第9話 二声(1)
緊張していても、いつの間にか寝ていたらしい。マミは窓から射して来る朝日が眩しくて目が覚めた。昨日寝る前にカーテンを閉めたはずだったが、開いていた。
それと同時に、鼻腔にパンの焼ける良い匂いがしてきた。
本来そこに寝ているはずの存在を確認してみると、タオルケットもなく机が出されていて、その上には皿に乗ったパンがあった。
「起きたか?マミ」
「……朝ご飯?」
「そうだ。勝手に食材を使ったのは悪いと思っているが、もう八時だぞ?」
マミがベッドから出て机の前に座ると、トールは食べずに少女漫画を読んで待っていた。
ご丁寧にジャムまで用意してある。
「何か悪いね、食事の用意させちゃって」
「厄介になっているのは俺の方だが?」
「ハハ、それもそうだね……」
マミはいつも通り杏のジャムをつけてパンを食べた。何種類かジャムを用意してあるが、それは友達用だ。
マミ自身は杏しか使わない。
「トールは何つけて食べる?」
「じゃあ、杏をもらう」
トールはマミの方に手を伸ばし、杏のジャムを食パンにつけて食べていた。よく見るとミルクまで用意されていて、家主として頭が上がらなかった。
「杏、好きなの?」
「ああ。いつの間にか好きになってた」
「私、杏しか使わないから、今度から他のジャム用意しなくていいよ」
「それは毎日俺が食事を用意するということか?」
明らかに嫌な顔をされた。
「まぁ、半々くらい?他の掃除とか、洗濯とかも」
「洗濯ならやっておいたぞ?」
「え?」
窓の外を見てみると、マミの服が干されていた。
もちろんそこには私服だけではなく、マミの下着も干されている。下着と洋服は分かれているとはいえ、そよ風に吹かれて太陽の日差しを受けて輝いているそのモノは容赦のない現実をマミに突きつけた。
「み、見たなぁ~⁉」
「気にするな。興味ない」
「そういう問題じゃない!私のプライバシーは考慮しないのっ⁉」
「マスターが召喚した存在に何を言っている?一応これでも気を使ったのだからな。休み明けに試験があるそうじゃないか。その勉強を少しでも長くさせてあげようという心遣いだぞ?」
「……何で試験って知ってるの?」
トールはカレンダーを無言で指した。そこには昨日の実技試験のように赤で筆記試験と書いたマミの文字がある。
「学生の本分は勉強だろう?なら、するべきだ。夢があるならなおさらな」
「気遣いどうも。でも、下着見たことは別問題!」
「諦めろ。すでに過ぎたことだ。嫌なら自分でやれ」
やってくれたのはありがたいが、異性に下着を見られたのはそれなりに落ち込む。
結婚してもいいと思うような相手と家族以外に見せたくないという乙女の意地がマミにはあった。
そんな夢は目の前の存在によって壊されてしまったのだ。
「……わかった。自分でする。でも、勝手にやったのはそっちだからちゃんと反省してほしいかも」
「許可を取らなかったのは悪かった。次からは許可を取る。……それでマミ、相談なのだがお金を貸してくれないか?」
「え?お金?」
お金を借りる理由、使う理由がわからなかった。初めてコルニキアに来たのだから、コルニキアの物に興味があるのはわかるが、使い道がわからなかった。
「ちなみにどれくらい?」
「いくらだろうな……。この地方にもコロシアムはあるだろう?本戦に出るための地方会場が」
「あ、うん。この街にあるよ」
召喚士の競いの場として有名なコロシアムは二種類ある。一つは国の首都にある、コロシアム。こちらを通常、本戦と呼ぶ。
この本戦で優勝した者が覇者と呼ばれる。
この本戦に出場するためにあるのが地方会場と呼ばれる地方のコロシアム。
観客がいたり、賭けが行われたりするのは本戦と変わらない。この地方会場で優勝した者が本戦に出場できる資格を得るのだ。
この地方会場のコロシアムで優勝せずに本戦に出場できるのは前大会の優勝者、つまり覇者だけだ。
「でも、召喚士しか出られないよ?もしかして賭けでもするつもり?」
「身分を偽って出る。召喚したように炎を出せばバレないだろう?」
「それってズルだよね?トールはラグなしで炎が出せるってことでしょ?召喚士は召喚に工程が必要なんだから、どうしても速度では負けるよ」
「と言ってもこの世界で俺がお金を稼ぐにはそれしかないからな。大丈夫だ。聖晶世界に人間はいるはずないって他の連中は思っているのだからな」
「問題なのはバレることじゃなくて、ズルで勝つってことなんだけど……」
だが、マミの言葉にトールは耳を傾けなかった。食パンをかじったまま、口を開かない。食べながらは話さないということだろう。
「根本的なことを聞くよ。どうしてお金を稼ごうって思ったの?」
「どれぐらい俺がコルニキアにいるのかわからないから、生活費を稼ごうと思っただけだが?」
「あ、ああ……。それは助かるかも。生活費は親頼みだから、正直どうしようって思ってたところだし……」
「だろう?納得したなら貸してくれ」
マミは財布を出そうとして、何か思いついたように口角が上がっていた。
それは良いことを思い付いた時のような子供の、少し危ない笑みだった。
「どうした?」
「私も一緒に行くよ。トールが勝つってわかってるんだから、賭けたらもっとお金が手に入るでしょ?」
「学生が賭けなんてしていいのか?」
「校則では禁止されてないから、大丈夫」
「モラルの意味で聞いたのだがな……」
トールはため息をつきつつ、マミがついてくることに反対しなかった。その理由は単純だった。
それも、もっともな理由だった。
「では案内してくれ。どこにあるかわからない」
「そっか。場所はさすがにわからないよね」
「今さらだが、試験勉強しなくていいのか?」
「うーん……。少し勉強しなかっただけで、一番の座は落とさないよ。これでも私、入学試験の筆記首席だよ?」
「ああ、実技が伴ってなくて首席入学できなかったのだな」
「そう。実技は全然駄目だったから。実技の才能、あまりなかったみたい。やれることはやろうと思ってるけどね」
実技の方は、感覚によるものが多い。それをマミが感じ取れていないのが、召喚が上手くいかない理由。
どれだけ知識があろうと、最後は本人の感覚。
教師でさえ、生徒にどうすれば良くなるのか教えることができない。
教師には、知識を与えることと環境を整えてあげることしかできないのだ。
「マミ、一つ君の召喚について言っておきたいことがある」
「契約内容と契約物をきちんと確認しろってこと?」
「それは誰でも指摘できることだ。そんなおっちょこちょいなことを言いたいわけじゃない。君はもっと位の高い召喚をするべきだ。無機物だろうが生き物だろうがな」
「位の高い召喚?中級とか、上級とかってこと?」
「そうだ」
そういうトールの根拠がわからなかった。
マミにできるのは無機物でも生き物でも下級が限度なのだ。その下級ですら、時には最下級でも戸惑ってしまうことや失敗してしまうことがある。
「私、中級の召喚なんて成功させたことないんだけど……」
「試したことはあるのか?」
「ないよ。だって下級でも失敗する私にできるわけないでしょ?」
「それが間違いだと言っている。現に、俺はここにいるが?」
トールの言葉を信じるなら中級、もしくはそれ以上の位の高い召喚を成功させたことになる。その結果、トールがこの場にいるのだ。
「でも、成功した理由がわからないんだよね。昨日も言ったけど、失敗したと思ってたから。あんな奇跡、二回も起こせないよ」
「奇跡じゃないと俺は言っているのだぞ?マミは才能がある。簡単な召喚しかしたことがないから気付いていないだけだ」
「自分のことは自分が良くわかってるよ。慰めてくれようとしたんでしょ?ありがと」
「自分のことでもわからないことはあるだろう?マミは自分の首筋にある白い痣の理由がわかるか?」
マミは突然のことに首筋を手で髪ごと押さえた。顔は青ざめて、トールを見る目は鋭くなっている。
「……見たの?それこそ、一番のプライバシーだよ。女の子の体のことについてなんて。下着なんかと比べられないくらい」
「それは悪かった。それで、理由はわかるか?」
「遺伝じゃないの?……これ、良い思い出ないからコンプレックスなの。もう言わないで」
「約束する。だが結局、断定できていないだろう?今度俺が言ったみたいに試してみろ。才能がないわけじゃない」
マミは聞き流すつもりで、自分とトールの皿を片して洗った。
上級ランクの召喚ができるのに、下級の召喚ができない召喚士など聞いたことがなかったからだ。
それともう一つ理由を挙げるとすれば、失敗して暴走させてしまうのが怖かった。
聖晶世界にいる存在は悪くないのに、召喚士の失敗で暴走させてしまうのは人間の勝手だからだ。
「あ、そういえばどうやって外に出るの?今日はさすがにもう朝だから生徒が廊下にいると思うけど……」
「それは大丈夫だ。先に外に出ていてくれ」
よくわからなかったが、外出の準備をしてトールを置いて寮の外へと向かった。私服に着替える時にはもちろんトールにはトイレに入っていてもらった。
下着は見られてしまっているが、着替えまで見せるつもりはない。パジャマだって見られたくはなかったが、そこはさすがに折れた。
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