貧乏くじ男、東奔西走

薮坂

事案発生


 枕元のスマホが鳴ったのは、ベッドに入ってそろそろ眠りに落ちようかという頃合いだった。ディスプレイの時刻表示は午前0時10分。発信者は「皆戸南署」との表示。つまり自所属のからの電話だ。

 最悪。本署からの電話なんてロクなことがない。

 なんかヘタ打ったっけ、と思う前に気がついた。そういや今日裏直うらちょくだ、と。

 当直は執務時間が終わってから、次の日の朝まで事案対応をする泊まり勤務のことだが、裏直は当直とは別に設定されているバックアップ勤務のことだ。なにか重大事案が起こり、当直勤務員だけでは手が足りないと判断された時に呼ばれる。

 いわば誰かが引かないといけない貧乏くじである。つまりこの電話は、本署で何か重大な事案が発生しているということに他ならない訳だ。

 とりあえず電話に出なければ、と思いスマホに手を伸ばして耳に当てた。案の定、聞こえて来たのは直属の上司である、谷上たにがみ班長のパンチの効いた関西弁。


「おう、朝やぞ大倉おおくら


「……まだ0時ですよ。班長の朝はいつから始まるんすか」


「よしよし、起きとんな。すぐ出られる準備してくれるか」


「なんか事案発生ですか」


「行方不明や、特異のな。17歳、高校生の娘が家に帰って来んらしい。とりあえずお前ん家に、今日の当直の名谷なたに行かせるから合流せぇ。詳しい事案概要はクルマの中で名谷から聞いてくれ」


名谷なたに部長が迎えに来てくれるんですか? 俺の家まで?」


「おう、特別待遇やぞ」


 ガハハといつもの調子で笑う班長。電話越しなのに声が異様にデカい。この人、ほんと元気すぎる。午前0時にも関わらず、そして50歳を超えてるのにこのバイタリティ。自分がその歳になった時、俺にはこんなに元気でいられる自信はない。


「ワシに感謝せぇよ。あー、あと装備やけどな、当直準拠の作業服は厳禁や。完全私服で来い。ほな後でな」


 言うことだけ言って電話は乱暴に切られた。ほとんど暴力に近い深夜のモーニングコール。

 とりあえず、出られる準備をしなければ。急いで荷物を整えて、指定された通りの私服に袖を通した。カーキのチノパンに黒のマウンテンパーカという、簡単で目立ちにくい格好だ。

 しかし完全私服で来いとは、何の事案なんだろうか。いつもなら、俺たちはスーツか作業着で外に出ることが多いのだが、そのどちらでもない完全私服の指示とは珍しい。


 そうこうしていると、同じ部署で勤務している名谷巡査部長からの電話が入った。着いたから家から出てきてくれ、とのセリフ。

 アパートを出ると、捜査用車両、いわゆる覆面がハザードを焚いて停まっていた。運転席には私服を着て、かなりくたびれている名谷部長が座っていた。

 部長は30代半ばの若手の巡査部長だが、今はさらに老けて見えてしまう。よほど忙しかったのだろう。俺が車両に乗り込むと、疲れ切った口調で部長は言った。


「悪いな大倉。休みなのに」


「いえ、今日は俺が裏直ですから。でもなんで当直でも裏直でもない谷上班長が、署から電話掛けてくるんですか。名谷部長は今日、当直ですよね」


「参ったよ、おれの当直はいつもこんな感じだからな。なんで班長が署にいるのかって話なら、あの人はほら、アレだから。なんでも水上署時代は、『水上のジンベエザメ』って言われてたらしいぜ」


 止まると死んでしまうジンベエザメか、なるほど。班長の、あの恰幅のいい身体から容易に連想できるあだ名だった。その名をつけた人にはセンスがありすぎる。


「ジンベエザメですか。班長にぴったりな気がする」


「班長、夏場はマジで甚平着てるしな。ま、とりあえず行くか」


「部長、当直でしょう。俺が運転代わりますよ」


「大倉、お前いくつだっけ」


「26ですけど」


「若いなぁ、羨ましいぜ。疲れたら後で運転代わってくれよ」


「今代わりますよ」


「いや、まだ大丈夫だ。今代わってもらったらマジで寝ちまう気がする。それより大倉、今回の事案概要は把握してんのか?」


「班長からは、特異行方不明事案とだけ聞いてます。行方不明者は17歳、高校生の娘だと」


「よし、それじゃクルマ走らせながら詳細を説明するぞ」


 まだ土曜日になったばかりの0時半過ぎとはいえ、閑静な住宅街はそのほとんどが眠りについている。住民の安眠を妨げないように、車両は滑るように走り出した。

 私道を経て大通りへと抜ける。自署の方角とは真逆だ。どうやら目的地は既に決まっているらしい。

 当然、俺は頭を抱えたくなる。土曜からせっかくの3連休だってのに、これは間違いなくそれに差し込む事案。

 よりによってなんで俺の裏直の日なんだよ。また貧乏くじ引いたな、こりゃ。

 窓を流れる街の光を見ながら、なけなしの覚悟を決めていると。名谷部長がクスリと鼻で笑った。


「大倉、最悪な貧乏くじ引いたって思ってんだろ。顔に出てるぜ」


「いや、仕方ないでしょこれは。明日から、いや今日から3連休だったんですよ。確実に休み潰れるパターンじゃないですか、コレ」


「ま、仕方ねーな。地獄だと知ってて、ここへ来たお前が悪い」


 確かに部長の言うことにも一理ある。この部署へ来る前、いろんな人に同じことを言われた。

 その部署だけはやめとけ。あそこは地獄だぞ、と。

 しかし、所属長からの異動命令が来たら仕方ない。一介の組織人たる俺に、下された命令を復命しない権限などないのだから。

 俺たちは命ぜられたことにただ従うだけ。それが俺たち下っ端警察官に最も必要な資質なのだ。


「大倉、地獄の生活安全課せいあんに来て何ヶ月になる?」


「9月に来たんで、今で3ヶ月と少しですね。正直、もう腹いっぱいです」


「まだまだこれからだ。腹がいっぱいになって、それでもまだ詰め込まれて、食道までギッチギチに詰まるのはよ」


 名谷部長は悪い顔で笑った。心なしか、少しだけ楽しそうに見えるのは気のせいではない。

 俺の所属する生活安全課せいあんは、署内で最も忙しい部署だ。他の部署ももちろん忙しいだろうが、敢えて言おう。ウチが一番忙しいと。

 生活安全課の中でも俺たちが籍を置く防犯係は、通称なんでも係と揶揄されている。それだけに防犯係の主幹業務は多岐に渡るのだ。どれほどかと言うと、それこそ両手では足りないくらいに。

 刑事課が蹴った事案を押し付けられることもあるし、暴れまわる精神錯乱者を精神病院に搬送する事だってウチが主幹の仕事だ。近隣トラブルの相談も、小学生に対する防犯講和も、銀行強盗訓練の犯人役も。その他、あれやこれや。

 その中でもかなり時間を使わされ、そして解決が難しい仕事がこの行方不明事案だった。ここへ来て間もない時に思い知ったものだ。この国は、行方不明になる奴が多すぎると言うことを。

 

「さてと。地獄に潜るか、大倉」


「……もう地獄だって決まってんですね」


「当たり前だろ。特異行方不明事案、それも17歳の女子高生だぜ。当然本署はすでに燃え上がってる。本部が知ればさらに大炎上だろうさ」


 遅かれ早かれ、今回の事案は本部の知ることとなろう。それまでにいかに事案の詳細を探れるか。つまり、初動でどれだけ情報を掴められるか。それが現場の責務なのだ。


「とりあえずよ、大倉。事案概要を説明する前に、まずはタバコ吸ってもいいか」


「別に俺はいいですけど、これ捜査用車両ですよ。上にめくれたら怒られるんじゃないですか」


「お偉いさん方はこのクルマには乗らねーよ。だからめくれることはない。お前がチンコロしなければ、だけどな」


 部長はそういうと、ポケットの中から加熱式タバコを取り出した。スイッチを入れて、煙を吸う。さっきよりも少しだけ表情が柔らいだように見えるのは気のせいではないだろう。


「それじゃ、今から概要を説明するぞ」


 言いながら部長はハンドルを切って、大通りを右折。車両は高速の入口方面へと頭を向けた。

 マジで目的地どこなんだよ。

 頭を抱えたくなる俺を他所に、車両は加速して行く。長い長い勤務が、始まろうとしていた。

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