第33話 五声(9)


「あー……。やっぱり体なまってる。最近剣なんて振ってなかったし、激しい運動もしてなかったから当然かねぇ」


 これまでクレアとクレアが召喚したグラディスたちは暴走したグラディスを百体近く倒していた。主にアクアドラゴンとクレアだったが、他のグラディスがやられていないのは賞賛にあたる。

 黒い光の前に残っていてあまり動きを見せない三体の暴走したグラディス。この三体が出てから黒い光の中から他のグラディスが出てくることはなかった。まるで黒い光の門番だ。

 今は良いかもしれないが、時間が経てばまた出てくるかもしれなかったので、今が好機だった。


「マミ、トールさん。小さいの二体って任せられるかい?」

「わたしは、たぶんだいじょーぶ。トールは?」

「もちろんいけるさ。だがクレアさん。大きいのを君がやるのか?俺が代わってもいいが?」

「あー、それは大丈夫だと思う。トールさんはこの黒い光を気にしておいてくれるかい?あたしが集中すればこのデカブツくらい何とかできるから」


 そのデカブツであるグラディスは校舎三階の大きさに匹敵していた。それをトールに任せるという選択肢もあったはずだが、クレアはそれを選ばなかった。


「手空いたら手伝ってよ。今のあんたらなら、この小さいのくらいはすぐだろう?」


 マミがうなずいたことでトールは左側の小さいグラディスに向かって走り出していた。それを見たグラディスは危険を感じ取ったのか羽を使って飛ぼうとしていたが、ルナの光によって羽を攻撃され、地面に叩きつけられていた。

 その二体に対してトールが雷撃を落として、さらにマミは簡単な契約のみをして、月の光を契約物にして光の矢を降らせた。

 門番のようであったグラディスたちはその攻撃によって呆気なく聖晶世界に帰っていった。

 残るグラディスにはアクアドラゴンが息吹を放ち、その反対からクレアが斬りかかっていたが、それを感じ取っていたのか、飛ぶわけではなく跳んだ程度で避けていた。

 ルナとトールも優先的に羽を狙ったが、どちらも避けられてしまった。

 暴走したグラディスは今度は本当に飛び、上空まで高度を上げてから校庭に向けて炎の息吹を放った。アクアドラゴンとウォーターフェアリー、トールとトールのウンディーネが水を産み出して防いでいたが、それでようやく互角のようだった。


「まったく、上級が暴走すると面倒だな」


 そうつぶやいたのはクレアだったが、そのつぶやきは誰にも聞こえていなかった。ゴーレムの肩に乗ったと思ったら、そこから跳んで暴走したグラディスの目の前にいたのだ。


「はっ!」


 おそらく顔にあたる部分を斬ったのだが、クレアの剣は弾かれてしまった。さっきまで倒していたグラディスのことは簡単に斬れたので、このグラディスが異様に硬いのだろう。

 クレアは一応刃こぼれを確認したが、召喚した時と変わっていなかった。単純な力負けと、武器の性能によるものだ。

 クレアが召喚したこの剣はせいぜい中級程度。目の前のグラディスは元が上級で暴走した個体。弾かれてもおかしくはない差だった。

 弾かれたためにただ跳んだだけの状態だったクレアは重力によって自由落下していった。校舎よりも高い高さから落ちたら大怪我どころか、下手したら死んでしまう。体勢も狂っており、このままでは背中から落ちてしまう。


「アクアドラゴン!」


 さっきまで炎の息吹を止めていたアクアドラゴンは軽く浮かび上がって背中でクレアのことを受け止めていた。クレアはアクアドラゴンの背中に乗るために宙で一回転し、きちんと足から着地していた。


「このまま上昇していろ。『ワタシ』があいつを聖晶世界に戻す」

「―グルルルル……」

「心配するな。全部思い出したし、やっと体が慣れてきたんだ。別にあいつは幻想級だったわけじゃない。すぐに片が着く」


 その言葉を聞いて心配していたアクアドラゴンは呻き声をやめて、さらに高く上昇していった。それに暴走したグラディスもついてきて、雲の上まで来てしまった。

 これでは地上からは誰一人としてクレアたちのことを見ることはできないだろう。

 それを確認してからクレアは二つの剣を元に光を放ち、新しい長剣を取り出した。

 紛れもない二重召喚。

 両手で持つような柄にクレアの身長を超える刀身。刃に刻まれた金色のレリーフ。研ぎ澄まされた白銀に輝く刃。

 それはお伽噺に出てくるような、誰もが見惚れてしまうような綺麗な剣であり、そんな剣が制服を着た赤髪の少女に握られており、その少女はドラゴンの背中に乗って黒くて正体のわからない存在と戦おうとしている。

 こんな誰もが聞いたり見たりしたら思わず笑ってしまうような光景をお伽噺と言わず、何と称することができるだろうか。
















「トール、これ壊せないの?」


 クレアが空高く戦っている頃、地上ではマミとトールが黒い光の前で相談していた。他の暴走したグラディスが出てくることはなさそうだが、壊せるなら壊しておくべきである。


「まぁ、試してみるか」


 トールは雷を召喚して黒い光へと放ったが、それは全部飲み込まれて消えていった。黒い光は消えることも変化もせず、そのまま在り続けた。


「攻撃をしてみても駄目、か……。ルナ・ミラス、この状況をどう見る?」

「―初めて見る現象ですね。コルニキアも聖晶世界も関係なく、このような現象を見たことがありません。私は見ていませんが、もしかしたらゲムフロストと同様の現象ではないでしょうか?」

「ゲムフロスト⁉」


 マミも実際に見たわけではないが、ここ最近では最大級の事件である。暴走したグラディスが現れ、その余波で辺り一帯の建物が崩れて避難指示が出たのだが、いつの間にかそのグラディスは消えていた。

 その跡に行ってみるとたくさんの死者がいたというわけだ。幻想級の暴走は現れただけで力の余波を起こし、その場にいる人間も何もかもを破壊する。これが幻想級を召喚しない遠縁ともなった。

 調査を召喚省が行ったが、事故としか判断できなかったのだ。誰の召喚で、何が召喚され、誰が犠牲になったか、どうして暴走したのか判断することはできなかった。

 生き残りがいなく、証言が取れなかったからだ。

 だから仕方なく事故として発表し、幻想級が召喚されたのだろうという推測しか立てられなかった。


「で、でも、ゲムフロストって十二年も前の話だし、今回との相似点って暴走したグラディスが現れたくらいじゃないの?」

「―私も聞いた程度ですので、断言はできません。ですが、それくらいしか召喚で起こった異質な事件は思い当らないのも事実です。あなたはどう思いますか?トール」

「俺もゲムフロストを見たわけじゃないし、当事者でもない。だが言えることはこの黒い光は異質ってことだ。対処法もまるでわからない」


 そう言ったトールの傍に小さい男の子と小さい女の子がやってきた。ヴォルトとシルフだ。


「どうだった?」

「―外はもう平気よ。あと十分もすれば国防軍もやってくるわ。で、あんたはこの上の戦いに向かわなくていいわけ?手空いたら手伝うんじゃなかったの?」

「今はこっち優先でいいだろ?それにクレアは負けない」

「―……」

「まあ、そうだな。万に一つもないとは思うが、クレアが負けたら俺が行く。それでいいだろう?」


 マミにはヴォルトの言葉はわからなかったが、会話の内容はわかった。その上で聞いておくべきは聞いておいた。


「トール、クレアが負けるってことは死ぬってことじゃないの?……嫌だよ、友達がいなくなるなんて」

「それは大丈夫だ。上で何が起こっているかはここからでもわかっている。優勢だよ、クレアは」

「―何ならあたしが見に行ってあげようか?その方があんたのマスターは納得するでしょ?」

「なら頼む」


 シルフの提案で、クレアの様子を見てきてもらうことにした。何かあればすぐにトールへと知らせてくれるのだろう。


「ゲムフロストがどうやって終わったのか二人ともわからない?」

「―すみません、マミ。さっきも言った通り、私は聖晶世界でも少々特殊なので……」

「俺も知らないな。ヴォルトはどうだ?」

「―……」

「そうか。他の奴も知らないか。……まぁ、色々試してみるべきだな」


 バチチッ!

 トールは黒い光へ手を伸ばしたが、それは青白い雷光を放って拒絶した。トールの手から血が出ることはなく、焼けたり怪我をした様子は見受けられなかった。


「―グラディスを否定している?いえ、これは……」

「やはり聖晶世界に歪な干渉を起こしているな。暴走したグラディスが開けた穴が広がって、好き勝手グラディスは通れるようになった。ただし、理性を失う、か……」

「やっぱり羽根が原因なの?」

「羽根?」

「配られた羽根を使って召喚したら皆暴走させちゃって……。クレアが召喚の光に黒い点が混ざってたって」


 トールは地面に落ちていた鳥の羽根を拾い、穴が開くほど見続けた。そしてルミにも渡し、そこから一つの結論を出した。


「これは自然物にほど近い人工物だ。百発百中で暴走するな」

「どういうこと?」

「―これ自体は鳥の羽根です。ただ加工されている。何をどう加工したのかはわかりませんが、意図的に人工物へ変えられている。この羽根の内側は全部鳥とは関係ない別物です。事件性を疑った方が良いでしょうね」


 召喚に人工物を用いるのはあまり推奨されない。加工であっても、その材質が失われない程度の物しか使うことはできないのだ。鉛筆は木にしろ、炭素繊維にしてもまだ形を保っている。

 だが、何が使われているかわからない物は聖晶世界の何と関連をつければいいのかわからず、結果暴走させてしまうことがあるのだ。

 契約物と召喚するものに関連性がなければ暴走、または召喚ができないのが召喚における絶対的なルールなのだ。


「グラディスを暴走させるためにこの羽根を作ったってこと?」

「―それが誰かはわかりませんが。あと、この黒い光は一方通行のようですね。こちらからグラディスが通ることはできないようです」

「だからさっきトールは弾かれたの?」

「おそらくな。こうなると、あとは……」

「歪になってる部分をマナで調整する、かい?トールさん」


 大きな羽ばたき音とともに声がした。アクアドラゴンの背から聞こえてきたクレアの声だった。様子を見に行っていたシルフもトールの隣に帰って来ていた。

 クレアは手に何も持っておらず、少し気怠そうにしていた。


「クレア!怪我は⁉大丈夫⁉」

「あー……。左手軽く突き指したかな。あとは大丈夫だと思うけど」

「―あれ相手に突き指だけだったら完勝よ」


 クレアは背中から降りてくると、アクアドラゴンを聖晶世界に戻した。その後他のゴーレムたちも聖晶世界へと帰していた。


「驚いたな。どこでマナなんて言葉を知った?」

「聖晶世界の存在から。だからこんな光、こうしちゃえば塞がるんだよ」


 まるで召喚を行うようにクレアは右手から光を出し、それを黒い光へと向けていた。すると徐々に黒い光は萎んでいき、最終的に消えていった。


「何?どうやったの?」

「あたしたちは召喚で聖晶世界とコルニキアを繋げるだろう?それと同じ要領で、さっきの黒い光からグラディスがきちんと出てこられるように正しい道のりを作ってあげる。その後何も召喚しなかったら元通りってわけさ」

「―ただ、その方法が全員できるわけではありませんね。実力のある召喚士が行わないと塞ぐことが出来ません。あと、グラディスも」


 クレアが優秀な召喚士だから塞ぐことが出来たというのはよくわかるのだが、その他の会話がマミには理解できていなかった。


「どうして?」

「―グラディスをコルニキアで形成しているのが粒子であり召喚の際に現れるマナなのですが、正直な話グラディス本体がコルニキアに来ているのではなく、全く同じ姿、力でマナによって形成されているだけです。実体は聖晶世界にありますよ」

「ああ、それクレセント・ムーンの本に書いてあったなぁ。グラディスがあの黒い光を塞ぐことが出来ないっていうのは、コルニキアにいられなくなるからってこと?」

「―そうですね。やろうと思えばできるのですが、確実に聖晶世界に帰ることになるでしょう」

「そっか……」


 いつものようにマミはメモを取ろうと思ったが、カバンは近くになかった。中から契約物が入ったポーチだけ出してその辺に放り投げてしまったのだ。


「マミさ、もう終わったんだからいつまでその子ら留まらせておくの?疲れない?」

「それもそうだね。お疲れ様、ルミとホーリーフェアリー。また呼んでもいいかな?」

「―いつでもどうぞ。また逢いましょうね、マミ」


 ルミが先にホーリーフェアリーを聖晶世界に帰してからマミが光を出してルミを戻した。

 その後トールとクレアにお礼を言おうとしたのだが、口が開く前に腰が地面についてしまい、そのまま上半身も地面に落ちていった。


「あ、れ……?」

「緊張の糸が切れたのかい?まあ、あんだけの召喚したら疲れるのも当たり前だねぇ」


 そう言ってクレアも地面に全身を委ねていた。お互い制服なのだが、そんなことはお構いなしだった。

 クレアはどうかわからないが、もうマミはしばらく動けそうになかった。

 この真夏の地面は暑くて、髪の毛や肌に土が汗とともにくっついてきて気色悪かったが、身体を動かそうにも動かなかった。


「あー、疲れた疲れた。当分学校に来たくなーい」

「今日から夏休みだよ、本当なら」

「それもそうか。嫌な夏休みの始まりだねぇ」

「ホントに……。クレア、見に来てくれててありがと。クレアがいなかったらわたし、死んでたかもしれない」

「アハハ。それはあたしもだよ。マミがいなかったらどうにもなんなかったから」


 ただの学生が学校に来て死にかけるような経験をするとは思わなかった。

 それ以上に周りの人間からすれば、ただの学生が暴走したグラディスの群れを鎮めるという事態を目の当たりにするとは思っていなかったはずだが。


「後のことは大人に任せていいかな?」

「いいんじゃないかい?事情聴取やら何やら受けることになるかもしれないけど、ただの学生がやれることはもうないって」

「だね。国防軍とかに任せればいいよね、もう」

「なーにが国防軍の反喚部隊トップエース様なんだか。肝心の時に間に合ってないじゃないかい。役立たずー!」


 クレアがグレイムについて悪口を叫ぶと二人の顔を覗き込むようにトールが近付いてきた。


「お嬢さん方。その役立たずな方々がようやく到着したようだが?」

「え?」


 マミとクレアが目線だけ校門の方に目を向けると、確かに青い制服を着た国防軍がやってきていた。その中には当然グレイムの姿もあった。


「アハハハハ!遅いっての。役立たずー!」

「笑っちゃダメだよ、クレア。あの人たちだって一生懸命、プ、来たん……だか、ら……アハハハハ!」

「マミだって笑ってるじゃん!アハハハハ!」


 笑うつもりなどなかったのだが、マミは抑えることが出来なかった。

 別に国防軍を責めるつもりも、バカにするつもりもない。

 ただ、今の状態全てが心地良かったのだ。

 この疲れも。

 召喚にこれだけ自信が持てたことも。

 わからないことが少しずつわかったことも。

 わからないことが増えたことも。

 友達と一緒に頑張れたことも。




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