第4話 Out Of Control

「落ち着け……大丈夫、大丈夫だ!」


 鬼美は腕の中で「ガチガチ」と歯を鳴らす鬼子を抱いて、自らに言い聞かせるように叫んだ。



 老鬼の顔が吹き飛ばされた、その瞬間。

 鬼美は辛くも鬼子を救い出したものの、四方八方から湧き上がる爆風に吹き飛ばされ、小柄な鬼娘と山犬一匹はまるで秋風に飛ばされる枯葉のようにいとも簡単に宙を舞った。不幸中の幸いと言うべきか。運よく洞窟へと続くほら穴に落下した三匹は、その後も続く爆撃の雨に晒されることなく島の地下深くでしばらく気絶する羽目になった。鬼娘たちが再び意識を取り戻した時、すでに爆撃は止んでおり、鬼ヶ島は先ほどの地鳴りが嘘のようにシンと静まり返っていた。


 島全体に広がっていた洞窟は、爆弾によって大半が土砂崩れを起こしていた。鬼子たちが地面の天井に押し潰されなかったのは、ほとんど奇跡に近いと言えよう。群れと合流したいと言う山犬に別れを告げ、鬼美は半壊した洞窟の入り口から慎重に顔を出した。黒い海に戦艦が浮かんでいないことを確認し、ホッとため息をつく。真っ黒な海と、真っ黒な空。昼も夜も関係なく真っ暗な雲に包まれる鬼ヶ島だったが、今夜の空は一段と澱んで見えた。

「稽古場に急ごう」

 鬼美は先ほどの雨を思い出し、一度ブルっと体を震わせ鬼子を手招きした。

「鬼子?」

「…………」

「どうした? 行こうぜ」

 だが鬼子は、俯いたまま洞窟の奥から出て来ようとはしなかった。

「…………」

「…………」

「……ヤダ」

「やだ、って……」


 鬼美は暗がりにいる鬼子のそばに戻った。気がつくと、鬼子は体操座りをしたまま、その小さな体をガタガタブルブルと震わせていた。

「…………」

 鬼美はかける言葉が見当たらず、喉を詰まらせた。無理もない。あれほどの爆撃、怯えるなという方が無理だ。それでも鬼美は妹分の前で気丈に振る舞い、涙目の幼子の隣に座り込むと、無理にでも元気な声を出してみせた。


「だーいじょうぶだって! もうはいなくなったし」

「…………」

「みんなと合流した方が、安全だろ? 平気だよ、私たちゃ鬼だ。腕が捥がれたって、首がちょん切れたって、治る。後で青鬼の爺さんの首探して、元通りにしてやろうぜ」

「…………」


 鬼美のやけに明るい声が、暗い洞窟の中に木霊した。鬼子はしばらく黙っていたが、やがて小さくコクリと頷くと鬼美に抱きつき彼女の胸に顔を埋めた。鬼美は自身も震え出しそうになるのを必死に堪えながら、怯える鬼子を抱きかかえ、ゆっくりと洞窟の入り口へと歩き始めた。



「うッ……!?」

 しかし一旦外に出ると、変わり果てた島の光景を目の当たりにし、鬼美もやはり足が竦まずにはいられなかった。昨日まで慣れ親しんだ道中は空襲で焼け野原と化し、まるで面影がなかった。

「……ッ!」

 ボコボコと穴の空いた道端には、逃げ遅れた山犬や他の物の怪たちの焦げた死体が転がっている。鬼美は鬼子にそれを見せないようにぎゅっと顔を肩口に押し付けた。鼻が捥げるような匂いに吐きそうになりながら、鬼美はその場から逃げるように稽古場へと走った。


「大丈夫だ……大丈夫……ッ!」

 鬼美は自分を奮い立たせ、出来るだけ何も見ないようにしながら夜道を駆け抜けて行った。

「この丘を越えたら、向こうは稽古場だ……」

 やがて目的地が近づいてくると、鬼美はほんの少しだけ表情を緩ませた。北にある丘は上が吹き飛ばされ、昨日の半分の高さしかなかった。鬼美は鬼子を背中に担ぎ直し、急いで坂を登り丘の向こうへと顔を出した。


「……?」

 だが次に鬼娘たちの目に飛び込んできたのは、真っ黒な世界だった。

 普段の鬼ヶ島も、黒い海と黒い空に囲まれ十分に暗くおどろどろしい。だけど其処そこは、まるで墨汁でも零したみたいに見渡す限り真っ黒で……焼け焦げていた。昨日まであった道場も、倉庫も宿舎もどこにも見当たらなかった。代わりに壊れた木材の山や、元が何なのかも分からない残骸が地面を埋め尽くさんばかりに散らばっている。そこら中で炎が踊り、黒煙が吹き荒れ、一瞬鬼美は地獄の淵へと迷い込んだのかと思った。


「ねぇ鬼美ちゃん……まだぁ?」

「っかしいな……。道、間違えたかな……?」

 鬼子が鬼美の背中に顔を埋め、小さく声を震わせた。鬼美は首を傾げ、転ばないように注意しながら、ゆっくりと更地に歩を進めた。時折吹き荒れる夜風が、火の粉を巻き上げて夜道をキラキラと照らした。肉を焦がしたような匂いは相変わらずだった。四方八方を取り囲む炎の熱気に、鬼美はだんだん息が詰まりそうになってきた。


 見慣れない黒い景色の中を、半分ほど進んだ時だろうか。

「うわあっ!?」

「きゃああっ!?」

 突然鬼美は足を引っ張られ、派手にすっ転んだ。おんぶされていた鬼子はポーンと宙に投げ出され、黒炭の地面をゴロゴロと転がった。地面に鼻をしたたかに打ち付けた鬼美は、口の中に広がる鉄の味を噛み締めながら喚いた。


「何しやがんだこのッ……誰んぷッ!?」

 怒りに任せて叫び声を上げる鬼美の口を、地面からにゅっ! と伸びてきた黄色い手が塞いだ。

(シーッ! 鬼美、静かにしろ!)

「んぐ……ッ!?」

 鬼美は、黄色い手の主が誰なのか気がついて、みるみるうちに目を潤ませた。


「おっとう……!? おっとうか!?」

(シーッ!!)

 鬼美の父、黄鬼の副長は瓦礫の山に身を潜めながら、再び口の前で人差し指を立てた。鬼美は堰を切ったように涙をボロボロと零し、父親の腕の中に飛び込んだ。


「おっとう……!」

「鬼美……! 無事で良かった……!!」

 抱きついて来た娘の姿に、黄鬼の副長も声を詰まらせた。

「おっとう、おっとうぉ……怖かったよおぉ……!!」

「オイ泣くな、奴らに聞こえる」 

「ひっぐ……じゃあここは、稽古場?」

 それから鬼美は父親の右足が無くなっているのを見て、泣きじゃくりながらぽかんと口を開けた。副長は鬼美にも隠れるように指示すると、黙って近くにあった丘の上を指差した。


(落ち着け。すんな、オラの足ならまたくっつくさ。それよりも、まだ奴らの一部が残って見張ってるんだ)


 鬼美は父親の指し示す方角に人影を見つけて、ドクンと心臓の鼓動を跳ね上がらせた。

 鬼美たちが隠れているちょっと先、少し離れた丘の上に、武装した兵士たちが数名ウロウロと蠢いているのが見えた。


(に、人間……!?)

(ああそうだ。見慣れない武器を持ってる……近づいたら、蜂の巣だ)

 鬼美の父が残骸の山の中にチラと目を向けた。辺りに立ち込める黒煙の中、鬼美がよぉく目を凝らすと、木材の山か何かだと思っていた黒炭くろずみは、全身に無数の穴をこしらえた若い鬼たちの死体が無造作に積み上げられて出来たものだった。


 道の其処彼処そこかしこで山積みになっている、燻り続ける黒い残骸の正体。それは、炎に焼かれている仲間の死体だったのだ。


「ひッ……!?」

(落ち着け、鬼美!!)

 再び悲鳴を上げそうになる娘の口を塞ぎ、副長は悔しそうに声を震わせた。


(奴ら、キカンジュウとか呼んでたか……とにかくあの、手に持った鉄の棒から念動弾みたいなのを飛ばしてきやがって、気がついたらみんなヤラれッちまった……)

(み……みんなは……!?)

(残念だが、心の臓を潰されたモンは、もうどうしようもねえ……)

(……!!)

 父親の絞り出した声に、鬼美は声にならない叫び声を上げた。

(とにかく今は、手立てがねえ。少ねえが、まだ生き残ってるモンもいる。奴らが帰るまで、隠れてやり過ごすしか……)

 すると、鬼美はハッとなって顔を上げた。


(そうだ! 鬼子!!)

(オイ、鬼美待て……!)

 父親が止めるのも振り切って、鬼美が慌てて瓦礫の山から顔を伸ばした。鬼子は、すぐ近くで蹲ったままじっと足元を見つめていた。辺りに立ち込める黒い煙のおかげか、幸い丘の上にいる人間にはまだ見つかっていないようだ。鬼美はホッとため息を漏らし鬼子に囁きかけた。

(オイ鬼子! こっち来い! そこは危ねえ……)

「…………」

 

 だが鬼子は、蹲ったまま動こうとしなかった。 

(鬼子! オイ、鬼子ったら……)

 鬼美は必死に鬼子に手招きしながら、やがて、彼女の足元に転がっていたに気がついて絶句した。



 鬼子が見つめていたのは……首の千切れた、大きな赤鬼の体だった。

 


 首の取れた体は、地面に広がる真っ赤な血の海に浸かっていた。それは、鬼の中でも一際大きなその巨躯は、紛うことなく鬼子の父親・豪鬼のものに違いなかった。

「う……!?」

 鬼美が止める間も無く、

「うああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああッ!!

 島全体に轟くような鬼子の絶叫が、焼け野原に響き渡った。


□□□


「おい、なんだ!?」

 叫び声を聞きつけ、第七部隊の兵士たち十六名は慌てて顔を見合わせた。

「あれを見ろ!」

 兵士の一人が機関銃の先で自分たちの立っていた丘の下方向を指し示した。泣き声のする方角、蔓延する黒煙の向こうに、首の千切れた巨大な赤鬼とその体に抱きついて泣き叫ぶ幼子の姿があった。


「子供? 生き残りか……?」

「きっと鬼の子だ。行くぞ!」


 兵士たちは武器を構え、一斉に丘を滑り降りて行き、統率の取れた動きで瞬く間に泣き叫ぶ鬼の子を取り囲んだ。

「おい、そこの物の怪こむすめ!!」

 十六名に四方から銃口を向けられ、第七部隊の隊長が鋭く声を飛ばしても、鬼の幼子は一向に泣き止む気配がなかった。その大きな泣き声に、隊長は辟易しながら耳を塞いだ。


らちがあかんな……」

「殺しますか?」

「おい待て、まだ子供だぞ?」


 鬼の子の周りを『かごめかごめ』しながら、兵士たちがざわざわと囁き合った。


「子供でも、鬼の子じゃ。俺の爺ちゃんは昔、鬼に食われて死んじまっただ」

「隊長、殺した方がいいと思います。ここでこの子供を逃したら、後から大きくなって我々の脅威になるでしょう」

「しかし、いくら物の怪とは言え、子供を殺すのは……」

!?」

「殺られる前に、殺れ!」

「殺せ!」

「殺せ!!」

「殺せ!!!」


 兵士たちの囁き声はやがて大きな唸りとなり、泣き声に負けないくらいわんわんと音を響かせて鬼の子を取り囲んだ。数名の兵士が引き金に指をかけた。

「仕方ないな……」

 隊長が『撃て』と命じようとした、その時だった。

「撃……」

 その途端、ピタリと泣き声が止んだ。

「……?」

 いつの間にか風も止み、嘘みたいに静まり返った焼け野原の真ん中で、幼子がゆっくりと赤鬼の体から顔を上げた。

「うっ……!?」

 ブツン!! と何処どこかで血管が切れる音がした。

 幼子の、真っ赤に染まった目に真正面から睨まれ、隊長は思わず声を詰まらせ後ずさった。



「やっべえ……!」

 その様子を、近くで息を殺しながら窺っていた鬼美が、思わず全身の毛を逆立たせた。


「鬼子が、」 

 

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