全ての元凶
「私が董卓の妾となったのは数年前です。玄徳様はまだ十にも満たない頃、私とお会い致しましたね。……その頃、玄徳様はまだ盗みに手を染めていませんでした」
貂蝉と出会ったのはまだ幼い頃。病の母を助けるために劉備は甘家に唆されて十の冬に盗みを始める。だが貂蝉が言っているのはそれ以前の事だろう。彼女が何を言おうとしているのか全く見えなかった。
「日射しの強い夏の日、あなたは初めて薬草を涿郡の外へ採りに行って、母君のために調合しました。母君はそれを喜んでくれた。覚えていますか?」
もちろん、その事はしっかりと覚えている。母は笑顔で喜んでくれて抱き締めてくれた。弱々しい力で、細い腕で。褒められる事が嬉しくて、劉備は母のためになる事をしたかった。母が元気になれるような事をして、母に喜んで欲しかったのだ。
だが何故、貂蝉が知っている。
「もちろんだ。しかし、何故お前が知っているんだ」
「……董卓の命令でした。私は当時何も知らぬ娘で、ただ董卓を殺害するために義父に派遣された女。義父は私を道具としか思っていない。そんな自棄から、全てがどうでもよかった」
董卓に愛され、好きでもない男の傍に居続ける日々。本当に愛していた庶人の少年を、私は董卓殺害のために手にかけた。その日に私は誓ったのです、何があろうと董卓を殺すと。だからどんな辛酸も舐めてみせると。どんなものも踏みにじってでも、這いつくばってでも、泥を被ってでも殺すと。貂蝉は別嬪の顔に恐ろしいほどの氷の瞳を宿らせる。
「そして董卓は私に命じた。劉家の女を殺すようにと。私は事前に董卓から聞いていた情報で、あなたが薬草を採りに行っていると知り、庭に置いていた薬草が多数入った籠に毒草を一本入れました」
殺す覚悟が出来なかった私はそれで死んでくれればいいと思った。だけどあなたの母君は死ななかった。生きた。恐らく、毒草が入っている事を理解していたでしょう。でも、母君はあなたが煎じた薬を飲んだ。貂蝉は伏せていた目を開いては劉備を見据える。
「……それは偏に玄徳様を愛しているから」
「じゃ、じゃあ……俺は……」
その場に崩れるように劉備は座り込んだ。力が抜けたように、力なくその場にへたり込む。貂蝉を怒る気にも、董卓に殺意を抱く気にもなれなかった。何故ならば。
「俺が、母上を……殺そうとしたようなもんじゃないか」
静かに頬を伝う雫は膝の上へ落ちる。その涙は止まる事を知らないように流れ、劉備は無気力のように光を失った。だが、目の前に屈んだ貂蝉によって右頬を叩かれ劉備は地へと叩きつけられた。痛い。後から襲って来る痛みは劉備を現実へ引き戻した。貂蝉は劉備の胸倉を掴み上げ、顔を近づけては心に問いかける。
「玄徳様、あなたは何のために今まで戦って来たのですか! 母君のためでしょう!? ならばこんなところで立ち止まっている暇はありません!」
「……だが、俺の母上は……ッ」
「事情は全て承知しています。この騒ぎは全て董卓の仕業。呂布が董卓に全て伝え、玄徳様に制裁を加えられたのです」
やっぱり、呂布が。劉備は唇を噛み締め眉間に皺を刻み込む。悔しい、悲しい、憎らしいそんな感情を抱きつつ。
「呂布は我ら漢民族の誇り高き徳性など到底理解しえません。玄徳様も知っているでしょうが、呂布は北方民族の出です。……が、その呂布を寝返らせる事は出来ます」
「……連環の計」
貂蝉は静かに頷き、覚悟の籠もった漆黒の瞳で劉備を射抜いた。その目には嘘偽りのない覚悟があった。意思があった。堂々たる漢民族の、この世界の中心たる中華の心があった。
「私は呂布を寝返らせ、母君を助けましょう。そして共に董卓を討ち果たすのです」
殺しはしない。出来ない。そう告げると「もちろん、私も幼い玄徳様にそれをやらせるつもりはありません」と否定をされた。何だかそれが少し申し訳なかった。そして貂蝉という女を誤解していた事に気付いた。
だが一つ疑問があった。しかしそれを問おうとは思わなかった。貂蝉が己から金を奪ったのも、最初に村を買わせようとしたのも全て彼女もまた董卓を殺害するためだ。彼女にも理由があり、そして劉備にも理由がある。
もう子供では居られない。子供なんかじゃいられない。
劉備は覚悟した。かの邪智暴虐な董卓を討ち果たすと。そのためならば、母のため、村のためならば――悪鬼にもなってみせよう。
「……貂蝉、俺は母上を助けたい。村も助けたい。そのためならば手を組もう」
「もちろんでございます、玄徳様」
私とあなたは同志。あなたが董卓を一緒に討ち果たすというのなら共闘といきましょう。そう言って貂蝉は手を差し出し劉備は迷う事なくその手を握り締める。彼女の言葉は劉備にとって心を縛るものとなった。裏切らなければ貂蝉もまた裏切らない――そういう事である。劉備はその言葉を胸に抱き、己の心に覚悟を決めた。
もう子供でいる事は終わりだ。子供でいるのはやめにしよう。
全てを守るために、全てを誓うために。
劉玄徳の復興戦略 @nanoi_is
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