初動措置
「行方不明の届出があったのは昨日、日付変わったから金曜の20時だ。届出人は対象の父親。対象は、市内の進学校に通う17歳の高校2年生」
車両を危なげなく操りながら、
「対象の非行歴はあるんですか?」
「いや真っ白だ。補導歴もないし、その他ウチでの取り扱いはなにもない。
「結局金曜はその対象、学校に行ってたんですか」
「学校は欠席だ。それは学校側からも裏を取ってる。で、その金曜日。対象の他に学校を欠席した奴は3人。いずれも現時点でそいつらの在宅を確認している。よって
「なるほど。それで門限になっても帰ってこないから父親が届出に来たって訳ですか」
「まぁそうなんだが、父親のスマホにメッセージが入ってな。それが今回の引き金になった」
方向指示器を出して、車両は第一車線に車線変更を行う。助手席に座る俺は、後続車の車間距離に問題がないことを目視確認して指差喚呼する。
「車両の後方よし。で、部長。そのメッセージって?」
「そこに受理票があるだろ。読んでみろ」
部長が俺の頭上のサンバイザーを指差した。A4サイズのファイルが挟まれている。部長に断りを入れ、ルームランプを点灯させて読んでみる。
行方不明者届出受理票の末尾には、スマートフォンを撮影した写真が添付されてあった。おそらくこれが、父親のスマホだろう。娘から来たショートメッセージの文面を表示してある。
『しばらく帰りません。でも、心配しないでね』
短文で、そう表示されてあるだけだった。受信時刻は金曜日の19時30分となっている。
「これだけっすか? これが父親に?」
「あぁ、その通りだ。父親がメッセージを返信しても応答なし。架電するも当然応答なし。だが、コール音は鳴るようだ」
「行方不明になる前の、対象の特異な言動は?」
「学校関係は何もない。県下トップクラスの進学校だからな、イジメに興じてるヒマな学生はいないってよ。当然、児童相談所の取り扱い歴も
部長は車両のスピードを少し上げた。高速の入口は上り坂になっている。ETCゲートを抜け、車両はついに高速へ。
このまま何処へ行くつもりなのだろうか。行く先も不安だが、部長が言い淀んでいる話の内容も不安だった。
たっぷり間をとった後。部長は2本目の加熱式タバコを取り出して言う。
「これは唯一と言っていい、対象の友達から聞いたんだけどな。対象は、たまに言ってたそうだ。この世から消えてなくなりたい、ってな」
「希死念慮、ってヤツですか」
「そういうこと。受理票の次のページ見ろ。対象のタイムラインでの発言が並べてある」
ページをめくると、wireと呼ばれる人気SNSのタイムラインがプリントアウトされていた。どれも対象のアカウントの発言だ。
『私にとって、ここは息苦しい』
『どこか遠くへ行きたい』
『誰か連れてってくれないかな』
『自殺したいとは思わない。でも消えたいとは思う』
『誰か私を連れてって』
『風のように、ふわりと去っていなくなりたい』
『新しく生まれ変われたらいいのに』
自殺願望とは少し違う、希死念慮。具体的な理由はないが漠然と死を願う状態のことを言うらしい。
生安、特に防犯係では、精神的に不安定な者を扱う事が多い。その者たちは多かれ少なかれ、消えていなくなりたいという気持ちを持っているのだ。いわゆるメンヘラってヤツ。
「これは鍵付きのタイムラインですか?」
「あぁ、唯一の友達のアカウントは承認されてるからな。そこからたぐったヤツだ」
「部長、対象の精神科通院歴は?」
「ない。今までMD系の病院には世話になってない」
MD。ウチの組織では、精神不安定者をその符丁で呼ぶ。「MDを甘く見るな」ってのは、
MDは、ふとした拍子に自ら命を絶ってしまう危うさを孕んでいる。そんな場面を今まで何度も見てきた。行方不明者が遺体となって発見されるケースも少なくない。あと少し発見が早ければ助かっていたかも知れないケースだって、防犯係に来てまだ3ヶ月の俺でも体験しているのだ。
もし。もしも今回の対象が、何らかの事情で自らの死を望んでいたとしたら──。
「大倉、そう悲観するな。今回の対象に、過去そういった未遂事案なんてない。対象は希死念慮持ちかも知れないってだけだ」
「でも、もし本当に死を望んでいたとしたら?」
「その前に確保する。それがおれたちの仕事だろ」
部長はたっぷりと、タバコの煙を吐き出した。加熱式タバコの独特な匂いが、車内に広まる。人がうまそうにタバコを吸っている姿を見ると、何となく自分まで吸いたくなってしまう。
防犯係へ来てから、ストレス過多でタバコの量が目に見えて増えている。だから少しでも量を減らそうと、努力しているつもりなのだけど。
「……部長。俺もタバコ吸っていいですか」
「おれは良いけどお前、巡査長のクセに偉そうな態度やな、って班長に言われるぜ?」
何故か部長は嬉しそうに笑う。「その代わり、お前も共犯だからな」と、にこやかに続けた。
──────────────────
「ところで部長。目的地の話なんですけど」
車両は車通りの少ない高速道路をひた走っていた。時刻は午前1時をとうに過ぎている。自所属の管内からは遠く離れ、というかすでに他県に入っていた。我々警察官には管轄権があるが、県を跨いでも職権は問題なく行使できる。もちろん、他県への共助依頼等の正式な手続きを踏む必要はあるが。
「あぁ、まだ言ってなかったな。でもお前が察してるとおりだと思うぜ。一応お前の指導部長はおれだからな、ここらでテストしてやろう。今思ってること、答えてみろ」
事案概要は先に説明したとおり。県下トップクラスの進学校で真面目に高校生活を過ごしていた娘が、「しばらく帰らない」とのメッセージを父親に残して失踪した。
聞くところによると、対象は希死念慮持ち。早期発見が急務だとされる、自殺企図の特異行方不明者に該当する。
さらにはメッセージを送り返しても、そして電話をかけても反応はない。現在のところ、この行方不明事案に関して他者の介在は認められない。さてこの時、執るべき初動措置とは?
「……携帯電話がまだ生きているという話でした。ここは対象が所持する電話の位置探査照会を、キャリアに依頼するべきだと判断します」
「法的根拠は?」
「刑法37条。緊急避難に該当します。それにより、通信の秘密を侵す違法性を阻却できます」
「いいね、大倉。よく勉強してんじゃねーか。そのとおりだ、これならお前を引っ張った班長も喜ぶだろうな。まぁ、引っ張られたお前は1ミリも喜んでねーだろうけど」
ケタケタ笑う部長。そんな部長も、俺と一緒なのは知っている。谷上班長から無理矢理引っ張られたクチだと聞く。地獄としか言いようのない、この防犯係に。自分以外の生贄が来て、余程嬉しいのだろう。
「さて大倉。お前の言うことは満点だ。そしてすでに、キャリアへの位置探査照会は済んでる。さらには回答も来てるんだな、コレが」
「……つまり今向かっている目的地ってのは、」
「そう、大正解だ大倉。このクルマは対象の位置探査判明地点に向かってる。さて、どこだと思う?」
ニヤリと不敵な笑みで、部長は分岐を左折した。頭上の案内標識には「大阪」の文字。すぐに設定されていたナビの目的地を見る。
「……マジっすか」
「おれも信じられねーよ。仕事でここへ行くことになるとはな。しかもこんな真夜中にだぜ」
ナビにはこう表示されていた。
目的地まで約3時間。
目的地名称『USJ』。
「目的地は、ユニバーサル・スタジアム・ジャパンだ」
いや死ぬ気ゼロじゃねーか。と声が漏れたのは言うまでもない。かくして俺は、プライベートでも行ったことのない場所へ向かうこととなった。
通称、西の夢の国──USJへと。
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