E氏、結論から言うと水飴に過ぎない
他部署T氏と、T氏の席の近くで仕事の話をしていた。すると会話の最後にT氏が「あっ、これ」と言って駄菓子をくれた。「あわ玉」とか「フルーツの森」とか甘いやつだ。旅先でこうした懐かしいお菓子を買える場所を見つけて、駄菓子屋の仕入れのように、並べる箱ごと買ってきたらしい。T氏の部署の一角は駄菓子屋オープン状態になっていた。
「フルーツの森」は小さな四角いタイル状の色とりどりのグミがモナカの皿に入っている駄菓子で、T氏は念入りに「これは思ったほど柔らかくないですからね。思ったほどは柔らかくないですから。気を付けてください」と説明してくれた。
もらった駄菓子は大量で、席に戻ると向かいの座席でラップトップの画面にメガネの奥から鋭い眼光を光らせているE氏と自分の中間あたりに駄菓子の山を作った。
そうそう。向かいの座席の住人であるE氏は東京生まれの東京育ち、つまり生粋の東京男で、スレンダー、眼鏡、会計系職人という様々な魅力を持っているが、何より何でも自分で考えるという個性を持つ個性的な人物だ。
「なに。どうしたのこれ」
案の定、森の小さな生き物が周囲を警戒しているような敏感さで、駄菓子に注意を向けてくれた。
「Tさんに貰いました。大量に買ったそうで」
「ふーん。今見ると懐かしいね、こういうの」
E氏は「フルーツの森」を手にとって言った。
「しれっと普通の爪楊枝入ってるなあ」
「市販の爪楊枝っすね」
「原材料は水飴と香料かあ」
「つまり水飴っすね」
そこからは、とりあえず仕事だ。
タイトルでわかると思うが一応職場なので。
業務をそれぞれスタートさせたところで、近くにある他部署の他部署社員氏が他部署上司氏に言い訳をしている、普段どおりの音声が聞こえてきた。
「もー。なんでやってないの?」
「それがですね、あのー、まずは聞いてください。昨日は、最初にこれをやるつもりはあって、あったんですけど、それで出勤してきたんですが、色々ホントにもう忙しくて大変で、ちょっと色々なトラブルがありまして」
「そんなことばっかり言って結局いつも頼んだことやってくれないじゃん。何かあったとしても、ちょっと置いておいて、こっちを本気でやれば出来たんじゃないの?」
「いやそれがですね、ホントに色々ありまして、まず、朝一番に広島から電話がかかってきまして、それが色々あったんですが、まあそれはいいとしましょう、それは何とか完了といいますか、あれこれ具体的に説明するほどのことではないんですけれども、それでですね」
「いや、何でもいいんだけどさ。とにかくこっちは今日、その続きの仕事をやる予定だったんだよ。遅れてる分、昨日のうちに必ずやっといてって言ったんじゃん。来たらやってないって、困るよ」
こういうBGMを聞きながら黙々と仕事を進めていると、15分ほど内容の無い言い訳が続いたところで突然クライマックスを迎えた社員氏が大きな声で「結論から言いますと!」と言った。
「結論から言いますと! 頭にはあったんですけど、結果としては終わっていないので、それは私が終えられなかったわけです。だから、ハイ!」
そして長い沈黙。
上司氏はため息をつく。
「だから最初から、やってないです、って、そういう話なんでしょ? 自分がちゃんとやらなかったって話なんでしょ?」
「それは、あの色々本当にあったんですけど、でもいいです、それは説明しますと長くなりますし、事実は事実として終わっては、いないです。完了してお渡しできるわけではないわけです。だから、だから説明は、もう、ないんですけど、モウシワケアリマセン」
一応の決着がついたらしいところでE氏が呟いた。
「ったくよお……」
自分も同じ気持ちだったので相槌。
「結論から言ってないですね」
E氏はチラと視線を上げた。
「そう。昨日のあいつを録画しておけば良かったわ」
言い訳をしている社員氏は昨日、上司氏がいなくてヒャッホー(o’∀`)♪な感じでお気に入りの他拠点の人とどうでもいい電話で長々とおしゃべりを楽しんでいた。相手も楽しんでいたのか、迷惑していたのか、そこまでは知らないが。
そしてそこから、まだまだまだまだ続く言い訳。言い訳をしている社員氏と、言い訳を聞いている上司氏の更なる業務の進行遅れも、他部署ながらも気になってしまう。
E氏は数秒のうちに再び顔を上げた。
「ああ。だめだ。BGMが刺激的すぎるわ。俺のコンセントレーション(集中)が限界すぎるわ。まじでこの席だめだわ俺のconcentration(集中)が」
「でも嫌いじゃないでしょ」
「嫌いじゃないって言ってもね! 嫌いじゃないけどね。あーもう無理だこれ。今日これ終わらない確定だわ」
ただ自分は午前が終われば退勤予定だったので、すかさず言った。
「自分は今日、もうあとちょっとで、あがるんで」
「なに…?」
「午後はおひとり様です」
「コロス」
「あがります。抜き差しならないんで」
「ヌキサシならないの?」
「ヌキサシならないです」
「じゃあ仕方ないな」
「これ食べたら帰ります」
もらった駄菓子を見せると、E氏は「何食べてんだよ。ヌキサシならないなら、さっさと帰れよ。かえれかえれ。あー悲しいわ。俺は悲しいわ。でも悲しくないわ、悲しくなんかねえわ。帰れ帰れ」と言った。
そこへ、そっと駄菓子を差し出した。
「食べていいですよ」
「いいの?」
「置いておくんで、帰った後も夜食べていいですよ。どうですかこれ。フルーツの森。水飴」
「水飴はなあ~。あー。嫌いじゃないけどね。こういうチープなやつ、風情があってさあ」
「思ったより柔らかくないらしいんで、気を付けてください」
「じゃあ、さっそく食べるか」
機嫌を直したE氏と一緒に「フルーツの森」、何度も言うがモナカの皿の中に、すごく小さな四角形の色々な味のグミみたいなやつと爪楊枝が入っている駄菓子のビニールを開けて、まずモナカの皿をデスク上に取り出し、つまようじで黄色いグミ(みたいな何か水飴のやつ)を刺してみた。
確かに思った以上に柔らかくない。
突き刺した爪楊枝の先端にビシッと固く1ミリ程度刺さるくらいで、楊枝が貫通することはない。
爪楊枝で刺す。
ビシッ
と、ちょびっとだけ刺さる。
口に入れてみると、
パイン
思った以上にパイン感が強烈なパイン味。
「パイン味めっちゃパイン感あります!」
報告するも、E氏なぜか無言。
「うわー。しっかりパイン味、あ、めっちゃ美味しいです」
無言。
E氏は「フルーツの森」に全集中で無言。
……できるじゃん、集中。
E氏はグミ(みたいな硬い何か、結論から言うと水飴)を突き刺した爪楊枝をそのまま口にも運ばず、人差し指と中指の間に挟んでハードボイルドにタバコみたいに外に向けながら、その手でマウスを小さく動かし、時々クリックし始めた。
集中復活。クールか。
仕方なく一人でグミ(みたいな硬いやつ、結論から言うと水飴)を次々刺してポンポン口に入れて味わっていると、同じものを貰って食べていた同期女性が通りかかり「あ、それ食べてる。ねえこれさあ」と話しかけてきた。
「私もさっき食べたんだけど、このお皿、モナカになってるけど、なんか湿気てて、口に入れた時にバリィってなるの。なんていうのかな、バリーッ、って感じ。食べたらわかると思うんだけど。そうじゃないお菓子が湿気でそうなったんじゃなくて、これは元々そういうタイプの食感のモナカなんだけど、私そっちのほうがすごく好きだからこれすっごく良かったよ」
そこまで聞いたところで、モナカだと認識していたはずなのに何故か、最後に食べるということを忘れ、机の上に何も敷かずにポンと置いてしまっていたことに気づいた。慌ててそっと、「そうなんだ」とか言いながら、ピニール袋の上に皿を乗せなおしてみた。彼女はきれい好きなので。
横目ですかさず確認すると、E氏も机の上にモナカの皿を直接置いていた。大丈夫かな、彼女に「え、うそ、あとでそれ食べるの?」って思われてたらどうするの? E氏、気付いてくれ、届け、この思い。
心配をよそに、会話は続いた。
「そうそう。それ、最後に食べるんだからね」
「そうだった、そうだった」
笑っていると、笑いながら言われた。
「今、机にじかに置いちゃってたけどね?」
ばれていた。
彼女は笑ってるから、大丈夫な気もするが、大丈夫なんだろうか。
ひとまず笑ってみた。
「あははは、なんだろう、食べられるってわかってたはずなのに置いちゃってた、意識してなかった。あははは」
このタイミングで更にE氏を見ると、バレないようにそーっとモナカの皿を無言でビニール袋の上に乗せているのが見えた。
今回の件で「机にじかに置いたモナカ食べてた」という記憶がみんなの心に残るのは嫌だったので、自分はモナカの湿気に話題を全振りしつつ、午後はスマートに退勤して逃げ切るという決意を固め、湿気の話を盛り上げられるところまで盛り上げた。
「普通、湿気てると嫌だって人が多そうだけどね? この包装が昔の駄菓子だから、密閉が弱いのかな? どうなんだろうね?」
「どうかなあ~。でもこれは元々、こういう湿気てるみたいな食感なんだよ。このモナカは、こういう食感のモナカなの。で、それ多分、他の人だったら好きじゃない人が多いと思うんだけど、私は好きだからすごく良かったの。これ、食べたら思ったよりけっこう、ばりって感じ、湿気の感じするからね。すごいから湿気の感じが!」
よし、彼女は湿気に夢中。
休憩とモナカの湿気でご機嫌100%っぽかった彼女は、「あのさー」と更に湿気の件を続けた。こちらが期待した以上の湿気のパワー。
「ちなみにさ、しっけてるって言う? しけってる、っていう?」
「あーそれ、わかる」
「わかる?」
「しけってる、とも言うし、しっけてる、とも言う。確か、どっちかが関東の一部の方言なんだってね。しけってるって言う人が多いよね」
「そうなんだ! 私は、しっけてる、って言う派なんだけど、K君に、しけってる、じゃないんですか? ってさっき言われたんだよ。でも、しけてる、とも言うし、湿気だから、しっけてる、でOKじゃんと思うし」
「わかる、わかる」
わかるしかない。
わかっていく必要もあるし、全身全霊でこの会話を続けるしかない。無口なK君が先輩に気軽なノリで口答えをするキャラだったことには驚いたが。仲良しか。仲良しだからな。席が近いもんな。わかる。わかるしかない。
自分は、「歩いていく」、「歩いてく」のほかに、「あるってく」という言い方があるが、それは世田谷や横浜北部の言い方らしいという話をしたが、彼女は横浜出身なのに「そうなの?」と驚いていて、「わかるー」ってならなかった。
仕方がないので彼女が相変わらず夢中である湿気の話題に戻り、「湿気はしっけと読むんだからしっけてると言ってオーケー、間違ってない」と褒めたたえて、なんとか湿気パワーで最後まで休憩時間の会話を終えた。
こうして職場の人間関係を守り抜き、E氏も自分も(おそらく)モナカ机じか置きの件で自分の同期女性にバカにされずにすんだところで(おそらく)、モナカは彼女の目の前では食べずに一応手で持って退勤した。
それから少し悩んだが、ずっと手で持っているわけにもいかないので、一応会社の廊下で食べた。
バリイッ……
と、これがものすごい
思った以上にこれものすっっっごい……
湿り気!
しめりけ――!
しっけでも、しけっでもない、心の底から出てきた言葉はしめりけだった――!
会社を出るや否や、スマホを取り出し、LINEを開き、同期女性との個別の会話の履歴を確認すると、前回のやりとりは1年前、しかもガッツリ仕事の内容で少し敬語だった。そこに急いでメッセージを叩き込んだ。
「さっきのフルーツの森のモナカ、今ちょっと食べたんだけど」
「想像した以上の超絶・湿り気!!」
もちろん仕事中なので返事はこない。
こっちはMAXハイテンション。
駅に着くともう一度スマホを取り出し、LINEを開き、E氏にもメッセージを送った。
「しめりけやばいですよ!!」
もちろんE氏のコンセントレーション(集中)も最高ランクに戻っていたようで、返事はなかった。
夜、スマホをもう一度見ると、仕事を終えて帰宅する途中のE氏からメッセージが届いていた。
「いま食った」
「令和はじまって以来の衝撃」
さすがにそれは本当の、
夜までの放置による湿気と思うけど
翌日には湿気の話でE氏も自分の同期女氏と大盛り上がりかと思い、そっ閉じしておいた。
終わり
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