第5話 Same Ol'

 あれはそう、五年ほど前だっただろうか。

 鬼美がまだ五歳の時である。


 『物の怪である鬼は、(腕が捥げても首が千切れても)凡そ一ヶ月程度なら死なない』


 それを利用して子鬼こどもたちの間で流行っていた遊びが、『首蹴鞠けまり』だった。鬼っ子の首をボールに見立てて落とさないようにみんなで囲んで蹴り合ったり、特定の場所ゴールに入れるのを競う、実に可愛らしい遊びだ。首蹴鞠けまりは特に男のたちの間で大人気だったが、ある時巫山戯ふざけ男鬼だんしの一匹が女鬼じょしの後ろに忍び寄り、その首を捻って引っこ抜いた。


 その時男鬼だんし集団グループの悪戯で首をボールにされてしまったのが、鬼美だった。

「おい! やめろって!!」

 幼い鬼美の首が慌ててそう叫ぶ頃には、男鬼だんしたちはニヤニヤ笑いながら彼女の首をぽーん! と空の下に蹴り上げるところだった。首を取られた彼女の胴体はどうすることも出来ずに、狼狽うろたえてその場を右往左往するばかりだった。


 その時だった。

 鬼子が、初めてのは。


 当時鬼子は五歳の時点でまだろくに喋ることもできず、みんなと一緒にいてもずっとだんまりだったので、周りの子鬼こどもたちの中でもちょっと浮いていた。ぼーっとして、どんくさくて、他の子たちよりもうんと背が低かった。角も生えてくる気配がなかったし、あの怖い豪鬼隊長の娘だったからみんな直接手は出さなかったものの、影では悪口を囁き合った。

 そんな、同年代のたちから少し小馬鹿にされていた鬼子を、表立って庇っていたのが鬼美だった。鬼美の父は副長として豪鬼隊長の下についていたから、隊長の娘と仲良くしてやってくれと、普段から常々言われていた。

 

 だから周りの男鬼たちにしてみれば、鬼美は善人ぶった態度が少し鼻につく、イカすけない奴だったのだろう。二匹の鬼ったちは度々男鬼だんしたちのにされていた。


 そしてある時鬼美が男鬼だんしたちに遊ばれているのを見て、とうとう鬼子が切れた。

 鬼美の首が三度みたび空に蹴り上げられた次の瞬間、鬼子の絶叫と、それから男鬼だんしたちの悲鳴が上がった。それまで大人しかった鬼子が急に唸り声を上げながら、鬼美の首を蹴った男鬼だんしに飛びついた。

 鬼子は血走った目を真っ赤に染め、尖った犬歯で男鬼の喉元に喰らいついた。首を噛み切られた男鬼は、一瞬何が起きたのか分からず、呆然とした表情で地面をゴロゴロと転がった。千切れた首元から噴水のように吹き出る返り血を顔中に浴びながら、鬼子は次の標的いじめっ子を探して「ぐるり」と首を動かした。


「ひぃぃ!!」

 突然の凶行に男鬼たちは震え上がってしまい、転がった友達の首を抱えながら一目散に森の中へと逃げて行った。鬼子も追いかけようとしたが、地面に出来上がった血の池にずるりと足を滑らせ、後頭部を打ってそのまま動かなくなった。

「……!」

 その様子を、放り出された地面から見ていた鬼美の首は、口をぽかんと開けながら見守っていた。


『物の怪である鬼は、凡そ一ヶ月程度なら死なない』


 鬼美も、鬼子に首を喰い千切られた男鬼だんしたちも、その後ちゃんと胴体とくっ付けられ命に別状はなかった。だけどそれ以来、男鬼だんしたちは二匹と目を合わせる度にビクビクと怯え、鬼ったちを揶揄からかうことも無くなった。それ以来、鬼子も滅多に怒るようなことはなく、鬼美の隣でぼーっとを見たりしながら毎日を過ごして行った。


 鬼子は間違いなく、豪鬼さんの娘だ。


 当時五歳だった鬼美はそう確信し、そして決して鬼子を怒らせるようなことはしまいと、心の中で密かに誓った。


□□□


「ぎゃああッ!?」


 次の瞬間、喉元に噛み付かれた隊員の一人が悲鳴を上げた。若い男は突然突っ込んできた鬼子を避けきれず、尻餅をつき半狂乱になりながら九九式軽機関銃を闇雲に振り回した。タタタタタ! と乾いた発砲音が夜の闇の中に鳴り響いた。


「やめろッ! 撃つな、味方に当たる!!」

 隊長が慌てて身を伏せながら叫んだ。円陣の中を流れ弾が行き交い、第七部隊はたちまち大混乱に陥った。

「引けッ! 一旦引けッ!!」

 隊員たちが数名、仲間の首元に食らいつく鬼子をなんとか引き剥がし、地面に叩きつけた。男の皮膚は分厚く幸い首が千切るまでには至らなかったものの、その首筋には猛獣に噛み付かれたかのような歯型がくっきりとつき、所々ところどころから真っ赤な鮮血が滴り落ちていた。慌てて丘の上へと退散する隊員たちを追いかけようと、鬼子はガバッと起き上がりすぐさま態勢を立て直した。


「撤収ッ、撤収ーッ!!」

「鬼子!! 待て!!」

 その一部始終を釘付けになって見ていた鬼美が、とうとう物陰から飛び出し、走りだそうとする鬼子の背中にのしかかるように、彼女を地面に押し倒した。「ぐるん」と体ごと首を回した鬼子が、焦点の合っていない血走った赤い目で鬼美を睨んだ。


「鬼子……!」

 フー、フーッ! と息を荒げ、普段とは打って変わって鋭い目つきで自分を見上げる鬼子の姿に、鬼美は思わず腰が引けた。父親の血を見て興奮状態に陥った鬼子は、押さえつける鬼美を振りほどこうと彼女の腕の中で暴れ回った。


「鬼子、落ち着け。豪鬼サンはまだ、死んじゃいねえ。首が取れただけだ。すぐに治る……」

「そういう問題じゃ、ないッ!!」

「ッ……!」


 鬼子が吼えた。おかっぱ頭を振り乱し、今度は鬼美の胸に爪を立て、その肩口に噛み付いた。鬼美は激痛に顔をしかめ、思わず鬼子を抑える手を緩めた。なおも親友の首を喰い千切らんと鬼子がその小さな顎に力を込めた時、突然鬼美の後ろからヌッと巨大な影が現れ、暴れる二匹ごと腕でぎゅっと抱きかかえた。

「!」

 二匹を包んだのは、豪鬼の腕だった。

 首を失った豪鬼の胴体が起き上がり、正気を失った娘を暴れないようにキツく抱きしめた。大きな腕にガッシリと拘束され、鬼娘たちは途端に身動きが取れなくなった。


「……!」

 父親に抱きしめられ、鬼子はようやく大人しくなった。それから自分のやっていることに気がつき、ハッとなって鬼美の顔を見つめた。

「鬼美ちゃ……」

「いいんだ、鬼子」

「ご、ごめ……!」

「オイ謝んな。こんくらい、すぐ治る。お前はいいから、落ち着け……」

 鬼子の声に、ようやく彼女が元通りになったことを確かめ、鬼美もまたホッとしたように表情を緩めた。徐々に目を潤ませる鬼子を鬼美が笑って抱きしめ、さらに二匹を豪鬼の腕がぎゅっと包み込んだ。


「……どっちにしろ奴らの武器キカンジュウをどうにかしない限り、今追いかけて行っても無駄死にするだけだ」

 物陰から這い出してきた鬼美の父親が、人間たちが逃げていった方角を睨みながらポツリと呟いた。それから黄鬼の副長は辺り一面を埋め尽くす死屍累々を見渡し、悲しそうに目を伏せた。

「”葬い”をせにゃあ……鬼男も、鬼太郎も、若いモンからみんなヤラれっちまった……」 


 崩壊した稽古場はその後も夜通し燃え続け、幼い鬼娘たちの泣き声が、襲撃を受けた鬼ヶ島にいつまでもいつまでも響き渡っていた。


□□□


「隊長、どうしますか? 態勢を立て直して、遠くから射撃を……」

「待て。司令官から撤退命令が出てる」

 丘の向こうへと逃げ去った兵士たちは、負傷した仲間の一人を手当てし、闇の中で顔を突き合わせた。隊長が伝令から受け取った電報を読み上げると、残りの十五名がざわざわと騒ぎ出した。

「司令官? オンモラキ様ですか?」

「鬼ヶ島殲滅作戦はどうなるんだ?」

「でもよ……首が捥げても動き回ってるような連中、命がいくらあっても足りねえよ」

 隊員の一人が青ざめた顔でブルっと体を震わせた。重たい沈黙が流れる中、隊長は鋭い目つきで全員の顔を見渡した。

「ちょうどいい。こっちは負傷者も出たし、あんな気味の悪い奴らに無駄に死に急ぐこともあるまい。今のうちに撤退だ。急ぐぞ」

「ハッ!」

 隊長の命令に、全員が声を揃えた。


□□□


「そんな……」

 

 ぐちゃぐちゃになった岩場の陰で、鬼美が呆然とした顔でがっくりと膝から崩れ落ちた。鬼美の父は、娘の怪我してない方の肩に手を起き、沈痛な面持ちでかぶりを振った。

「残念だが……くっつけようにも、がバラバラに吹っ飛ばされてる。これじゃ、いくら心の臓が動いてようがどうしようもねえ」

「……!」

 絶句する鬼美の目の前で、黒焦げになった老鬼の体が地べたに横たわったままピクピクと蠢いた。

「そんな、待ってよ! まだ動いてる……生きてるよ! 青鬼の爺ちゃんはまだ……!」

「鬼美」

 よろよろと立ち上がった老鬼の体に駆け寄ろうとする娘を引き止め、副長は顔を突き合わせ彼女の目をじっと覗き込んだ。


「”葬い”をするんだ。爺サンの魂は、あの世に行っちまった……きちんと送り届けてやるのが、残されたモンの務めだ」

「……ッ!」

 物の怪である鬼は、凡そ一ヶ月程度なら死なない。だから後一ヶ月もすれば、頭を無くした胴体は力つき動かなくなるだろう。


 鬼美は顔を歪ませ父親の胸の中に飛び込んだ。

 首から上を吹っ飛ばされた老鬼の胴体は、命令系統コントロールを失いフラフラと燃え残った黒い森の中へと歩き出した。鬼美と彼女の父親は、彷徨う亡霊の列に加わった老鬼の胴体が見えなくなるまで、涙を流しながらいつまでもその後ろ姿を見つめていた。




 【二一四○フタヒトヨンマル。我ラガ誇ル水軍並ビニ大航空部隊ハ某吉日日本海ニ浮カブ鬼ヶ島ニ攻メ入リ、島ニ巣喰ウ物ノ怪並ビニ魑魅魍魎ドモヲ壊滅サセルコトニ成功シタ。数百年前カラ我ラヲ食イ物ニシ外敵トシテ駆除対象ニアッタ『鬼』ニ至ッテハ、今日デハ帝国軍ノ活躍モアリソノ数ヲ数百匹程度ニ減ラシテイタガ、コノ度ノ戦イニ置イテハサラニ指デ数エルホドニマデ撃退シタト言エヨウ。ダガ国民ノ諸君、油断シテハイケナイ。奴ラノ残党ハ闇ニ潜ミ、貴殿ヲ、ソシテ貴殿ノ家族ヲ食イ殺サント機会ヲ窺ッテイル。正義ハ帝ニアリ。今後モ我ラハ、日本各地ニ潜伏スル闇ノ住人ドモヲ、光アル我ガ帝国カラ締メ出サント……】




「鬼美ちゃん」


 火葬される仲間の死体の山、彼らの墓石代わりに地面に突き立てられた金棒の前で、鬼子は横で手を合わせていた鬼美に静かに告げた。


「鬼子……おっちゃんを助けに行く」

「はあ!?」

 思いがけない鬼子の言葉に、鬼美は火葬場で素っ頓狂な声をあげた。


「おま……聞いただろ!? 豪鬼さんの首は、オンモラキって奴が都に持ってちゃったって……」

「うん。だから都に行く」

「オイオイ……」


 鬼美は腰を抜かしそうになった。だけど鬼子は葬いの金棒を見つめたまま、何処どこまでも真剣な表情を崩さなかった。


「正気か!? 京の都までこっから三ヶ月はかかるぞ!? 間に合わねえ。一ヶ月以内に首をくっつけないと豪鬼さんの体は……」

「行く」

「!」


 鬼子が鬼美を振り返った。

 その目はもう、真っ赤に血走っていたりはしなかった。

 だけど鬼子が怒っていることは十分伝わって来て、鬼美はそれ以上彼女に声をかけることができなかった。燃え盛る紅蓮の炎を前に、ゴクリと唾を飲み込んだ鬼美に、鬼子は静かにだが力強く宣言した。


たちを、退治しに来たたちをに……鬼子、おっちゃんを助けに行ってくる!」

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