第7話 It's In The Way That You Use It
「じゃ、行って来るよ」
まだ少し冷たさの残る朝の空の下。
吐き出す息を白く染め、桃太郎は玄関を振り返った。
「元気で。母さん」
「…………」
玄関にいた母親は、自分より背丈の大きくなった息子を黙って抱きしめた。しばらく物憂げな表情を浮かべていた母親だったが、やがて一度奥へと引っ込むと、大きな黄土色の巾着袋を持って再び現れた。
「これは?」
「”きびだんご”よ。持って行きなさい」
桃太郎は巾着袋を開けてみた。中には昨日拵えたと思われる、出来立ての丸っこいだんごがいっぱい詰まっていた。「すごいや。本当に伝説の勇者になったみたい」興奮気味でそう囁く桃太郎に、母親は真剣な眼差しで見つめ返した。
「桃太郎や。困ってる人やお腹の空いている人を見かけたら、このきびだんごを分けてやりなさい。きっと、いつかあなたの助けになってくれますからね」
「……分かったよ。ありがと、母さん」
「体に気をつけてね。くれぐれも、無理してはダメよ」
「母さんこそ」
最後に桃太郎はもう一度母親を抱きしめ、それからきびだんごを腰にぶら下げ、意気揚々と歩き出した。桃太郎の”出陣”を聞きつけ、村の子供たちがわんさか集まって彼の足元に群がった。歓声と祝福の高揚が、小さな村をあっという間に飲み込んでいく。桃太郎は苦笑しながらも、まんざらではない様子でそれに応えていた。
「あいつを拾った時から……こうなることは『運命』だったのかもしれん」
「あなた……」
すると、二人の様子を見守っていた父親が後ろからやってきて、不安げな母親の肩を抱きしめた。笑顔で溢れる人々の輪が、だんだんと二人から遠ざかっていく。桃太郎の両親は、徐々に小さくなっていく息子の背中を、いつまでもいつまでも見つめ続けていた。
□□□
「あれっ!?」
朝になり、深い眠りから目を覚ました鬼子は、飛び込んできた景色に思わず大きな声を上げた。キラキラと輝く星空から一転、朝になると今度は世界が驚くほど青く染まっていた。飲み込まれそうなくらい広がる青。実際、鬼子は飲み込まれていた。昨日の晩まで乗っていたはずの、イカダがなぜか跡形もなかった。鬼子は溺れていた。イカダの残骸に『布』の切れ端を引っ掛け、波に流されるままに海を漂っていた。
「きゃ…きゃああああっ!?」
自分の首から下が海の中に浸かっているのに気がついて、ようやく鬼子は悲鳴を上げた。鬼子は泳げなかった。
「だ……誰かぁ!? 助けてぇ!!」
「だはははは!!」
「ひッ……!?」
すると、突然鬼子の足元からブクブクと笑い声が聞こえてきて、彼女は思わず体を強張らせた。鬼子が恐る恐る海中に目を凝らすと、突然「ぬっ」と”何か”が現れた。
「きゃあああっ!?」
鬼子はひっくり返りそうになり、慌てて木片の残骸にしがみついた。口の中に入り込んできた塩水を吐き出しながら、鬼子は”何か”をマジマジと見つめた。そこにいたのは、頭にツルツルのお皿を乗っけて、アヒルのような
「だ……誰!?」
「だははは! お前も相当、マヌケな妖怪だなあ! あんだけ攻撃されて、ちっとも気づかないで朝まで居眠りだなんて!」
「誰なの?」
涙を流しながら笑い続ける河童の子供に、鬼子はちょっとムッとした顔を作った。
「見てないで、助けてよ!」
「助ける?」
河童の子供が首をひねった。
「なんで?」
「なんでって、溺れてるから。あなた、河童でしょ?」
「違うよ。おいらは”かっぱえび”さ」
「”かっぱえび”さん?」
「そうさ。ホラ!」
初めて出会う海の妖怪に、鬼子は目を白黒させた。鬼子の目の前で、河童の子供は水中でくるりと前に回転して、桃色に染まった長い海老のしっぽを突き出して見せた。そのままかっぱえびは一回転して、再び鬼子と顔を突き合わせた。
「見たろ。おいら、”河童”でもない、”海老”でもない。ピンク色の、”かっぱえび”さ。おんなじ色した奴が泳いでると思って、仲間かと思ってかけつけて見たら……」
かっぱえびは鬼子の桃色の肌をジロジロと眺め回した。
「まさか、鬼っ子だ。いっつも金棒振り回して、
「あのねえ……」
再び笑い出したかっぱえびに、鬼子は深々とため息をついた。
「お願いかっぱえびさん、助けて。イカダはどこ? 鬼美ちゃんたちはどこに行ったの? あなた、何か知ってるんでしょう?」
「ああ知ってるよ。知ってるけど、教えない」
かっぱえびは鬼子に「べっ」と真っ赤な舌を突き出した。
「まあ! ”いじわる”ね!」
「ああそうさ。妖怪だからね。それに河童なんだから、溺れてる奴をもっと溺れさせるのが、おいらの役目さ」
「でもあなた、さっき自分で河童じゃないって言ったわよね。かっぱえびさんなんでしょう? だったらせめて”えび”の部分だけでも、鬼子を助けるべきだわ」
「助けて欲しかったら、何かくれよ」
かっぱえびが桃色の鱗に覆われた両手を突き出した。
「ただで”鬼助け”なんて、まっぴらだ。何かいいものくれなきゃ、助けてあげない」
「えぇ〜!?」
大声を上げる鬼子の前で、かっぱえびがわざとらしく頭を抱えて見せた。
「あァ、腹減ったなァ。誰かきびだんごでも持ってねえかなァ」
「そんなこと言われても……鬼子、何も持ってきてないよ」
鬼子が水面から顔だけ出し、途方にくれた。かっぱえびが鬼子の着ている『布』をジロジロと眺めた。
「例えばその、今着ている『布』とかさァ」
「えっ?」
かっぱえびの子供は目尻を下げニヤリと唇の端を釣り上げた。
「おいら、知ってるぞ。稲妻模様の鬼の『布』は、滅多に手に入らない高級品だって。何でも遠いお空の雷雲の中で作られて、どんな妖気もはねっ返すっていう……」
「やぁよ! 鬼子、それじゃ素っ裸になっちゃうじゃない! このエロがっぱ!!」
「”かっぱ”じゃないもん」
「エロえび!!」
「助けて欲しいんだろ? だったら、”それそうおう”のものを出してもらわなくっちゃあ」
かっぱえびが海の中でピンクの尻尾を振ってニヤニヤ笑い続けた。その間にも、鬼子は残骸ごと波に流されて、今にも頭まで沈みそうになった。鬼子は「う〜ん」と唸りながら、やがて自信なさげに声を絞り出した。
「鬼美ちゃんだったら、勾玉のイヤリングとか、食べ物とかなら持ってるかも……?」
「へええ。その鬼美ちゃんってのは、昨日イカダに乗ってたあの黄色い鬼っ子かい?」
「知ってるの?」
鬼子が目を丸くした。かっぱえびが頷いた。
「ああ。お前の乗ってたイカダは、犬神っていう人間に雇われた妖怪がやってきて、あっという間に壊しちゃったのさ。それからお前くらいの歳の鬼っ子と、あと首のない大きな鬼の体も担いで、船に持って帰っちゃった。鬼美ちゃんかあ。お前はちっこいし、布に包まってたから気づかれなかったんだろうなあ。そうかあ、鬼美ちゃんかあ……」
「そんな……」
鬼子が言葉を詰まらせた。自分が寝ている間に、そんな大変なことになっていただなんて。もしかしたら人間の襲撃に気づいた豪鬼の胴体が、とっさに自分だけ逃してくれたんじゃないだろうか、と鬼子は思った。
「すぐに助けに行かなきゃ……」
「おいおい。さっきまで助けてって叫んでた奴が、一体誰を助けに行くつもりなんだよ?」
かっぱえびがまたしても「だはは!」と笑いだした。かっぱえびは「でも……」と言いかけた鬼子の股下に潜り込んで、突然鬼子の体を下から持ち上げた。
「きゃああっ……何するのよっ!?」
「しっかり捕まってな。おいらが、その犬神のところに案内してやるよ」
「えっ? あ……」
気がつくと、鬼子は海の上でかっぱえびに馬乗りするような形になっていた。水の中からようやく這い上がれた鬼子は、かっぱえびの背中についた亀の甲羅のようなものにしがみついた。かっぱえびはそれを確認すると、鬼子が乗っていたイカダとは比べ物にならないスピードで海を泳ぎ出した。
「ひゃあああっ!?」
「その鬼美ちゃんが、おいらに『布』をくれるんだな?」
「え? え〜、あ〜……」
ゲヘヘ、と下品な笑い声を出して、かっぱえびが期待に目を輝かせた。鬼子は喉から「はい」とも「いいえ」ともつかない音を出して誤魔化した。そんなことを鬼美に言い出したら、金棒で頭の皿を力一杯叩き割られるに違いないと思ったが、今は黙っておくことにした。今はそれどころではないのだ。早く人間の側に囚われた二人を助けないと、きっと大変なことになってしまう。
「でも大丈夫かなァ……このエロがっぱエロえびさんで」
「それはこっちのセリフだい」
海の上を滑りながら、鬼子が少し呆れた顔でかっぱえびを見下ろした。ピンク色したかっぱえびが、ペロリと上唇を舐めた。
「なぁに、人間様と犬っコロが
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