下品な笑い声を響かせながら、ぞろぞろと上の階へと戻って行った。鬼美は床に転がったまま唇を噛んだ。

「チクショウ……! 鬼子、頼むから無事でいてくれよ……!」

 散々手足をバタつかせたが、頑丈に絞められた縄はどうにも千切れそうになかった。

 三匹中二匹が捕まり、こうなるともう、頼みの綱は鬼子しかいない。鬼美は辛うじて逃げ延びた幼馴染に一縷の望みを託し、暗がりの中、彼女を無事を祈るのだった。

 


□□□


「失礼します! 艦長、先ほど捕らえた鬼ヶ島の残党を、地下の懲罰房に閉じ込めました」

「おう。ご苦労さん」

「それから例の『新人研修』の件ですが、水島港に陸軍が待機しているとのことです」

「陸軍? ”猿田彦”か?」


 若い水兵の報告に、犬神が渋い顔を作り低く唸った。椅子をゆっくりと回転させ、扉の方を向き直った犬神に、若い水兵は敬礼したままやや緊張した面持ちで声を上ずらせた。

「いえ。猿田彦陸軍総司令官は、現在内地にて物の怪どもと交戦中というお話で……くだんの桃太郎含め新人が数十名、浜で犬神艦長の帰りを待っちょります。船を降りたら、どうか一つご指導ご鞭撻べんたつ願えませんか?」

「そりゃ構わんが……」


 犬神は黒縁眼鏡を光らせ、右の肉球でごま髭をゆっくりと撫でた。

(……好都合だ。陸軍の猿野郎猿田彦のバカにあの二匹オニを引き渡したら、都に着く頃にゃ五体満足じゃいられないだろうしな)

「……? 何かおっしゃいましたか?」

「いや……それより艦内は問題ないか?」

「もちろんであります。我が空母『ハチ公』は最新鋭の電探レーダーを搭載し、何時如何いついかなる敵が現れようとも……」

「そうか。じゃあその足元に広がってる、そりゃなんだ?」

「え? アッ……!?」


 犬神の指摘に、水兵が足元を覗き込み、ギョッとなって飛び上がった。いつの間にか、艦長室の絨毯が花瓶でも零したかのように水浸しになっている。見ると、扉の向こうから次々に水が流れ込できていた。水兵が言葉を失っていると、次の瞬間、空母全体が右に左にガクン! と揺れ動いた。間髪容れず、艦内の警報が赤い洋燈ランプとともにけたたましく鳴り響く。犬神が小さく舌打ちした。


「どうやら何者かに侵入されたようだな? え?」

「はぁ。し……しかし電探レーダーをくぐり抜けて、どうやって……!? う、うわっ!?」

 なおも不気味に揺れ動く空母に体勢を保ちきれず、若い水兵はとうとう濡れた床に尻餅をついた。浸水に足を取られ床を転げ回る水兵を尻目に、犬神はやれやれと言った様子で”骨ガトリング砲”を引っ張り出した。


「いるだろ、この世の暗い部分物陰にゃあ。電探レーダーにも捕らえきれねえ、いるかもいないかも分からないような奴ら物の怪がよ」


□□□


「ね……大丈夫??」

すンな。このおいらが付いてるじゃねえかよ」

「だから心配なのよ」

 廊下の角からひょっこり顔を出し、軽口を叩くかっぱえびの様子に、鬼子は余計に不安を募らせた。


 かっぱえびの水かきのついた手で、ペタペタと空母の「脇腹」を登り、二匹は巨大な格納庫に辿り着いた。空母の中は、まるで一つの巨大な街のようだった。鬼ヶ島の稽古場が丸々すっぽり入ってしまいそうなほどの大きさの格納庫に、鬼子は思わずため息を漏らした。格納庫には羽のついたの群れや、仰々しい着物を召した、名前も知らない偉い人の銅像が飾られていた。


 そこから二匹は、捕らえられた鬼美と豪鬼の胴体を探すため、狭い廊下の奥をひたひたと音を立てないようにして進んだ。歩くたびに、かっぱえびの濡れた桃色の皮膚ウロコから、しずくが点々とこぼれて床に落ちた。夜の艦内は灯りも消され、薄暗かった。長い廊下の角を曲がると、固く閉ざされた扉の前で、見張りの男が鋭く目を光らせていた。懐中電灯の光がゆらゆらと廊下の壁を揺れ動くたび、鬼子はかっぱえびの後ろに隠れ、ビクビクと肩を震わせた。


(……どうするのよぉ?)

 鬼子が肩越しに見張りを覗き込み、そっとかっぱえびに囁きかけた。不安げな表情の鬼子とは対照的に、かっぱえびは自信満々な表情で振り返ると、嬉しそうに目を細めた。

(任せとけって。ちょっくら、あいつらしてくっからさ)

(ちょっと!)

 鬼子が止めるのも聞かずに、かっぱえびは両手をぱん! と顔の前で合わせると……

(え……えぇ!?)

 ……そのまま鉄の床に向かって頭から飛び込んだ。鬼子は思わず目をつぶった。ぶつかると思ったからだ。しかし、かっぱえびの体は床に当たることなく、まるで水の中に潜ったかのように、足元の鉄の中に体を浸していた。驚いて目を白黒とさせる鬼子の顔を実に嬉しそうな顔で眺めながら、かっぱえびは床から顔だけ出して、地面をスイスイと泳いだ。


(ど、どうなってるの!?)

(だはは……! これぞおいらの・『みずもぐりの術』!)

「何の音だ?」

 すると、騒ぎを聞きつけた見張りが二匹の方向に懐中電灯を向けた。鬼子が体をビクッと震わせ、かっぱえびは急いで床の中に頭までぽちゃん、と潜った。そのままかっぱえびは床の上に水たまりを浮かべながら泳いだ。

「何じゃこりゃ? 誰か飲み物でも零したか?」

 ゆっくりとこちらに歩いてくる見張りが、足元の『動く水たまり』に気がついて顔をしかめた。その瞬間、スイッと後ろに回り込んだかっぱえびが、突然彼の背中側から飛び出て、水かきのついた両手で見張りの口元を押さえつけた。


「ごぼッ!? ぐががッ……!??」

 突然口の中に大量の水を流し込まれた見張りは、ゴボゴボと口から泡を吐き出しながら、。かっぱえびは濡れた四肢で彼の背中にしがみつき、押さえつける両手をさらに強くした。暗く狭い通路に、かっぱえびの無邪気な笑い声が響き渡った。

「だははははははははははははは!!」

「かっぱえびさん!!」

 その様子に、鬼子は慌てて廊下から身を乗り出し、かっぱえびに飛びかかった。

「ぎゃあッ!?」

 鬼子の体当たりで吹っ飛ばされた水兵とかっぱえびは、そのまま床に転がった。懐中電灯が誰もいない廊下に転がり、ガラガラと大きな音を立てた。かっぱえびが桃色の水を滴らせながら起き上がり、鬼子に食ってかかった。


「何すんだよぉ!?」

「ダメよ! 何がよ。あんなに大量に水を飲ませちゃ……あの人、死んじゃうかもしれないじゃない!」

「いてえ!」

 鬼子が頬を膨らまし、かっぱえびの”皿”の部分をゴチン! と叩いた。かっぱえびは目から星屑を零しながら、訳が分からないと言った顔で水かきのついた両手を上げた。


の何が悪いんだ? おいらたちゃ、妖怪だぞ?」 

「でも……何もそこまですること、ないと思ったの」

 鬼子は困った顔をして、かっぱえびから視線を逸らした。

 鬼子の視界の端っこで、見張りの男が白眼を剥いて気絶しているのが見えた。だけどその時、鬼子が頭の中で思い浮かべていたのは、数日前、鬼ヶ島で焼け死んだ仲間の鬼の変わり果てた姿だった。彼女は仲間のその表情と、水兵の苦しげな顔を重ねて見ていた。

 今にも泣き出しそうな鬼子を前に、かっぱえびが半ば呆れた顔をして肩をすくめた。


「向こうは散々妖怪おいら達を死なせてるのに、か?」

「うん……」

「お人よしを通り越して、もはやバカだよ、そんなの。いや、お前の場合は”お鬼よし”か……」

「どうした!? 何かあったのか!?」

「!」


 すると、閉ざされた扉の向こうから鋭い声が飛んできて、誰かが駆け寄ってくる音が聞こえてきた。二匹はその場で飛び上がって顔を見合わせた。さらに、暗かった廊下に突然照明が灯り、二人の歩いてきた通路からも大勢の水兵たちが大きな音を立てて走ってきた。真っ白な人口の光の下に晒され、鬼子が慌ててかっぱえびの肩を引っ掴んで揺さぶった。


「あれ、やってよ! さっきの、のやつ! あれで逃げましょう!」

「無理だよ! ありゃ、おいらの体を一時的に水に変えてるだけだから! 床に潜ってるわけじゃないの。逃げられるとしても、おいら一匹……」

 鬼子にガクガクと揺さぶられていたかっぱえびだったが、そこまで言って、ふと何かに気がついたかのように両手をぽんと叩いた。

「あ、そうか」

「え?」

「……じゃあな、”お鬼よし”の鬼子ちゃん。おいらはここまでだ。ちょいと分が悪いから、出直すとするよ。お前も、早く仲間が見つかるといいな」

「えぇ!?」


 鬼子が唖然とした表情で口を半開きにした。かっぱえびは再び顔の前でぱん! と両手を鳴らすと、自らの体を水に変えて、鉄の床の上で水たまりになってしまった。その瞬間、鬼子の目の前でバァン!! と大きな音がして、大勢の水兵たちが武器を片手に廊下に雪崩れ込んできた。さらに鬼子の後ろからも水兵たちがやってきて、鬼子は逃げる間も無く挟み撃ちにされた。


「ちょっとぉ!?」

「……ひっ捕らえろ!!」


 へなへなとその場に座り込み、泣き叫ぶ鬼子を、水兵たちはあっという間に縛り上げてしまった。

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