第8話「なんか閉じ込められました」


「よぉ、遅かったな?」

 小汚い宿。

 そこでニヤニヤとした笑いで出迎えたのはベンのムカつく顔だった。

「うるさい…」

「お? 反抗的だな? 痛くないのか」

 ベンはさも驚いたという顔でのたまってくる。


 実際ベンのいうとおり痛みはある。

 明確な敵意をのせて口答えした瞬間、鋭い痛みが胸を走った。

 しかし、そんなことはおくびにも出さずに平然として見せる。


 だが、

「ま、無理すんな。……新しい奴隷様の活躍は明日以降だ。へへ…今日はとっとと寝な」

 ほらよっ、と言って…顎で宿の奥を示す。

 いかにも安宿と言った雰囲気の宿だが、作りは頑丈そうだ。


 石造りのそれは苔むして嫌な匂いが漂ってはいたが、それなりに繁盛しているらしい。

 陰鬱な声や、女の悲鳴がしているのを繁盛といっていいのかは知らないが……


「ほら、入れっ!」

 ベンに小突かれるように案内されたのは宿屋の一室で……開けた扉の奥にもう一部屋。


 便所かと見まごう狭い空間には、便所桶と汚い毛布が二組───ゲシっと蹴り飛ばされたかと思えば、少女も首根っこを掴まれて放り込まれる。


 そして、ガチャンと締められれば薄暗い狭い空間に閉じ込められたと初めて理解できた。


「おい、開けろ!」

「うるせぇ! 朝までジッとしてろ」


 ガァァン! と派手な音を果てて反対から蹴飛ばされると、恐ろしい暗い反響音が響いて、頭に痺れすら起こす。


 狭い分、音の反響が凄まじいのだ。


 くそ……それだけで、もう反抗する気が失せそうだ、反対に扉を叩き返そうと思ったが、よく見ればこちら側の扉にはスパイクが───


「おら、大人しく飯食って寝てろっ!」


 カシャン、と床に近い扉の下方が開き、明かりと共に皿が差し込まれる。


 ひび割れた陶器のそれには、堅い…カビたパンと、もう一つの粗末な木のカップには濁った水が注がれており、乱暴な手つきで無造作に差し入れられる。


 勢いを付けて突っ込むものだから、水が零れてしまった。


 だが、扉の先のベンがそんなことを気にするわけもなく、にべ・・もなく食事用の窓は再び閉ざされる。


 あとには、床と扉の間の数ミリ程度の隙間から見える明かりのみ……暗闇の狭い空間に二人が残された。


「くそ……犬猫より酷い」


 扉を叩くわけにもいかず、腹立たしい思いを床に叩きつける。

 しかし、ベチっという鈍い音がするのみで、かえって苛立たしく感じてしまった。


「あ、あの……」


 そんなビィトに遠慮がちに話しかける少女に、いまさら気づいたようにビィトは顔を向ける。


「なに!」

 気負ったわけではないが、つい声が荒くなってしまう。

 全て自分の自業自得ではあるものの、少女に八つ当たり染みた感情を持ってしまう。


 確かに事の発端は少女のスリにあると言えばあるのだが……


「ご、ごめんなさい……」

 ポロポロと涙をこぼして謝る少女に、

「泣くなよ…! こっちまで惨めだよ!」


 やはりどうしても腹立たしく怒鳴り返してしまう。こんな狭い空間だ。互いに逃げる場所もなく、ピッタリと寄り添うしかないのだが……


「ぅぅ……ごぇんさぁい」


 ひっくひっくとしゃくりあげる少女。

 ビィトにしても泣かれてもどうにもならない。それに虐めたいわけではないのだ。


「鬱陶しいから泣かないでくれ!」「ふぁい……」

 グスグスとクズるものの何とか泣き止む少女。


「えっと……」

 どうしたものかとビィトが思案していると、

「せ、せめて、こ、これ」

 オズオズと差し出すのは───堅いカビたパン。

 ビィトの分も入れて二つあるうちの一つ。


「?」

「あ、あげます…」


 とてもつらそうに差し出す。そのカビたパンに……


 キュルルルルル…と腹を鳴らす少女。


「はぁ……いいから食べろよ」

 がっくりと力の抜けるビィトだった。


 こんな場所で喧嘩しても事態は好転しない。

 済んだことだと割り切るには、まだ時間も何も経ってもいないのだが…まぁ、少女に当たり散らしても仕方ないことは理解できる。


 そもそも、ビィトの勝手なおせっかいが原因だ。

 放っておけばこんなことにはならなかったのだ……


「いいの?」「いいよ」


 タレー…と涎を零しながら、「あげる」と言われても食う気にならない。

 そもそも、食べ物にしてはひど過ぎる。


「い、いただきます」

 と少女は自分にあてがわれているそのパンに口をつける。

 カビを避けるように、綺麗な部分を食べて、カビた表面を果物の皮の様に残していくのだ。


 おいおい、と驚く間もなく、そのカビたパンをあっという間に食べてしまうその姿。


 よほど腹が空いていたらしい。

 見れば、ビィト用らしいもう一つのパンにも目を向けている。


 ……


「だから…やるって──」

 いいの!? と言う間に、もう手に取っている。

「腹減って無いんだ」

 勿論嘘だが、カビたパンを食べる気にもならないのは事実。

 そしてビィトが言い終わるか終わらないうちに少女は、もう食べている───


「あぃぁとう!」

 モッフモッフと口に頬張りつつ礼をいう。あふれた空気にカビパンの匂いが漏れてきて、あまりの臭気に見ていていて仰け反る。

 

 ───腹壊すなよ……


「ほら、水も飲みなよ…」

 濁った…苔の臭いにする水を差し出す。

 これ一杯きりだが、パンだけでは喉がつかえるだろう。実際その通りに少女はケフケフと咳き込みつつ水でパンを流し込む。


 そして口の中をパンパンにしつつも、あっという間に平らげてしまった。


「大丈夫か?」

 腹が───


「うん! ありがとう、お兄ちゃん!」

 おぅふ……お兄さんから、お兄ちゃんにレベルアップしたぜ。

 つぅか、結構可愛い…───


「あ…でも、お兄ちゃんの分が…」

「いいよ。腹減ってないから」


 その屈託くったくない顔を見ていると、イライラしていた心がシオシオとしぼんでいく。

 どういう事情か知らないが、

 いたいけな少女が、ベンみたいなろくでもない奴に飼われているんだ。

 少なくともまともな事情ではないだろう。

「ビィト。ビィト・フォルグ…俺の名前だ」

「あ……ビィトさん」


 突然名前を告げられて少女が戸惑ったように、ビィトの名前を口の中で転がす。


「君は?」

「え? あぅ、う? おにい……ビィト、さん…?」

「好きに呼んでいいよ。で───」


「エミリィ……エミリィ・ピルビム」


 へぇ。


「エミリィ、か……いい名前だね」

 特に掛け値なしにそう思ったので、口に出すと…ポーっと顔を赤くするエミリィ。


「あぅ…そんな、いい名前、かな?」

「うん」


 なんとなく、ホッコリした気分でエミリィの名前を口にする。


 少女、少女というより、ましてやガキ──なんていうよりも遥かにいい。


「えっと、エミリィ……よろしく、な?」


 なんというか、一応この子はビィトの所有物らしいので、名前くらい覚えておいてもいいだろう。


「は、はい。───お兄ちゃん」

 ビィトでもなく、お兄ちゃんと呼ぶエミリィに、……仲の良かったころのリスティの面影を見た気がした。


 ……リスティ、元気にやってるかな?


 ジェイクと恋仲になったらしいリスティを思い少し心が痛む。

 まだ分かれてそう時間が経っているわけではないが、長い間共に過ごした家族だ。


 心配にならないわけもない。


 ……もっとも、心配されるような事態に陥っているのはビィトのほうで───そして、リスティは心配などしてくれないだろう。


 リスティ……

 とほほ……


 情けない気持ちになりながらも、扉の先で明かりが落とされベンの高鼾たかいびきが聞こえてくると、ビィト達には何もすることがなくなってしまった。


 少々の空腹に、喉の乾きを感じないわけではないが、

 ダンジョン深部に潜っていたころは、全くなかった事態でもない。


 寝よう。


 悔しいし、腹立たしくもあるが───…できることなどない。

 明日以降のベンに使われての冒険。

 そこで得る、おこぼれをなんとかかき集めて自分を買い戻すのだ……今できるのはそれだけ。


 そして、そのためにも体力を温存し、魔力を高めておくのだ。

 だから寝る。


 ……

 

 う?


「ど、どうやって?」


 狭い。

 座って二人が並べば、既に息苦しささえ感じるほどの空間。

 寝ころんで体を伸ばすことなどあたわない。


「??」


 暗闇にエミリィの目だけが浮かんでいる。彼女はこの空間でどうやって生きて来たのか。


「今日はごめんなさい……」

 ポツリと呟くと、エミリィが体を寄せてくる。

 ピッタリと寄り添う体からは、汗や垢じみた臭いと共に少女の香りがむせ返るほどだ。


 え? え? え?


 しな垂れかかるように体を寄せる少女に軽くパニックになる。

「お詫びです……」


 お、お詫び───?

 す、すまなさそうに、言われてもぉぉ?!


 そ、そういうのはもう少し大きくなってから───……と慌てていると、するりとビィトの背後に回り込み彼を押し倒すと、その頭を膝に乗せてしまった。


「お、お兄ちゃん大きいから……こうすれば少しは、楽かなって」


 そう言って膝枕をくれるエミリィ。

 暗闇の中で分からないけど、顔を赤くしているような気配を感じた。

 そうして、ビィトの頭を撫でつける。


「昔から……寝れないときはお母さん、よくこうしてくれたの……」


 そういって、優しく髪を撫でるエミリィ。……確かに心地よい。

 膝枕のお陰で、そこそこにスペースが確保できたので、足を曲げれば何とか横になることができた。


「うるせぇぞ!」

「ひっ」


 ガン! と何かを扉に叩きつけられるも、ベンはすぐに寝入ってしまった。


「……おやすみ」

 ベンに怯えてしまったエミリィを気遣うように、ビィトは軽く──そして、ハッキリとエミリィに告げた。


 声を出すことで、ベンなどに屈していないとアピールするために。

「……(は、はい。おやすみなさい)」

 エミリィは少し驚いていたが小声で返してくれる。うん……



 おやすみ───



 奴隷使い御用達の宿で、二人の寝息が立つのはそれからしばらくしてのこと……


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