みやしろん

 二人は鬼だった。

 鬼の一族に生まれた、正真正銘の鬼だった。

 醜悪な姿をさらし、狂気ともいうべき獰猛さをその身に宿す種族。

 常に他を貪って生を重ねてきた、忌まわしき存在。

 二人も例に漏れず、そんな鬼だった。

 ただ奪うだけの生き物。

 何も生まず、ただ自種の存続と、空腹を満たすことだけを望み、永らえてきた生き物。


 その二人の前に……連れ合い同士である男鬼と女鬼の前に、“一枚の羽根”が舞い降りた。


 小さな小さな赤子。その背にはやはり小さな翼を背負った、非力な生き物。

 鬼のそれとは全く異なる、白く柔らかな肌。

 二人はその生き物が世でなんと呼ばれているのか知っていた。

 天使、である。

 天界に住まい、世の秩序を保つ役割を持つ光の種族。自分たち鬼とは正反対の性質の一族。

 その赤子が今、男鬼の腕の中にいる。


 鬼の間には、一つの言い伝えがあった。

『天使を食した者には、永遠の命と力が与えらえる』


 実際一族の長は遥か昔に食べたことがあり、何百何千という齢を重ねた今でも若々しい姿をし、絶対的な力を誇示している。

 しかし天使はそう簡単に下界に姿を現すことはなく、甘く至極美味であるという天使の肉を喰える機会など無いに等しかった。

 ということは、二人にとってこの赤子はまたとない好機である。相手は赤子である故、それを二人で食べても長のようにはなれないだろう。しかしほかの若い衆に差を付けられるのは確かだ。

 鬼としての欲望が、二人の中で頭をもたげた。


 ――しかし二人はそれを、いとも簡単に抑え込んだ。

 二人にはその天使を……というよりは赤子を、食べることができなかった。

 腕の中の赤子は、先日死産した二人の子供を思い出させたからだ。

 鬼達は今、種としての危機に直面している。

 子供が産まれないのだ。

 女鬼はなかなか子を宿さない。

 やっと授かっても、この世に産まれ出でる頃には死んでいる。

 二人の子供もそうして消えていった。

 望み、望み、やっと授かった子。

 長老衆に執拗に責付かれ、自分達の代で鬼が尽きるかもしれないという焦りと、漠然とした恐怖にさいなまれる中。

 他の若い鬼に赤子が産まれ、催された盛大な祝福の宴を思い出しながら。

 時に苛立ちに駆られた男鬼が、いたずらに女鬼を責め立て、互いに傷付いたりした果てに。

 やっと……やっと、授かった子供――だった。

 その時の心の傷は少しも癒えていない。

 だから、今腕の中で穏やかに眠る赤子を、たとえ天使であっても、食べることなどできるわけがなかった。

 下界に来ることなどほとんどない天使が、しかも赤子が、何故二人の元に落ちてきたかは分からない。だがそんなこと二人には関係なかった。二人は天界に帰るその時まで、この赤子を育てることにした。


 命の価値を知ってしまった二人にはもう、他者の命を奪うことなどできない。今まで普通に食べてきた肉を口に入れることはできない。満たされることのない空腹感はやがて二人を衰弱させ、命も力も他の鬼よりも遥かに短い時間で散ることになるだろう。

 また、天使の存在を同胞に知られたら、この子は命を狙われることになるだろう。二人は赤子と共に姿を隠さなければならない。

 そして、このことがきっかけで、鬼は絶滅してしまうかもしれない。

 一方で、赤子のことを知った天使達が取り戻しに来て、二人を殺そうとするかもしれない。

 赤子が生来持つ性質が、やがて二人に牙を剥くかもしれない。

 ――いずれにせよ、二人の未来にはより現実的な破滅が待っているだけだ。

 それでも、二人は赤子を育てることにした。

 ただただ、この赤子の未来が明るいことだけを願って。




 奪うことしか知らない鬼が、何故存在しているのか?

 “神”というものがいるとしたら、それは何故鬼の存在を許したのだろう?

 “神”は鬼に何を期待していたのだろうか?

 そして鬼はその期待に応えられなかったから、消される運命にある?

 ――二人は笑った。

 こんな、貪るだけの一族なぞ、滅んでしまえばいい。鬼はいつかこの子に、そしてこの子の子達に牙を剥く。

 ああ、でも感謝しよう。こうして存在していたから、我々はこの子に巡り合えたのだ。











 この子が天界に帰るその時には、我々の命も消えてしまえ。










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