E氏、そして牛丼は松屋(後)
自分の職場の向かいの座席の住人であるE氏は、東京生まれの東京育ち、つまり東京男だ。スレンダー、眼鏡、会計系職人。どれもが彼の魅力だが、何より自分で考えるから、結果として個性的に生きている。
E氏のテクニカルな誘い文句により、E氏の「面白い話」を聞くために一緒に連れだって昼に出た我々。だがしかし、カフェが混んでいたり、吉野家と松屋を比較したり、割引クーポンの是非について気をとられたりしているうちに、最終的には松屋でサラリーマンのオッサンを1人挟んで離れた席に着席してしまった。
仕方ないので黙って食券を出し、食事の供給を待つ。
E氏は鉄板メニュー「牛めし」、自分は亜流メニュー「ネギたっぷりネギ豚塩カルビ丼」。
ランチタイムの店員たちは高速で「牛めし」を提供し続けていたので、当然のようにE氏には異様な早さでトレーが出た。
しくじった。
ここから二人で同じタイミングで食べ終えて席を立つには、こちらが早食いになる。
自分より早く隣のオッサンのメニューが出てきたが、それは当然のことだ。オッサンは我々よりも先に座っていたのだから。そんなことよりE氏への供給の早さどうなってんだ「牛めし」光速か。
焦りながら横目でオッサンの向こうのE氏を見てみると。
E氏はゆっくりと、
牛めしの中央部分に、
半熟卵を落とすための穴を箸で形成しようとしていた。左右のバランスまで注意深くちょいちょいと箸を入れて調整している。
E氏のその作業で自分との食事時間の差が少し縮んだところへ、自分の目の前にもやっと待望の「ネギたっぷりネギ豚塩カルビ丼」が届いた。
そこからは脇目もふらずに豚塩カルビ1枚につき寿司一貫くらいの米を掴んでブロック状に口に運び入れる作業を開始する。
寿司一貫方式は実におすすめの「ネギたっぷりネギ豚塩カルビ丼」の食べ方で、「ネギたっぷりネギ豚塩カルビ丼」を急いで食べる機会があれば是非実践してほしい。白米だけで少し食べたり、塩豚カルビを単体で口に入れたりしてしまうと、口の中で塩豚カルビと白米をバランス良く味わいたいという欲求に対して、箸で食べ物を運びいれていく作業回数が多くなってしまう。箸の動きに使うエネルギーは最小が良いし、食事を味わう喜びは最大が望ましい。
だから今、これが今日のベストプラクティス。
味噌汁も最後に残すと熱いし猫舌なので、三回に一回くらいの割合で適宜、油断せず口に入れて減らしていく。
合間にオッサンを挟んで向こうに見えるE氏のぐあいを横目で確認すると、皿から穴に半熟卵をそっと流し入れ、それを切り崩しながら豚汁に口をつけていた。
米を米だけて少しずつ集めて口に運んだりもしている。
呑気にやってる!
いける……!
やがて最後の塩豚カルビと白米一貫分が口に入り、食事が終わった。
まずは「塩豚カルビと一貫分の米をグループにすると、ネギたっぷりネギ豚塩カルビ丼の具と米を同時に食べ終えることができる」という事実を伝えておきたい。
やはりベストプラクティス。
次に、隣のオッサンも何故か自分と数秒差という親友みたいなタイミングで食事を終えた。
オッサンもベストプラクティス。
E氏は最後に箸で米をちまちま集めていた。
追い抜いた。
E氏は食事を終えると、ふう、と一息ついてこちらを見た。自分もお茶を飲み、うんと頷いた。
「行きますか」
「行こうか」
知らんオッサンも同時に立ち上がった。
E氏と同じタイミングで食べ終わり、1分たりとも無駄に松屋の座席を使わない、という目的を達成できて自分はすっかり満足していた。
自動ドアがガーッと音をたてて開き、涼しい外の風に暖まった顔が冷やされるのを心地よく感じる。
我々は悠々とした気持ちで、ぶらり、と道に出た。
もうただの食べ終わった二人、になっていた。E氏は路上に出る間際、当然のような顔をして言った。
「あれさー。結局、あの人の持ち帰りのセットには卵がついてたのか、それだけがものすごく気になって味わかんなかったよな。結局、卵ついてたのかなセットには」
何それ。
言われてみると確かに、席に着いた直後に持ち帰りの客がいて、店員と何かやりあっていた気がする。思い出してみると確かに、何かについて、「入ってないんですか」とか、そんなことを言って長時間やりとりしていた気もする。厨房から大きな声で返事が返ってきていたような気もする。
E氏は深刻そうな顔をしていた。
「結局、どうなったんだか気になるよな。どうなったんだろうな! セットには入ってたのか? あの人は持ち帰ったのかな卵を! その場合は追加で金を払ったのかな?」
何故かE氏は、自分もその会話に夢中だったと疑っていない。
ひとまず答えた。
「さあ……」
「本当にもうずっと気になるわあれは。今日ずっと気になるわ。マジで。マジで夜まで。夜8時まで気になるわ。今日これ仕事なんねえわ」
そんな話をしながら、腹が膨れた我々はぶらり、ぶらり、と会社へ戻る道を歩いていった。
しばらくの沈黙の後に、E氏は言った。
「あのさ」
「はあ」
「俺の『牛めし』勝手に『つゆだく』なってたわ。あれ別の人のやつだったと思う」
(終)※9割強実話
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