第35話 エピローグ(2)
「お疲れ、マスター」
「―お前もな」
トールは適当に街中を歩いていた。そんな中トールに話しかけているのはイフリートなのだが、その姿は誰にも見えていなかった。トールの力で隠しているのだ。
事件が終わった後、トールは上級精霊たちを聖晶世界へ戻していなかった。
黄昏色に染まる街並みを見ながら、人の営みを確認する。一度捨ててしまった、人の姿を見て、今日の事件など気にしていないかのように召喚を使用し続ける様子が、愚かしくも愛おしく思えた。
「お前たちもな。どうだ?こっちには慣れたか?」
「―それは問題ないですね、正直」
「―わらわたちはそもそもこっちに来たことがあるのだぞ?問題などあるわけないだろう?」
「そうもいかないかもしれないだろ?俺は特殊だからな、色々と」
「―それはそうかもしれないけど、あんたいつになったらホントのことあの子に言うのよ?一応あたしたちも色々頼まれてるからあんたのこともあの子のこともできるだけ見守ろうと思うけど」
トールは歩きながら考えて、フッと笑ってからシルフの言葉に答えた。
「言うのは俺の目的が果たされた時だよ。そのタイミングじゃないと全部はぐらかすさ」
「―……」
「ずっと先じゃないかって?……すぐだよ。今日はマミの才能の開花が見られる分岐点だった。それを見届けるためにぎりぎりまで様子見をしていたんだからな。そういう意味では今日は最高の日だったよ。ルナ・ミラスの召喚。その上であれだけの召喚をやってのけた。それは心から賞賛すべき出来事だ。だけど、次は、マミとマミの親しい人たちの分岐点になる。しかも、危険を伴ってな」
「―母の言葉は偉大だな。いや、呪いか?」
「偉大だよ。俺が今ここにいるのは母さんの言葉があったからだ。……マミのために、俺は今ここにいる。他の人のためでもあるし、グラディスや聖晶世界のためでもあるけど、やっぱり一番大きい理由はマミだよ。マミの才能の息吹こそ、俺の目的だ」
トールは歩いていると丘の上に着いており、街の風景を一望していた。もう陽が堕ち始めているということで、街に電灯が灯り始めていた。
家に帰ろうとしている元気な男の子。夕飯の買い出しをしている主婦。会社帰りであろうサラリーマン。そんな人々が織り成す日常をトールは見つめながらも、関心はマミだけに向けられていた。
「―そうじゃなかったら契約など結んでいないでしょう?実際」
「……なあ、俺って正しいのかな?」
「―正しい、とは?」
「俺の行動が取って良かったのか、今でも悩んでいるんだ。……何が雷神だ。何が全能神だ。本当に何でもできて、全てのことがわかっているなら、こんなに悩むことなんてないのに」
「―それでも、あなたはトールとして在り続けるんでしょ?それにあなたはもう契約しちゃったじゃない。なら、あとは進むだけじゃないの?神様として」
「―……」
「そうだな。後戻りなんてできない。……皆、協力してくれ。俺にだってできないことはある。契約の通り、俺はマミのことを守るよ。そして、全てはマミとマミの愛すべき存在のために。マミには、世界を変える天命がある。その時までに、彼女には強くなっていてもらわなければならない。彼女のためなら、俺は何だって捨ててやる……」
それはトールという存在の、紛れもない素顔の一つだった。本当のトールを知っている存在にだけ見せる、わずかな素顔。
それを隠してまでも契約の元、彼はマスターであるマミのことを優先させていた。
「―マミの周りの人間を傷付けてもか?マミ自身も傷付けることになる。それでもお前は……」
「いつからそんなに心配性になった、イフリート?……たとえ傷付けても、俺が嫌われるのも構わない。誰も死なないならな」
「―そなた、だからヒュイカが傷付きそうになった時に介入したのだな?」
「……マミの大切な友人だからな。そんな彼女に、一生残る傷なんて残してもらいたくない……」
「―厄介な心の傷を付けるのにですか?そっちは下手したら身体の傷より消えることはないでしょう、一生」
トールは夕暮れと重なって大きな影を落としていた。それでも一度目を瞑って、どこか遠くを思い浮かべた後にきちんと目を開けて自分の胸を叩いていた。
「彼女の想いには応えられない。いつか彼女にだって、相応しい人が見付かるさ……」
そう言ったトールは胸のポケットから色褪せて茶色くなってしまった本のような物を取り出した。紙は時代を経た証拠かくしゃくしゃになっていて、書かれている文字もかろうじて読める程度であった。
「ふふ。母さんはいつだって父さんのことばかり書いてる。風景とかは全然書いてないなぁ。二人で行った場所のことだって、父さんのことばかり……」
今見ている物はトールの母親が遺していた彼女の手記。どれだけ父親のことを愛していたのかよくわかる。それこそ、綺麗であっただろう風景のことも一切書かないほどには。
「……ああ、これやマミの日記を見て、俺も日記を書けば良かったと思ったよ。手紙だっていい。自分の字で、誰かに何かを伝える大切さを今さら知るなんて……。もっと前に気付いていれば、あの人にも、母さんにも俺の気持ちを伝えられたのかもしれないのに……」
そんな男の横顔が、丘に差し掛かる落日の光に照らされていた。
「だからこそ、俺は行動で示そう。この
オッド・リープ @sakura-nene
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